第81話 『心理学的類型論』

佐川と入れ替わりにその部屋を出た絵梨香と蒼汰は、打ち合わせ通り、階下に向かった。


上階では依然、零と佳乃との間には膠着こうちゃく状態が見られた。

元捜査会議室として使われていた隣の宴会場は、がらんとした何もない空間になっていて、そこで少し鼓動が早くなるのを感じていた。


絵梨香は取り繕うように、先へと足を早めた。


本館から西館に延びる、ガラス張りの通路から見える空は、夕暮れの赤みを帯びた美しい色で染め上げられていた。


「絵梨香?」


立ち尽くす絵梨香に、蒼汰がそっと声をかけた。

「大丈夫?」


「え? ああ、うん。もちろん」


フッと軽く息を吐き、気持ちを切り替えた。



順番に館内を周り、出会うスタッフ達に片っ端から、些細な話をも聞き込んでいく。

警察官でもなく、生前葬の当日はスタッフ側として従事していた絵梨香に対しては、みな警戒心がないのか、なかなかコアな話が聞けた。


とくにフロントカウンターの女性に話からは、絹川と熊倉についての、意外でかつ有力な話も聞けた。


一番驚いたのは、数日前から会場係の「田中紀洋」が無断欠勤していることだった。

それに関してはあらゆる人が疑念を抱いているようだった。


一通り情報を集めて、2人はロビーのソファーに座って、メモを見ながら、聞き込みした内容を整理していた。


絵梨香が顔を上げて言った。

「ねぇ蒼汰、警察も……彼もだけど、総力をあげて捜査してるのよね?」


「そりゃ、そうだろうな」


「なのに、どうしてこんなに時間が経っても犯人が見つからないの?」


「うん……確かにそうだな、零のやってることも、遠回りしか見えない……多分だけど、零の事だから、目星は着いてるんじゃないかなと思うんだけどなぁ……オレたちが思っているより複雑な事件なのかもしれないな」


「そうね……でも今日の話は、警察がまだ把握していない話もあったかもよ?」


「貢献できればいいんだけどな。あ……そろそろ小田原さんと約束した一時間だけど……しかし、一体オレは彼女と何を話せばいいんだよ」


蒼汰は困った顔をした。


「佳乃さんはお話上手だし、話題に事欠かない人だから、そんな心配は要らないと思うけど」


「ああ……そうか」

依然、浮かない顔をした。


人前であんなにもあからさまに、にじり寄って来られるのにも抵抗があったが、それを見ながらにして、全く意に介さない絵梨香の態度にも不満を感じていた。


「小田原さんって、どんな人なんだ?」


「そうね、私の中では初めて会った時の印象が痛烈で。“故人の思い”と“送る人の気持ち”を話してくれたんだけど、業種は違ってもセレモニーに従事する人間として、彼女の話は胸に響いたし、すごく共感もできたの。実は、この前ようやく書き上げたんだけど、来月号の『月刊fabulous』のコラムは彼女の事を書いたのよ」


蒼汰は複雑な顔をした。

なぜ絵梨香がここまで小田原の事を信用してしまったのか……

小田原の行動や言動の端々には、明らかに誰しもが違和感を感じる点がいくつかあり、他の人間にはそれが見えているのに、なぜ絵梨香にはその不協和音が聞こえないのか不思議でならなかった。

何かしらの、マインドコントロールをされているのではないかと思うくらいに……


「蒼汰?」


「あ……いつ発売だっけ?」


「ああ。明日には書店に並ぶわ」


「そうか、読んでみるよ。オレは小田原さんのことがなかなか理解できそうにないからさ」


「蒼汰、今日の本当の……」


「うん? どうしたんだ?」


絵梨香はさっきの蒼汰の気まずい顔を思い出した。

「あ、別に、何でもない。それより、もうすぐ約束の時間じゃないの?」


「そうだな。じゃあコーヒーラウンジに行ってくるわ」


「うん」

絵梨香は軽く手を振って、ふたたびメモに目をやった。


佳乃と零と佐川が話しているということは、確実に事件に沿った話のはずだ。

しかし、突き詰めると蒼汰が困った顔をしそうだから、聞けなかった。

蒼汰の後ろ姿を見ながら、直接零に問いかけてみようか、という思いが頭に浮上した。



絵梨香に軽く送り出されたことも手伝って、蒼汰は浮かない顔でコーヒーラウンジの入口へ来た。

そこにちょうど佳乃がエレベーターから下りて来て、駆け寄ってくる。


「あら! 江藤さん、待ってて下さったの?」

蒼汰にもたれ掛かりそうな距離で話す佳乃が、コーヒーラウンジにいざない、2人は店内に入った。



佐川は西館の方からロビーに向かった。

耳にスマホを当てたまま移動し、零と少し通話をしたあと、コーヒーラウンジに入っていく蒼汰と佳乃を確認してから、絵梨香の所にやって来た。



零と一緒とばかり思っていた佐川刑事が一人で歩いて来たので、絵梨香は思わず、チラッと館内を見回した。


「お疲れ様です」


「相澤さんこそ、お疲れ様」


「あ……彼は?」


「零くんはまだ上だな。どう? 聞き込みは。バッチリだった?」


「ええ。ここの皆さんとは、おじいちゃん……いえ、西園寺章蔵さんの生前葬までの間に何度か顔を合わせていましたから、スムーズにお話が聞けました。世間話っていうか……噂話ばかりですか、皆さん意外とよく見てらっしゃるなと……」


「なるほどね。もう零くんは降りてくるはずなんだが……なにしてるんだろ?」


佐川がここに居るということは、彼はあの部屋で佳乃さんと2人……

今日はなんだか2人の間に不穏な空気が流れていたように見えたけれど……

しかし、あの生前葬の日は、零は蒼汰に指摘されるほどに佳乃さんの姿を気にかけていた。

あの時の零の目を思い出して、心のざわつきを感じた。

どちらにしても、何かしら2人にしかわからない空気があることには違いないと、思った。



零がロビーに降りてきた。

コーヒーラウンジの入口を後目しりめに見ながら、ロビーの一番奥まで行った。


そこには佐川と絵梨香が座っていた。

零に気付いた佐川が手をあげる。


「すぐに降りてこないから心配したよ。零くん、何かあった?」


「いえ、少し頭を整理したいことがあって、外に出てました」


「ああ、あの庭園?」


「ええ」


絵梨香は胸を詰まらせた。


あの扉を開けて……まさか、佳乃さんと?


