第85話 『ー縁ー 心に灯す小さな火』

『想命館』からはノンストップで夜の道をひた走った。

絵梨香が落ち着きを取り戻したことを確認した零は、握っていた手をスッと離し、代わりに話し始めた。


「この前、波瑠さんの家に泊めてもらったんだ」


「それって、前に『RUDE BAR』で話してた藤田社長のマンションの?」


「そう。マンションというよりは一見おんぼろ アパートだが、中は全くもって異空間だった。正直、驚いたよ」


「異空間?」


「ああ、真っ白な大理石の床とモダンファニチャーに、観葉植物、照明にも凝っていて、とても男の一人暮らしとは思えないような内装だった」


「へぇ、やっぱり『RUDE BAR』での波瑠さんのイメージになっちゃうから、いつもシックっていうか、黒とかそういうダークな落ち着いた感じが好きなのかと思ってたわ」


「波瑠さんいわく、まだ陽も高いうちから暗い店で一日を過ごすから、普段生活するところは明るい空間に身を置きたいらしい」

 

「なるほどね」


「それに加えて、レベルの高い機材があった」


「どういうこと?」


「波瑠さんは設計をやってるらしい」


「そうなんだ、初耳だな。本当に何でも出来る人なのね! 由夏ちゃんも言ってた。波瑠さんは才能溢れた人だって。藤田社長からもそう聞いてるって」


「藤田先生が波瑠さんに、何かとアプローチしてるみたいだしな」


「先生?」


「ああ、俺と波瑠さんのね」


「そうだったね! 藤田社長って数学の准教授だったって聞いたわ。あなたは教え子だったの?」


「ああ、すごく世話になった恩師だ。起業の時も相談に乗ってもらったし」


「凄い繋がりね。今はファビラスの社長のかれんさんの旦那さんだけど、2人が出逢う前に由夏ちゃんが、藤田社長をモデルにスカウトしたのよね、しかも大学のキャンパス内で。学生じゃなくて准教授をつかまえて、“モデルになりませんか”って」


「無茶苦茶だな」

零が笑った。


「それで藤田社長、サマコレにも出てるのよ。

当時はモデルだったレイラさんと一緒に」


「ああ。従兄妹同士だからな。もちろん同じ大学でもあったけど」


「波瑠さんとレイラさんは同級生だったって聞いたわ。あなたも親しかったの?」


「いや、学部が違うから全く」


「じゃあ、今年のサマコレで親しくなったってカンジなの?」


「親しくなったもなにも……仮面も着けてるしロクに会話もしてない」


「でも波瑠さんがあの後、あなたのことをレイラさんがやたら誉めてたって『RUDE BAR』で言ってたよ」


零は興味なさそうな顔をした。


「あなたもなんでしょ? 由夏ちゃんのスカウト」


「ああ」


「それはいつ?」


「2年くらい前だな」



事件の……後なんだ……つい、そう思ってしまった。



「蒼汰のツレだって知らなかったみたいだ」


「そう……なんだ。あ、波瑠さんが言ってた。由夏ちゃんも“玉砕”してたって。……私みたいに……」


零は溜め息をついた。


「あの日は……悪かったと思ってる」


「え?」


「お前に声をかけられた日」


「ああ……」


「虫の居所が悪かったんだ」


「え? なにそれ!」


「まあ、そういうことにしておいてくれ」


「ひどい言い訳よね?」

絵梨香は笑った。


「でも、不思議な縁よね? 結局、レイラさんとサマコレに出て、恩師と同じステージに立つんだから。まあ、どうしてあの日断ったのに出場する気になったのかは、教えてくれそうにもないけど」


「美人モデルが沢山来るって聞いたからな」


「えっ!」

絵梨香は驚いて零の方を見た。


「なんだその反応は……冗談だ」


「あ……そう、冗談とか言うんだ……あ、でも打ち上げの時には美人モデルにだいぶん囲まれてたじゃない?」


「あ? 結局オマエと先に帰ったんだから、なんの収穫もなかったじゃないか」


「し、収穫って……悪かったわね! あなたの“狩猟”の邪魔をして! なら、由夏ちゃんに私を送れって言われても、断ったらよかったじゃない!」


「なにキレてんだ? だから、冗談だろ」


「あ……」


零は笑っていた。

絵梨香はなんだか恥ずかしくなって下を向いた。


「波瑠さん家でさ、アルバムを見せてもらったんだ。まだみんな若い時期の写真だった。藤田先生もラフな風貌で、由夏さんも俺よりも年下で、波瑠さんは学生で。ただ『RUDE BAR』の佇まいだけが変わらずにそこにあった。ホッとする写真だったよ。みんな繋がってんだなって」


