第104話 『心の葛藤』

零の “邸宅実家” に宿泊した高倉と佐川は、零と共にそこから車を走らせ、揃って署に出勤した。


会議開始ギリギリで急ぎ足の三人の登場を、多くの捜査官が待ち構えていた。



捜査本部会議室に入るや否や、零はすぐに、要請を出した。


「遺体の首の後ろに、二つの跡がある写真を見せてください」


佐川がまた、より出して零に渡す。


零はしばらくそれを眺めていた。


高倉と佐川は、すっかりスイッチが切り替わっている彼が、一体いつからこの件を気にしていたのだろうと、不思議な面持ちで一緒に写真を覗いている。


零は全体を見回して、話し始め、同時に会議もスタートとなった。



「この皮膚の変色は、軽度の “熱傷” である可能性があります。おそらく市販されているスタンガンによって、付けられた傷ではないかと思われます」


「犯人はスタンガンで田中を油断させて犯行に及んだ、という事だな」


「はい。スタンガンは、内部の電源回路で高電圧を発生させ、電極部を相手に接触させることにより、筋肉を強制的に収縮させ、しばらくの間、行動不能にする……ここまでは皆さんがご存じのスタンガンと同じですが、この写真の熱傷は、その間隔幅が約1.5cmと、かなり狭く、形状も軸形ではないので、照合してみなければわかりませんが、超小型の女性のための護身用のものではないかと、推測しています」


「コンパクトなものか……至急スタンガンの機種を特定しよう」


「ええ。小型であればやはり低電圧でしょうから、押し当てて筋肉に収縮を与えても、体の自由が利かなくなる時間はさほど長くはない……あまり持たない、一時的な制圧ということです」


「まあ、首の後ろということなら、受けるダメージは大きいだろうな」


「確かにそうでしょうが、倒れ込んだ田中の胸に、短時間で迷いなく、確実にベストスポットへ刃物を挿入するわけですから、医療従事者ではないかと思ったのですが……動機のある者が見つからないのが現状ですね」


鑑識から報告が上がった。


「田中に突き刺さった刃物から血液反応が出ました。DNA照合したところ田中紀洋のりひろのものと、小田原佳乃と判明しました」


捜査員も前の三人も、お互いに顔を見合って頷く。

「よし、あくまで切り付け事件の被害者という立場の事情聴取という形で、小田原佳乃を引っ張ってきてくれ。くれぐれも取り調べと悟られないようにな」


* * * * * * * * * *


零はまた屋上にいた。


そのまま会議室に残って資料を読み漁っても良かったのだが、そうすると高倉警部補が少し心配な面持ちをするのがわかっていた。


会議室を出ると告げれば、彼の顔に笑みが射すことも知っている。


幾分眩しすぎるこの空の下にいると、自分が今いかに宙ぶらりんな状態かわかる。


風邪を引きかけた時のような、心もとない身体の気だるさと、かすかな震え……


それが何によって引き起こされているか、正直、判らなくなってきている。


蒼汰の話を遮って出ていった意味も、車の中で意識を失ったかのように眠りに落ちた理由も、そして今、こうしてとりとめのない気持ちを持て余している自分自身も……こんなにも、判らなくなったことが、今までにあっただろうか?


ポケットのスマホが振動を始めた。


画面には “相澤由夏” の文字が浮かび上がっている。


昨日は、彼女からの退社報告がないことをほほえましい思いで見つめたその画面から、今日は何らかの “通告” を受けるのだと、覚悟しながら開く。


「零くん、おはよう。今って、大丈夫かしら?」


「由夏さん、おはようございます。会議が終わっているので、大丈夫です。電話で話すのは……久しぶりですね」


「ごめんなさい、こんな時間に」


「いえ……蒼汰から、連絡があったんですね。 それとも波瑠さんかな?」


「ええ……蒼汰が。詳しくはなにも話してくれなかったけど、絵梨香の事はこれからは自分が見守るから、退社予定時刻を自分の方に知らせてほしいって……零くん、あの子と話し合ったの?」


「話し合った……事になりますかね。一応は……なので、そうしてやってください」


「なんか蒼汰も同じようにそうやって煮え切らないような言い方していたわ。喧嘩でも?……ああ、まあそりゃ……蒼汰は零くんと私が秘密を持っていたことに怒るわよね……ごめんなさい」


