第112話 『Put On A Brave Face』

コポコポという事で音で、波瑠は目が覚めた。

少し開いた寝室の扉からは燦々とした光が溢れて、その音はそちらから聞こえていた。

同時にうっすらとコーヒーの香ばしい匂いが漂ってくる。


「波瑠さん、おはようございます」


決して睡眠が足りているほど眠れたわけではないだろうが、零の表情はすっきりとしていた。


「早いな、眠れたか?」


「ええ」


「零……彼女に連絡は?」


「いえ」


「……そうか」


「そろそろ出ます」


「捜査会議か?」


「ええ、では。お世話になりました」


「ああ、気を付けてな。いってらっしゃい」


テーブルには零が用意した朝食と、淹れたばかりのコーヒーが置かれていた。


「零、がんばれ……」


波瑠はもうそこにはいない零に、エールを送った。





捜査会議室は男たちの熱気で活気づいている。


「ねぇねぇ高倉さん」

佐川が声を潜めて高倉の肩を突っつく。


「見てください!」


「なんだ?」

零の方を見てさらに声を潜めた。


「フィクサーの服装が昨日と一緒なんです!」


「そんなこと言ったら、俺もお前もいつもそうじゃないか?」


「フィクサーは違うでしょ! 毎日スーツ微妙に違うんですよ。気づきませんでした?」


「まあ……俺らともちょっと世界が違うからな」


二人はあの大豪邸を思い浮かべた。


「シャツの襟も見てください」


「いつもはパリパリなんですよ。きっとあの執事の松山さんが自らプレスしてるのかなって思うんですけど」


「いくらなんでもそりゃあクリーニング屋がやるだろう?」


「そうですかね? いや、それはどうでもいいんですけど、確実に洗濯だけしてきた感じが出てるわけですよ! これってどういう意味か分かります?」


「また家に帰ってないってことだな」


「そうでしょう? ということは?」


「ということは……」


二人が同時に言った。


「女性の家に泊まった!」  

「伊波さんの家に泊まった!」


「は? 何でそこで女性になるんだ?」


「高倉さんこそ! そこで伊波さんの家って……

面白さが半減するじゃないですか!」


「お前な……零くんで遊ぶなよ! 絶対に踏み込んで聞くんじゃないぞ!」


「聞いちゃダメなんですか!」


「だめだ! 絶対ダメ!」


「えー! 何でですか? 気になるじゃないですか!」


「フィクサーを捜査に集中させるのも、お前の仕事じゃないのか? 4番目の兄貴よぉ!」


「……そう言われちゃう太刀打ちできないですね……わかりました」



二人は零のそばに寄る。


零は調書をめくりながら、すっと顔を上げた。

そして、高倉と佐川の顔を交互に見てから、また調書に視線を落とす。


「昨日はすみませんでした、早く帰らせて頂いて」


「いや、今は聞き込みの時期だから、この本部に君がカンヅメになっている意味はないし」


「昨日は車ではなかったので、雨に打たれてしまって、大規模停電で電車も止まりましたし、波瑠さんの家に泊まりました。洗濯はさせてもらったんですが、プレスまでは出来なくて」


言葉を失っている二人に、零はもう一度顔を上げた。


「何か?」


「……いや、別に……今日はやけにすっきりした顔してるから、さぞかし、よく寝たんだろうなと思ってね」


「ええ。ご心配をおかけしてすみません」


零は再び調書に視線を落とした。


一旦廊下に出て、高倉が佐川を小突いた。


「お前! 目線ひとつだけで、全部バレてるじゃないか!」


「やっぱりフィクサーにはかないませんね! 全てわかっちゃうんだから」



会議が始まった。


犯人の胸に刺さっていた包丁から、葬儀社の小田原佳乃の血液が検出されたことによって、 その包丁が小田切佳乃を襲った切りつけ事件に使用されたものと断定されたものの、零の見解では、その切りつけ事件にこそが小田原佳乃の自作自演であり、その包丁の動きこそが事件の解明に繋がると示唆した。

念のために行った、死亡した田中の自宅の排水溝のルミノール検査では、反応が一切出なかった。


「包丁は洗い流さないまま、田中の殺害現場に持っていったことになります。何かに包んで持ち込んだにせよ、遺留品の中には何も見つからない。血のついた刃物そのままずっと素手で持つはずもないので、誰かが回収したことになります」


議題は、強姦事件の犯人とは知らず、被害者が同じ会社に入社し、そして通り魔となった犯人に再度切りつけられると言うシナリオが、果たして現実的か……という話から、小田原佳乃には田中殺害の動機が溢れているが、死亡推定時刻どころかその日程前後まるまる葬儀社でのアリバイが成立していることから、共犯者の存在が伺い知れる、というところにまで及んだ。


