第87話 『夜更けの会議』

『RUDE BAR』の会議室では、男たち4人が資料を広げたテーブルを囲んでいた。


佐川がポケットからスマホを取り出して、再生する。


「 江藤くん、これを勤務中に聞かされる俺の気持ち、考えてみてよ」

おどけたように眉を上げる高倉の横で、やがて蒼汰が顔をあげて零を凝視する。


「え、これ……オマエ……」


高倉と佐川がニンマリした。


零は、戸惑った表情の蒼汰には目もくれず、資料のメモを指差しながら話し始める。


「これらは今の音声に含まれていたワードです。“S型” “手強い” “供述調書” “相当因果関係”、始めの2つは『心理学的類型論』エルンスト・クレッチマーというドイツの精神科医が人を、いわゆるタイプ別に分類したものの中の1つを表します。“S型”とは、正しくは“分裂質S型”のことで、小田原いわく、俺のことを分析し、その“分裂質S型なので手強い” という意味で、思わず発した言葉だとみられます。心理学を専攻してる者なら知らないものはいないでしょう。後半の二つは警察関係者ならよく使う言葉でしょうが、一般市民が会話の中で使うのには不自然に感じました。そこから連想できることが、小田原佳乃の過去にあるのではないかと考えています」


零の頭の中で徐々に積み上がるものを、他の3人も感じた。


ずっと複雑な顔をしながら話を聞いていた蒼汰が口を開いた。

「オレ、今日は小田原佳乃に強制連行されたんですけど……今聞いた零とのやり取りとはまるで別人というか……それより、けっこう長く話した筈なんですけどね、オレの方は……何の手掛かりもつかめなくて……」


「ははは、強制連行ね。小田原は江藤くんに何の話をしたんだ?」

高倉が尋ねる。


「ただの雑談というか……編集者の仕事の話と、あとは好きな食べ物とか映画の話とか……趣味について色々聞かれただけで……いやぁオレも何か聞き出そうとは思ったんですが、なに聞いてもはぐらかされてしまって……すみません」


「いやいや、君には友好的ということだな。悪くないんじゃないか。今後もそれを利用させてもらえば」

高倉の言葉に佐川も頷いた。


「今度はちゃんと有力な情報を引き出すんで……」

蒼汰は少し俯き加減で言う。


「まあ、気に病まないでよ江藤くん。また力を借りるときが来るだろう」

高倉はにっこりして見せて、蒼汰の肩を叩いた。



零が先ほどバインダーから抜き取った小田原佳乃の供述調書を、パサッとテーブルの上に重ねながら言った。

「今ここに来る前に、小田原が元々住んでいたマンションも付近を見てきました」


零は、現場の状況や、感じたこと全てを話した。


そして一つの疑問を提議する。

そこに犯人が居たのかどうか、という"真偽"について……


「もし虚偽の発言なら、それを裏付ける可能性が見えてきました。小田原佳乃が切りつけ事件に遭った日の、その “傷口” に関する詳しい資料は手に入りませんか?」


「傷口ね……調書には形状は書かれているが、詳しいとは言えないな。病院に問い合わせれば、担当した医師から何か聞けるかもしれない。それがどうかしたのか?」


零は犯人とのやり取りを現場でシュミレーションしてきたことを話し、“傷口” に特徴が出るのではないかと考えたことを話した。


「なるほど。あの時、救急車で搬送した先は、天海病院だ」


「そうですか。それなら後で直接、天海院長に連絡を入れてみます」


「任せていいのか」


「ええ」


「あ、零くん、俺の方で連絡しておこうか?」

そう提案する佐川に、零は首を振った。


「いえ、天海先生とは……個人的に付き合いがあるので」


高倉が零と目を合わせて、頷いた。

「佐川、後ほど詳しく話すが……零くんは患者として長く天海病院に通っていた事がある」


佐川は少し驚いたように零を見た。

「……そうですか……わかりました」



佐川は再びホワイトボードに向き合いながら言った。

「高倉さん、小田原佳乃の経歴を調べてみましょうか?」


「そうだな。相澤さんに薬を渡すに至った経緯も気になるし、江藤くんの聞き込みで、清掃係の畑山さんだったか? その人の証言と、今の零くんとの会話の中での発言で、小田原佳乃という人物像があまりにもバラバラで、全くつかめなくなったように思えるしな。過去になにかあるのかもしれない」