絵梨香は零の横顔を見た。

きっと、その頃に戻りたいと……思ってるよね。

悲しみのない、その時代に……


「オマエともさ」


「え?」


「西園寺家で、あのクルージングの写真を見たとき、そんな気持ちが湧いた。幸せな時間を過ごした。不思議な繋がりというか、縁だな」


零からそんな言葉が発せられるとは思ってもみなかった。

今までとは違った感情の波が押し寄せて、絵梨香の目頭を熱くした。


涙で視界がにじむ。



下を向いて涙ぐむ絵梨香に、無意識に延びた手を、零はくうで制した。


誤魔化すように、その手でオーディオのスイッチを入れる。

優しい音楽が流れてきた。


『Eternal Boy's Life』の、近日公開の映画の主題歌『Night Cruising』だった。


絵梨香がそっと涙をぬぐって言った。


「……こういう音楽が、好きなの?」


「まぁ。だけど、これは波瑠さんの受け売り。オマエの会社もスポンサーなんだろ? そう聞いてるぞ」


「ええ……『エタボ』とは付き合いが長いって、由夏ちゃんが言ってたから。波瑠さんもずいぶん前から『エタボ』ファンよね? あなたはそう言えば前にブラックソウルやジャズが好きだって、そう言ってたよね?『RUDE BAR』で」


「ああ。親の影響で洋楽ばっか聴いてたからな。ガキの頃は鍵盤習ったりしてたのもあって、学生になってからもいろんな楽器かじって一通りやった。起業してからは、作成するのがコンピューターミュージックだから、逆にバンドサウンドを聴くようになったんだ」


「そうなんだ。私も何回か『エタボ』のライブには行ってるわ。由夏ちゃん家に蒼汰とよく行ってたんだけど、いつも『エタボ』がかかってて。あれ、そう言えばなんか蒼汰って、文化祭に出てなかった?」


「ああ、やってた。ドラムだな」


「まさかあなたも?」


「いや、俺はクラブを休めないから」


「蒼汰と一緒? バスケ部だっけ?」


「ああ。だから文化祭のステージはかろうじて観には行ったよ。演奏的には、なかなかヒドかったけどな」


「そう? 結構頑張ってるなって思ったけど? 会場も盛り上がってたし……あ、ということは、あの会場に……あなたも居たのね」


「そうだな」


ライブハウスを模した、熱気が溢れる音楽室で

蒼汰が『エタボ』の『Stop The Flow Of Time』のイントロを叩き始めると、みんなが手に持ったペンライトを振りながら、会場が沸き上がった。

みんなが満面の笑顔でジャンプして……

他校から観に来た絵梨香は、その音楽室の一番後ろで、そのようすを観ていた。


「あなたもペンライトをもって前で暴れてたとか?」


「いや、バスケ部の模擬店のシフトがギリギリの時間で。結局、音楽教室の一番後ろから観たかな」


「え……私も」


「あの後ろの五線譜が書いてある黒板の」


「うん」


「グランドピアノの」


「あ、もしかしてプラカード……」


「ああ。模擬店のPRのプラカードをグランドピアノの上に置いたまま会場を出ようとして……」


「忘れてますよって……声を掛けたわ。Tシャツの上にユニフォームを着てた……背の高い人に……」


一瞬2人は、見つめ合った。

心を照らすように、小さな火がポッとともった。


「あの時も……会ってたんだな」


「ええ……」


人生において何度となく訪れていた縁を感じながら、胸に手をあてる。

高鳴る鼓動で、心に灯ったその小さな火が消えてしまわないように、そっと息をひそめた。


それから2人は音楽に耳を傾けながら、しばし静かなドライブの時間を過ごした。




『カサブランカ・レジデンス』の前に車を停めた。


零は蒼汰に声をかけた。

「蒼汰、玄関まで送ってやれ」


その声は、いつものように固く、さっきの会話の時のものとは違っていた。


彼の中に、小さな心の火を探した。


「ああ。行こうか、絵梨香」

寝ていたはずの蒼汰は、さっと降りて助手席のドアを開けた。


最後まで彼の中に “それ” を探したが、伏し目がちのその表情からは、うかがい知ることは出来なかった。



絵梨香が蒼汰と共にマンションに消え行く姿を、零はミラー越しに電話を耳に当てた状態で見ていた。


思いがけない事実に、動揺に近い感情を覚え、無意識に鎮圧しようとする自分がいた。

彼女を守るようにエスコートする蒼汰の表情を見ながら、ひとつ息をつく。


「もしもし高倉さん、着きました。『RUDE BAR』ですか? 佐川さんも? わかりました。先に江藤に資料を持って行かせます。俺は車を停めてから、少し確かめたいことがあるので……それを済ませてから向かいます」


