第73話 『葛藤』
絵梨香を病院に迎えに行った波瑠は、一旦零のもとに戻ってから、再び夕方に由夏たちと合流し、3人で早い夕食に出掛けた。
『ルミエール・ラ・コート』で、電話を受けた波瑠は、高倉警部補と零について話をしているなかで、彼らを請け負うという覚悟が出来た。
高倉との電話を切ったところに、蒼汰がやってきた。
「波瑠さん」
波瑠が手を上げて反応するも、蒼汰は神妙な顔をしたままだった。
「昨日はごめん、俺も慌ててたからさ、まともに話せてないよね……」
波瑠は蒼汰の肩を叩いた。
「いいんだよ、ちゃんと連絡くれて良かった。ありがとな」
「今、絵梨香は? どんな様子?」
「今日は退院にも付き添ったんだけどさ、すごく落ち着いてるよ。まあ、多少の強がりはあるだろうけどな。さっきもさ、“明日から会社に行きたい” って言って、由夏さんと話し合ってた」
「え! 絵梨香はまたすぐそういうこと言う…… まだ犯人が捕まってないのに、外に出るなんて!」
波瑠は少し苦笑いをする。
「蒼汰に言ったらそう言うだろうと思ったよ。だけどなぁ蒼汰、絵梨香ちゃんの気持ちが何より大事だろ? 自分がどうするかの決定権は本人にある。もちろんいつものようにとはいかなくてもな。でも彼女にしたら、“平常” でない限り事件のことも忘れられないだろう? 絵梨香ちゃんさ、“負けたくない” って言ってた。とらわれたくないんだよ。その気持ちは、解るだろ?」
「解るけどさ、絵梨香がそう言いそうなことも……解るけど……」
「お前が心配する気持ちも、もちろん理解できるよ。けどそれは彼女の気持ちじゃなくて、お前の気持ちだ。それを押し付けるのは、やっぱり良くない。絵梨香ちゃんがしたいように、もしくは出来るようなサポートを、俺達はしてあげるべきじゃないか?」
「うん……そうだな」
「だからさ蒼汰、今から絵梨香ちゃんに会って、もしそんな話を聞いても、ハナから反対するんじゃないぞ」
「わかったよ波瑠さん。聞いといて良かった。 オレ、思いっきり反対してたかも……」
「だな? 過保護の蒼汰だから」
蒼汰は苦笑いをした。
「あと……零のことなんだけどさ……」
「ああ。連絡着いてるか?」
「まあ……もちろん連絡したんだけど、なんか怖いぐらい淡々としてるんだ……波瑠さんは?」
「ああ。実は昨日、家に泊めた」
「そっか、良かった! それなら安心だ。色々話してくれた?」
「まあ……それなりにな。ヤツもヤツで、お前と一緒だよ。絵梨香ちゃんの決定権を剥奪しようとする……だから、そこだけは俺もちょっと助言をしたよ。今後の捜査から絵梨香ちゃんを外そうとしたからな。仮に彼女がそれを望むなら全然いいんだけど、もし彼女が継続を望むなら、そこは彼女の言い分も考えろってだけ、言ったんだよ」
蒼汰が少し俯いて言った。
「波瑠さん、零は……あの時の事件を……思い出してないわけ、ないよな?」
波瑠も同じ顔をする。
「そうだな。いつになく余裕がないのは、間違いなく、そのせいだろう」
蒼汰はだらんと下ろした両腕の拳を強く握っていた。
「波瑠さん、オレ……辛いよ。零にまたあんな思いさせるのも嫌だし、何より、絵梨香にあんな酷いことを……オレ、もう……どうにかなっちまいそうな……」
そう言って蒼汰は胸を掴んで肩を震わせた。
「蒼汰……」
「分かってる。今から絵梨香に会っても、ちゃんと明るくするからさ……」
波瑠は俯く蒼汰の、肩を掴んだ。
「心配するな! みんな同じ気持ちだ。俺も零も由夏さんも、今電話してた高倉さんもだよ。みんなお前と同じ。みんなで乗り越えよう。だから蒼汰、これからも辛くなったら、いつでも俺に言うんだぞ。零にも言ったけど、絶対に無理するな!」
蒼汰は頑張って作った笑顔で、しっかりと頷いた。
「よし! その顔なら大丈夫だ」
波瑠はその肩をガッチリと抱いた。
そして明るい口調で言った。
「さあ蒼汰、予行演習は終わりにしよう。あんまりレディを待たせるのもな」
蒼汰はいつもの明るい雰囲気をまとって、波瑠と共に2人の待つテーブルに向かった。
「あ、蒼汰!」
絵梨香の声に、蒼汰は少し微笑んで言った。
「ごめんな、遅くなって」
