第107話 『I Want To Be Where I Feel Like I Belong』
「ちょっと零を、借りてもいいですか?」
差し入れを持参して捜査本部を訪れた波瑠は、高倉にそう言って、その限定カツサンドの箱を二つ抱え、零を連れて屋上へ向かった。
「今日は午後から天気が崩れるそうだ。この夏一番の嵐になるらしいぞ! でも今はこれぐらいでも曇ってた方が、この屋上では過ごしやすいかな」
屋上の手すりに腕をかけ、空の様子を窺いながら話す波瑠の横顔に向かって、零が問いかけた。
「波瑠さん、どうかしたんですか?」
零にベンチを促してそこに座らせ、波瑠は箱を開けて零に手渡した。
「ほら、しっかり食べろ」
「はい、いただきます」
「どうよ?」
「ウマイです」
「だろ? やっぱり並んで買う価値、あるよな? なかなかこっちに出てこないから、来た時は必ずゲットしようって思ってね!」
「……波瑠さん、今日はいったい……」
「とりあえず、食ってからだ!」
「わかりました」
「まずは一つのことを満たして、それから次に冷静に目を向ける! これは大事だろ?」
「ええ……」
「おい……気持ち悪いもん見るような顔するなよ! お前が色々悩んでるようにな、俺にだって悩みはあるんだよ。誰も俺の悩み、聞いてくれないだろう?」
「え?」
「俺はいつもさ、ご意見番みたいな扱いだろ? でもな、俺だって不器用で悩むことだってあるんだよ?」
「そうなんですか?」
「そりゃそうさ。今ちょうど、その時期かな」
「へぇ……」
「でさ、お前もそうなのかなぁと思って……」
「俺ですか……俺と波瑠さんの悩みに共通点が ありますかね……思い当たりません」
「俺たち男はさ、いつも何か問題があっても、それに自分だけで体当たりして一人で頑張っているように思いがちなんだよ。だけどさ、実は心の中で誰かに支えられているんだ。もちろんそれは友人だったり、信頼できる上司だったり するんだけど、その中に必ず、心の芯を捉える存在がいる。ただその心の芯を捉える存在は、時に、その心自体をとっても荒らすんだ。だから排除しようと思う時もある。その存在があることによって、自分が自分じゃなくなるから、障害だと思い込む。でも実際は違うんだ。それを失えば、空っぽになってしまうんだ」
零は静かに聞いていた。
「零、仮に今、何かに振り回されてるとか、自分でコントロールできない案件があるとしよう? それは、その心の芯が原因だ。お前自体の軸をも揺るがす、心の芯……戸惑うよな」
「波瑠さん、いったい何が言いたいんですか?」
「フィクサーに解らないことなんてあるのか?じゃあ俺、爆弾発言するよ?」
「え……何ですか」
零は怪訝な顔をする。
波瑠が息を吸い込んだ。
「俺の “心の芯” の名前!」
「あ……今、ここでですか?」
「聞きたいだろう?」
「いや……聞きたいっていうか……女性ですよね?」
「そうだ、俺が今から暴露……」
「あの……」
「なんだよ、零」
「多分……分かりますけど」
「は? なんだと! 恋愛に敏感じゃないお前に?」
「まぁ……こんな俺ですが、でもさすがに波瑠さんは分かりやすくて……多分、周りの人間はほとんど分かっているんじゃないでしょうか……」
「えー! ちょっとそれショックなんだけど…… あのさ、本人は知ってると思う?」
「俺も分からないですけど、多分ご本人は知らないんじゃないかなと思います。ちょっと……波瑠さんに、似たタイプだと思いますし」
「なんか、つまんないな。お前、答え全部わかってるじゃん」
「……すいません」
「すいませんじゃないよ! 俺は今日それをお前に言おうと思って、結構緊張気味に来たのに……」
零は下を向いた。
「お前……笑ってるだろう」
「笑ってません」
「絶対笑ってるだろう」
「いえ、そんな、波瑠さんが真剣に考えてることを笑ったりしないですよ」
「じゃあこっち、向いてみろよ」
「いや……それは……」
波瑠は零の肩を、強引に自分の方に向けた。
「ほらお前! 笑ってるじゃないか!」
そう言って二人は顔を合わせてると、改めて笑い出した。
「くっそ! むかつくけど、お前のそんな笑顔見たの久しぶりだから、許してやるよ」
「俺もこんなに笑ったの、久しぶりです」
「……失礼なこと言うヤツだな!」
零は再びカツサンドを取り上げて、バクバク食べ始めた。
