第72話 『ルミエール・ラ・コート』

「おまたせ! 波瑠くん」


波瑠は『カサブランカ・レジデンス』に横付けした愛車『フィアット500Xクロス』の黄色いボディに肘をかけて、2人を待っていた。


「ほら、由夏ちゃんは前に乗せてもらいなよ」


絵梨香がそう言って、由夏は波瑠が開けてくれたドアから助手席に身体を滑り込ませた。


「ありがとう、お邪魔します!」


「どうぞ、狭いですけど」


「なんか私からお誘いしたのに、車出してもらっちゃって、ごめんね波瑠くん」


「いえいえ、全然構いません。しばらくお酒を控えようと思ってたので、ちょうどいいです」



由夏がチョイスしたのは『ファビュラス』でもシーズンごとにブライダルフェアを行っている、お得意様フレンチレストラン『ルミエール・ラ・コート』だった。


店に着くと、支配人ディレクトールが店主を呼びに行った。


「ああ、由夏さん、ようこそ!」


「乾さん、こんばんは。ごめんなさいね、こんな早い時間に来ちゃって……」


「いえいえ、いつでも大歓迎です。そちらはご親戚の絵梨香さんでしたよね? さあ、こちらへ」


「覚えてて下さったんですか!」


「当然ですよ、ほんの2ヶ月前にブライダルフェアでお世話になったばかりじゃないですか」


中庭が見える、テラス側の席に案内された。

「こちらの席で構いませんか」


「ええ、ありがとうございます」


挨拶をしながら、乾は波瑠に名刺を渡した。

波瑠も慌てて名刺を出すと、乾は眉をあげて 話し出した。


「ほぉ!『RUDE BAR』桜川沿いの!  行ってみたいと思ってました! 天海からも聞いていましたし、あと藤田社長からも。そこのマスターがこんなお若くてイケメンとは……老舗なので年配マスターのイメージでしたよ。もしよろしければ、近いうちに伺っても?」


