第88話 『彼らの中に渦巻く想い Flow Of Feelings』

「……ってか、波瑠さん! なんだよこのインテリアは……むしろこれが男の1人暮らしっていうほうが疑い深いな! 実は嫁さん隠れてない?」


波瑠のセカンドハウスに初めて足を踏み入れた蒼汰は、興奮気味に言った。


「お前さ……ホント今日は言いたい放題言ってくれるな!」


「あはは。捜査会議だから気は張ってたけど、意外と酔ってるからな、オレ」


「全く……こうなると厄介かもな、蒼汰は……」


悪びれもせず笑顔を見せる蒼太の横で、零はテレビボードの脇のチェストに目をやっていた。


そこには零が以前ここに泊まった時に、波瑠が零に見せるために机の上に置いていたアルバムが並んでいた。


波瑠は零の視線に気付き、それらを見た時に酷い過呼吸を起こした零の姿を思い出して、少し身震いをした。


その時、おもむろに零が立ち上がって、そこに近付き、そのアルバムに指を掛けた。


「おい! 零、大丈夫なのか?」


思わずそう声をかけた波瑠に、零は振り向いて言った。


「なんだか今日は、あのホッとする写真を見たくなったんです」


「そうか……」

波瑠は少し安心したように言った。


「なになに? アルバムがあるの?」


蒼汰も立ち上がってチェストの方に歩いて行った。


「うわ、みんな若い! 藤田社長やっぱ若いときもイケメンだな、由夏姉ちゃんもオレらよりも年下じゃないか? わぁ! 波瑠さんなんか、まだコドモじゃん!」


蒼汰がビール片手に盛り上がる。


座り込んでアルバムを見ている蒼汰を置いて、零はソファーにゆったりと座って、波瑠の出してくれたグラスにボトルを傾けた。


褐色の液体が氷を揺らし、それを一気に流し込む零の前に、溶ける暇もなくカランと音をたてたグラスが置かれる。


「零、飲み過ぎじゃないか?」  


「いえ、全然酔ってませんよ?」


「違うだろ。酔えないだけだ。そういう飲み方は体を壊すぞ」


零はひとつ息をつくと、もう一度グラスに目をやったまま、ボトルを傾けながら他人事のように言った。

「波瑠さんが心配してくれてるのは、体の方じゃないみたいだ」


「そうだ。お前の心が壊れるのを恐れてる」


「大丈夫ですよ、波瑠さん。俺の過呼吸を目撃したからちょっと過剰になってるだけじゃないですか? あれから症状は起きてませんよ」


零は写真を見ながら盛り上がっている蒼汰に目をやって微笑んだ。

一気に傾けて空にしたグラスを、テーブルに置くと、波瑠に向かって言った。


「アイツの話し相手になってやってください。 俺はシャワーを借りてもいいですか?」


「ああ、分かった」


零がシャワールームに消えていき、波瑠は蒼 汰の肩に手をやった。


「そのアルバムを持って、こっちに来いよ」


蒼汰は一つ息を吐いて、ソファーに座った。


「蒼汰、今日も絵梨香ちゃん、大変だったらしいじゃないか。それでお前、落ちてるのか?」


「落ちてるって……なんでだよ! オレが落ちてるように見える?」


波瑠は溜め息混じりに言った。

「お前のそういうカラ明るいの、俺たちには通用しねえぞ。バレバレじゃないか! そういう無理はするな、見てるほうも辛い。何があった? 話してみろよ」


蒼汰は観念したように下を向いた。

そして、今日『想命館』で起きた事を話し始めた。


エレベーターが開いた瞬間の光景……

絵梨香を抱きしめて、その口を塞いでいる零の姿を見た時の衝撃も、苦しむ絵梨香に成す術もない自分とは対照的に、迅速的確に対処する零、そしてその汗の拭う姿も……

そして何度となく目撃した “ハンカチ”

それらに対して、自分の中に生まれる感情が処理できないことを。


「オレは絵梨香が安心で安全で幸せだったら、それでいいんだ。その筈だった。それなのにさ、オレの中に出てくる感情が、絵梨香の顔を曇らせる事になりそうで……どうしたらいいのか、解らなくなって……」


波瑠は、だんだん呂律ろれつが回らなくなる蒼汰の肩を抱き、力なくもたれ掛かるその身体を支えてやることしか出来なかった。


「波瑠さん、今日話したことは全部忘れてよ。オレ、今日は大分飲んでるから。許容範囲、超えてるからさ。起きてるのも奇跡だろ? だから、全部ウソだ! 忘れてね! あ、そうだ音楽でもかけようよ。パッとした……懐かしいあの曲を……かけてさ……」

