第86話 『In The Room Of The Investigation Council』

『RUDE BAR』のドアを開けると、いつになく陽気な喧騒が吹き上がってきた。

忙しく手元を動かす波瑠と、カウンターに座った3人の男達が、一斉に階段を見上げる。


「零くん、お疲れ様」


「お待たせしました、高倉さん。佐川さん」


零が階下にたどり着くと、波瑠はにこやかな表情で、そこの席は勧めずに目で奥に促した。


その穏やかな雰囲気から、さっき『想命館』で何があったのか、波瑠は聞かされていないことがわかる。

蒼汰も、自分の承諾がない限りは、彼女のPTSDについて、先走って話したりしないだろう。


「こんばんは波瑠さん、今日は繁盛してますね」


「そうなんだよね。君らが捜査会議をするようになってから、何となく女性客が増えたような気がするのは、俺だけか?」


「快く場所を提供して、頂いた上にそんな冗談を言って下さるなんて、ありがたいですね」

高倉はにこやかに言った。


カウンターに並んだ面々が、客席側にバッと振り向くと、一瞬小さな歓声が幾つもあがった。

そして多くの視線が一気に集まる中、笑い声とヒソヒソ話が飛び交う。


「ん? じ……じゃあ早速、会議に行きましょうか!」


蒼汰のたどたどしい発声に、男達も少し慌て気味に奥に入っていった。


「まず最優先事項は、先ほど高倉さんに電話でお伝えした通り、エレベーター内の“匂い”です。『想命館』スタッフに聞くところによると、あの匂いは多くの葬儀社が使っている“サボン”、いわゆる石鹸の香りのスプレー式の消臭剤で、遺体の腐敗臭を緩和するものだそうです。遺体移送のエレベーター内は比較的常時、それが撒かれているそうですが、遺体を取り扱った直後には、自らの体に振り掛けることも多いそうです。我々にとってはむせかえるような濃度の匂いですが、常時使用している彼らにとっては、あの匂いについて幾分麻痺しているかのような印象です。俺も江藤も確認し、相澤においては、それを嗅いでまた過呼吸を起こしたので、まあ間違いなく、犯人の匂いと断定出来るでしょう」


「高倉さんも佐川さんも、半信半疑な顔してますけど、本当にすごい匂いなんですよ!」

蒼汰が渾身こめて補足する。


「オレらが犯人から匂ったのは、まあ残り香程度だったんで、変な話、“いい匂いの柔軟剤”みたいな印象だったんですよ。でも、元々の匂いは何時間も経ってても消えないくらい、ホント強烈な濃度なんです」


「そうか…… それで? 相澤さんは大丈夫なのか?」


零は溜め息混じりに言った。

「もう何回かPTSDを起こしていますからね……まあ、まだもつとは思いますが。落ち着いたら心療内科にかかった方がいいかと」


「まあ、エキスパートの君が言うなら、間違いないだろうね」


高倉のその言葉に、佐川が首をかしげる。

「エキスパート? 何のですか?」


高倉は苦笑いを浮かべながら言った。

「ああ…また説明する。零くん、構わないか?」


「ええ、佐川さんになら」


波瑠が飲み物を運んで来た。

高倉が零に視線を送る。

零は小さく頷いた。


序盤は何故かソフトドリンク、と何となく決まっている。

高倉が波瑠に言った。

「伊波さん、あとでちょっとお話が」


波瑠は零と蒼汰を見てから返事をして、退室する。

口を潤わせながら、会議は続けられた。


「今日は、幾つかの事件についての会議を同時進行させていかなくてはなりません。2つの事件に加え、俺なりに連日小田原佳乃の事情聴取を行っていましたが、切りつけ事件の被害者が小田原佳乃だという事実が、単に偶然なのかどうか。ここもクリアしなければならない問題です。つまりこれは、この時点で、複数の事件が何らかの形で繋がっている事を示唆します。まず今回は “匂い” が鍵となって、西園寺章蔵殺害現場の『想命館』から、相澤絵梨香強姦未遂事件の容疑者が浮上したわけです。この接点を丁寧に洗っていく必要があるでしょう」


