第79話 『参考人供述調書~SHL~』

小田原佳乃に案内されたのは、あの空中庭園だった。


あの日、このパノラマの窓には、燃えるような陽射しと共に、生命力溢れる木々の揺れる姿があった。


今は、静かで穏やかな風がそよぎ、時の移り変わりを知らせる。


その奥の扉……

彼の落ち着いた声も、ハンカチと共に触れた彼の冷たい指先の温度も、覚えている。


その当人の背中を見つめたまま、あの日は多くの警察官と捜査会議が行われていた大宴会場を通り過ぎ、その奥隣の控え室に通された。



ここに来る前に、3人は車の中で打ち合わせをしていた。


到着後しばらくすると高倉警部補の部下の佐川刑事がやって来る予定になっていた。

そのタイミングで蒼汰と絵梨香が退室、2人はロビーや受付、又は各階を歩きながら、従業員を見つけて聞き込みをするというものだった。


事件当日のアリバイではなく、西園寺家と関わった数人の主要スタッフの人柄や近況、プライベート等を聞き出す役割だ。



予定時刻に佐川刑事が現れ、立ち上がろうとする蒼汰に、小田原佳乃はいかにも分かりやすくアプローチをして来た。


「江藤さんって、出版社の方なんでしょ? 前々からお話を伺いたいって、思ってたんです。私、書くことにも興味があって……後でラウンジでお話しませんか?」 


蒼汰がちらっと零を見た。

零は悟られないように頷く。


「ええ、オレの話なんかでよければ是非」


「じゃあ、コーヒーラウンジで待っていてもらえませんか? そうね……1時間後くらいかしら? どうです来栖さん?」


「ええ、ご希望通り、1時間以内におさめますよ」


「そう? よかったわ! 私、警察の話なんかより、江藤さんのお話、聞きたいですし」 


何だかピリピリした空気の中、2人は逃げるように退室した。


エレベーターに乗り込んで、ようやく蒼汰が口を開く。

「なんだあの雰囲気は? バトルだな」


「ホント……この前一緒に食事に行った時と、何だか佳乃さん、雰囲気が違って……」


「食事に……」

蒼汰が言葉を飲み込んだ。

絵梨香が小田原佳乃と食事に行ったその時とは、あの事件の日だ。

昨日、絵梨香のマンションに行ってその話は聞いたが……

ただ、どこの店でどんな会話をしたのかについて、ちゃんと詳しく聞いた覚えがなかった。


いつになく、零が大きな反応を見せたから……

ほんの一瞬だったが、憤りを露にした……

人前であんな零を見ることは……なかなかない。

その流れで少しうやむやになっている。


絵梨香には知らせていないが、今日は強姦未遂の事件に程近い捜査、その中では絵梨香からの新たな証言も有用だろう。


蒼汰は昨夜の絵梨香の説明を思い出そうとした。

確か……

会社の近くの取引先のレストラン。

『ファビュラス』のブライダル班がフェアの撮影していて、貸しきり。

オーナーに頼んで、そこで食事させてもらった……


ということは、絵梨香をよく知る『ファビュラス』の人間が、目撃者ということになる。


「なぁ絵梨香、その小田原さんと行った店の名前は?」


「え? ああ……『LACHICシック』っていって、シーズン毎にブライダルフェアを開催してるの。

あの日は『月刊 fabulous』に掲載する記事の写真を撮影していて。普段だとなかなか予約も取りにくい人気店だから、撮影班にお願いして、急遽ねじ込んでもらったのよ」


「そうか。撮影は雑誌用のスチール静止画写真だけ?」


「ううん、ブライダルフェアのデモ用の動画撮影もしてたから、映像カメラマンさんも来てたわ。私たちも来場者役で撮ってもらったり……」


「え! 絵梨香と小田原さんの映像があるのか!」


「……え? まぁ……そりゃあると思うわよ。写真も見切れてるだろうし、映像も回しっぱなしだったから。まあ、編集後にはさすがに映ってないかもしれないけどね……っていうか、さっきから、どうしたの?」


