第108話 『I Just Want To Feel You』

『RUDE BAR』では、カウンターいっぱいのオードブルを囲みながら、波瑠と零と絵梨香で、懐かしい話に華がさいていた。


「当時、蒼汰は本当に『Eternal Boy's Life』に入れ込んで受験に響いてましてからね」


「そう言う零だって、気に入ってるって何度も聴いてた曲があったよなぁ?」


「ええ、バラードも声もいいんで、今でも好きですけどね」


「それってさ、さっき絵梨香ちゃんも好きだって言ってた……ああ、コレコレ!」


「え? 『I just want to feel you』なの!」


波瑠はCDをオーディオにセットした。


やさしいアルペジオが流れた。


「うわぁ、この曲……」


絵梨香は目を閉じた。

その当時の色々な思いがふわっと浮かぶような、懐かしい気持ちが辺りに漂った。




 I can't go on this way

 With it strong everyday

 気付いたのさ 

 I wanna be more than a friend



見渡す空が 終わりなきように

ボクの気持ちに 限りはない

You made my soul a burning Fire

止まらない思い 

I just want to feel you



 I wish that you were mine

 I ain't going nowhere

 明かりが灯る

 All I do is think about you



心のままに 駆け巡る思い

ボクの鼓動が今 音をたてる

You made my soul a burning Fire

走り出した思い 

I just want to feel you




三人はしばらく黙って聴き入っていた。


当時の熱い思いを胸に馳せる。

この曲を聴いていた時、私は誰に恋していたんだろう?


確か、卒業の時期で……

そう、憧れの先輩……

先輩がいなくなると思ったら悲しくて……

えーっと、名前は……あ、そうだ! 


黒田先輩……



「ん? 黒田先輩って?」


「え!」


「今言ったろ? 黒田先輩って」


「え……私、声に出して……た?」


「ああ、思いっきりれてたけど? 聞こえたよな、零?」


「ああ、まぁ」


「ウソ! やだ……」


波瑠と零に笑われて、絵梨香はバツの悪そうな顔をした。


「なに? それってこの曲の思い出?」


「……うん。好きだった先輩が卒業するのが悲しかったなって思い出してた」


「へぇ、絵梨香ちゃんからそんな話聞いたの、初めてかもな」


「そうよね。私も蒼汰にしか話してなかったし」


「え! 蒼汰にそんな話を?」


「うん、いつも聞いてもらってたから。中学の時も、高校の時も」


「へぇ……それはまた……」


「なぁに?」


「いや、別に……」


波瑠は零と顔を見合わせて、小さく首を振った。


波瑠も零も、当時の蒼汰に同情の念を抱いた。




波瑠が二人に二杯目のグラスを差し出した。

そして自分も、カランと氷の音をたてて飲み干すと、さらにそこに褐色の酒をなみなみと注ぐ。


「俺もさ、この曲には思い入れがあって」


「波瑠さんも? 私が中学生だったから、大学生のとき?」


「いや、もう少し後になってからだな。『エタボ』は昔から好きだったけど、ちゃんと聞くようになったのは『ファビラス』が本格的に『Eternal Boy's Life』とタイアップしてからなんだ。メンバーとはかなり親しいだろ? 俺もちょくちょくライブに行かせてもらったしな」


波瑠はグラスを持ち上げた。


「いつだったかな、『ファビュラススリー』と大所帯でライブに行った事があっただろ?」


「ファビュラススリー?」

零が聞き返した。


「ウチの会社のトップ3の人たちの事なの。かれんさんと葉月さんと由夏ちゃんの事を、なぜか業界ではそう呼んでて……春にサマコレの記者会見が民放で流れた時も、そう字幕に書いてたから、結構、世に浸透してるみたいよ?」


「へぇ……」


「そうだ波瑠さん! あの時、オトナだけで打ち上げ行ったでしょ! 私と蒼汰を帰らせてさ!」


「そりゃ絵梨香ちゃんも蒼汰も未成年だったから、しょうがないよ」


「ズルいなぁ!」


「まあね!」


「コドモを先に帰らせて、オトナだけで楽しんだんだよね! しかも『エタボ』のメンバーと!」


「ははは、あの後もそうやってしばらく抗議されたなぁ……その打ち上げはバーを貸しきって、騒ぐでもなく、みんなリラックスした感じで過ごしてたんだ。『エタボ』の曲がかかってて、たまにKIRAが歌ったりメンバーがギター弾き出したりして、イイ感じでね。その時にさ、この曲聴きながら由夏さんの失恋話を聞いたんだ」


「え! 初耳!」


「やっぱり知らなかった?」


「うん。由夏ちゃんの失恋かぁ……思い当たる節が全くないなぁ」


「まぁ、ずいぶん若い時の話みたいだったけどね。なんかその時にさ、昔の話なのに、俺、妙に嫉妬しちゃって……由夏さんはどんなふうに人を思うのかっていうことも知れて嬉しかったんだけど、聞いてるうちにだんだんイライラしてきたりしてさ。でもよくよく聞いてると、その相手の男も、別の人に失恋してて……ああ、みんなそれぞれ思いが深いんだなって。なんかそういう気持ちって尊いなって思ったんだ。……でも、こんなこと思い出したのなんて、ホント何年ぶりかなぁ……」


