第80話 『Try to seduce ー実況見聞ー』

零と小田原佳乃のピリッとした空気感を遮るかのように、今度は佐川刑事からの質問の時間とした。

佳乃は零を一瞥して、佐川の方を向いた。



「それでは、あなたが受けた被害について、お伺いします」


「ええ、何度でも話しますよ」

佳乃は佐川に向かって、にっこりと笑って見せる。


「先に幾つかこちらの質問にお答え願いますか?」


佳乃は息を整えるようにして頷いた。


「あなたは、これまで何度か通報していますね? 約2年ほど前から、いずれも以前の自宅付近ですね。まず、不審者に追いかけられた事件。そして、手首を掴まれ公園に引きずられそうになった事件。更に家に押し入られたかもしれないと通報されています。これらが皆同一犯と、あなたは感じているわけですね?」


「はい、そうです」


「犯人の心当たりはないと証言していますが、ではどうして、この3つの事件が同一犯だと思われたんですか?」


「根拠はありません。接触したのは手を掴まれた時だけですが……直感で同じ人間だと思ったので」


「直感……そうですか。体型は同じくらいと証言されていますが、声や匂いなど、何か特徴で共通点や気づいたことはありませんか?」


「声は聞いたことがありません。 匂いに関しても……気付いた事はありません」


「わかりました。では、先日の切りつけられたあの事件に関して、お伺いしても大丈夫でしょうか?」


「ええ」


「もう一度、どのような状態で起こったのか、順を追ってご説明いただいてもいいですか?」


「わかりました。大通りを通って帰宅していたのですが、どうしてもマンションの入り口前だけ、暗い所があるんです。そこを通り抜けようとした時に、茂みから黒いパーカーの男が出てきて、とっさに同じ犯人だと思って大きな声を上げようとしたら、前に立ちはだかって包丁を見せたんです」


「その時、顔は見えませんでしたか?」


「暗くて……顔は見えませんでしたが、顎だけ見えました。髭は生えていませんでした。包丁だけがキラリと光って、逆方向に逃げようと思ったら腕を掴まれてしまって……その腕を刃物でシュッと」


急に零が立ち上がった。

「大変申し訳ありませんが、少しその時の模様を再現してもらえますか? 立ってみてください」


「え? ここでですか?」


「ええ。お願いします」


佐川も立ち上がって言う。

「じゃあ私が犯人役をやりますんで」


「では彼が犯人だとして……まずあなたの前に立ちはだかる……」

そう言ってバインダーを手渡した。


「これをバッグのつもりで持ってみてください。右利きですね? あなたは、犯人が刃物をかざした時、逃げようとして、体をどっち回りに回転させましたか?」


「えっと、左……? いや……右回りだったと思います」


「そうですか。では右に回って頂いて。そこで切りつけられたのは?」


「左腕です」


「左上腕部ですね。では犯人はあなたが逃げるため一歩後方に出た時に、左手首を掴んだことになりますね。佐川刑事、左手首を」


「こうですか?」


「……ええ」


「犯人は右利きでしたか?」


「はい。右で刃物を持っていたので」


「そうですか。右に刃物、左手で小田原さんの左手首をつかんで引き寄せた」

佐川が再現する。


「引っ張られたので、左回りに半回転するように、左の手が体の後ろになり、カバンと右手は前方の方になったと?」


「そうです」


「それで上腕部を切りつけられた、ということですね」


佐川が定規を刃物に見立てて、切りつけるジェスチャーをした。

「こんな感じですか?」


「ええ、そうです」


「ありがとうございました」

佐川が手を離して丁寧に言った。

「傷はもう大丈夫なんですか?」


「はい、何針か縫いましたけど。ご心配を、どうも」


「ご協力ありがとうございました」

佐川が佳乃に着席を促した。


佳乃は呼吸を整えながら座り直す。

ほんの少し、動揺が見えた。


零が畳み掛けるように言う。

「最後にもう一度だけ。あなたを刃物で切り付けたその犯人は、かつてのつきまとい犯と、同一だと思いますか」


「はい。根拠はありませんが、私は間違いなく同一人物だと感じました」


「わかりました」



佐川が佳乃に挨拶をして、先に退出する。

歩き去りながら、ポケットのスマホを取り出した。

すぐにどこかに電話をかけているのがわかった。



零が調書をまとめてパタンとファイルを閉じると、すぐ近くに佳乃の顔があった。


「2人きりに……なりましたね、来栖零さん」


佳乃は葬儀場に相応しくないような、艶のあるルージュの口角を上げた。


「絵梨香さんって、幸せよね? 周りにイケメンばっかり従えちゃって。前に見た刑事さんもカッコいいなって思ってたけど、今日の刑事さんも素敵。それにいつもそばにいるあなたに江藤さん……なんだかズルくない? 絵梨香さんが羨ましいわ」


そう言いながらテーブルに肘を付き、さらに顔を近付けた。


「あなた、こんなに近くで見てもホント綺麗……まるでマネキンみたいね。ちっとも感情も見えないし。こんな所で供述調書を作ったりしてないで、もっとお似合いの場所で活躍した方がいいと思うんだけど? それだけの身長もあるんだし、モデルさんなんてどうかしら?」


零は一瞬、目を動かした。

が、すぐにいつものような退屈な表情に戻り、溜め息をつく。


「小田原さんも『ファビュラス』の、回し者ですか?」


「あら、どうして?」


「俺をモデルにしようとするから」

零はそう面倒臭そうに言いながら、無造作にジャケットのボタンを外した。

 

