第103話 『それぞれの朝』
「こら蒼汰! いい加減起きろよ!」
「え……ここどこ?」
「お前さ……絵にかいたような酔っ払いの朝を演じるな!」
「あ、波瑠さんだ」
「お前なあ……もしここにいるのが女の子だったら、今のお前ならなんも言い訳できないぞ」
蒼汰はグーンと伸びをしながら、朝の光に目を細めた。
「朝からそんな恐ろしい話するのやめてよ」
「ほら起きろよ!」
「もうちょっと寝かせて……」
「甘えるな! そういう顔は女子の前で見せろよ!」
起き上がった蒼汰は顔を歪めた。
「うわ! あったまいて」
「あんなに立て続けに飲むからだ!」
「立て続け?」
「やっぱり覚えてないな? でも、零とのバトルは覚えてるんだろう?」
蒼汰は首の後ろで手を組んで、息を吐いた。
「そっちはやっぱり、忘れられないな……」
「朝飯、食いに出るか? それとも『調布』で済ます?」
* * * * * * * * * *
「うわ! このフレンチトースト、絶品じゃん!」
「はは。お前には割とその姿、似合うな」
美味しそうに口いっぱいに頬張った蒼汰が、不思議な顔をした。
「どういうこと?」
「零は全然、似合わなかったから」
「あはは、アイツもこれ食ったの? これが前に置かれた時の零の顔が目に浮かぶわ! だけど、さすがにウマイって言っただろ?」
「ああ、言った」
「だろうな。ああ見えて、密かに甘いものが苦手でもないんだよ。いつもカッコいいハードボイルドだから、いろんなイメージが先行してついて回るけど、アイツはいつも本当は正直で、フラットで……なのに、そうできないのは、多分……そうさせない存在……オレとか……その存在に何かを譲るとき……とか……」
「蒼汰……」
「波瑠さん、オレ昨日……かなりヒートアップしてたろう? 会議室に入っても意味ないぐらい、大声出しちまってさ……高倉さんとか佐川さんにも、丸聞こえで……」
「ああ、丸聞こえだったな」
「あの後……どうなったんだっけ?」
「あ? そこからか? お前の記憶が途絶えたのは」
「ああ、零が出て行って……そっから覚えてない……」
「全く! 零が外に出たのを高倉さんと佐川さんがその後を追って、家に連れて帰ったらしい」
「そっか」
「何言ったかは、覚えてんのか?」
「うん……大体はね。ただオレの主観だらけだから、思い込みで話した部分もだいぶあるけどね」
「そうか」
「アイツと喧嘩したのって何年ぶりだろうなぁ……っていうか、喧嘩になってねえな。昔からそうだよ」
蒼汰はまたうつむいた。
「アイツさ、何も反論しないんだよ。全部受け止めて、“すまない” って。なんか、怒ってる自分の方ががちっぽけに見えちまうんだ。アイツに投げつけた言葉が、全部そのまま自分に突き刺さって返ってくる……みたいなダメージ受けちまってさ、それで凹んだオレを、また零が気遣って……みたいな。そんな感じでやってきたんだよ。これって対等な親友じゃねえよなぁ? なんか情けない」
「そんなことないよ。お前とアイツとは、親友っていう概念が違うのかもな。零はさ、お前が居るだけでいいんだよ。お前という存在がアイツにとって必要で、蒼汰自体が親友という、何ものにも代えがたい “個体” なの! わかる?」
「わかるけど……わかんない」
「それもそれで、アリだ。何もかも分かり合える人間ナンテ、一緒にいたってつまらないからな」
「なんか、そうやって受け入れるところ、アイツにもあるね」
「俺たちだってお互い影響しあって生きてるだろ? 零の周りだって、大分変わったと思わないか? 俺とお前は変わらずだけど、今は高倉さんや佐川さんがいて絵梨香ちゃんがいて……そうやってお互いがいろんな影響を受けながら、変化して進化して年を重ねていくんだろう。ただどうしてもお前達みたいな悪ガキはさ、その変化に
蒼汰は波瑠の横顔をじっと見つめていた。
「なんだ蒼汰、黙りこくって! 朝から泣く気か? それとも、俺に何か話す気になったか?」
「波瑠さん」
「なんだ?」
「泣くかも……」
「お、おい! やめろよ朝っぱらから……」
「嘘だよ! オレだって波瑠さんから見りゃガキのまんまかも知れないけど、大のオトナだよ? 泣くわけないじゃん、公衆の面前でさ」
「……だな?」
「でも……」
「ん?」
「オトナになってからの方が、泣きたいくらい辛くなる時が増えたかな。ちょっとした後悔とか、見過ごした事に対する
蒼汰は少し遠い目をした。
「昨日さ、一個だけ変化を見つけたんだ」