波瑠がグラスを傾けたあとの遠い視線を、絵梨香はじっと見ていた。


「本当の意味で、その人を大事にしたいとか、その人でなきゃダメとか、そういうのに気付ける事って本当に貴重なことなんだなって、その時も思ったのにさ……それがもう何年前だ? それからまた更に何年もの間、俺は何をしてきたんだろうって……最近ふと思うようになってね」


「それはどうして?」


「そういう歯がゆいカップルを目の当たりにした時かな? すれ違いってさ、一瞬で起きるんだよ。どんなに想いが強くても、すれ違っちゃうと、なかなか元には戻らない。タイミングって本当に大事だし、思い込みだって大事なんだ」


「タイミングか……」


波瑠はカウンターから体を起こした。

「だからね。今日、俺ちょっと、立ち上がってみようかと思って」


「え! 波瑠さん、それって」


「今からさ、君ら2人にここを任せてもいいかな?」


「波瑠さん、どっか行くの?」


「ああ。零はちょくちょく泊まってるから知ってるんだけど、この近くに俺の家があるんだよ。そこで電話してこようと思って」


「え? 電話?」


「今日電話する約束しててさ。会いたいんだけど……遠くに居るから」


「遠くって……」


「そう、金沢」


絵梨香が、両手で口を覆った。


「波瑠さん! 遂に!」


波瑠は少し恥ずかしそうに笑った。


「ヤッター! 波瑠さん!」


「なんだよ絵梨香ちゃん、まだ話してもないのに」


「ああ! なんか嬉しい! 波瑠さんがようやく由夏ちゃんの心をつかんでくれるのね!」 

 

「そんなのわかんないよ? いざ電話したらビビって何も話せないかもしれないし」

 

「やだ! そんなの絶対許さない! お願いだから波瑠さん、由夏ちゃんのハートをゲットしてきて!」

 

「おいおい! 零の前でそんなダイレクトに言わないでよ。恥ずかしいよ」


「なんで? オトコはこういう時に、パシって決めなきゃ! ねえ、あなただってそう思うでしょ?」


そう言う絵梨香に、肩をパシッと叩かれて、零は少したじろぎながらも頷いた。


波瑠が吹き出す。


「あはは。零のそんな困った顔見るの、初めてだ! 面白い! まあ俺も、絵梨香ちゃんにそんな風に言ってもらえて、勇気出たわ」

 

「あーもう! 嬉しくてたまらなくなっちゃった、どうしよう!」


「じゃあ俺、行ってきてもいいの?」


「いいよいいよ、波瑠さん! なんなら、お客さんが来たって、私たちで何とかしておくし! ね? いいでしょ?」


絵梨香にねだられるように言われて、零は少し辿々たどたどしく頷いた。

「ああ……いいけど」


「早く! 波瑠さん! いってらっしゃい! Good luck!」


「うん、ありがとう!」


波瑠は押し出されるように見送られた。

笑顔で階段を上がり、階下に手を振る様子は、まるで打ち上げ前の宇宙飛行士のようで、我ながら笑える。


店を出ると、波瑠はそのドアに『closed』のプレートをかけた。

そして扉に向かって言う。


「Good luck!」





波瑠が出ていくと、絵梨香はオードブルを、改めて盛り付け直した。


「ねえ、食べましょう! ああ、もう一回、 これ温めるね」


「……なんか、テンション高いな」


「だってさ……波瑠さんが遂に由夏ちゃんに告白してくれるんだよ! あの二人なら絶対うまくいくと思うの! 私も波瑠さんのことを “お兄さん” って呼びたい。……本当に、幸せになって……もらいたいし……」


そう言って絵梨香は感極まった顔をした。


「お前どうしたんだ? え? なんで泣くんだ!」


「なんか、嬉しくて……」


そう言って、絵梨香はその場に座り込んだ。


「おいおい、そんなに……」


零はそっと近くに寄って、その肩に手を触れた。


ゆっくり力を入れて立たせると、カウンターの椅子まで誘導して座らせ、ポケットからハンカチを出して渡した。


そのハンカチを見た絵梨香は、今度は急に笑い出した。


「何だお前? 泣いたと思ったら急に笑い出すし……」


そう言ってたじろぐ零を見て、絵梨香はさらに笑う。


「だって! 私、あなたにハンカチ借りてばかりいるのに、全然返せないんだもん! これをまた今日借りるのかと思ったら、おかしくなってきちゃった! あははは」


そう言って絵梨香は、笑った顔を見せながらポロポロ涙を流していた。


「なんか、支離滅裂だぞ。ほら、ちゃんと拭 けよ!」


そう言って零は、一度渡したハンカチを彼女から取り上げて、彼女の頬にそれを当てた。


「……優しいんだよね、あなたって本当は」


「本当は、って……どういう意味だよ?」


「いっつも私を助けてくれるじゃない? だから私も、あなたのこと信頼して心を開くでしょ? そうするとあなたって、すぐ自分の心閉じちゃうの。私はものすごくショックで…… そんなことの繰り返しなのよ。あなたの言葉ひとつで、とってもハッピーになったり、すごく 落ち込んだり、ホントに振り回されてるんだか