絵梨香は少し改まった。
「昨日は付き添ってくれてありがとう。ご心配をおかけしました」
「は? なに他人行儀なこと言ってんだ? それより、元気か?」
「うん、もうすっかり大丈夫。天海先生もそう言ってくれた」
「よかった」
蒼汰は由夏の顔を見る。
由夏も大きく頷いた。
「さあ、早く座って! ご飯食べなきゃ」
4人でテーブルを囲み、みんなが活気づいて話していた。
まるで少しの沈黙も許さないかのように……
お互いが少しずつ無理しているのを、それぞれの心で感じながら、でもその平和な空気にずっと浸っていたくて……そんなルーティーンを続けていた。
波瑠が『RUDE BAR』に戻ることもあって、早めにディナーを切り上げた。
店を出たところで、絵梨香が立ち止まり、改めて言った。
「ねえ蒼汰、これから『RUDE BAR』に行くよね?」
「あ、まあそうだな……高倉さんが来るって言ってたし。あれから連絡はしてないから、行ってみようとは思うけど」
それを聞いた絵梨香は、くるっと由夏の方に体を向けた。
「由夏ちゃん、私、引き続き捜査にも参加したい」
由夏は驚きを隠せない表情で立ちつくした。
「え……それは西園寺家の事件の? でも……絵梨香は今は気持ちにゆとりがないだろうから、おじいさんの事件でも、関わるのは辛いんじゃないの?」
由夏は戸惑った顔をして、波瑠の顔を見た。
波瑠もまた、答えを見つけられない顔をした。
「違うよ由夏ちゃん。おじいちゃんの事件だけじゃない……多分……来栖零は、あの『RUDE BAR』の会議室で、西園寺家の事件と平行して、昨日の事件についても捜査を始めると思うの。そうよね? 蒼汰」
「オレは零からまだなにも聞いてはいないけど……でも……そうだろうな」
絵梨香は再び由夏の方を向いた。
「当事者の私なら、犯人を見つけるのに役に立つと思う。犯人と……接触した……わけだし、だから絶対に手がかりを見つけて、絶対に早く捕まえたいの。他の被害者が出る前に。だからお願い!『RUDE BAR』の捜査会議にも行かせて!」
由夏はうまく言葉がでなかった。
「当事者って……絵梨香……」
絵梨香は続ける。
「みんなが私のことを気遣ってくれてるの、すごくわかるの。私も本気で怖かったし、きっと、みんなも同じくらい怖いと思ってくれたんだと思う。だけど、私は戦いたいの。守られて、隠されて、忘れさせようなんて……お願いだから思わないで。辛くなったら、ちゃんと辛いって言うから! 約束するから! お願い、私を信じて」
波瑠が2人に代わって絵梨香の肩に手を置いた。
絵梨香も波瑠の目をじっと見つめる。
「本気でそうしたいと思ってるんだね?」
絵里香は黙って頷いた。
「由夏さん、どうかなぁ、『RUDE BAR』には 常に俺もいるし、蒼汰も、エキスパートの高倉さんも零も居る。あの店の中にいる限りはまず危険はないし、そういう形で俺たちで彼女を守っていくっていうのも、アリなんじゃないかな」
由夏は一度、
本当は危険な目に合わせたり、そういった辛い感情を全て、払拭させてあげたいと思っている親心が、そうさせたのだろう。
顔を戻して、絵梨香の目をじっと見る。
「どうしても、そうしたいのよね?」
「うん。ごめん、由夏ちゃん」
「……分かった。その代わり、ちゃんと考えて行動しなさい。あなたが参加するっていうことは、皆に私があなたを委ねるという形でお世話になるということよ。皆に負担をかけることにもなりうるの。それを忘れないで。だから無理したりしないこと! いいわね!」
「うん、わかった」
「じゃあ波瑠くん、蒼汰も、絵梨香をよろしくお願いします」
由夏が頭を下げた。
波瑠は由夏をマンションで降ろしてから、車を停めて、蒼汰と絵梨香を引き連れて『RUDE BAR』のプレートを『OPEN』に変えると、そのドアを開けた。
店主不在のカウンターに向かって座っている2人の男が同時に振り向く。
彼らは絵梨香の顔を見ると、あからさまに驚いた表情になった。
そうなることが分かっていた絵梨香は、先頭を切って階段を降り始めた。
零が蒼汰と波瑠と、目を合わせる。