絵梨香が不審な顔をして蒼汰を覗き込む。


「いや、昨日ちょろっと聞いたときに予約が取りにくい店って言ってたから、興味があって……」


「そっか。今度オーナーさんに頼んで、キャンセル出たら連絡してもらうよ。ホントに美味しいお店だから、一緒に行こう!」


「ああ」

大きな収穫だと思った。

零はきっとこの話に大きく興味を示すだろう。


「佳乃さんも、凄く気に入ってたよ。スタッフさんとも打ち解けたりして、あの日の佳乃さん、人気者だった。だけど、今日はなんだか……」


考え事をしながら何気なく蒼汰が言った。

「戦闘モードなんじゃないのか?」

そう言ってしまってから、ハッとした。

零には友好的にと言われていたのに……


その蒼汰の言葉に、引っ掛かりを感じた絵梨香が疑問をもつ。

「なぜ? 別に戦う相手でもないのに? ねえ蒼汰、そもそも今日ここに来た理由は、本当におじいちゃんの事件の聞き込みだけなの?」


「な、なんで?」


蒼汰はその問いに詰まった。

昨夜、詳しい内容を零から聞かずにいたことを、心底良かったと思う。


「だったら、どうして私達だけ別の聞き込みに行くの? 何だかあの2人には変な空気が流れてたし……佐川刑事と彼は、なにか別の事を佳乃さんに尋問しているとか?」


「いや、そんなことは……」

蒼汰が少したじろいだ。


何にせよ、零から口止めされている以上、ここで自分が何かを明かすわけにはいかない。

現に、詳しい内容は自分も知らされていない。

もしも、なにかを知っていたら……

そう思うと冷や汗が出る。

隠し通せる自信はなかった。

零の読みがいかに正しいか、改めて思った。


蒼汰の焦る姿を見て、絵梨香は気付いた。

これはきっと……

零の言うところの “話せない事” だ。

嘘が下手な蒼汰を、少し気の毒に思った。


「あ……まあ、気が合わないんじゃねぇのか?」

蒼汰の困った目をしばらく見る。


「きっとそうね」

絵梨香はそう言って、スッと踵を返してエレベーターが開いた1階フロアに降り立った。



上階では事情聴取を始めるべく、準備がすすめられていた。


「お仕事中にすみません、わざわざお時間を作って頂いて、ありがとうございます」

佐川刑事がパソコンを設置しながらそう言うと、小田原佳乃は笑顔で答えた。


「いいえ、かまいませんよ。来栖さんとは何度も顔を合わせて、だいぶ仲良しになりましたし。なんと言っても絵梨香さんのお友達ですしね」


零は目の前に開いた調書から目をあげ、おもむろに机の上に指を組んだ。


「そう言うあなたも、相澤絵梨香のお友達なんでしょう?」


「そうですよ」


「なのに一緒に食事をしてから、彼女を置いて帰ってしまったそうですね?」


「あら、いきなり始まりますか……まあいいわ」

小田原佳乃も机に両肘を付く。


「相澤に家が近所で一緒に帰ると思わせおいて? なぜですか? 現にあなたは今、中央区にお住まいでしょう? そもそも何度も被害に遭いながらも、何年もこだわって あの街に住んでいたのに、なぜこのタイミングであっさり中央区に引っ越したんでしょうね?」


緊張の走る両者の視線の間を、佐川刑事はチラッと目を上げただけで、あとはひたすらパソコンのキーボードを打ち続けている。


「別にこだわっていたわけじゃありません。独り身ですから気まぐれなんです。絵梨香さんにご近所だと話したのは、あなたのおじい様との打ち合わせの時だったんですよ。あの時は本当に住んでましたしね。その後も彼女がそう勘違いしていただけじゃないですか? それがなにか問題でも?」


「なるほど。では、祖父の事件の夜、あなたは相澤に薬を渡したそうですが、あれは何の薬ですか?」


「ああ、あれは精神安定剤です。彼女、過呼吸を起こしてて。眠れなくて頭痛も訴えていましたしね。職業柄、そのような方は何人もお世話してきているので、症状を見極めてお渡ししたつもりですけど」