全員が息を整えた。

モヤのかかった事件が、ようやく形を現し始めたのだ。


「まず、最有力容疑者は失踪中の“田中紀洋”です。生前葬の時に見かけた程度ではありますが、背格好は一致するかと思います」


「そうだな、相澤さんの事件当日の田中のアリバイを調べてみるよ。失踪と証明出来れば、家宅捜索出来るように手配もしてみよう」


「高倉さん、お願いします。『想命館』の他の男性スタッフについても、江藤が相澤の事件当日のアリバイを聞いて、メモしています」


「わかった、じゃあそっちも、うちの捜査員に裏付けさせよう」


「あと、やはり不可解なのが相澤と小田原佳乃の関わりです」


零はもう一度、限定ベアー購入日が黒い手紙が差し込まれていた日時と合致すること、相澤が事件の当夜に突然誘われて小田原と一緒に居たことを話した。


加えて高倉が言う。

「今日の午前中に零くんから預かった、緑色の錠剤は解析したところ、やはり『C16H14ClN3O』が検出された。これは重要なことを意味する。そうだよな零くん」


「そうですね。小田原に尋問したのですが、入手経路については口を割りませんでした。知人に薬剤師が居るとまでは言いましたが、それも真実かどうか……と言ったところです。事件の夜、それをもともと所持している者が、被害者と同席し、被害者からは飲んだ覚えのないその薬の成分が検出されたとなると……考えられることは1つなんですが……」


佐川が腕を組んだまま言った。

「どう考えても、小田原と田中の共犯を疑いたくなる展開ですね。ただ動機がわかりませんが」


蒼汰が零の方を向いた。

「さっき車の中に絵梨香がいたから言えなかったんだけどさ……」

零に対して、そう前置きを言ってから、皆に向かって話し始める。


「絵梨香が小田原佳乃と事件の日に行ったのは『LACHICシック』といって、彼女の会社が、シーズン毎にブライダルフェアを開催している店なんです。普段だとなかなか予約も取りにくい人気店なんですが、あの日はその店で『月刊 fabulous』に掲載する記事用の写真を撮影していたので、絵梨香が撮影班にお願いして、急遽ディナーをねじ込んでもらったそうです。撮影は雑誌用のスチール静止画写真と、ブライダルフェアのデモ用の動画撮影だったそうですが、2人も来場者役で撮影に加わったそうです」


蒼汰の思惑通り、零が反応する。

「写真も動画もあるっていうことか?」


「ああ、そう言ってた。映像も回しっぱなしだったそうだ。だから編集前の映像なら、確実に2人が映ってるらしい」


「江藤くん、さっそく『ファビュラス』にその動画を借りたいんだが、相澤さん本人を通さなくていいのかな?」


高倉の問いに蒼汰が答える。

「絵梨香の……ああ僕にとってもですが、従姉いとこが 『ファビュラス』の専務なので、そっちから手配してもらいます」


「そう! 助かるよ。よろしく頼む」


「はい。任せてください」


「とにかく、なんとか早く田中を確保するべきですね。アリバイも押さえなくては」

冷静に話す佐川のとなりで零が頷く。


「はい。田中とそして小田原佳乃、この2人の過去も含め洗い直す必要がありますね」


高倉がソファにもたれて言った。

「そうだな。世の中、そんなに幾つもの偶然が重なるほどドラマティックなもんじゃない。偶然が重なるということは、そこに何か必然的なものがあるという事だ。だよな、零くん?」


「ええ」

零は前髪をかき上げながら、大きく息をついた。


そして顔を上げて蒼汰の方に向き直る。

「じゃあ蒼汰、今日の『想命館』の聞き込みについて、俺は一応相澤から一通りは聞いたが、もう一度説明してくれるか」


「わかった」

蒼汰がメモを見ながら話し出した。

蒼汰が話し出すと同時に、佐川がペンのキャップを外して、ホワイトボードの前に立った。


「今日は零と佐川さんが小田原佳乃の事情聴取をしている間に、オレと絵梨香で、スタッフに聞き込みをして回ったんです。西園寺章蔵氏と関わった、新婦の絹川美保子34才、そして『想命館』スタッフは、マネージャー小田原佳乃28才と、棺を運んだ御倉英治26才、田中紀洋43才、新婦の絹川のブライダルアテンダントの熊倉圭織34才。主に、この5人について、他のスタッフから話を聞いてみたんです」


ホワイトボードに走らせる、コツコツというリズム良いペンの音が、絶えることなく鳴り続ける。


「まず、失踪していると思われる田中紀洋は、1週間近く無断欠勤していて、電話も繋がらず、中央区在住の従業員が一度田中の家まで見に行ったらしいですが、玄関前にたくさんの新聞が無造作に山積みになっていたと言っていました」