「もちろんです。是非いらしてください!」


「いやぁ楽しみだな」


「乾さんがこちらにいらっしゃるのって珍しいんじゃないですか?」

由夏が微笑ましげに話した。


「いやいや、ここしばらくオープンが重なっちゃって。由夏さんこそ、お忙しいって聞いてますよ。この前、天海が来ましてね。由夏さんのお話ししてたところなんです」


「そうですか、私たちも……天海先生には先ほどお会いしたばかりで……」

由夏が2人と顔を合わた。


なんとなく空気を察した乾は、にこやかなまま席を外した。

「ではごゆっくり」


彼の後ろ姿を見ながら絵梨香は言った。

「乾さんって、やり手よね」


「ホントそう」


「天海先生のお友達なんですか?」


「そう。ついでに言うと藤田健斗社長の先輩にあたる」


「あーなるほど……東大ね。そっち繋がりか」


「そう」


由夏はメニューを広げながら、幾分トーンを上げて言った。


「今日は私の奢り! 波瑠くん、何でも好きなもの食べてよ!」


絵梨香と波瑠は目を合わせる。


「あのさ、由夏ちゃん。私、思うんだけど」


「なによ改まって」


「由夏ちゃんのそういう"豪快"っていうか"男勝り"っていうか、そういう感じ? あるいみ魅力だとは思うよ。だけど時には男の人が気後れすることって、ないかなぁ?」


「ん? どういうこと?」


「うまく言えないけど、由夏ちゃんもさ、人に頼ったり、人の優しさに甘えるとか、なんか……女性らしい感じを出した方が、可愛いいんじゃない?」


「へ? 今更そんなこと言われてもなぁ……これで何十年、生きてきてるんだけど?」


「まぁ、そうなんだろうけどさ……困った人だよねぇ、思わない? 波瑠さん?」


「はーい? 絵梨香ちゃん、どうして俺にふるかなぁ?」


「あはは、ごめんなさい」


波瑠は絵梨香を大袈裟に睨んだ。


「蒼汰、遅いね? すぐ来れるんじゃなかったっけ?」


「うん。今日は早く切り上げられるって、言ってたんだけど」


絵梨香が少しトーンを下げて言った。


「ねぇ波瑠さん、今日も捜査会議あるって……聞いてる?」


「……ああ、前に高倉さんがそう言ってたから、 今日は来るんだと思うけど……」


「そうか。じゃあ彼も……来るんだろうね」


「ああ……零のこと? うん、多分ね」


絵梨香は黙ってムニエルを口に放り込んだ。


由夏と波瑠はそっと目を合わせた。



「絵梨香、『ファビラス』に出勤するのは来週からでいいから」


何気なく由夏がそう切り出した言葉に、絵梨香は過剰な反応を示した。


「どうして! 私、明日から出勤する」


「なんで? まだ休んでた方がいいって!」


「ううん、『月刊 Fabulous』の執筆もまだ出来上がってないし、なにより私、会社休む理由なんかないよ。普通に出勤したい」


「でも絵梨香……」


「どうしてダメなの? 私が出勤したら迷惑?」


いつになく食って掛かる絵梨香の肩に、波瑠がそっと手をかけた。


「絵梨香ちゃん、どうしたの? 家で一人になりたくないの?」


絵梨香は波瑠の方を見て、ふうっと一つ息を吐いた。


「違うの。私……負けたくないから」


「絵梨香……」


「こんなことで、私がやりたい事にストップをかけられたりとか、引き止められたりとか、そういう変化を強いられるってこと自体が、嫌なの! 私は何も変わってないし、私は何も変えられていない。いつも通り、普通になんでもできるよ。だから……」


「わかった!」


由夏はテーブルの上にある絵梨香の手を、ギュッと握った。


「絵梨香、ごめん……私、いつも絵梨香のこと子供扱いして、つい過保護にしちゃう……それじゃだめなんだよね? それで嫌な思いするのは絵梨香なのに。一番の理解者にならなきゃね」


「由夏ちゃん……」


「よし! じゃあ、明日からバンバン働いてもらいますからね!」


波瑠はほっとしたように、絵梨香と由夏の顔を交互に見た。


その時、波瑠の携帯電話が鳴った。


「あ……ちょっと失礼」


波瑠はそう言って席を立った。



波瑠が席をはずしている間、由夏は、絵梨香のなにか言いたげな態度を気にしていた。

デザートにナイフを入れながら、ようやく口を開く。


「ねぇ由夏ちゃん、蒼汰は一人で来るの?」


「と思うけど、どうして?」


「……来栖零は?」


「あ……零くん?」


「えっと……蒼汰さぁ、ここに来て食事終わったら『RUDE BAR』に行くと思うんだよね。今日はもともと高倉さんとも約束してたから捜査会議なの。そこには来栖零も来るだろうから、蒼汰と一緒に、ここにも来たりするのかなぁ……って。由夏ちゃんは……彼と話、したの?」


由夏は、“事件から切り離した生活をした方がいい” と言った零の顔を思い出していた。


「あ……病室で会ったきりで……」


「そう……」


「その後は私一旦家に帰ったりしたから……戻ってきたら、彼、もういなかったしね。ねぇ絵梨香、何か彼に話したいことでも、あるの?」


「……分からない」


「え?」


「あ、いやいや、何でもない! 大丈夫、ちゃんとお礼も言ったし……」


「絵梨香、なんか思ってることがあるんだったら、零くんにはちゃんと話しなよ。彼ならどんな話でも、受け止めてくれると思う」


「由夏ちゃん、どうしてそんなふうに思うの?そんなに彼のことをよく知ってるの?」


「……そういうわけじゃないよ。そんな気がするなぁって」


「……由夏ちゃん、本当は何か……」


「ん?」


「やっぱり、なんでもない」



波瑠は店の外に出て、電話に出た。


「高倉さん、お疲れ様です」


「伊波さん、相澤さん達とお食事中なんですよね? すみません電話して。昨日は大変なことになって……さっき零君と話したんですが、彼が伊波さんとずっと一緒だったって、聞いたので」


「はい、昨夜も家に泊めましたから」


「そうですか。今から『RUDE BAR』に向かうつもりなんですが、零くんに会う前に、彼がどんな様子なのか、お聞きしたいなと思って……」


「そうでしたか」


「伊波さんも、勿論ご存知だと思うんですが、 今回の事件は “あの事件” がやはりオーバーラップすると思うんですね。我々ですらそう感じるくらいですから、彼が冷静でいられるのかと思うと心配で……」