「加えて、田中との関わりですね」

佐川の言葉に、零が頷く。


「ええ。田中の失踪については、どちらの事件に関わるのかも含めて最重要事案ですが、小田原佳乃と、そこに付随する絹川美保子や熊倉圭織の関係性も、思ったよりももっと複雑なのかもしれません。こちらも入念に裏取りをして、再び事情聴取をするべきですね」

零の発言に一同頷いた。



佐川が本部に電話をいれに出ている間、蒼汰が『想命館』で聞いてきた、葬儀の際の棺の準備の手順について説明を始めた。


「会場係の田村啓子さんに教えてもらったんですが、まずは遺体を運び込む前に、状態によって棺の底周りにドライアイスを敷き詰め、その上に布団を敷き、遺体を乗せるそうです。遺体を乗せたら、袖を引っ張り、足も着物やズボンの裾を引っ張って衣服のシワを減らして整え、手を胸で組ませて、必要に応じて更ににドライアイスで周りを埋めて、最後に掛け布団をかけるそうです。まあ、じいさんの死因がドライアイスによる窒素死だと司法解剖で出た今は、この情報はあっても仕方がないことかもしれませんが……」

その蒼太の発言を零がはばんだ。


「いや、一概にそうは言えない。俺が棺の中の祖父を見て感じた違和感……最初に話したと思いますが、普通、無雑作に誰の力も借りずにああいう狭いところに入ると、例えば、ジャケットの裾が外側に折れたり、ズボンの膝にシワがあったり、すそが不揃いになったりすると思うのですが、シワひとつない状態、つまり、蒼汰が言ったような、後から引っ張ったような感じだったんです。あくまでも仮定という領域は出ませんが、ドライアイスを入れる前に、すでに祖父の意識はなかった、そして横たわった状態でドライアイスを入れ、その際、いつもの癖で衣服を整えてしまった……とも考えられます」


「そうだな。そうなると、犯人が『想命館』のスタッフという事になるが……」


「はい……、ただ、そうなっても動機が見当たりませんね」


「ここからなかなか進めないなぁ……何が足らないのかな…」

神妙な面持ちで腕を組む蒼汰の肩に、高倉

はポンと手を置いた。


「ありがとう江藤くん、なかなか有用な情報だったよ。ご苦労様。少し、休憩としようか」


そう言って高倉は、波瑠のもとへ注文を兼ねて歩いて行った。



会議室に残った零に、蒼汰が聞いた。

「零、さっき絵梨香に “しばらくは会議がない” なんて嘘をついたけどさ、いつまでそうするつもりだ?」


「今日のあのエレベーターでの……あのPTSDの症状は、だいぶ悪化しているように見えた。過呼吸だけじゃない。匂いのせいだとしても、幻覚も見てる。高倉さん達には、ああは言ったが、多分、早急に専門家に見せた方がいいのかもしれないな……」


「そんなに悪いのか? 意識が戻ってからはわりとしゃんとしてたけどな」


「いや……俺は話していないから分からないが、帰りの車の中でも過呼吸を起こしかけてた」


「ああ……」


寝ていたはずの蒼汰がそう答えたことに対して、零は何も触れなかった。


「それは……多分、オレのせいだ」


そうバツが悪そうに言う蒼汰に目をやった。


「どういうことだ」


「お前に許可ももらわずに悪かったと思ってるけど、絵梨香にお前の過去を話した。なぜ警察の仕事を請け負うことになったのかも、あの事件のことも……」


零の瞳が一瞬見開いた。


「……そうか」

零は顔を横に向けて、その一言だけ言った。


まるで燃え上がった炎が一瞬にして鎮火したような、零の冷たい目に向かって、蒼汰が問う。


「いけなかったか?」


「いや」

零はそう短く答えると、少し息を吸い込み、前を向いたまま言った。


「わかった。心療内科はもう少し様子を見てからにしよう。ただいずれにせよ、ここ2~3日は会議には参加させない。理由は分かっているだろうが、あいつがここに来ると小田原佳乃の話がおっぴらに出来なくなるからだ」