「その薬は、あなた自身も服用しているんですか?」


「いいえ、今は使っていません。もちろん過去にお世話になったことはありますが」


「どういう成分かは、わかっていて渡したと?」


「知り合いに薬剤師がいます。ただ、その方に迷惑をかけたくないので、その方についての情報は一切お話するつもりはありません」


「そうですか。ではその薬剤師の方から、いくつも貰っていたと?」


「そうです」


「それをあの日に相澤に分けてやったということですね。ただ本人は頭痛薬だと勘違いしていたようですが?」


「はっきり “抗うつ剤” とは言っていません。精神が乱れた人に、“精神安定剤” だの “抗うつ剤” だのと言って薬を渡すと逆効果になりますからね。あくまでも “今の症状を和らげるお薬だ” と言ってお渡ししました。多分彼女は頭痛がひどかったので、それが治ったことによってそう勘違いしたんじゃないですか?」


「なるほど。では食事に同行した日にも、彼女に薬を渡しましたか?」

零がじっと見据えながら聞いた。


「いいえ、渡していません」


「では、その時に彼女がその薬を飲んだかどうかは、わかりますか?」


「私が見ているところでは飲んではいないと思います」


「なぜあなたはその日に彼女を置いて帰ったのですか?」


「置いて帰ったわけじゃなく、急な葬儀が入ったので会社に戻らなくてはならなくなったんです」


「そういう内容の電話が、会社からかかってきたんですか?」


「いえ、確認のために会社に電話したら葬儀が入ったと言われたので」


「そのスタッフのお名前は」


「会場係の御倉みくらくんです」


「わかりました。ちなみに、その夜彼女に何があったかは、ご存知ですか?」


「いいえ、知りませんけど? 何かあったんですか?」


「いえ。ここで話すことではないので」


「そうですか」


「もう一つ聞かせてください。あなたがこの前、バックにつけていた『ジョイフルベア』のキーホルダーについてです」


それまで退屈そうに話していた佳乃がパッと明るい顔をした。

「へぇ来栖さん! 男性なのにすごいリサーチ力ですね! あ、わかった! 絵梨香さんに教えてもらったんでしょう?」


「知ってると、モテるそうなので」


「そんな真顔で、面白いことを言うのね」


「それで、いつどこで購入されましたか?」


「そんな事をいちいちあなたに?」


一瞬、攻撃的な表情をした佳乃は、零の目から視線をそらした。

「今月、渚駅の前のファンシーショップで買ったものです」


「そうですね。裏は取れています」


佳乃はフッと笑った。

「人が悪いですね、何でそんな事を聞かれるのか、全然わからないわ」


「わざわざ渚駅前のショップに行った理由は?」


「あそこで発売されるって、住んでいた時期に聞いていたので」


「中央区の店舗で購入しようとは思いませんでしたか?」


「どこにあるか、知らなかったので」


「じゃあそれでわざわざ、夜に買いに行ったわけですね」


「仕事が長引いたので、やむを得ず閉店間際になりました。限定だから売り切れるかもと思って」


「その後に、どこかに行かれましたか?」


「いいえ、すぐ電車に乗って中央区の自宅に戻りました」


「どこにも立ち寄らず?」


「立ち寄っていませんけど。それが何ですか?」


「いいえ」


「なぜだかは、話してもらえないんですね」


「こちらで調べますので」


「そうですか」


両者のピリッとした空気感を遮るかのように、佐川がパソコンから顔を上げて 佳乃に柔らかい口調で問いかけた。


「少し、休憩を入れますか?」


佳乃は少し呼吸を整えて言った。

「いいえ、結構です」


「そうですか。でしたらここからは、私の方から質問させて頂いても構いませんか?」


「ええ、どうぞ。お手柔らかに」

佳乃は零を一瞥してから、佐川の方に向いて座り直した。



第79話 『参考人供述調書~SHL~』ー終ー

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