「そうですよね、確かに」


「彼自身がまたあの時みたいに、壊れてしまわないかと……いつも彼に頼りきってる僕が言うのも、なんなんですけど……」 


「高倉さん、昨日は零と話しましたか?」


「ええ。怖いくらいに淡々と事務的に事件の内容報告をするんです。まるで無線でも聞いているかのような単調な口調で、被害状況と犯人の特長を……最後に “この事件は必ず、決着を着けるんで” って感情を押し殺した感じで……」


「……多分その後でしょうか、零を病院に迎えに行ったんです。厳密には絵梨香ちゃんの病室に行くつもりで天海病院に行ったんですが、もう、零一人にはしておけないような状態でした。うなだれて会話もままならず病院の外で座り込んでいましたから。ですので病室には寄らずに、零だけ連れて帰ったんです」


「……やはり、相当なダメージだったんですね」

高倉は受話器の向こうで大きく息をついた。


「昨夜、絵梨香ちゃんの従姉と電話で話して、初めて知ったことがありまして……実はこの数ヵ月、零はその従姉の情報をもとに、絵梨香ちゃんの行動を把握していたんです」


「……え? それはどういう……」


「あの辺りで通り魔事件が頻発していた時期に、たまたま怪しい人影が彼女を尾行しているように見えた事があったそうで。それがきっかけで、それからずっと……本人はただの勘で始めたと言っていましたが。可能な限り、駅から自宅までの経路を張っていたようです。昨日は零が親族会議で、彼女の従姉も絵梨香ちゃんから友人と食事に行くという連絡を受けたので、零にウォッチングは不要と言ったんです。そのたった1日、監視の目がないその時間を狙われたんです……」


「……単なる通り魔ではないと、いうことですね……」


「はい。零は表向きは冷静を保っていますが、いつまで平常でいられるか……」


「確かに……心配ですね」


「でも、今回の事件で、ヤツがあのままの感じで捜査をすすめて行けると思いますか?」


「いや、思いませんね。彼はきっと走り出すでしょうね。能力のすべてを注いで……」


「でしょ? でも、やらせるしかないんですよね。どうせ止められないなら、僕は見守って、もしヤツの心の中に闇が出てきたら、それをどうにかして断ち切ってやろうって……そう思ってます」


「伊波さん……」


「今日も会議ですよね。零には店の鍵を渡してあるので、存分に使ってください」


「ありがとうございます」


「あと1つ、気になっていることが……零は絵梨香ちゃんが捜査に参加することをやめさせようと考えているみたいでした。彼女も西園寺家でPTSDを起こしたので、懸念する気持ちも分かります。でも彼女も彼女で……あの2人は似ているのかもしれませんが、そういう消極的な発想を受け入れないと思うんですよ。さっきも“明日から会社に行く”って姉の反対を押しきって豪語してましたしね。だから零には、本人に決定権を渡したらどうかと提案してみました。まあ……あの2人がお互いかたくなに意見をぶつけ合うような局面がもしあったら、高倉さんの方でうまく流してやってください」


「わかりました。聞いておいて良かったです」


「僕の主観ですが、絵梨香ちゃんはここで参加を遮るよりは、事件の全貌を見届けさせた方が、精神的にもいいんじゃないかと思います。本当は零がそれを理解できればいいんですが、自分も不安定なくせに、自分の事は棚に上げて彼女の心配をして……なんせ、2人とも頑固なもんで……高倉さん、彼らをよろしくお願いします」


「わかりました。本当にお話聞かせて頂いて良かったです。これからは零くんの状況も、伊波さんにお伝えして相談させて頂きたいのですが、構いませんか?」


「もちろんです。そうして頂けると、大変ありがたいです、よろしくお願いします」


波瑠は耳から携帯電話を降ろすと、しばらくその場に佇んだ。


始まってしまった事は、もう止められない。


高倉に話したことで、波瑠の中にも、彼らを請け負うという覚悟が、出来たように思えた。



第72話 『ルミエール・ラ・コート』ー終ー

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