第95話 『Fixerの再来』

殺害現場を後にした高倉は、ちょうど土手から上がってきたところで、零に抱き上げられている絵梨香の姿を目撃し、驚いて走ってきた。


「相澤さん! え……どうしたの! 気分が……あ! もしかして……また……」


零が小さく頷いた。


高倉は頭に手をやって、苦い顔をした。


「高倉さん、ミネラルウォーターとか、飲み物ってありませんか?」


「ああ、バンの方にあるから、俺が取ってくるよ。車に乗っといて!」


零は、高倉が開けてくれたドアから、絵梨香をそっと後部座席に座らせた。


「靴、ちゃんとあるか?」


「うん……ありがとう」


高倉が走り込んできた。

「相澤さん、これ飲んで! 零くん、君もどうぞ」


「ありがとうございます」




佐川の運転で、車が走り出す。


「ごめんね! 相澤さん、長い時間付き合わせて。本当に申し訳ない! どう? まだ気分悪い?」


「いえ、もう大丈夫です」


「ホント? 良かった……」


「それより、私、ここに付いて来たってことは、本当は何かお手伝いできるはずだったんですよね。ごめんなさい……また症状が出ちゃって……私ができることありますか?」


「あ、いや……ちょっと今はやめておいた方がいいと思うし、申し訳ないからさ……落ち着いたらちょっと見てもらいたいものは、あるにはあるんだけど……」


そう言った高倉は、更にバツの悪い顔をする。


「このまま帰って休んでもらいたいのは山々なんだけどさぁ……」


零がミラー越しに、高倉と目を合わせた。


「これから、俺も署に行ってDNA型鑑定を受ける。お前も一緒に来られるか?」


「DNA型鑑定?」


「そう、口腔内細胞のDNA型鑑定」


高倉が明るい声で言う。

「口の中に大きな綿棒を入れて、内壁から細胞を取るすごく簡単な事をするだけだから、すぐ帰ってもらえるし、ご協力頂けるとありがたいんだけど……」


「一緒に俺も受けるから。その後、家まで送ってやる。どうだ? 行けるか?」


絵梨香は零の目を見て頷いてから、助手席に向かって言った。


「わかりました」


「ありがとう相澤さん! 助かるよ」




四人を乗せた車が署に到着して、先に車から降りた零が、後部座席の絵梨香の降車を促していると、慌ただしく走り込んでくる人影があった。


「……蒼汰?」


「絵梨香! 殺人現場につれて行かれたって本当か?!」


蒼汰は零に突っかかった。

「零! どういうことだよ! なんで絵梨香を連れて行ったんだ!?」


高倉が割って入る。

「江藤くん、すまない。俺が頼んだんだよ」


「そんな物騒ぶっそうな所に……絵梨香、大丈夫なのか?」


絵梨香も高倉もちょっと困った顔をした。

「それが……」


「まさか遺体を見せたとかじゃないですよね?!」


「いや、それはさすがにないけど、ちょっと……」


「なんですか!? どうしたんだ!? 零、何があった?!」


絵梨香が話す。

「蒼汰、落ち着いてよ。ちょっと過呼吸……になったけど、でも……」


「はあ! なに! またPTSD引き起こしたのか! だからそんなところに行っちゃダメじゃないか!」


「ああもう、大丈夫だって! 彼が介抱してくれたから……もうホントに大丈夫なんだって!!」


蒼汰は零の顔を見た。


「今からDNA検査を受ける、俺も一緒だ」


「なんでだ? その必要が?」

 

零が一つ大きく息をついた。

「ああ必要だ! 蒼汰、後でゆっくり話す」


零はじっと蒼汰の目を見た。

暫しの時間が流れ、蒼汰は少し俯いた。

ほんの少し、落ち着きを取り戻したように見える。


「まぁ……零がそう言うなら、そうなんだろう。じゃあオレ、ここで待ってるから。絵梨香、一緒に帰ろう」


「あ、でも……」


絵梨香は零をチラッと見た。


「そうだな。蒼汰、終わったら彼女を送って行け」

 

「分かった」



DNA採取はほどなく終わり、部屋から出てきた二人を、蒼汰が待ち受けていた。


「もう連れて帰っていいよな?」


後ろから高倉刑事が出てきた。

「もう帰ってもらっていいよ。相澤さん、ありがとうね、写真も確認してもらって助かったよ。色々……ごめんね。ああ……江藤くんと帰るの?」


「はい」


「じゃあ江藤くん、相澤さんをよろしく。彼女、疲れてるだろうから」


「はい、わかりました」


絵梨香は零をじっと見ていた。

その視線に気付いた零は、蒼汰に向かって言った。


「俺は今から高倉さんと話がある。今日の事については、近いうちにちゃんとお前にも話す」 

零は、見上げている絵梨香には一目もくれなかった。


「わかったよ。じゃあな、零。行こう絵梨香」


零は、そのままくるりと背を向けて高倉刑事と二人で歩いていった。


高倉が、二人の後ろ姿をチラッと見て、零に言った。


「……いいのか?」


「何がです?」


「いや、別に……」


「それより高倉さん、話をまとめましょう」


「ああ……君の中ではストーリーが見えて来てるのか?」


「ある程度は。でもまだカードが揃いません。事実確認が必要ですね」


「それなら、今から最適な場所を案内できるよ。今日からは表立って、署の会議室が使えるぞ。捜査本部を拡大するからな。零くん、君に思う存分、活用してもらいたい。いいか?」


