第99話 『The Last Supper』- LA CHIC - 

高倉との電話からテーブルに戻ってきた零は、少し表情が明るく見えた。

いつも突然、説明もなく中座する零の行動に散々呆れてきた絵梨香だったが、それも情熱だと捉え始めているのか、最初に感じた嫌悪感はなくなっていた。


慣れたのかな?

それとも……

今の彼の、この表情のせいかも……


そんなことを思っていると、二人の前にメインディッシュが運ばれてきて、その豪華さにグッとテンションが上がった。


「さて、頂くとするか」


上品な所作でスーッとカットした、レアのステーキをパクリと口に放り込み、小さく頷きながら頬張る零を見て、絵梨香はなんだかホッとした気分になった。

彼がろくに食事も摂らないと、高倉さんがやけに心配していたのがまるでウソみたいに、意欲的に動く手元を見ながら、自然と微笑んでいた。


「なんだ」


「え?」


「じっと見て。食いにくいだろ」


「ああ…… あなたがそんな風に美味しそうに食べるの、見るの久しぶりで……」


「そもそも、そんなシーンあったか?」


「あったわよ。西園寺家に行く途中のサービスエリアで」


「ああ! 『串鳥』か」


「そう!」


零が珍しく、吹き出した。


「ちょっと……なによ」


「あの時の……お前の出で立ちの方が、よっぽど面白かったけどな!」


「失礼ね!」


「あ! そこ、虫が!」


「え! ヤダヤダ、どこ! どこ!」

絵梨香は思わず立ち上がってキョロキョロした。


零が、たまらないといった表情で、うつむいて笑った。

その笑いをかみ殺しながら、立ち上がった絵梨香に、わざわざ侮蔑の表情を作って、彼女を見上げる。


「おい、迷惑だろ。静かにしろよ」


そう言ってまたうつむいた零は、肩を小刻みに揺らしている。


「ひっどい! からかうなんて!」


ウェイターがやって来て、絵梨香に声をかけた。


「どうかなさいましたか?」


「あ、いえ! 別に……ちょっと、こう……お店の中を見回してたんです」


また零の方からフッという声はしたが、彼に目をやると、もう凛とした表情でウェイターと話を始めた。


「すみませんが僕たちの写真を撮ってもらえませんか?」


「え!」


驚く絵梨香に目もくれず、零はウェイターの彼にスマホを渡すと、立ち位置を指示し始めた。


「ねぇ! 一体何してるの?」


「いいから。ちゃんと顔作れよ。ではお願いします」


零は彼に、更にもう2ヶ所からも撮ってもらえるように依頼した。


「見せてよ」


「なんで」


「なんでって、私が写ってるんだから、普通見せるでしょ? 変に写ってないかなぁ、とか」


零がスマホの画面に親指と人差し指を置いたまま広げて、撮った画像をピンチアウト拡大している。


「ねえ本当に変じゃない? 誰かに見せたりしないよね?」


「いや、晩からの捜査会議で、拡大して前のホワイトボードに貼る予定だが」


「え! ウソでしょ? ちょっと待ってよ! そんなの、撮る前に言ってよ!」


「なぜ?」

   

「なぜって……私、なんか場違いみたいに満面の笑みで映っちゃってさ、だって捜査会議室なんでしょう? そこって、さっき私が高倉さんに付いていった、あのだだっ広い部屋よね?」