「いえ。俺の考えが浅はかだったんです。自分の行動が最善だと過信していました。ですのでこれからは、別の方法で責任を果たします」


「責任を果たすだなんて……零くん、前から聞きたくて聞けなかったことがあるんだけど……あなたにとって絵梨香は……」


零は言葉を遮った。


「由夏さん……あ、もう……彼女の事は、すべて蒼汰に任せることにしたので」


「零くん……まさか苦しんでるんじゃ……」


「え……」


「ひょっとしてあなたの心に……」    


零の息遣いが荒くなった。


「……零くん?」


「由夏さん……答えられません」


そう口走って、零は自分で驚いたように目を見開いた。


「零くん……」


「あ……すみません、由夏さん。これから会議に戻るので、これで失礼します」


「あ、ごめんなさい。でも、零くん……」


「これからは……蒼汰に連絡してやってください。では、失礼します」


通話が切れた画面を見ながら、由夏はハッと息を吸い込んだ。


「どうしよう!」


踏み込んではいけない部分に触れてしまったような気がした。


気がつけば、由夏はスマホをまた、耳に当てていた。


「あ! 波瑠くん? 何度もごめんなさい。私……やらかしてしまったかもしれない!」


波瑠は優しく丁寧に話を聞いた。



屋上で、通話が終わったとたん項垂うなだれている零を、非常階段の入り口から見ていた高倉警部補は、その尋常じゃない様子に慌てふためいていた。


会話は聞こえないが、彼が “由夏さん” と言った言葉だけが聞こえた。


相澤さんのお姉さんいとこだ。


あんなに、彼が訴えるようにその名前を呼ぶのは、その人が何か感情の確信に触れたからなのかもしれない。

 

つい先程、蒼汰から電話をもらった高倉は、彼らの不器用かつ揺るぎない友情に、ほっこりしていた。

しかし、零の今の様子を見ると、そんな簡単な問題ではなかったことに気付く。


高倉はワンフロア下まで階段を降りて その踊り場から、波瑠に電話をかけた。


なかなか繋がらない。

数回目のコールで波瑠は電話に出ると、通話中なのでかけ直すと言った。


相手はきっと相澤由夏さんだ。

そう思った。



更に下の階に降りると、佐川が慌てて駆け寄ってきた。


「高倉さん、零くんは?」


「ああ、屋上に居ると思うけど……どうかしたのか?」


「小田原佳乃について、わかったことがあって、捜査員が報告したいと」


その時、高倉の携帯が鳴った。

波瑠からだった。

 

「佐川、屋上に行って零くんを呼んできてくれるか。俺はちょっとこの電話に出るから、先に会議室に戻っといてくれ」


「わかりました」


佐川が走り去ったのを見て、高倉は電話に出る。


「すみません、伊波さん。変なことを聞きますが、先ほど電話中だったお相手は、相澤由夏さんではありませんか?」


「なぜそれを?」

そう聞くも、波瑠の声は冷静だった。


「実は屋上で、零くんが電話をしていたのを、ほんの少し聞いてしまって……とはいっても、聞こえたのは、相澤由夏さんのお名前だけなんですけどね」


「そうでしたか」


「電話を切った後の零くんの様子が……ちょっとあまりにも心配だったもので。それで思わず伊波さんに電話しちゃったんですが……相澤さんから、何か聞かれましたか?」


「ええ。一応、一通り聞きました」


「伊波さん、俺に何かできることは、あるでしょうか? 実は昨日、あのあと零くんを送ったまま、俺たち泊めていただいて……零くんのお母さんとも話したんです。詳しいことはなにも話してはいただけませんでしたが、彼が抱えている問題の大きさは、計り知れないようにおもえました……」


「そうですか。一応、僕に考えがあって……それについては2~3日待ってもらおうと思っていたんですが……今夜お会い出来ますか? ちゃんとお話ししようと思います」


「分かりました。では、今夜伺います。よろしくお願いします」


  * * * * * * * * * *


蒼汰は、西陽に顔を染め、腕時計を見ながら走っていた。


絵梨香の職場『ファビラス JAPAN』がある東雲しののめコーポレーションのビルの前に到着すると、彼女の姿が回転式のエントランスドアから現れるのを待った。


「よぉ! お疲れ!」


「あれ? 蒼汰! どうしたの?」

絵梨香は眉を上げて蒼汰のもとに来た。


「よかった! 時間が合うか心配だったよ」


「なんで?」


「いや、仕事が早めに終わったからさ、久しぶりに絵梨香と飯でも食いに行こうかなって思ってさ!」


「そっか! いいね」


「ま、絵梨香が “きびだんご” 食べ過ぎて、なんも食えねぇ……って言うならやめようかとも思ったけど……」


「ひどい! そんなに食いしん坊じゃないからね!」


「いやいや、あの時間帯に “むらすずめ” 2個いっぺんにいくようなオンナは、なかなかだぞ!」


「もう! そればっかり言わないでよ!」


「みんなもびっくりしてたもん!」


「え? みんなって?」


「ああ『RUDE BAR』で」


絵梨香は目を見開いた。

「ウソ! そんなこと話したの!」


「ああ、話したよ」


「もう蒼太のバカ! 言わないでよ! そういうこと」

蒼汰の腕を打ち付ける。


「いいじゃん、高倉さんも健康的だね……って、微笑ましく笑ってたぞ」


「サイテー!」


……そこには、彼もいたの?