「そんな急いで食ったら詰まるぞ! ほら」
波瑠はミネラルウォーターを渡す。
「ありがとうございます」
零の顔に、光が指したように見えた。
「あーうまかった」
二つの箱が空になった。
不穏な空の雲が渦巻きながらも、涼しい風が吹いて、屋上は不快ではなかった。
ミネラルウォーター片手に、零がベンチから身を起こす。
「波瑠さんが話したいことは、ここからですか?」
波瑠は溜め息混じりに腕を組みながら、少し苦笑いをした。
「まあ……お前相手だとさ、いろんな駆け引きも無駄だよな? 俺もそれ覚悟で来てるわけなんだけど。だから、優しく聞いてくれな」
「はい、わかりました」
波瑠は動きの早い雲を遠目で眺めながら、話し出した。
「お前は、一度心の芯を失っている。あまりにもそれは大きくて、あまりにも辛くて……お前はその心の芯の
零は表情をこわばらせた。
「拒否する理由は……それはあいつの存在だな……それに、その心の芯の存在が、自分の全てを
零は両膝に肘をかけ、幾分うつむいたまま言った。
「波瑠さん……俺は何も必要としていません」
「そう思い込ませているだけだとしたら?」
「本当です。今のままでいいんです」
「もしお前が、今ここで本当にそう思っているんだとしたら、その方がよっぽど危険だ。ある日突然やってくるかもしれない……俺達男の心っていうのは、それぐらい
そう言って波瑠は、零の肩をポンと叩いて立ち上がった。
「俺さ、今日、思い切ってアクションを起こしてみようと思うんだ」
「え?」
零がぱっと顔を上げた。
「応援してくれるか?」
「もちろんです!」
そう言って零も立ち上がった。
「そっか、じゃあさ、今夜は
「ええ。それは何か役に立つことに、繋がりますか?」
「ああ。頼んだぞ、待ってるから」
「わかりました」
「じゃあ俺は帰るから、高倉さんと佐川さんにはよろしく伝えといてくれな」
「はい。ごちそうさまでした。わざわざありがとうございました」
波瑠はにこやかに手を振って、階下に降りていった。
* * * * * * * * * *
それから数時間、街で時間を潰した波瑠は、蒼汰を引き継いで由夏から聞いた時間に合わせて、『ファビラスJAPAN』のある『
「絵梨香ちゃん!」
手を振る波瑠に驚きながら、絵梨香が走り寄ってきた。
「どうしたの! 波瑠さん?」
「久しぶりにこっちに出てきたら色々買いたいもんがあってさ」
「うわー! すごい荷物!」
「ちょうど近くまで来たから、絵梨香ちゃんに荷物持つの手伝ってもらおうかなと思ったり……そんなこと言ったら男として失格かな?」
屈託のない顔で笑う波瑠に、絵梨香も思わず笑みがこぼれた。
「いえいえ全然!」
「絵梨香ちゃんに食べさせたいものも買ったから! いいだろ?」
「本当? 嬉しい!」
「今日はこれから天気も悪くなるから、先に地元に帰って、この食材を食べない?」
「はい!」
「うん! イイ返事だね!」
そんなことを言いながらも、この人は私を迎えに来てくれたんだろうな……
絵梨香はそう思いながら、波瑠の横顔を見た。
ホントに素敵なお兄さんだな……
本当にそうなってほしいと、思った。
「波瑠さん、今、由夏ちゃんさぁ……」
「ああ、金沢なんだろ?」
「え? 知ってるの?」
「うん」
絵梨香の表情が色めき立った。
「なんでなんで? 由夏ちゃんと連絡取ったりしてるの?」
「まあね!」
「え! ウソ! ひょっとしてコンスタントに連絡取り合ったりして……?」
「まあまあ……」
「へぇ! そうなんだ!」
絵梨香の顔が一層明るくなる。
波瑠はその顔をじっと見て、笑い出す。
「……ったく、なんだよ君らは! 揃いも揃って同じ顔をする」
「君ら? どういう意味? 誰のこと?」
「ああ、零だよ。今、零と会ってきてね、アイツ、どうせちゃんと飯も食わないと思ったから、九条のカツサンドを差し入れで持ってってやったんだ。まあ高倉さんと佐川さんにもなんだけどさ。そしたら流石に美味い美味いって言って食ってたよ」
「そうなんだ!」
絵梨香は嬉しそうな顔をした。
「彼は捜査に入ったら、何も食べないし寝ないでずっと集中してるって、いつも蒼汰が心配してたから……良かった!」
「そうだなあ、アイツって、何でも自分一人で片付けようとしてるように見えるだろ?」