そう言って蒼汰は眠りに落ちていった。


零がシャワーから戻った時、部屋には音楽がかかっていた。

「あ……この曲は」


「蒼汰がさ、『Eternal Boy's Life』を かけろって言うから……なのにすぐ寝ちまってさ、なんだコイツ!」

波瑠は笑いながら言った。


「……やっぱり。聞いてたのか」


「ん? なんのことだ?」

 

零は、高校3年生の時に蒼太の文化祭のステージで、実は偶然絵梨香と会っていた話をした。


「すごいな……そこまでいくと、もはや“縁”があるとしか言いようがないな」


波瑠は憂いを帯びた表情の零に向かって言った。


「零、絵梨香ちゃんとは、小さい時も西園寺家で一緒に過ごした事があったんだったよな? それでも充分“縁”を感じてたと思うけど、今回のことで、お前ももう、意識してないフリができなくなったんじゃないのか?」


零は一瞬ハッとしたように波瑠の瞳を見つめた。


「その気持ちを解放することは、出来ないのか? お前は大切な存在そのものを怖がってる。そりゃそうだろうよ、あの時の彼女の事件で究極に辛い経験したお前がそう思っても、おかしくはない」


零は下を向いたまま、なにも言わなかった。


「それに……もう一つ、その存在以上に怖がっているものがある……それは今ある大切なものを、失うことだな」


波瑠はそう言って、眠りこけている蒼汰の方に目をやった。


「……波瑠さん」

 

「零、お前をいじめるつもりはないよ。だけど、いつまでもこの状態は続かないと思う。それが現実だ」


そう言うと波瑠は零の肩に手をやった。


「今日はもう寝ろ。蒼汰もここまでつぶれたら動かないだろうから、このままここで寝かせるよ。今日は俺はまだやりたい作業があるから、お前がベッドを使え。遠慮なんかすんなよ、いいな!」


「ありがとうございます。いつも……」


「ああ、礼はいい。そうだな、近いうちにちょっとプログラムについて、俺にレクチャーしてくれ。もちろん無料でな!」

 

「お安い御用です」


「そっか。助かるよ。じゃあおやすみ」


寝室に向かいながらフッとテーブルに目をやると、開いたアルバムの中にあの写真があった。


みんなの笑顔、そしてただ『RUDE BAR』の佇まいだけが変わらずにそこにある……

前にもここで見た、あのホッとする写真が……




翌朝、深酒した割には2人とも早起きした。

波瑠のワイシャツとネクタイを借りた蒼汰と、2人でセカンドハウスを後にする。


今日は作家宅に直行ということで、少し時間に余裕があった蒼汰は、零と大通りに出て、スタバでコーヒーを飲む事にした。

さすがに食欲はなかったのでモーニングはパスした。


「零、今日の予定は?」


「本部に出向いて絹川の調書を読んでくる」


「警察本部? 何でわざわざ?」


「一応、絹川美保子は被害者の妻ということで、容疑者の一人ということになる。解決していない事件に関しては、調書は容易に持ち出せないんだ」


「なるほどね」


「絹川の過去、アテンダーの熊倉とのつながり、そのアテンダーを外注した小田原との関係性……どこかに見落としている点がある可能性がある。それを探してくる」


「そっか」


「午後からは……天海先生に会う」


「あ、そういえば昨日話してたな。小田原佳乃の傷の形状がどうとか?」


「ああ」

 

零がポケットを探った。

電話がかかってきているようだ。

バイブレーション音を気にしながら取り出す。


「零、オレももう仕事に行くから、電話に出るんだったら、そのまま外にいてくれ。ああ、ここはオレが片付けてから出るからさ。電話してこいよ」


「ああ頼む」

 

零が先に店を出た。


蒼汰が、零と自分のカップを返却口に持っていくと、店員に声をかけられた。

まだ学生であろう、二十歳そこそこの女の子だった。


「すみません、今の人は、お友達ですか?」


「え? あぁ、そうだけど」


「私、ここでアルバイトしてて、普段はファッションの専門学校に通ってるんですけど、今度卒業制作でファッションショーがあるんです。それで あの人にモデルをやって欲しくて……」