「確かに、その報告は捜査員からも聞いたよ。帰宅した形跡がないようだね」


「はい、田中の人物像を聞いたところ、会場係の直属の部下、勝田友則さん24才は、“仕事ができなくて何でも部下に押し付ける嫌味な上司” だと、伊東仁美さん35才さは、“女性好きなセクハラおやじ” だと言っていました。同じ2人に御倉みくら英治のことも聞きましたが、勝田さんからは、“覇気のない先輩で、いつも田中にこき使われていた” と。伊東さんも、“御倉は田中の家来のようだった” と言っていました。当の御倉英治に田中について聞いてみたところ、“とんでもないパワハラオヤジだ” と。“近いうちにパワハラで訴えてやろうと思っていた” と恨みタラタラでした」


「そうか、想命館は三木コーポレーションの傘下なんだが、上層部に聞くと、何度か匿名で田中に対するパワハラの告発文が届いていたんだ。関連性があるかどうかはわからないから、一応押収してあるが。御倉が送ったのかも知れないな」


「次にアテンダーの熊倉圭織ですが、外注業者から派遣されているため、熊倉を知る人はいませんでした。ただ、目撃者として、会場係の田村啓子さん42才は、事件当日の午前8時過ぎに、熊倉が小田原のところに何か話をしに来ているのを見たそうです。その時は文句を言っているように見えて険悪だったのに、その直後に他の人も同席で顔を合わせた時は、お互い友好的なそぶりだったので、変だと思ったそうです。そもそも、これまで付き合いのないような仲介業者を使って熊倉を指名したので、それについても皆が驚いたそうです」


「もともと顔見知りの可能性もあり……か?」


「はい。そして今度は絹川美保子について、清掃係の畑山妙子さん51才によると、事件当日の午前9時頃、絹川が誰かとこそこそ電話をしていたそうです。「今はダメ。後でそっちのフロアに行けばいいのね」と話していたそうです」


蒼汰の話に、零が補足する。

「これに関しては、館内の誰かとの秘密の繋がりを感じます。加えて、先日、西園寺家の家政婦の弓枝さんから電話をもらい、祖父の亡くなる4日前に、西園寺家の中庭で、絹川が電話でこそこそ話しているのを、庭師が目撃したと聞いています。絹川は誰かに脅されていたかもしれませんが、それが祖父の死に関わることなのかどうかはわかりませんね」


蒼汰が間髪入れずに話す。

「加えて清掃係の畑山さんは、絹川と熊倉が口論しているのをドア越しに聞いているようです。2人は下の名前で呼びあっていたと言っていました」


「こちらも顔見知りの可能性か。しかし……壁に耳アリって感じだな。女性は怖いよ。絹川からも熊倉からもそんな話は一切聞いていなかったし……まだまだ事情聴取は重ねていかないとな」


高倉が溜め息をつくと、佐川も同調する。

「全くですね」


「あとは……小田原佳乃ですが……誰に聞いても、“合理主義で無駄がなく出来る人間だ” と。ただ、誉めるように言いながらも、取り付く島がないといったニュアンスでした。配膳担当の三雲修二さん28才の話ですが、三雲さん自身は小田原佳乃とはろくに話したことがないそうで、これは三雲さんの友人がたまたま『想命館』に恩師の葬儀に来て、小田原を見かけて、自分の友人である三雲さんに流した情報です。彼の友人は、小田原佳乃の大学の同期だったそうで、“小田原は大学の時はまじめ人間で、産業カウンセラーの資格をもち、優秀で大手に就職も決まっていた筈なのに、卒業間近に何故か一切見かけなくなったので、卒業したのか中退したのか留年したのかもわからないままだった” と言ったそうです。6年前だそうです。あと、また畑山さんの証言で、小田原佳乃がしょっちゅう建物の外に出て、壁に寄りかかってぼんやりしていたのを目撃していたと。小田原かはわからないが、その辺りの溝にはタバコの吸い殻が毎日のように落ちているとも言っていまして……なんか、畑山さんに聞いたらまだ色々出てくるんじゃないかと……思ってしまいました」


「はは、確かにな。あとは……これだな」

高倉は零の顔をちらっと見た。


そして資料のファイルから零がメモした調書を取り出した。


「零くん! あの録音の音声はちょっと刺激的過ぎだぞ……あんまり勤務中にドギマギさせないでくれよ」

高倉が頭に手をやりなが言った。


「音声? 零、何の事だ?」

蒼汰が首をかしげた。


佐川がポケットからスマホを出して、再生する。

眉を上げて聞いている高倉の横で、やがて蒼汰が顔をあげて零を凝視する。


「え、これ……オマエ……」



第86話 『In The Room Of The Investigation Council』ー終ー

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