田中の遺体についた跡から、スタンガンは女性用のコンパクトな口紅型の機種だと判明した。

おそらく共犯者は医療に従事した者の可能性が高いとの見解から更に、スタンガンの存在も手伝って、屈強な男性でなくても殺害は可能だという結論に達した。

そのことで、犯人の幅はある意味広がってしまう。


動機のありそうな人間を片っ端から調べるも、接点と動機とアリバイが揃った人間が見つからず、聞き込みは難航しているという報告に至る。


「もうまもなく始まる小田原佳乃の任意の事情聴取については、都度、情報を回す。聞き込み班は何か小さな情報でもあれば、必ず敏速にここの本部まで知らせるように。前も言ったと思うが、小田原佳乃は犯罪心理学の心得がある。自白に持っていくのは難しいだろう。だから小さなことでも、ここに引き止めておける間にねじ込んで、反応を確かめたい。では早速、それぞれの捜査に向かってくれ」


男達が一斉に立ち上がった。



「今日はいよいよ本人を呼びつけての取り調べだが、どうする? 零くん、君が話すか?」


「いえ。今日は同席しません」


「え! 同席しないって……なんでまた? 面会しないつもりか?」


「ええ。ここで緩急をつけます。小田原佳乃は俺にたいしての発言を用意してくるはずです。完璧なシナリオを作ってくるでしょう。そこをかしてやるんです」


「零くん……本気で言ってるのか? そんな実験的な事をして、機会を逃すようなことにならないか?」


「大丈夫ですよ高倉さん、小田原佳乃はもう一度ここに来ることになるでしょう」


「えっ? なんでそう言いきれるんだ?」


「捜査がまだ進展しきってないからです。本当の事を言えば、今日の出頭は時期尚早です。ちっともネタが揃っていない。違いますか?」


「まあ……確かに。 証言も物証も揃ってはいない 捜査員総出で捜査にあたってはいるが 今日に間に合うとは確かに思えないな」


「むしろ、こちらが不利な形から小田原佳乃が 味を占めるほどの状況を作ったところで、更に泳がした時にどのような行動をとるか……俺は今一番そこに興味があります。とにかく今日は、基本的には会わないつもりです。ああ、もちろん何かイレギュラーが起これば、その都度対応しますが、あくまでも姿を現さずに様子を見てみます」



「高倉さん、今日のフィクサー、なんだか違ったように思いませんでしたか?」


「へっ? なんだよお前、ニヤニヤしてさ」


「なんかこう……迫力を感じたんですよ。軍師の気迫というか……小田原を泳がせることに興味があると言ったときの彼の笑みを含んだ表情……たまんなかったな……」


「佐川……お前はすっかり骨抜きだな」


「ワクワクというか、ゾクゾクしません?」


「確かにな、今日の零くんはなにか違った感じはするけど……」



警察署に出頭するにはあまりにもきらびやかな服装に身を包んだ、小田原佳乃が現れた。


「わざわざご足労頂いて申し訳ありません。小田原佳乃さん」

そう丁寧に佐川が頭を下げて言うと、佳乃はため息混じりに言った。


「また来栖零さんに会うんでしょ? 田中さんが亡くなったってニュースで見たんで、また何らかの連絡が来るとは思っていましたけど、どうして私が呼ばれるんですかね? 来栖さん、そんなに私に会いたいのかしら?」


光沢のあるローズピンクの口角を上げた佳乃に、佐川が告げた。


「あ、今日は来栖さんは別件捜査で不在なんです」


小田原佳乃の表情が一変する。


「は? 別件ですって? あり得ないわ! あのガラスの向こうにいるんでしょ? 私が来てるのに!」


「いや……まだこっちには戻れないかと……

すみません。あ……落ち着いて下さい」


「別に! 落ち着いてるわよ!」


佐川は苦笑いで頷くと、小さく咳払いして話し始めた。


「まずは、田中紀洋という人物についてお伺いします」


佳乃は、溜め息をついて話し始める。


「何度も話しましたけどね……西園寺さんの事件の直後から急にいなくなって、そのまま会社をやめたのかと思ってました。まあ、失踪時期を考えたら章蔵さんを殺した犯人なんじゃないのってみんな噂してましたけどね。でも私は田中さんにはお世話になったので、ずっと気になっていたんですけど」