佳乃は笑みを浮かべながら、テーブルの上に置かれた零の腕に、そっと手を滑らせた。


「イヤミに聞こえないわね。不思議な人。ねぇ、私たち昨日も今日も会ってるでしょ? これって、何かあるって、思っていいのかしら?」


零が佳乃の方に向き直した。

「何か……とは?」


「あなたが私に興味があるってことかしら」


「ええ、ありますね」


佳乃は嬉しそうに微笑む。

「あら、随分ストレート」


「あなたの心理と行動が知りたくてね」


佳乃は膝が触れるほど零に近付く。

「なんか萌えちゃうわ。何が聞きたいの?」


「相澤絵梨香のことが好きなのかなと思って」


「え? ああ……彼女と同じブランドが好きだからそう勘違いしたのね。強いて言うなら『月刊 fabulous』のファンかも? そうそう、絵梨香さんが書いてるコラムも読んでるわよ。絵梨香さん、お仕事も充実してるわね。本当になんでも持ってるのよね……妬ましくなっちゃう! なんだか……奪いたくなっちゃうの」


佳乃は再びテーブルに肘付いて、少し媚びたような上目遣いをした。

「ねぇ、あなたってイイオトコよね?」


零は表情一つ変えない。

「そりゃどうも」


眉を上げて、零に視線を送る。

「凄い。そんな言葉、言われ過ぎてなんとも響かないって感じ?」


「いいえ、俺もオトコなんでね。モテたいなと思って『ジョイフルベア』なんて口走ってるので」


佳乃はフッと笑った。

「ウソつきね。あなたが興味があるのは女の子なんかじゃないでしょ? しいていうなら……事件、いや、犯罪かな?」


零は笑みを帯びた視線を、佳乃に向けた。

「はは、どうして。事件とは“寝られない”でしょ?」


佳乃が真顔になる。

「へぇ、そんな、艶っぽいことも言えるんだ? 絵梨香さんは、そんなあなたの一面を知っているのかしらね?」

 

「相澤? なんの関係が?」


佳乃は一つ溜め息をついた。

「だんだんあなたが悪いオトコに見えてきた」


「そう。本当は悪いオトコが好きなのでは? あ、でも江藤は悪いオトコじゃないですよ」


零はそう言って背をむけた。


「あなたって……S型……手強いかも」


零がバッと振り返った。

「今、何と……S……」


佳乃は部屋の出入口までスタスタと歩いていった。

廊下の手前で振り返る。

「ちょうどイイ時間になったわ。江藤さんとお話したいの。絵梨香さん、ずっと独り占めしてるんだから、今から私が江藤さんを誘ったってかまわないわよね? そうだ! その隙に今度はあなたが絵梨香さんの隣を陣取ればいいんじゃない? 相当因果関係よ!」


「相当因果関係……」


「ではお先に。あなたも楽しんでね。あ、昨日も私達が2人っきりで会ってたこと、絵梨香さんにはナイショにしてあげる」


そう言うとバチっとウインクをして、出ていった。


佳乃がフロアから見えなくなるのを、廊下を見回して確認してから、零は胸元からスマホを出して耳に当てた。


「佐川さん、今の、聞こえていましたか?」


「ああ、バッチリ録音した」


「ありがとうございます」


「零くん、ちょっとドキドキしちゃったよ。高倉警部補には聞かせられないなぁ……刺激が強すぎる」


零は笑った。


「蒼汰と相澤は?」


「2人共ロビーに居るけど、別々だ。江藤くんはコーヒーラウンジに先に移ってて……ああ、ちょうど今、小田原佳乃が下りて来たよ。コーヒーラウンジに向かってる。相澤さんはラウンジから一番離れたロビーのソファーに居るよ」


「そうですか。俺も今から降ります」



スマホを持つ手を下ろしながら、零は一つの仮定に頭を巡らせた。



“S型”……確かにそう言った。

“手強い”、とも。

それから、“供述調書”、“相当因果関係”。


もう一度机に座り、調書に今浮かんだワードを書き加えた。


零の頭の中に、新たな発想が芽生えた。



1人部屋を出る。

その廊下の突き当たりには、パノラマの窓と、“あの扉”が見える。


少し頭を整理したくて、その扉のノブに手をかけた。


あの日は、このドアを開けた瞬間、その向こうには、むせかえるような暑さと蝉の鳴き声に埋め尽くされた空間があった。 

今はもうあの頃のような圧迫感は感じない。

落ち着いた空間だった。  


祖父を失った日、心も失っていた。

そんな中、感情の赴くまま涙を流す彼女が、なぜか心の救いになった。

まるで自分の心を代弁してくれているかのよう に思えた。

彼女は祖父を、慈しみ悼み、思いがけなく訪れたその永遠の別れを悔やんだ。

自分も彼女のように、思うままに涙を……

本当はそうなりたかったのかもしれない。


しばし、思いを馳せた後、零は気持ちを切り替えるために、静かに目を閉じた。


なにも聞こえない……

心を閉じることで、その感覚を呼び覚まそうとした。


階下に降りれば、相澤絵梨香と話すことになる。

頭を整理しておこうと思った。


相澤絵梨香には、昨日も小田原佳乃と会っていたことは伏せている。

加えてまだ、あの大通りで偶然見かけた切りつけ事件の被害者が小田原佳乃だという事も明かしていない。

この二つのことに関してはもうしばらく、彼女には伝えないという結論に達した。


先ほどの小田原との話の中で出た、いくつかのワード、“S型” “手強い” “供述調書” “相当因果関係”

そこから連想するものが、零の頭の中で徐々に積み上がる音がした。


考えをまとめてから零は立ち上がった。

ジャケットのボタンを閉め直し、佳乃が触れたその左腕をさっと払うようにして、嫌悪感を取り除いた。


第80話 『Try to seduce ー実況見聞ー』ー終ー

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