第77話 『パズルピース』
「お疲れ様です、高倉さん」
零はそう言いながら、大通りに停めた高倉の車の助手席に乗り込んだ。
「零くん、君こそ幾つも事件をまたいで捜査して……ホント関心するよ」
高倉がパワーウィンドウを閉めた。
「で、教えてくれるか? 君は昨日、中央区に行ってたんだよね?」
「はい。“小田原佳乃” に会いに」
高倉はハンドルを抱えながら、溜め息をついた。
「小田原佳乃に会ったのは、『想命館』のスタッフとしてではないんだよな?」
「はい。この近くで起きた、例の切りつけ事件の “被害者” としてです」
高倉はシートにもたれて今度は腕を組む。
「しかし……ホント、最初、気付かなかったよなぁ。『想命館』で君のおじいさんの事件があった時はさ、まさか通り魔被害者の女性がそこのスタッフだったなんて……」
「俺もそうです。式の前に会場で見かけたんですが、その時は、なにか気になるとは思って見ていたんですがそれだけで……その後名前を聞いてもまだピンと来ない状態でした。この上の大通りであったあの “切りつけ事件の日” は、俺も相澤と一緒に偶然通りかかったに過ぎませんから、実際に被害者を見たのは救急車に乗り込む後ろ姿しか見えませんでしたしね。被害者の顔も、ちらっと免許証のコピーでしか見ていなかったので」
「そうだったな。……それで、昨日はどういう話だった?」
「昨日はあくまでも、今回新たに起きた事件の捜査の参考にさせてもらいたいと言って、“過去の被害者” として話を聞きに行っただけです。小田原佳乃には被害に遭った時の犯人の特徴や立ち振舞いなどを教えてほしいと言いました」
「それで、切りつけ犯については新しい情報を得られたのか?」
零は首を振る。
「いいえ、曖昧というか抽象的で……肝心なことは覚えていないけれど、手順については明確で、調書通り……といった印象でした」
「なんか引っ掛かるみたいだな?」
「ええ。具体的には言えませんが」
「今回の被害者が相澤絵梨香さんだとは? 言ったのか?」
「いえ、あえて被害者について、伏せてみました」
「何だか小田原佳乃を試しているような口ぶりだね」
零は少し笑った。
「もう一つ新しい事実が判明しました。相澤絵梨香は、強姦未遂事件の夜、普段は会うこともない珍しい人間と会っていたんです。そのせいで一人になる時間が出来、事件に巻き込まれました」
「珍しい人物?」
「はい、面識はあっても、仕事以外ではこれまで接触したことはなく、初めて食事に誘われたと……」
「まさか……それが、小田原佳乃……?」
「そうです。加えて、相澤絵梨香からは、入院時の血液検査で、抗うつ剤の『C16H14ClN3O』が検出されましたよね?」
「ああ、相澤さん本人は “身に覚えがない” と証言しているんだよね?」
「本人が自ら、薬物を摂取していないという証言だけでは、もちろん客観的にみれば信憑性に欠けると思いますが、その裏付けもできるかと思います」
「どういうことだ?」
「事件の前に会っていた人物、それから薬物反応、そしてこれです」
零はポケットから、小さな袋を取り出した。
「なんだ? その緑色の錠剤は」
「これは、昨夜、相澤絵梨香から徴収したものです。この薬は、西園寺章蔵の事件の夜に、小田原佳乃から相澤絵梨香に譲渡されました。深夜、PTSDを起こしかけた相澤に服用させ、そして更に8錠をこのような状態で渡したそうです。相澤は頭痛薬という認識で、初めて服用した日以降、頭痛時に数回服用したようです。俺はそのうちの2回ほど、ちょうど服用後の相澤に遭遇する機会があったのですが……その時の症状は、泥酔しているかのようなふらつきと眠気、そして昏睡状態に見舞われ、彼女は意識を失いました」
「ということは、この緑の錠剤は……」
「はい。おそらく、これは『C16H14ClN3O』でしょう」
「なぜ小田原がこんなものを持ってるんだ?」
「わかりません。過去の医療記録を含め、調べてみなくては」
「わかったよ。この薬、預かっていいんだな?」
「はい。解析が出来次第、教えていただければ」
「わかった。ところで……それはそうと、どうしてここで待ち合わせなんだ?」
高倉は周りを見回した。
駅の通りを隔てた斜向かいの雑貨店の前に来てくれと、言われるままに来てみたが……
「今から来てもらう所にも、妙な手がかりがあります」
「そうかなのか?」
「ええ、ちょっと “警察の力” を借りたくて、来てもらったんです」
「なんだそれ?」
「さすがに “手帳” は持ってないんでね」
「警察手帳のことか?」
「来てもらえばわかります。案内しますね」
零は高倉を外に促した。
昨日のぐずついた天気が嘘だったかのように、雲ひとつない快晴だった。