「ああ」


「しかも、私の事件の捜査なんでしょ! むちゃくちゃ空気読めてないじゃない!」


「お前の捜査だったら、お前が写っててもいいだろ?」


絵梨香は半分呆れたように腕組みをして抗議する。

「あのさぁ……ホントに解んないの? もうヤダ……どうしよう、最悪! しかも絶対、可愛く写ってないもん! もう! 急に写真撮るとか、言わないでよ!」


「そんなことない」


「え?」


「可愛く写ってるけど?」


絵梨香は一瞬、目を見開いてフリーズした。


無言でその様子を見ていた零は、もう我慢ができないとでも言わんばかりに、爆笑した。


怒り心頭の面持ちで、零を睨みつける絵梨香の前で、悪びれもせず、気が済むまで笑った零は、顔を上げて言った。


「ああ……面白かった! まあ安心しろ。この写真のボトルの部分を、捜査会議の際に掲示するつもりだから、俺もお前もちゃんと顔が分からないようにトリミングしてやる」


また笑い出して言った。


「だいたい、こんなハッピーな写真を、捜査会議室に拡大して貼ると思うか? ああ、面白れぇ」


「……もう! いい加減にしてよ!」


そう怒る絵梨香に、零は自分のスマホの画像を見せた。


「ほら、いい感じだろ」


そこに映っている自分は、ここしばらく自分ですらも見ていなかったような、心から微笑んでいる顔をしていた。

そして……いくら写真を頼んだ上のやむを得ずの“演技”だとはいえ、零はかつて見たことのないほどの爽やかな笑顔だった。


「どうした? 黙って。気に入ったか?」


「この画像、送って」


「わかった、じゃあ一旦蒼汰に送って、そこから……」


「どうして? 今ここで繋げたらいいじゃない! どうして連絡先、聞かないの? 今はこうやって二人で食事したりできるのに、連絡先も知らない方が不自然じゃない?」


「まあ……確かにそうだな」


二人はスマホを重ねて、連絡先を交換した。

何となく、こういう事を女子の自分の方から言い出す羽目になったことも気に入らなくて、そっけなく画面操作していた絵梨香だったが、零から送られてきた写真を見ると、なんだか嬉しくて気持ちが上がるのを感じた。