「変化? なんだ?」
「今までさ、零とのこういう言い合いっていうか、まぁ、いつも一方的にオレがわーわー言ってんだけど、そういう時ってやっぱり、出て行くのってオレの方だったんだよね。でも昨日はさ、零が出てっただろ? 珍しいんだよ」
「うん……そうか。でも、それはどういうことなんだ?」
「今まではオレより零の方が冷静だったってことだ。それが、昨日は反転した。だからさ……余計に不安になったんだ。制御不能の零の気持ちが……」
そこまで言って蒼汰は口をつぐんだ。
「蒼汰?」
「やめた! これ以上言ったらオレ、ヤバいこと口走るかも」
「……なんだか穏やかじゃないが……まぁ、言いたくなったらいつでも言え。とことん付き合ってやるから」
「ありがとう! 波瑠さん」
* * * * * * * * * * * * *
「ああもしもし、江藤くん? 昨日はお土産ありがとうね」
「高倉さん、すみません。朝から電話してしまって……お忙しい時間では?」
「いや、ちょうど会議も一旦解散したから。一息ついてたとこさ。大丈夫だよ、どうかした?」
「あ……あの……あれから零は……?」
「ああ、あれからね。佐川と二人で零くんを車で送ってったんだ。あの “邸宅” にね」
「ああ “実家” ですね」
「うん。零くんさ……意識ないぐらい眠りこけてたんだよ。で、俺たちで担いで部屋まで連れていったんだ」
「え……そんなに飲んでましたっけ?」
「いや、そんなことはない筈だが……まあ、ひょっとしたら、それまであんまり寝てなかったりしたのかなぁとか思ってさ。そしたらお母さんに会ってね」
「零のお母さんですか?」
「ああ、最近はよく家にいらっしゃるそうだ。それで結構長々と話し込んじゃって」
「え! あのお母さんと、ですか?」
「なに? 江藤くんは苦手な感じ?」
「いや。まぁ……なんか怖そうだなって」
「全くそんなイメージはなかったよ。気さくに、俺と佐川を気遣って話をしてくれてさ」
「そうなんですね。正直、意外です」
「そうみたいだね。零くんが一番驚いてたから」
「やっぱりそうですか」
「しかも、俺たち2人、泊めてもらったんだよ」
「え! あのお屋敷に?」
「そうそう、朝起きてきたら俺たちがダイニングに居るわけだから、零くんさ、かなりビックリしてて。それが面白かった!」
「ははは。でしょうね」
そう笑ってから、蒼汰は幾分声を制し、改めて 言った。
「あ……高倉さん、昨日は……すみません。不穏な空気、作っちゃって」
「江藤くん、俺たちに気を遣うことなんてないって! 君の気持ちもわかるしさ。ただ、俺は零くんの気持ちも分かっちゃうからさ、二人とも向かうところは一緒なのになぁ……って、そこだけは残念に思ったよ」
「オレも頭ではわかってるつもりなんですけど、最近ちょっと気持ちがついて行ってなくて、思いがけなくカッとしてしまって……すみませんでした。せっかく楽しく飲んでたのに」
「江藤くん、こんなお節介、俺達にして欲しいわけじゃないだろうけど……零くんさ、相当参ってたと思うんだ。あんなに落ちてる零くん見るのは久しぶりだったよ。後部座席で、本当に眠り込んじゃってさ。昨日なんて大して飲んでないはずなのにさ。普段は仕事がどれだけハードでも、みんながびっくりするぐらいタフな彼だから、あんな風になるなんて意外でね。それだけ、君という存在が零くんにとっては大きいのかなって、思ったよ。それで? 君の方は、あの後どうしたの?」
「あ……それが……実は俺もあの後、意識なくなっちゃってて、高倉さん達が出て行ったの、知らなかったんです」
「ははは、そうか。それは、なかなかだね」
「波瑠さんの家で目覚めて……あ、泊めてもらったんだ、って……」
「なるほど! お互いに “驚きの朝” を迎えたってことか! あはは。やっぱり君たちは仲良しだなぁ! それで? その仲良しの相手が気になるのかなって俺は推察するけど、どう? 君が今日電話くれた理由を、聞かせて」
「高倉さん……」
蒼汰はもう一度深呼吸をした。
「はい……昨日は……丸聞こえでしたよね? あんなこと、オレもアイツに言わせちゃって……零は、これから絵梨香の監視を降りると思います。でもまだ零の中では事件は終わってないので、絵梨香の毎日の行動が気になると思うんです。無責任に、オレに任せたからって、もう知らないって訳にはいかないだろうから、どうしようって悩むと思うんですけど……例えば今日は、普通にオレが絵梨香を食事に誘ってそれで連れて帰る予定なんですね、申し訳ないんですけど、それをさりげなく聞いたって感じで、高倉さんから零に伝えてもらえませんか?」
