第97話 『I Don't Want To Get In Touch W ith My Feelings』
零は、母親の来栖
更に、跡取りという段階を飛ばして、零を西園寺家の当主に立てようという思惑があるのではないかという話も聞かされ、遺憾に堪えない思いを抱いていた。
「聞いてないって言うんでしょ? そりゃそうよ、私たちだって、急にそんなこと言って来られて驚いてるんだから。でも……この前の親族会議では、まだそんな段階ではなかってことかしら? 確かにあの時はまだ、お兄様も弁護士も、そんな空気は出して来なかったけど」
「段階? そもそもそんな話、念頭になかった」
「ウソ! あなたも薄々感じていたはずよ。気付かないハズがないもの。そもそもあの暗号みたいな遺言だって、あなたが見つけたものでしょ? お兄様は待てないと思うわ。西園寺グループは、“失速”するんじゃないの。このままじゃ西園寺家ごと、“乗っ取り”に合うかもしれないって、そう言ってたもの」
「は? それはどういう……」
「お兄様を “
「西園寺財閥の直系の泰蔵伯父さんを? 誰が?」
「まあ、時代の流れね。会社が大きくなり過ぎたから、重役が束になって集まれば力も持つようになるわ。もはや存亡の危機に瀕しているのなら、さすがにお兄様もアクションを起こすでしょうね」
零はいつになく動揺していた。
「父さんはなんと……いや、愚問か。父さんには関係のない話だ」
呟くように発したその言葉を打ち消す。
葵はその言葉に、首を振った。
「いえ……お兄様と対立するかもしれないわ」
零の目が見開かれた。
「は! それはない。父さんは……いや、来栖家は、兄さんが居ればそれでいい筈だ……」
「私も駿も驚いてる。あの人が急に熱くなるなんてね。どういう風の吹き回しか……まあ、あなたが警察捜査を指揮してるってことで、考えが変わったのかもしれないけどね」
零は複雑な顔をした。
「まあ、あなたの進退で二つの御家の行く末が変わる可能性があるってこと! あなたも選択を迫られる日が、遠からずやって来るわ。考えておくことね」
そう言って葵は、サッと腰を上げた。
「さっさと寝なさい。あなた、顔色悪いわよ」
零は再び、頭からバスタオルをかぶって、ソファーにもたれた。
なんだ今の話は?
俺の行動次第では、伯父の泰蔵も兄の駿にも影響が出て、はたまた、母の言うように西園寺家と来栖家という大きな財閥の行く末まで変わってくるなど……
そんな事は、1ミリも望んで来なかったのに……
零はソファーから身を起こし、前かがみに
それで兄貴は、高倉さんにまで電話をしたのか。
水くさい、いや……違うな。
兄は、腫れ物にでも触るように、俺のことを心配している。
まいったな……
そんな風に扱われるのは、苦手だ。
何がどうなるにせよ、今回の事件解明を急ぐべきだろう。
じいさんの死因も、なんとか裏から手を回して
圧力をかけ続けると、今度は警視総監というよりも前に、来栖家である父の立場が悪くなるだろう。
こんな時に西園寺家と来栖家の間に溝が出来れば、大きなスキャンダルになる。
俺は、どうすれば……
何かをオペレーションする事は、これまでの自分にとっては、不得意な分野ではなかった。
しかし……
その対象が、自分自身のとなると、途端に失速する。
“とにかく” という、この言葉自体が逃げではあるかもしれないが……
とにかく、事件解明だ。
本格的な総合的捜査が始まった。
一気に片付ける。
その間は、死なない限り、全力でひた走ることにしよう。
零はリビングを後にした。
離れの自室に戻り、調書の束を前に、長年、手を伸ばしていなかったオーディオのスイッチに触れた。
Ever since I met you
You're the only love I've known
And I can't forget you
Though I must face it all alone
「これは……」
この曲が『RUDE BAR』で流れた時、その傍らには、彼女がいた。
お互い、幼い頃に会った相手とも気がつかず、ぎこちない “初対面” の中で、この曲は二人の心を繋いだ。
グラスを置く際、自分の方を見ている絵梨香に気付いた瞬間を、覚えている。
今思えば、あの瞳の中には、幼い頃の面影があった。
“いつか、生であの歌声を聴きたいと思っていたのに、あっさり亡くなってしまった無類のシンガー”
彼女はそう言った。
この曲との出逢いについて、そしてこのシンガーを失ったときの喪失感を、話していたあの日の彼女の横顔……
そして、今日は……
その顔が苦悶に歪んだ。
彼女が、自分も苦しめられた “あの” 闇に包まれてると思うと、冷静ではいられなかった。
そして俺は……
俺は何をした。
彼女に、口付けた?
なぜだ。
他に方法は、なかったのか。
焦っていたから……か?
確かに、車に向かった時には、症状が出てからどのぐらい経過しているかはわからなかった。
危険だと、思った。
でも……それが理由だったのか。
それとも、まさか。
俺が……?
惹かれたと……?