「ごめんなさい。私が来ることで気を遣わせるかもしれないですが、今のまま何もしない方が……辛いんです。私も捜査に参加させてください。お願いします」
高倉は戸惑った顔をして零を仰いだ。
零は全くの無表情のまま、もう一度後ろの2人に目をやる。
蒼汰は渋々というように目を細めた。
波瑠は2回大きく頷く。
「分かった」
零が静かにそう言った。
絵梨香の顔がふわっと明るくなった。
「ありがとう……」
その絵梨香の表情に、周りの空気も一気に和んだ。
波瑠がカウンターに回り込みながら言った。
「良かったよ、早く帰ってきて。イケメン2人に店を乗っ取られるところだったからなぁ。さぁ、飲み物は? みんないつものソフトドリンクかな?」
波瑠は手際よくグラスを並べ、にこやかにそれぞれの飲み物を用意すると、コースターを滑らせて前に置いた。
目を合わせる波瑠の、視線の意味を汲み取った高倉は、深く頷いた。
数人の女性客が来店し、4人は奥の会議室に移動した。
あくまでも会議は、西園寺家の生前葬の話題を中心に行われた。
絵梨香にとっては、それすらも気を遣われているような気がしてしまうのは否めない。
実際にそうだろう。
当事者を目の前にして話し合えるような事件ではない。
これ以上、自分のわがままで、ここにいる人たちを困らせるわけにはいかないので、絵梨香はあえて何も言わなかった。
ただ印象的に、来栖零はいつもより焦っているように見える。
時折、彼の解説の内容が早すぎて、3人がついていけず、高倉からも噛み砕いた説明を求める局面があった。
とにかく予定よりも早く『想命館』に行くのが得策だということは、なんとなくわかった。
彼らが、自分の同行には気が引けるのだろうと予期できたので、あえて自分から言った。
「あの……『想命館』に私も行ってもいいですか」
そう言うと、高倉が心配そうな顔で言った。
「相澤さん、そう言ってくれるのはありがたいけど、無理してない? 一度行くって言ったからって行けなくなっても、そんなことは気にしなくていいんだよ」
絵梨香は首を振った。
「違うんです。行きたいんです」
「そうか……」
高倉はそう言いながら、零の方を向いた。
零がはおもむろに話し出す。
「正直、お前がこの捜査に加わるのも『想命館』に行くのも、賛成できない。なぜなら精神的に不安定だからだ。当たり前だ、あんな事件に巻き込まれたんだからな」
絵梨香は俯いた。
「おい、零! お前、そんな言い方……」
「だが、お前が言うように、携わらないで避けて、平穏なふりをして生活する事が、本当に精神的に健全かといえば、それもそうとは言えない。俺たちや警察と行動を共にすることで、今回のお前の事件の犯人から警護できるという点では、それは大いに意味があることだと思う。とりあえずは引き続き、参加してもいい。ただし、
絵梨香は驚いたような表情で顔を上げた。
「いいですか、高倉さん。蒼汰」
零の言葉に、2人はしっかりと頷いて絵梨香に目を向けた。
絵梨香の表情が明るくなって、ほっとした蒼汰だったが、その気持ちの片隅に何か不安定な気持ちが引っ掛かっていた。
蒼太の横に座った絵梨香が、赤いバッグをそのソファー置いたのを目にした時、一つの事を思い出す。
蒼汰は、忙しく書類に目を通している零をまじまじと見た。
蒼汰は、絵梨香が皆のおかわりのオーダーをかって出て波瑠のいるカウンターに行っている間、すぐ側に置いてある絵梨香のカバンを、そっと覗いた。
そこにはあの小さい袋も、あのハンカチも入っていなかった。
無意識にホッとする自分に気付く。
しかし次の瞬間、また別の機会にそれを介した何かのアクションが、この2人の間にあるのかもしれないという不安が、一気に沸いて出る。
蒼汰は密かに呼吸を整えて、目をつぶり頭を振った。
「蒼汰、どうしたの?」
波瑠と一緒に飲み物を運んできた絵梨香にそう言われて、思わずむせそうになる。
「いや、別に……」
波瑠と目が合う。
蒼汰は幾分、表情を明るくして、首を振って見せた。
第73話 『葛藤』 ー終ー
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