ら!」


「おい……今度は絡むのか……酔ってんのか?」


「そんなに飲んでない! なんならもっと飲みたい気分!」


その時、あの曲がかかった。

ついこの前、自分の部屋のオーディオのスイッチをつけた時に流れたこの曲を、複雑な思いで消した事が零の脳裏に蘇った。


彼女は零の隣の席にあの日と、同じように座って、同じ曲を聴いている。


うっとりした顔つきで顎を幾分上げて、目を閉じた彼女の横顔には、まだ涙の筋が残っている。


「あの時ね」


「ああ」


「あなたのことが心底分からなかった。蒼汰の親友って聞いてた人が、こんなに冷酷な人だったなんて、とか思って、ショックで受け入れられなくてね、あなたを街でスカウトした自分の発言も……恥ずかし過ぎて、それで余計に意地張っちゃって。なんか最悪な夜だったけど……でもふと思うの。あの夜がなかったら、私は今頃どうしていたのかなって」


「なぜ?」


「もしあなたがいないまま、あの事件が起こっていたとしたら……私は生きていないかもしれないなって……」


「大げさだな」

そう冷静を装って言いながらも、零は身震いする思いだった。


「そんなことないわ。あなたには助けられてばっかりよ。一体何度あなたに救われたか……

薬飲んで意識失った時も、PTSDも、そしてあの事件も……もしあなたがいなかったら、今私はこうやって平和に笑ってもいられなかったと思う。そう思ったら怖くてしょうがないし、それと同時に、あなたがいてくれて良かったって、心の底から思う。だから、あなたのことをもっと分かりたいって……いつも思う」


絵梨香が下を向いた。


「時々ね、あなたの事、ちょっとわかったかなって思える瞬間があるんだけど、その後に必ず突き放されるの……お前なんか知らないって言われてるような、そんな辛い気持ちになる……どうして?」


「そんなつもりはない。俺は……何も考えてない」


「ウソ! あなたは優しい人だもの、本当はね。蒼汰に対する気遣いを見てたらわかる。だけどあなたは、蒼汰には気持ちを許すけど、私には決して心を開かない。私だってあなたとは、幼い頃に一緒に西園寺家で過ごしたって言う、幼馴染みたいな関係性なんだから、もっと信頼してくれてもいいと思うの。なのにあなたは私のことには踏み込まないし、私に踏み込ませてもくれない。私だって、蒼汰と同じ、あなたと……」

零がかぶさるように言った。

「蒼汰と同じなわけないだろ」

 

「……そりゃ絶対的な信頼関係がある同性同士と、私みたいに異性同士とは違うのもわかるけど……でももう少し普通に仲良く接してもらってもいいと思う」


「それは……無理だろ」


「なんで? そんなに年だって変わらないわよ。子供扱いし過ぎなんだから、もっと色々話せる仲になってもいいと思う。その方が楽しいじゃない? そうでしょ?」


そう言って、絵梨香は零の肩に触れる。


「やめろよ!」

 

零がその手を払おうとした。


「どうしてそんなに冷たくするの!」


もう一度肩に手を伸ばそうとした絵梨香がバランスを崩す。


「酔ってるんだから、暴れるな!」

そう言って、零が抱き止めた。


すぐ近くにある、彫刻のような零の顔を見つめながら、絵梨香はその目に涙を溜めてポツリポツリと言った。


「酔ってなんか……ないよ。本当に寂しかっただけ……あなたに “忘れてくれ” なんて言われて……その瞬間、ショックで目の前が真っ暗になったよ。どうして忘れなきゃいけなかったの? どうして救ってくれたのに、また私を……突き放したの……」


零は “その言葉” を発した時の、エレベーターホールで瞳いっぱいに涙を溜めた絵梨香の顔を思い出した。


その時のいたたまれない思いがまた、胸にこみ上げて、零の胸を苦しく打ち付けた。


「私はもっとあなたと近づきたかったのに」


こぼれ落ちた一粒の涙が、絵梨香の頬を伝った。


零は無意識にそこに手を伸ばし、親指でそれを 拭った。


これまでにも何度かそうしてやったことがあった。

今思えば……彼女を救いながらも、本当に心を救われていたのは自分の方だったのかもしれない……不意にそんな思いがわいた。


絵梨香の頬に添えた零の手に、絵梨香がそっと自分の手を重ねた。


視線が絡み、相手の瞳の中に自分の姿を見つけたとき、二人はお互いの意識を認識した。



第108話 『I Just Want To Feel You』

              ー終ー

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