「あ……どうかなあ……」


「いつも声かけそびれちゃうんですよ」


「いつも?」


「ええ。だいたい夕方前に来て、なんかさっきみたいに携帯に連絡が来て、それでパパっと出て行っちゃうんです。すごく急いでるみたいだし、かといってお客さんがいる中で声はかけにくいので、お店を出るタイミングで声かけようって、毎回思うんですけど、いつもサッといなくなっちゃって……」


「いつもって……そんなに頻繁に来てるの?」


「そうですね、ほぼ毎日だった週もあるし。だいたい夕方ぐらいなんですけどね。私が入ってない時で、ごくごくたまに、出て行っちゃったのにまた30分くらいしたらここに戻ってきたこともあるそうなんですけど。もうこの店では有名人で……何せあんなにスタイルいいイケメンだし……でもなにしてる人なんだろうって、みんな噂してて……あ、やだ! ごめんなさい。お友達にこんな話……やっぱりモデルさんか、なんかなんですか?」


「いや……そういうわけじゃないけど。ヤツは起業してる経営者だ」


「そうなんですね! いつも一人で来るし、パソコンばっかり見てるから、IT関係かなぁって言ってたんですよ。あ、すみませんお引き留めして……あの……できればモデルの話も……」


「一応してみるけど……期待しないでね」


「わかりました。週の半分以上ここに入ってるので、もしあの人が気が向いたら、声をかけてくださいって伝えてもらえますか?」


蒼汰は彼女の名札を見て言った。

「若林さん、ね? 了解」


店を出て零の姿を探した。

少し離れたところにその姿があった。

まだ通話している。

きっと高倉警部補からだろう。

昨夜『RUDE BAR』を出るときに、そんな話をしていたはずだ。


「今回は犯人の“匂い”が潜在下にあったものと思われます……」


絵梨香の話をしているようだ。

失踪中の田中の手掛かりでも見つかったのか?


「……なんとも言えませんが……今の時点ですぐに心療内科を受診する事が、一概に良いとも言えません……事件を直視することになるので……はい……」


心療内科? 

昨日高倉さんにはまだ受診する段階ではないと報告したはずじゃ……?


「……すみません、俺がついていながら……いえ。わかりました。由夏さんからも、それとなく聞いてみてください。では……はい、いつも通りに。お願いします。失礼します」


それを聞いて、とっさに蒼汰は身を隠した。

慌ててスタバの前まで戻る。


零の姿が見えた。

蒼汰は、あたかも今店から出てきたかのようにつくろって、零の方を見た。


「電話、終わったのか?」

「ああ……」


高倉さんか? そう聞こうとしてやめた。

わざわざ零に嘘をつかせることもないし、わかっていても、嘘をつかれると自分も傷つく気がした。


「じゃあオレ、仕事行ってくるよ」


「ああ」


「また夜はあそこで会議だな」


蒼汰は大通りの向かい側にある店を指をさした。


「今日は直帰だから、早い時間にまた来るよ。あとでな!」


うなづく零にまくし立てるように言って、早々とその場を離れた。


しまった、スタバの子の話……


そう思ったが、引き返すことは出来なかった。



絵梨香のマンション前を通って駅に向かった。


事件の公園が見えてきた時、蒼汰の足は止まった。


橋桁はしげたにまた身を任せて、朝の光を反射させる水面に視線を落とす。


確かに“由夏さん”と言った。

恐らく『想命館』での絵梨香が起こしたPTSDの症状についての話だ……

一体いつから、由夏姉ちゃん自らが零に電話を掛けるような間柄になったのか……

その信頼関係は、今回の事件よりもずっと前、いや、西園寺家の事件よりも前から?

そして……

なぜ零が謝るのか……絵梨香のことを……

それは以前からずっと抱いていた疑問でもあった。


“いつも通り” とは……?

なにを “お願い” したのか……?


それに、スタバの子の話……

ほぼ毎日、あそこに通う理由は?  

電話で呼び出されて退席する毎日とは?


零は意図的にオレに隠しているのか……


ダメだ。

昨日の車内での……あの文化祭の件……

オレはどうもダメージを受けているらしい。

疑心暗鬼は良い結果を生まない。


蒼汰は顔を上げた。

公園が目に入る。

そもそもあの事件が、自分たちのあらゆる疑念を引き出している。

まるで試されているような気になった。


蒼汰は深呼吸をする。


負けてはいられない。

どす黒い闇に心を惑わされないように、オレは大切な人間を守り、大切な人間を信じる。

心の中でそう言うと、渚駅に向かって足を進めた。


第88話 『彼らの中に渦巻く想い 

       Flow Of Feelings』ー終ー

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