「うん。俺は構わないけどさぁ、そこは仲直りできないのかな?」
「もうちょっと……時間をください。オレに豪語した限りは、零も監視を続けられないと思うし、うちの
「わかったわかった! 君の言いたい事、すごくわかるよ。まあ実は……あまり君にこういうこと言うのは何なんだけど……ごめんね、彼が以前から相澤さんの監視をしているのは、知ってたんだ。俺が知ってるってことを零くん自身は知らないけどね。事件が終わって被疑者死亡になって、みんなは安心してるけど、君の言うように多分彼の中では安全とは思っていない。だから本当は今まで通り彼女の事を気にしていたはずだけど、今捜査もね佳境に入ってきて、彼は本当に今までのように自由な行動が出来ないくらい多忙になって来てる。だから昨夜は、それで俺が小芝居を打って相澤さんと捜査を兼ねた食事に行ってもらったんだ。零くんも捜査に没頭して、ろくに食事もとってなかったからね。まぁ、捜査の一環で店に行ったのは間違いないし、実際のところ本当に彼はしっかり手がかりも見つけてくれたから、大正解だったんだけどね。ただ……」
「何か……ありましたか?」
「ああ。ちょっと気になることがあってね。それで昨夜は『RUDE BAR』に誘ったっていうのもあったんだけど。食事が終わって相澤さんを家に送って署に戻ってきた時にね、たまたま俺も駐車場に居たからさ、零くんの車に寄って行ったんだけど、そしたら全然降りてこなくて……そーっと覗いたら考え事してるんだよね。少し困ったような顔に見えたからさ、それが気になって……」
「そうですか……」
蒼汰は一つ大きく溜め息をついた。
「なんだか、みんながみんな、お互い心の奥底で思ってることがあって、みんながみんなに言えずにいる感じじゃないですか? ついこの前、西園寺家に行った時は、オレ達に疑念なんてなかったんですよ。やっぱり絵梨香が襲われたあの日から、何もかもおかしくなったと思います。簡単に言えば、零が冷静でなくなったことが、一番の
「やっぱりさ、めちゃめちゃ解りあってるんだな……君らは親友だ、しばらくしたらちゃんと話し合って、元の君たちに戻ってくれよ。それまでは俺たちも精一杯協力するからさ!」
「ありがとうございます、高倉さん!」
* * * * * * * * *
「あ……もしもし、由夏姉ちゃん」
「あ、どうしたの蒼汰? わざわざ電話なんて珍しいじゃない?」
「ん……あのさ、これからさ……」
「なに? なんか困ったことでも起きたの?」
「いや……絵梨香の退社時刻を連絡するのは、零じゃなくて、オレにしてくれる……かな?」
「えっ……蒼汰、知ってたんだ?」
「いや、まぁ厳密に言うと、ホント最近知ったんだけど」
「ごめん」
「いいよ、由夏姉ちゃんが言い出しにくいの、予想つくからさ」
「でも……ごめん」
「うん。これからさ、オレが絵梨香の事、見守ろうと思って」
「零くんと話し合ったんだ?」
「……話し合ったって言うか……」
「何かあったの?」
「いや……まあ、話し合ったってことになるかな……とにかく、オレに知らせてよ。絵梨香にはまだ言わなくていいからさ」
「わかった」
「で、今日の絵梨香の退社時刻は何時なの?」
* * * * * * * * * *
「もしもし。お久しぶり、波瑠くん。朝からごめんなさい」
「由夏さん……おはようございます」
「いつもうちの二人がお世話になって……」
「そんなの、いいですよ。さっそく蒼汰から、電話があったんでしょ? 違います?」
「……ええ」
「由夏さん、今は?」
「あ、金沢……」
「うーん……遠いなぁ、いつも。今夜は? 金沢で何してるんですか?」
「ああ、クライアントのレセプションパーティーで……」
「そっか。じゃあまだ帰れないですね。由夏さんとは、一度ゆっくり腰据えて話さなきゃなって、思ってるんだけどなぁ……」
「じゃあ……明日の夜は? 電話……だけど」
波瑠はフッと笑った。
「いいですよ。電話……ね!
「え? なぁに?」
「いえいえ、こっちの話です。金沢は晴れてますか? こっちは明日から天気が崩れそうだから、どうせ客足も芳しくないでしょうし、ゆっくりお話、出来そうですよ」
第103話 『それぞれの朝』ー終ー
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