佐川が事実関係を羅列した。


まだ他殺とも自殺とも断定できないが、田中紀洋が河原で遺体で見つかったこと。

死因となった刃物から、小田原佳乃の血痕が採取されたこと。

よって、小田原佳乃に対する付きまとい犯及び切りつけ犯は田中紀洋である可能性が出てきたこと。

田中は他にも女性を襲っていたこと。

それらを伝えた。


「田中さんが私を? そんなはずありません! 毎日顔合わせているんですよ!? 良い上司でした。親切で……あの田中さんが私に切りつけるとか、女性を襲うとか……そんなこと、考えられません!」


鏡の内側では、二人がその様子をじっと見ていた。

「かなり驚いたようなリアクションをしているが……零くん、どう思う?」


「不自然なのは、実際自分が切りつけられていた事実があって、恐怖や痛みや恨みがあるなかで、相手がいくら表面上は親切な上司だったとはいえ、自分がされた行為に対する怒りの表情や戸惑いが出てきもおかしくないと思うのですが、実際あくまでも庇護した発言ばかりで……腑に落ちません。他の従業員の証言も完全に食い違っていますしね」


職場の部下は、田中の事を、仕事ができなくて何でも部下に押し付ける嫌味な上司だといい、女性従業員は口を揃えて、女性好きなセクハラおやじだと言った。

小田原だけが良くしてもらっていたというのは、不自然きわまりないことだった。



「相澤絵梨香さんから名刺を受け取ったそうですが、お持ちですか?」


「それが……失くしてしまって。でも連絡先の交換は済んでいたので、あまり気にとめなかったんですが、それがなにか?」

 

「田中さんの会社の引き出しから出てきたんですが、相澤さんは名刺交換をしていないようで……あと、これもまだ発表していないことなんですが……」


佳乃の表情が変わった。


「田中さんの自宅から相澤さんの郵便物や写真が出てきたんですよ」


「ええっ! それってまさか、ストーカー?」


「我々もそうではないかと考えていて……なにか思い当たる事はありませんか?」


零の描いたシナリオ通り、佐川が話をすすめる。


「そういえば、私と相澤さんの打ち合わせを立ち聞きしてましたし、そうそう! 彼女はどこにすんでるのって聞かれて、私の家のすぐ近所ですって言ったことも……あるかな?」

                 

挑戦的な眼差しに少し笑みをたたえたような零の横顔を見ながら、高倉は不安に似たような複雑な気持ちを持て余していた。


「このままもう少し話をさせて、矛盾点を引っ張り出せば、突っつき易くなりますね」


「零くん……もうそろそろ、君の手の内を見せてはもらえないかな」


零は少し驚いたような顔をして高倉を見た。


「ああ、すみません。では……お話ししますが、あくまでも俺の見解です。何の証拠もないので、お聞かせしない方がいいと思って、これまで黙っていましたが……」

 

零が口にするその内容に、高倉はひどく驚いた。

きっとこの署内の誰も、そんなことを考えてはいないだろう。


呆然ぼうぜんとする高倉を、気に留めることもなく、零は次の行動に移る。


「そろそろ終わりますね。この調子ではもう引っ張るのは限界でしょう。俺は駐車場の方に行っておきます。あたかも、今帰ってきたかのように小田原佳乃に遭遇するためにね。俺の関心が別のところに行ったことが、屈辱的にうつり、よりコアなネタを提示してくると思います。何度かそれを繰り返し、その中の矛盾と隙をつくんです。小田原が退出する際はメッセージを送ってください。車で待機しています。細い雑談も全てメモしておいてください。あと小田原のカバンの写真を撮っておいてください。紺色のベアのキーホルダーも一緒に。ではよろしくお願いします」


そう言いながら零は颯爽と部屋から出て行った。



零は、車に乗ってジャケットを脱ぐ。

ほんの少し皺っぽいシャツの袖が目に入ると、突如脳裏に、昨夜の闇が広がった。


闇の奥にゆらゆらと揺れる、温かみのある炎。

そしてその向こうにある、絵梨香の上気した表情がだんだん近づいて、視野を埋めていく……


零は大きく息をいて、座席から身を起こした。

息苦しく、胸に何かつかえたような気持ち……


零は、もう後には引き返せないことを悟った。

同時に、この不安定な気持ちと、今まさに彼女 も向き合っているのだろうと察する。


甘い共犯者であることが、こんなにも苦悩を生むならば、自分が彼女を支えなければならないということを、痛感する。


本当は戸惑って何を書いていいかわからないが、とにかくひとこと、彼女にメッセージを送ろうと思った。

その心を癒したい、ただその一心で……


第112話 『Put On A Brave Face』ー終ー

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