彼のアイコンは、写真もステータスメッセージもなく、ただ『REI.K』と書かれていた。


「ねぇあなたも、今のこの写真をトリミングしてアイコンにするとかは?」


零は面倒くさそうな顔をした。


「あのな、防犯上、顔出しは良くないぞ。お前も変えたらどうだ?」


「そう? でもなぁ、いい写真ないもん」


「せめて “可愛く写ってる” 写真にした方がいいんじゃないか?」


「ちょっと待って! それって、今アイコンにしてる写真が “可愛くない” って言ってるよね? ひどい!」


零は、今度は肩を震わせて笑い出した。


「ねえ! 今日は何なの? ちょっと私の事イジり過ぎだよね! なんで私、こんなにいじめられてるんだろう?」


零がまたスマホを差し出した。


「じゃあ、これはどうだ? この中で気に入ったものに変えればいいんじゃないか?」


「あ! これは……」


風景の写真だった。

それがどこなのか、一目見ただけでわかる。


『串鳥』のある、あのサービスエリアの展望台から、澄んだ空と白い雲と、キラキラした海が反射している、夏がつまったような写真。


西園寺家で宿泊した、部屋のベランダから撮ったであろう、薄紫色の夕焼けの空、ほんの少し青みがかったグラデーションが美しい写真。

この空を、一人ベランダから眺めながら、泣いた覚えがあるんだけど……もしかして、あの時、彼も壁を挟んだすぐ隣に、居たのだろうか。


西園寺家の2階テラスの全体写真は、まるでヨーロッパの花壇庭園を思わせるような何体もの白亜の像があり、花の色目まで計算されているのがわかる。

本当にバランスの良い作りだと、ほとほと感心させられた。


「うわっ!」

スマホ落としそうになる。

零がまた笑っている。


「もう! また笑って……こんな特大……ちょっとタマムシのアップは、さすがにキツいわ」

そう言って、画面を半分手で隠しながら次の画像を出す。


「あ! これは……」

それは、章蔵の部屋に額縁にいれて飾ってあった、クルージングに出かけた時の、クルーとの集合写真だった。

章蔵と静代祖母の微笑みに挟まれながら、真ん中に並ぶレイとエリ。

まるで手を繋いでいるかのように寄り添っていた。


幸せな思い出に、絵梨香の顔がふわっとほころぶのが零にも見えた。


「ねえ、どれをホーム画にするかは決めてないけど、全部送ってもらってもいいかな? あ、タマムシはいらない!」


「ははは、分かったよ」


そうして送られてきた画像を、絵梨香は胸を押さえながら、何度も見ていた。


顔をあげて改めて零を見ると、メインディッシュの皿の上で、器用にフォークで食材を丸めるようにして口へ放り込み、全て平らげた。


零と、目が合った。


「お前も早く食っちまえよ」 


そう言われて、慌てて食べる。


一口食べるごとに美味しいと唸ってしまう。

これは止められないようだ。


また笑われるのかなと思って、そっと零を盗み見ると、彼はまた、ホール内を見渡していた。

時折手元の鏡面のボトルに目をやって、手を近づけたり離したりしながら、また周りに目を向ける。


この人はデートなんか出来ないんだろうな。

ふとそう思った。


もし彼女を連れて、こんな態度をしようもんなら、一度で振られるに違いない。


絵梨香はクスッと笑った。


「なんだ」


「え? そういうの、よく気付くよね? ビックリする」


「なんだそれ? 仕返しか?」


「いえ別に」


意味ありげに答えて、普通の問いに切り替えた。


「さっきの電話、高倉さんは何の話だったの?」


「大したことじゃない」


「当ててあげましょうか? 私だっていい加減 あなたたちの捜査に付き合ってるんだから、少しだけ分かるようになったのよ!」


「じゃあ、何だ?」


「このボトルに何か映ってる可能性が……あるのよね? あの日の……」


絵梨香の顔が少し曇る。


「ブブー! 残念。しっかり飯を食えっていう指令、ただそれだけだ!」


「絶対ウソ! もう……何も信じられない!」


彼はにこやかに微笑んだ。

それからも、零は鏡面のボトルに映り込む物の歪みを注意深く観察しながらも、絵梨香の話に付き合いながら、なごやかにその時間を過ごした。


その時、今度は絵梨香の電話のバイブレーションが鳴り始めた。

絵梨香は、それを持って、慌てて店の外に行った。

蒼汰だった。


「今ね、食事してるの。『LACHICシック』に。……うん。そう。 半分事情聴取みたいな、現場検証みたいな、そんな感じ。蒼汰、出張だよね? また岡山なの?」

蒼汰はその質問に答えずに言った。


「零と二人か?」

一瞬返答に詰まる。


「いえ、後から高倉さんが来るから」


「そうなんだ。よろしく伝えてくれな」


「蒼汰もここのお店、来たいって言ってたよね? 今日オーナーに頼んどくから、近いうちに必ず来ようね!」 

 

「ああ。楽しみにしてる」


テーブルに戻った。

なんとなく伏し目がちの絵梨香を、零はじっと目で追いながら言う。 


「蒼汰だろ?」


「なんでわかるのよ!」


「お前の顔に、書いてあるからだ」


「それ、どういう意味なの? いつもそうやって誤魔化すから。一度ぐらいちゃんと説明してよ。何でわかっちゃうのかな?」


零は突然腰を浮かし、前のめりになって長い腕を伸ばした。


そして真っ正面から、その色素の薄い瞳で絵梨香の顔を見つめる。


おもむろに、細い長い指の先で、絵梨香の頬に触れた。


「ここに、“そ、う、た” って書いてあんだよ」


そう3回タップした零は、クスっと笑って元のように椅子に座りなおし、エスプレッソに手を伸ばした。


冷たい指の感覚と、見据えたあの目。

昨日と同じ……

過呼吸で死にそうにながらも、救いを求めた。

それらの感覚が蘇った。


フッと顔を傾けて、唇を重ねる零の端正な頬のラインが 目に浮かんだ。


「わ!」


デザートのフォークが、ガチャっと音を立てた。

それで我に返って、絵梨香は周りに頭を下げた。


「どうかしたか?」


「いえ、何でもない。ちょっと手が滑って」

そう言いながら、零の表情を見つめる。


この人が私に……


とたんに顔が熱くなるのを感じた。


そのことについて、何も話していない。

今日は何となく、そんな雰囲気じゃなくて……


彼は……なんとも思っていないんだろうか……

心の中には、どういった気持ちがあるんだろう……

急にそんな思いが込み上げて、絵梨香の鼓動を早めた。


店主に挨拶して店を出た。

高倉さんが店側に連絡をしてくれていたらしく、私たちは“経費”で豪華なディナーを頂いたらしい。

なんだか気が引ける。



これまた素敵な車マセラティに乗り込んで、絵梨香のマンション『カサブランカ・レジデンス』の前の、いつもの場所に停める。


シートベルトを手早く外した零は、自分も降りて、絵梨香をエレベーターの前まで送る。


一緒にエントランスをくぐり、エレベーターホールに来た。


絵梨香は零の方に向き直した。


「ありがとう」 


「何が?」


「何がって……一緒に食事してくれて」


「そんなの、別にいつでも出来ることだろう」


いつでも出来ることなの? そう思った。


「美味しかったね! 高倉さんにもお礼言っといて! ごちそうさま」


「まあ、高倉さんのおごりでも、ないけどな?」


「昨日、DNA検査終わって、すぐ帰っちゃったでしょ。ろくに話せなかったから、言いそびれてたんだけど……」


「なに?」


「昨日は助けてくれて、本当にありがとう!」


「礼なら、聞いたよ。昨日のうちに」


「そうだけど、でも……どうしてもちゃんと言いたくて……なんかね、あれからすごく前向きになれたの。犯人がいなくなったから、まあそれで気分が換わったっていうのもあるんだろうけど、でも過呼吸にも負けたくないなって。私、もうちょっとしっかりしたくて。こういう気持ちになれたのって、あなたのお陰だと思う。あなたが……私を救ってくれたから」 

 

そう顔を輝かせて話す絵梨香とは対照的に、それをだまって聞いていた零はうつむきながら、思い詰めたような表情のまま、目を伏せて言った。


「昨日のことだが」



「え? あ……うん……」



「忘れてくれないか」



「え!……なんて?」



「…………」



「今、なんて……言ったの?」



「忘れてほしい」




第99話 『The Last Supper』      ーLA CHICー ー終ー

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