「分かった。じゃあオレは、今から由夏姉ちゃんに連絡して、そのレストランでの写真と映像を入手できるように頼んでみるよ」


「ああ頼む」


「これも、絵梨香には言わない方がいいんだな?」


「ああ」


会議室に一人になった零は、調書の上に手を置いたまま、どこにも焦点を合わせずくうを仰いでいた。



相澤絵梨香はきっと、気付いてしまったのだろう。

俺が事件の時に、無意識にした行動の“意味”を。

俺が抱きしめた残像が、誰なのかを。

いや、俺自身がそう認識して取った行動ではなかった。

あくまでも俺が助けたのは、相澤絵梨香だった……はずだが。

しかし、今日まで自分のした行動を、覚えていなかった。

人のことは言えない、久しぶりの過呼吸も然り、俺自身も色濃く症状がでているじゃないか。

それらも踏まえて、あの事件以来、俺はまだ 前進できていなかったのか……

あの “呪縛” からは、逃れることはできないのか……



「零くん!」

高倉がパーテーションの間から顔を出した。


「あ……はい」


「なんだ? その顔は。また俺をドキマギさせることでも考えてたか?」


零はフッと笑った。


「なぁ、ちょっとあっちで一杯やらないか?」


カウンターに促された零は、波瑠の前に座った。


波瑠は少し心配そうな面持ちをしていた。

絵梨香がまたPTSDを起こしたことを、高倉から聞いたようだった。


高倉がその空気を払拭するように、明るい声で言う。


「ここの会議室の何が良いって、酒も飲めるって事ですよね! そんなの本部でやったら、始末書どころじゃ済まないですよ」

そう言って笑いながらグラスを取った。


波瑠が零の前におもむろに置いたロックグラスに、高倉は持ち上げたグラスをコンと当て、心地良い音をたてた。

独りよがりに乾杯したグラスを、ぐぐっとあおる。


波瑠はフッと息を吐いて、零に言った。

「俺がお前にこのグラスを差し出すということは、どういう意味かわかるか?」


零がグラスに手をやったまま、じっと見つめていると波瑠が笑い出した。


「ナンテ顔してんだ? 今日は俺んちに泊まれよ、ってことさ。まったく……何で俺は最近、男にばっかり声をかけてるんだろうな……いい加減、つやっぽい女子でも、誘ってみたいよ」


ちょうどそこに帰ってきた蒼汰が、それを聞いてすかさず突っ込む。


「今電話してた相手に、そのセリフ聞かしてやろうかな?」


「なんだよ蒼汰! 誰に電話してたんだ?」


「由夏姉ちゃん」


「…………」

波瑠が絶句するのを見て、蒼汰は豪快に笑う。

隣で零も口角を上げながら下を向いた。


波瑠が蒼汰をにらむ横で、零がゆっくりとグラスをあおった。

味を堪能しながら、その氷を眺めていると、佐川が戻ってきて言った。


「小田原佳乃の簡単な経歴が分かりました」


男たちは次々に会議室に戻った。



「小田原佳乃は帝和国際大学の出身で、全国でもめずらしい実践型の犯罪心理学科の専攻です」


「実践型?」

 

「我々警察で行われているポリグラフやプロファイリング、あとは裁判での量刑判断など、常に現場に近いテーマを履修する学科のようです」


「……なるほど、こちらの手の内もバレてるってことか」


「はい……零くんの指摘通りでした」


「気になることは、大学4年の時にぼぼ内定が決まっていた就職を、土壇場で辞退していることです。加えて、今の仕事につくまでにインターバルもあるようです」


「じゃあ、なぜ今の仕事についたのか? それとその空白の時間にはなにをしていたのか? それらについて調べるは必要があるな」




高倉と佐川が帰って、客がいなくなった『RUDE BAR』で、零と蒼汰、そして波瑠は、カウンターを挟んで3人で佇んでいた。


「よし、この続きは俺の家でやるか? 蒼汰、お前も今夜はうちに泊まれ!」


「え? いいの? 艶っぽい女子を連れ込むんじゃなかったの?」


「お前なぁ……いい加減、俺をいじめるのはやめろよ!」


零も蒼汰も笑った。



第87話 『夜更けの会議』ー終ー

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