零は車を降りると、すぐ前にある雑貨店にスタスタと歩いていった。
「ここは……君の趣味とは思えないけど……」
「まあ、ついて来てください」
店主は、昨日来た者だとすぐに気が付いてくれた。
よっぽど稀なタイプの客だったからだろう。
「高倉さん、“手帳” を」
「あ、ああ」
警察手帳の力で顧客リストの開示に至った。
「販売日とお名前、住所はこちらにかかれています。1個目は4週間前で発売と同時に売れていますね。2個目は……」
店員は台帳を差し出した。
「これは……」
高倉が驚いて零の方を見た。
「はい。思った通りでした。それだけじゃありません、住所も中央区の方になっていますね。今中央区在住なら、駅中に同じ店舗があるので、そこで購入すればいいはずです。昨日、売り切れているか電話で確認しましたが、その店舗にも僅かながらまだ在庫はあるそうです。それより……この日付を見てください」
「お! この日は……」
零は店主の方を向いた。
「この顧客について何か、覚えていることはありませんか?」
「そうですね……あ、そうだわ! この日は閉店間際にいらっしゃいましたね」
「というと?」
「19時前です。とても慌てた様子で……この限定品は一つ一つ専用の箱に入ってまして、必ずお客様の前で開封して、不良品がないかお客様と一緒にチェックする決まりになっているのですが、そのようにしていたら、“急いでいるから早くして!” と言われまして……」
「そうですか、ありがとうございました」
2人は店を後にした。
そのまま車には乗り込まず、少し東に行き、桜川を北へ歩き始めた。
左手には事件のあった公園が見えてくる。
「小田原佳乃があの限定ベアーを購入した日が、相澤さんポストに黒い脅迫状が入っていた日か……そして時間も合う、と。君はそれが証明したかったんだな?」
「はい、そうです。まあ……今のままでは物的証拠にすらなりませんがね。あくまでも行動認識のみです」
「なぜここにたどり着いたんだ?」
しばらく北上すると、絵梨香のマンションが見えてきた。
その川の
数日前に何があったのかも知らないであろう、幼い子供たちが公園で遊ぶ声が、辺りに響いている。
「昨日の夕方、偶然電車で相澤に会ったので、電車を降りてから家まで送るのに、あの店の前を通りかかったんです。それでショーケースのあの限定ベアーを見つけました。それは昨日の昼に小田原佳乃に面会した時、持っていたバッグに着いていたものと同じでした。限定品であることによって、なにか足取りが着くのではないかと思ったので」
「なるほど、君の勘は見事的中か」
「ただ単にあのベアーを見ただけなら、気にも留めなかったと思うんですが。まず、昨日面会した時、小田原佳乃は祖父の事件の日に事情聴取した時の印象とは、かなり違っていました」
「まあ、事件の日は仕事に従事した姿だからな、オフの時とキャラクターが違う事は、よくあるとは思うが……」
「はい。ただ全体の雰囲気が、派手になったような印象に加え、積極的な印象でした。浮かれているというとまで言うと語弊はありますが、何せ別人のようでした。普通は聞き込みじみた話をされるのを嫌がると思うのですが、こちらが質問する以上の話や、こちらからは聞いていない相澤の事をやたら話したがったり、俺と江藤についても、わりと根掘り葉掘り聞かれました」
「そうか……小田原は一体どういう意図でそんな話をするんだろうな?」
「もちろん意図的かどうかわかりませんが、小田原が持っていたそのバッグも、相澤と同じブランドの色違いでしたし、服装もどことなく相澤に似せたような雰囲気で……何かしらの “こだわり” を感じました。心理学でいうところの“模倣行動”ではないかと」
「零くん……だから君は『想命館』に相澤さんを連れていきたいと言ったのか? あの事件以来は彼女を事件に巻き込みたがらないようにみえたから、君にしては珍しいなと思っていたんだが」
「まあ、そうですね。もちろん本人が望まない限りは関わらせるつもりはなかったんですが、相澤が行きたいと言ってくれたので。ターゲットが相澤絵梨香なのか確認するためにも、実際引き合わせた時の反応も見てみたいですね」
「相澤さんには、なんと言ってるんだ?」
「あくまでも、じいさんの事件の捜査だと。相澤は小田原が中央区に引っ越していることも知りませんでした。小田原は意図的に今も近所に住んでいるものだと、思い込ませていたようです。俺もあえて知らせていません。このまま伏せるつもりです。相澤はじいさんの事件の日の深夜のPTSDの介抱をしてもらった小田原に恩を感じているのかもしれませんが、小田原を擁護する発言も見られるので、しばらくはこのままにして様子をうかがうつもりです」
「ふん……江藤くんに怒られなかった?