「そうなのよね! ちょっと人を頼りにしてみたっていいのになって、思うんだけど」
「それは多分ね、頼り方がわからないだけだよ。それが周りを拒否してるように見えたりするんだ」
「ホントにそうなのかな……なんかいつも、足手まといにされるような気がして、色々言いにくくて……」
「アイツは特に、嬉しいことをしてもらっても素直に嬉しいって、言えないタイプだからね。そういうのを察してあげられるようなパートナーが横にいてくれたら、いつもあんなにギスギスしなくても、ハッピーに生きていけると思うんだけど……」
絵梨香が黙りこくって考えている。
その真剣な眼差しを、波瑠はしばらく見ていた。
* * * * * * * * * *
真っ暗の『RUDE BAR』に足を踏み入れたのは初めてかもしれない。
「絵梨香ちゃん、気を付けてね。目が慣れてないから階段から落っこちるかも!」
「大丈夫! ちゃんと気を付けるから!」
二人はカウンターに、どっさりと荷物を置いた。
「波瑠さん、すごいたくさんオードブル買ったんだね!」
「うん! 最近
「うわ、なんか試食会に来たみたい! いただきます!」
「絵梨香ちゃんの反応はお客さんとリンクするからね、どういうものがウケるかなぁとか、リサーチにもなるんだ!」
「こんな楽しいリサーチなら、いつでもやる!」
「ははは。そりゃ頼もしい!」
ドアチャイムが鳴った。
振り返って見上げた絵梨香の顔が、スッと真顔になった。
そして階段の上にそびえる、そのすらっとしたシルエットも、こちらを見下ろして、一瞬立ち尽くしていた。
「おお! 零、いらっしゃい。今日は急遽オードブル試食会になったんだ。早くお前も座って食べてみてくれ」
波瑠は絵梨香のすぐ隣に、零を促した。
ずっと目で追っていた絵梨香は、彼が横に座ったとたん、その視線を外した。
そして落ち着いたトーンで言った。
「会議、忙しいんじゃないの? こんな時間でも終われるんだ」
「まぁ、捜査の進展によるけど」
「ふーん、そう?」
そっけない二人の会話に溜め息をつきながら、波瑠が言った。
「零さ、なんかお前、やつれてないか?」
そう言うと、絵梨香はパッと彼の顔を見た。
二人が思いがけず目を合わせた。
絵梨香はまたスッと視線を反らせて、食べ物を選んでいるフリをする。
波瑠はまたしても小さくため息をついた。
「今日はさ、早い時間からここに来て、絵梨香ちゃんと食べ物つまんだり、CDを色々吟味したりしてたんだよ」
そう言って波瑠は、零の前に、彼女がチョイスしたCDの山をドサッと置いた。
「これなんか、懐かしくないか?」
波瑠が懐かしそうに、そのうちの一枚を手にした。
「ああ、『Eternal Boy's Life』。そうですね、そのジャケット覚えてます」
「この『Treasure The Time』ってアルバムのジャケットを書いたイタリアのアーティストが、俺、元々好きでさ」
「ええ、波瑠さんの部屋に絵も飾ってありましたよね?」
絵梨香がカウンター越しに身を乗り出して聞いた。
「それって、二人とも帝央大学の学生だった時?」
「ああ、零はよく俺ん家に泊まりに来てたから、イヤって言うほど聴いてる筈だ」
「私も、中学生の時から聴いてたよ。蒼汰なんて、由夏ちゃんとフェスに行って『エタボ』のライブの後に楽屋に入れてもらって、ドラムのRyujiって人に会わせてもらってから、自分もバンド始める! って熱くなっちゃって……」
零が懐かしむように上向き加減で言った。
「ああ、高1の時だな。アイツ、全然バスケ部の練習に来なくなった」
「あはは、なんかそれ私も覚えてる。ドラムセットを買うとか言い出して、伯母さんともめたって言ってた」
「あはは、そこまで本気だったのか?」
波瑠が笑い出した。
「蒼汰は本当に『エタボ』に入れ込んで受験に響いてましてからね」
「零だって、気に入って、何度も聴いてた曲があったぞ」
「ええ、バラードも声もいいんで、今でも好きですけどね」
波瑠が、ガサガサとCDの山を漁り出した。
「それって、さっき絵梨香ちゃんがかけてた……ああ、コレコレ!」
第107話 『I Want To Be Where I Feel Like I Belong』ー終ー
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