……そう聞きそうになって、やめた。


「蒼汰って、何でも言うから、本当、困る! デリカシーないよね!」


「そうか?」


「いつまでたっても中学生みたいな扱いだもん! もうオトナの女性なんだからね。その辺気を使ってもらわないと!」


「なに気取ってんだか? じゃあ、そんなオトナの女性の絵梨香さん、今日もディナーをむさぼうんだろ?」


「そんな言い方しないでって、言ってるじゃない! ところで、一体どこに連れてってくれるのかしら?」

そう言って絵梨香は、腕組みをして蒼汰を睨んだ。


「どうしようかな……『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』にしようと思ってたんだけど……?」


その言葉に、絵梨香の顔がほころんだ。

「えー! ホント? やったー!」


「ほら見ろ! 食い気満載だろ?」


「悔しいけど、またあのステーキとフォアグラ が……と思ったら、テンション上がっちゃう!」


蒼汰は絵梨香の頭をポンポンと叩いて、満面の笑みで言った。


「よし! じゃあ、行きますか?」


「うん、行こう!」




浮き足立って向かった二人だったが、そこに足を踏み入れた途端、スッと汗が引いた。


あの日と変わりなく『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』は、その褐色の美しいインテリアに囲まれた美術館のようなたたずまいで、二人を落ち着いた空間へといざなった。



銀の匙に乗せられた色鮮やかなアミューズは、口に入れた途端、サーモンとオリーブの香りが広がって食欲をそそるものだった。


更に、目でも楽しめる7種類ものオードブル、レンズ豆のスープもこの上なく美味で、待ちに待ったメインの牛フィレ肉には、とろけるようなフォアグラのポアレが乗っていて、絵梨香を唸らせた。


「はぁ……ようやくここの味が堪能できた」


「うまかった……」


「ホント最高! とろけるよね」


「ははは、昨日の機嫌の悪さが嘘みたいだな」


「え、私、機嫌悪かった?」


「悪かったじゃん! まあ、“むらすずめ” 食べるまでだったけどな!」


「そうだっけ?」


「そうだよ、だからてっきり、その前に二人で行った『LACHICシック』のディナーで、零とまた言い合いでもしたのかなって、思ったけど?」


その名前を聞いて、絵梨香はバッと顔をあげた。


「別に……二人で食事っていっても、調査で行っただけだし。だって警察の経費で食べたのよ」


「じゃあ……楽しくなかった?」


「別にそういうわけじゃ……食事はあちらも最高だったの。今日のと、ホント、負けじとも劣らずって感じ」


「そうなんだ! 絵梨香って、二日連続で豪華な料理、食べたんだな。しかも、違う男のおごりで! 悪い女だなぁ!」


「ちょっと! そういう言い方やめてよ。すごい誤解を生むじゃない」


「とにかく、昨日から食ってばっかりてことだな! マジで太るぞ」


「うるさい!」


「あははは!」



絵梨香に向けて満面の笑みを送る。

でも、本当は……


息苦しくて……息苦しくて……


さっき一度だけ、ヤツの名前を出した時、一瞬見せた絵梨香の表情が、頭から離れない。


蒼汰はそれ以上、絵梨香に昨日の話を聞く事が、出来なかった。



「オレさ、しばらく出張が続くんだ……遊んでやれない日もあるけど……絵梨香は……」


「ああ、大丈夫大丈夫! 何せ食いしん坊の悪いオンナなんだから!」


「……あ、根に持たれてそうだな……」


「根に持つわよ! で? お次はどちらへ出張?」


「名古屋だよ」


「そっか! じゃあ……ういろう! あと、小倉サンドかな?」


「ほら! やっぱ、お土産目当てじゃん!」


「だって、スキ♡なんだもん!」


指を合わせてハートマークを作りながら、彼女がふざけて口にしたその言葉にさえも、過剰反応してしまう。


絵梨香の屈託ない笑顔に、大きく心が揺れるのを隠しながら、その “所在” を改めて確認した。


「ねぇ、名古屋はいつから?」


「明日から」


「え! 明日? ホント、出張続きだね」


「まあ、出版キャンペーンの間は仕方ないんだけどさ」


「それはそれはご苦労様!」


「おい! なに目線で言ってんだよ!」


「あはは! お土産、よろしくね」


「結局そういう事だよな!」


絵梨香はまた、屈託なく笑った。


「楽しみだなぁ」


「……あ、絵梨香、ちょっとごめん」


蒼汰は、“電話だ” と嘘をついてその場を離れた。

またもや、自分の行動に驚く。


店の外の踊り場で一人、息を整える。 


こんなことをしたのは、初めてだ。


波瑠さんの家で目覚め、波瑠さんと話して、それから高倉さんとも電話で話して……

ずいぶん気持ちは落ち着いてきていたはずだった。

 

一体なにが、こんなにも自分に不可解な行動をさせるのか……


わからない……


とにかく、落ち着かなくては……


昨夜、零とオレがやらかしちまった事を、絵梨香は知らない。


そして更に……

彼女は知らない……


毎日の自分の退社後に、自分の知らないところで秘密裏に繰り広げられていた、“これまで” と、“これから” が存在することを……


零からもぎ取ったような形になったこのポジションは、なんとも言えない後味の悪さと、敗北感に似た後ろめたさがあった。


自分はこうして表立って絵梨香をエスコートして帰るが、零は何ヶ月も自分の存在すら知らせずに、孤独の中から彼女だけを見守ってきたのだ。


それだけでも既に……

負けているような気がした。



第104話 『心の葛藤』ー終ー

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