「……お見通しですね。蒼汰にはもちろん
「辛辣な “オニ司令官” だな」
「それは誉め言葉ですか? 小田原と面談して話している中で、蒼汰に対する “好意” を感じたので」
「なるほどね」
「昨日、小田原と話を終えて別れてから、自宅まで尾行したんですが、そこそこの高級マンションでした。この近所に住んでいた時のアパート暮らしの時とは明らかに生活水準が違っています」
「そうか、何かしらの金の流れがあるはずだな、調べてみよう」
「ええ、羽振りがいい事ももちろんですが、あれだけ何度もストーカー被害に遭っているにも関わらず、ここに執着して住み続けていた人間が、事件後のこのタイミングで、あっさり中央区に引っ越していることも不可解です。相澤にこだわりがあり、近所に住んでいると思い込ませ、今や自宅のないこの土地に、わざわざベアーだけ買いに来るのも……すべて不自然ですしね」
「そうか。しかし……ホント君って人は。鼻が利くっていうか……捜査本部に居ないのが惜しいよ」
穏やかな川の流れる音に目をやりながら、高倉は感心したように言った。
「あ、高倉さん、そろそろ車に戻らないと、マズいんじゃないですか?」
「ん? なんだって?」
「あそこは駐停車禁止ですよ。警部補の車がレッカー移動なんて、いい笑い者になりそうですね」
高倉はフッと笑う。
そんな皮肉めいたことを言う零のことを、微笑ましく思った。
数年前の“あの時”の零からは想像できない、人間味のある、生きたその顔を、まじまじと見た。
「“オニ司令官”というよりは、“ドS司令官”かもな?」
零は珍しく笑顔を見せて笑った。
幸い、高倉の車は無事な状態でそこにあった。
「零くん、邸宅までお送りするよ。乗って」
「……やめてくださいよその言い方は」
「今日は昼から『想命館』に車で行くんだろ?」
「ええ」
「なら、邸宅の方に帰るんだろ?」
零は観念したように頷いた。
「なぁ零くん、ずっと聞いてみたかったんだが……君をそこまで突き動かすものって何だ? いや、もちろん解ってるよ。君がこの世界に足を踏み入れたきっかけだって、俺が一番解ってるつもりだけど……ただそれだけじゃなくて、俺には何だか、君が……」
「おっしゃりたいことは分かります。まぁあえて言うなら、ピースを見つけることに躍起になってる、とでも言いますか」
「ピース?」
「ええ。パズルピースのことです。人が犯罪を犯すのに、ほとんどの事は心理的要因があります。ただ俺は、そこの部分を理解するのはあまり得意ではありません。ならば、事実と根拠に基づいて、そのピースを組み立て、そして完成形にする。五感全て、第六感をも使って、そのピースを集め、嗅ぎ分けるんです。それが俺の役目だと思っています」
「そうか」
また上手く
まだ “ゲーム感覚で楽しんでいる” と言われた方がマシだとさえ思う。
“使命感という名の呪縛” から、早く彼を解放してやりたいと、高倉はそう思った。
第77話 『パズルピース』ー終ー
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