蒼汰が絵梨香を部屋まで送って戻ってきた。

姿が見えるなり、零はすぐにエンジンをかける。

パワーウィンドウを下げると、バインダーから、今日聴取した小田原佳乃の供述調書だけを抜いて、資料に絵梨香から受け取ったメモの束を挟んで蒼汰に手渡した。


「波瑠さんの駐車場に停めてくる。高倉さんも佐川さんも、もう来てるそうだ」


「わかった。先に『RUDE BAR』に入ってる」


そう言って歩きだす蒼汰の脇をJaguar E-PACEが赤いボディを光らせて走り去っていく。



零の車が見えなくなると、蒼汰は橋桁はしげたに寄りかかり、しばらく川の流れを見ていた。

目をつぶり、夜風を感じながら、大きく息を吸って空をあおぐ。


車内の、あの居場所のない空間から解放されたというのに、いまだ息苦しさがぬぐえない。

胸をつかんで、今度は大きく息を吐く。



絵梨香の前で、零は “しばらくの間『RUDE BAR』での会議はない” と言った。

またPTSDを起こした絵梨香に、これ以上精神的負担をかけない為にも、しばらく事件から遠ざけるべきだと、零が判断をしたのだろう。

蒼汰はそれを推察して、零の言葉に乗った。

案の定、これから高倉さんと佐川さんも交えて、会議が成される。


玄関前まで送ったが、絵梨香はおそらく気が付いてはいないだろう。

その態度や会話からも、勘付いたような雰囲気は感じ取れなかった。


そんなもっともらしい事を、幾つも頭の中で並べたてて、今さっき心に浮かんだ一抹の不安を消そうとしている自分を、蒼汰は情けないと感じた。


「よし!」

そう一言大きく発して、蒼汰は『RUDE BAR』に足を進めた。




零は、波瑠のセカンドハウスの駐車場に車を停め、川沿いの道を一旦大通りまで下りた。


そこから縦の筋を2本西に行き、その路地をまた北に上がる。

そのすぐ先には、先月まで小田原佳乃が住んでいたマンションがあった。


1ブロックにつき、路地の左右に街灯が2本、確かに暗い。

先程の『想命館』で聴取に基づいて、恐らく犯行現場と思われる箇所に立ってみる。


まず、黒いフードの男が潜んでいたと言う“茂み”。

調書によると、鑑識が調べた中で、その茂みには遺留品はなかった。

踏み荒らした形跡は、無いわけではなかったが、足跡や靴のサイズなどを特定できる証拠も見つからなかった。

確かに雑草が生い茂っている箇所はあるが……

隠れられるのはその限られた場所で、その面積は一坪にも満たない。

茂みの回りには同じような作りの家が立ち並び、見通しが良く、夜でもかなり上の方まで見渡すことができる。


零はしばらく付近を探索する。

防犯用のセンサーライトを装備している家が何軒もあった。

その雑草の茂った茂みにたどり着く為には、その見通しのよい道を縦横するリスクがある。

言い換えれば、待ち伏せするためには、いつ帰ってくるのかもわからないターゲットをこの限られた場所で息を殺して待ち続けなくてはならない。

他の歩行者の目も気にしながら、そんなことが可能なのか……

ただ、佳乃がターゲットではなく、偶然通りかかり、無差別犯の餌食になったとしたなら、話は別だが……本人は同一犯だと言い張っている。


もう一度、切りつけられたという現場に立ってみる。


街灯は、犯人が立っていたであろう場所の背中側にあった。

小田原は “フードをかぶった男の顎だけ見えて髭がない” と証言した。


逆光になった状態で、顎が見えるだろうか。

顔の角度を変えた状態だと、可能ではあるが……


“右手に持った刃物がキラリと光った” とあるが、手を下した状態では犯人の体の影で反射しないだろう。

振り上げた状態だと、反射する可能性はある。


いずれにしても50/50フィフティフィフティだ。


北に向いて立ち、右手にカバンに見立てた資料の束を持つ。


犯人から逃げると仮定して、身体を北から南へと時計回りに回転させ、左手を犯人に掴まれたとして、左手を後部に残す。

そして、左手首を掴まれたまま南に向いた体を、今度は犯人に引っ張られたていで、反時計回りに少し戻る。


被害者の左上腕部に、右利きの犯人が、包丁を横にして、左から右へ刃をスライドさせる。

小田原の左上腕部には前から後ろに向かって 真横に傷がつけられる。


「これは……」


零はきびすを返して 大通りに降りていき、そのまま東に大きなストライドで歩いて 『RUDE BAR』に向かった。


第85話 『ー縁ー 心に灯す小さな火』

             ー終ー


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