彼女の唇に触れる瞬間が、脳裏によみがえる。
不意に心臓を鷲掴みにされるような、衝撃が走る。
なんだ……今の痛みは。
彼女の顔が浮かぶ。
手の甲に落ちてきた涙の感覚……
指先の冷たさ……
一つ一つ思い出すたびに胸の中に、音が響いた。
「やめてくれ!」
零は声に出した。
荒い息遣い……
息苦しい……
乱暴にオーディオのスイッチをオフにする。
今、俺は他の事にうつつを抜かしている場合ではない。
やるべきことに、脇目も振らず没頭する。
たまたまその中に、相澤絵梨香の警護も含まれていた。
ただそれだけのことだ……
零はデスクライトをつけると、再び調書に目を通し、相互関係を新たに書き加えた。
新設の大規模捜査本部は 活気に満ち溢れていた。
多くの捜査員が出入りし、逐一報告をし、また新たな情報を得た上で、捜査を重ねていく。
これまでになく、効率のよい画期的な本部となった。
「鑑識からの結果で、新たな事実が分かった。まず、田中が着用していた黒いパーカーのポケットと、その中にあったハンカチに付着していた血液は、DNA型検査を受けてもらった、被害者の相澤絵梨香さんと、田中と接触のあった来栖零くん、そして本人のものと判明した。これによって、相澤絵梨香さん強姦未遂事件の犯人が、田中紀洋であるとほぼ確定したと言えるだろう。あと、新しい事実として、田中の胸に刺さっていた包丁から、本人のもの以外の血液が検出された」
高倉が鑑識からの報告書を読み上げた。
「他にも被害者がいるということですね」
そう言う佐川に頷きながら、高倉は零の方に向き直す。
「零くん、相澤さんが襲われた時に、犯人は包丁を所持してはいなかった。そうだよな?」
「はい、何も持っていなかったと思います。ポケットに入る大きさでもないですし」
「じゃあ別の日に、別の犯行があった。その可能性はあるな」
零と高倉の目が合った。
「あの切りつけ事件……」
「そうだ、あの通り魔事件の犯人が、こいつだったとしたら……」
高倉はすぐ携帯電話をとって、鑑識に連絡し、刺殺体の刃物に付着していた血液と、切りつけ事件の被害者、“小田原佳乃”の血液とを照合するように依頼した。
捜査員から報告があった。
「まず、田中の胸に刺さっていた、真新しい出刃包丁ですが、これはどこにでも出回っているもので、メーカーに問い合わせたところ、ここ1年で販売されたものとわかりました。しかし、田中が量販店で買ったという記録がないので、現金購入または譲渡などのルートで入手したと思われます」
「田中の遺書についてです。文字は手書き風ではありましたが、そのインクから、それが実際にダイレクトに書かれたものではなく、印刷であることが判明しました」
「印刷? 確かなのか? 何から引用して印刷したものなんだ?」
「筆跡自体は本人のものです。しかし、各文字の濃淡と流れに統一性がなく、合成の可能性を疑いました。調べた結果、この遺書のインクは、ボールペンや市販のペンのインクではなく、カラープリンター複合機のインクであることがわかりました。田中の自宅にあったプリンターは旧式で、成分を分析したところ、この遺書とは合致しませんでした。この文字の “原本” をどこから入手し、コラージュしたのかを、これから捜索します」
「田中紀洋の自宅を調べたところ、かなりの数の相澤絵梨香さんの写真が発見されました。昨夜、相澤さん本人に、それらの写真が、いつ頃どの場所で撮られたかを、見ていただきましたが、場所はほとんどが自宅から半径1km圏内であり、時期は今年に入ってからのもの、つまりここ8ヶ月の間に撮られたものだという事
がわかりました」
「わかった。引き続き、田中の自宅と勤務先の『想命館』の捜査に当たってくれ」
零が付け足した。
「写真は業者によって現像されたものなのか、家庭用プリンターからプリントアウトされたものなのか、そのインクの解析をお願いします。あとは、撮影媒体がカメラなのかスマホなのか、またそれらの画像の保存先など記録媒体も調べてください」
「午後の会議はひとまずこれで。ではまた、夜の会議に情報を集めてくれ。零くん、何かあるか?」
零は、家宅捜索の際の記録用写真の一枚に目を付けた。
「この石は……」
「はい。田中の自宅の納戸の奥に、隠すように新聞紙に包まれた状態で、この石が置かれていました」
その大きさと形状に、零は見覚えがあった。
「昨日、河原でよく似た形状の石を見ました。
この、包まれていた新聞に日付はありましたか?」
「すみません、今確認します」
ほどなくして、現場からの返答があった。
送られて来た画像には、6年前の日付が入った、
その写真を眺めていた零が言った。
「現物をこちらに持ってきてもらえますか。発見時の詳しい内容については、報告書に記して提出してください」
「わかりました。すぐに手配します」
「よろしくお願いします」
そう言って零は、また書類に向けて顔を下げると、ガヤガヤと退室する捜査員に目もくれず、ひたすら調書を読み続けていた。
捜査会議は一旦解散となり、次は夜にまた再開されることとなった。
高倉が、会議中に出られなかった蒼汰からの電話に折り返す。
「江藤君、ごめんね。会議中で出られなかった。今日は出張だって言ってたかな?」
「ええ、今、岡山なんです」
「そっか。いつ帰るんだ?」
「明日には帰ります」
彼は零くんの様子を気にかけて電話をしてきたんだろう。
相澤さんの動向も然りだな。
犯人が死亡したとしても、複雑な事件だ。
まだ解決したわけじゃないことを、彼もよく解ってるんだろう。
零くんが、相澤さんを毎日監視していたことは、江藤君には知らされていないはずだが……
ただ、ここのところの彼の様子を見ていると、なにかに気付いてるんじゃないかと思う局面もある。
「零は捜査本部にカンヅメなんですか?」
「ああ、早速いつものように
「やっぱり……」
「ああ。昨日は俺があの “邸宅” まで、なんとか無理やり送って行ったが、多分これからますますエスカレートしていくんじゃないかって、心配してるよ」
「そうですねぇ、分かります」
「まあ、俺もなんとか対処するからさ、今日のところは任せてくれ」
高倉には、考えがあった。
蒼汰との電話を終えた高倉は、波瑠に電話をかけた。
第97話 『I Don't Want To Get In Touch W ith My Feelings』ー終ー
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