「彼女は?」


零のその言葉にビクッとした。


「ああ、もう既に江藤くんとデート中だ」


絵梨香は顔を上げた。

「え? もう佳乃さんはラウンジに降りてきてるんですか?」


「ああ、さっき店に2人で入っていくのを見たからね」


妙にホッとする自分に驚いた。


「零くん、どうしたんだ? 頭を整理したいって?」


絵梨香も興味深く聞いている。

零は彼女の方を見て問いかけてみた。


「“S型”って聞いて、何か解るか?」


佐川がパッと顔を上げて、零を見た。

先ほどの小田原佳乃との会話の中で出たワードだと、気づいたようだ。


「血液型でないことくらいはね……」


「じゃあ、“分裂質タイプ(S型)” ならどうだ?」 


「なに? タイプ別の“占い”か、なんか?」


零は一息ついた。

「いや、人の気質を研究して類型学的に分類をしたものだ。“エルンスト・クレッチマー”、ドイツの精神科医なんだが、心理学を専攻してる者なら、知らないものはいない」


佐川が肩を上げた。


「じゃあ私にはわからないわね。で、その“S型”がどうしたの?」


「俺のことをそのS型だと言った奴がいる。ちょっと調べてみてくれるか」

 

「分かったわ」

そう言って絵梨香は検索を始めた。


しばらくすると、絵梨香は端末を見つめて、笑い出した。


佐川が不思議な顔で絵梨香を見つめた。

「笑うほど面白いの? 心理学って」


「いえ……あまりにもぴったりだったから…… 笑っちゃっただけです」


「どういうこと?」


「じゃあ、ちょっとかいつまんで読んでみますね」


「分裂質タイプ(S型)……ですよね。

体格は、四肢が長い人。胴回りが薄い人。

脂肪の付きにくい体質の人」


佐川はふんふんと頷いて聞いている。


「向いている職業……芸術家、哲学者

 専門職、プログラマー」


「おお、なるほど」


「対人関係……

好き嫌いが激しい。

自分の世界観が分かりそうな人には興味を

示す。

第一印象で嫌なイメージを持った相手には

全く興味を示さない」


佐川は少し下を向いた。

零は一瞥しただけで、表情も変えない。


「では性格について……佐川さん、覚悟してくださいよ!」


「え? どういうこと?」


絵梨香は大きく息継ぎをした。


「行きますよ!

 デリケートな性格で通俗的な物事を軽蔑する

 自分の世界を作り上げ、熱中する。

 文学、美術などの芸術面で才能を発揮する。

 貴族的なほど洗練された上品なセンスと、

 冷酷さを持ち合わせている。

 粗野で下品なことを極端に嫌悪感を示す。

 観察力と分析力が優れている。

 理路整然とした物事の考え方をする、

 有能な才能を持ち合わせていれば力を

 発揮する。

 第三者から簡単に理解できない性格。

 物静か。

 無口で内向的。

 非社交的。

 真面目でユーモアがない」


最後の方は笑ってしまっている絵梨香を見ながら、佐川も派手に笑った。


零を盗み見ながら、なんとか笑いを沈めて言った。

「……すごいな」


零がおもむろに佐川の方を向いた。

「佐川さん、それはどういう意味ですか?」


「あ、いや……だって……ねぇ? 相澤さん!」


「え? 私ですか? いきなりふらないで下さいよ!」


零が絵梨香を見据える。


「あ……だって……全部あなたに当てはまるじゃない? ここまで合致するともはや怖い……」


「お前、俺は第三者から理解されない性格でユーモアもないと?」


その言葉に、また2人は笑いだしてしまった。


辟易としている零に絵梨香は言った。


「あなたをS型だって言った人、心理学者なの? あはは」


零は、佐川と目を合わせた。

佐川は小さく頷く。


「あーあ、零くんには悪いけど、よく笑った! じゃあ、俺は調べものがあるから本部に戻るよ。零くん、何かあったらいつでも連絡して。高倉警部補は、夜にはこっちに戻ってるから、さっきのセクシー……あ……じゃなくて、いや、あの……君からの報告? あれは、しっかり伝えておくよ、じゃあね、相澤さん! そうそう、江藤くんにもよろしくね!」

佐川はバタバタとパーキングの方向へ歩いていった。


「あ……なんか慌ててたわね。“セクシー”って……なんのこと?」


零は表情も変えず、資料を開きながら言った。


「さあな? 分裂質S型の俺には解らない」


「やだ、根に持たないでよ」


笑いをこらえるような朗らかなその表情に、安堵を覚える。


この様子だと、蒼汰と2人でおこなった聞き込みには、ショックを受けるような内容の証言はなかったのだろう。


「蒼汰、まだ佳乃さんと話してるわよね? 今日、私たちが聞いてきた内容は一応メモしたんだけど……」


絵梨香はメモの束を、零に渡した。


「じゃあ、説明するね」

そのままロビーで蒼汰を待ちながら、零に今日の収穫を話した。



第80話 『心理学的類型論』ー終ー

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