「はい。もちろんです」



久方ぶりの “フィクサー” の登場に、血気盛んな捜査官たちが色めき立っていた。


ざわめく場内を、高倉警部補が制した。


「西園寺章蔵氏殺害事件の際『想命館』で彼、来栖零くんの捜査に加わった捜査官も多いとは思う。改めて言っておくが、彼が事件に関わる事については口外無用。いいな! 表向きはコンサルタントとして署に出入りはするが、実質的には、彼が指揮をとる。異論はないな」


高倉が周りを見渡す。


「よし、それではさっそく会議を始める。今回、新たに捜査本部を立ち上げたのは、西園寺章蔵氏殺害事件の関係者から相澤絵梨香さん強姦未遂事件の犯人が出た事と、そして、その犯人が他殺体で発見されたことを踏まえ、この二つの事件の関連性を重要視した、総合的な捜査を改めて行う為だ。それぞれ別々の捜査本部が合併する事となり、今までの時系列を統合し、当面基本捜査は、重要参考人、被疑者、関係者の過去を徹底的に洗うことを最優先する。加えて、小田原佳乃通り魔事件も関連事件として取り扱うことになった。これら三つの資料は、全体に共有し、各捜査本部の情報交換をし、この三つの事件が、一本になるように全捜査員の協力をいただきたい」


そして本格的な会議が始動した。


「まずはこれまでの事件についての各捜査本部担当者より報告を」


間に休憩を挟みながら、数時間にわたっての会議が行われたが、資料に基づいてそれらの説明がなされても、かけ離れた事件ゆえに捜査官も理解に苦しんだ。

一通りの報告を終えて、来栖零がようやく立ち上がり、本人の見解と主観も交えながら、それらの繋がりについて説き始め、ようやく把握できた捜査官から、どよめきと感嘆の唸り声が巻き起こった。


各捜査官が自分の担当を明確に把握して、一斉に動き出す。


「いよいよだね、零くん」

そう嬉しそうに話す “フィクサーフリーク” の佐川の横顔を見ながら、高倉は零の様子を気にしていた。


今日また相澤絵梨香のPTSDに遭遇したことで、彼の中の憎悪の念が増幅しないことを祈った。


あくまでも冷静でいてこそ、彼の本領は発揮される。

この捜査は、彼というトップブレーンを筆頭に各ブレーン達が表立って捜査ができることに大きな意味を持つ。

捜査員の動員数においても、今後は円滑にいくだろう。


しかし、当の司令官が問題を抱えていては……


自分はあくまでも来栖零という青年の心身を見守り、コントロールすることに徹しよう。



「それでは取り調べを中心に、判明したことは随時報告。会議は、明日の午後から。ひとまず情報回収という意味で行う。早急に行動してくれ。では、今日のところは解散」


捜査員達は皆、零を囲んでなかなか会議室を後にしなかった。


ようやく3人になった。

ぐったりする高倉の横で、零は表情ひとつ変えずそれぞれの調書を読み漁りながら、そこに何やら書き込んで、忙しそうにペンを動かしていた。


「零くん」

佐川が声をかけた。

言いにくそうに話し始める。


「相澤さんは今日は症状がひどかったの?」

 

「そうですね。スパンは狭まっているし。頻発かどうかというよりは、何かの引き金があって、それに反応する時間が短い。いわゆる直結的にすぐにPTSD症状に陥ってしまうというのは、この先も不安があります」


「……聞いたんだ。かつて君がどんな症状だったかを。それを聞いてから、今日実際に相澤さんがPTSD起こしたって聞いたらさ。ちょっと心配になっちゃって……」


「確かに。症状が悪化して見えますが、それより周りの状況がダークマター化してますからね、正直関わらせないのが一番かと思ったんですが、どうもそうもいかない状態になってるようで。俺もこの件に関しては、頭を悩ませています」


「そうなんだ……あと僕は思うんだけど、江藤君は君のこと誤解してないか? 君は相沢さんのことをちゃんと考えてると思うよ。何かあっても処置は完璧だし、それに彼女の意向をちゃんと汲んであげてるだろう? 江藤君は相澤さんに無理をさせないでおこうって思ってるんだろうけど、さっきの状況を見ても、零くんが無理をさせてるように勘違いしてないかな? もしよかったら僕から話ししても……」


「佐川!」

高倉がたしなめた。


「零くんと江藤くんは、旧知の仲だぞ。俺たちが介入するなんて野暮なことは不要だ」


「あ……そうですよね……出過ぎた真似でした、すみません。零くん、すまない」


「いいえ、ありがとうございます」

零は佐川と高倉にも礼を言った。


 

夜も更けていた。

窓のない会議室から抜け出して、煌々とした白い蛍光灯が並ぶ廊下で、高倉は少し前を歩いていた零を引き留めた。


「零くん、今日は俺に送らせてくれ」 


その言葉に、「今日は結構です」と告げるつもりで振り向いた零は、その高倉のなにか言いたげな表情を捉えて言った。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


第95話 『Fixerの再来』ー終ー

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