第68話 『Feelings Of Caring For Someone』

手を引いている“別の人間”がいるのかもしれないと、そう零から聞かされ、波瑠は驚きを隠せなかった。

気持ちを整理しながらも、捜査を始めると言った零の凛としたその顔からは、新たな決意を感じた。


零は続ける。


「一人の犯人が、単独で衝動的に起こす事件ほど、犯罪の個性が出て理解しづらく、解明しにくくなるんですが、関わる人間が増えるとそこに因果関係が生まれ、その犯罪はパターン化し、何らかの“型”にはまることで、その“型”が目印となって、こちらにも見つけやすくなるんです。今はその中間地点で、俺もさまよってはいるんですが……」


「ここ数ヵ月関わってきたお前がそう言うんだ、突飛な話には聞こえるが、まんざら無いこともないんだろうな」


「はい」


零の落ち着きを確認して、波瑠は少し緊張した面持ちで言った。


「零……口にするのを迷うが……構わないか?」


「ええ」


「今回のこの事件……あの時の……彼女の事件と重なるだろう? それでもお前は……冷静に取り組むことができるのか?」

 

零は少し表情を隠すかのように俯いた。

「……わかりません。でも、やります」


「そりゃお前がそう言うのもわかってるけど…… でも……またあの時みたいに、お前が……」


零は顔を上げて、波瑠の言葉を遮った。


「大丈夫です。あの症状で死んだりはしないので。死ぬほど苦しくても、死ねないんですから」


「零……お前、暴走するなよ」


「波瑠さん、俺は必ず、この手で犯人を追い詰めます」


零の瞳から、その強い意志が見えた。


「そうか、わかった。どんなことでも協力するよ。だから約束してくれ。一人で抱えたりしないこと、もし胸のうちに暗闇がやってきたら、 必ず俺を頼れ! いいな!」


「分かりました。ありがとうございます」


「よし! じゃあ先ずは、お前自身を立て直すんだ。お前、連日飲んでるだろ? 親族会議に行く前夜は過呼吸も起こしてる。体調から整えよう。遅い時間になったけど、今から飯にするぞ! 鍋だ!」


「え……夏に鍋ですか?」


零の反応に、波瑠は少し頬を緩めて答える。


「鍋と言っても薬膳鍋だ。俺も飲み過ぎたら 一人鍋するくらい、効果覿面こうかてきめんなんだ。"酒のエキスパート"をなめるなよ ! 肝臓からねぎらってやんねーとな」


「……なるほど」


「よし! 納得したな。 じゃあ、俺が支度してる間にシャワー浴びてこい」


「はい、ありがとうございます。あ、今日は着替えは持ってるので、車から取ってきますね」


波瑠は、玄関に向かう零の背中に向かって言った。


「零、今絵梨香ちゃんは、どこにいるよりも安全な病院にいる。蒼汰も由夏さんも、彼女の側についてる。だから、安心しろ! 心底安心して、お前自身を立て直すんだ」


「はい」


零は背中を向けたまま答えて、表に出た。


メタリックブルーのその車を見ると、今日の昼に、兄との和やかな談話があった事や、あのサービスエリアで感じたこと、『RUDE BAR』 で穏やかにバーボンの味を堪能していたことが頭を駆け巡る。

しかし……

それから先は……

全てがもはや幻想のようにも思われる。


後部座席からボストンバッグを取り、車を一瞥して戻った。



波瑠は鍋の準備を終え、シャワーの音がする洗面所の棚からタオルを出して零の着替えの上に置いた。


きちんとたたまれた服と服の間に、茶色いペーパーバッグが挟み込まれていた。


それを見た波瑠の表情は苦く歪み、鏡越しに映った自分が、病院の前で見た零とまるで同じ顔をしている事に気付く。


正直、湧いてくる憎悪の念が止められない。

でも自分が、零の手綱たづなとなって、少しでも平穏な状態で、彼を正しく真実に辿り着けるように、手助けするべきだと思った。


呼吸を整えて、もう一度鏡を見る。

これでいい。

心の中でそう言って、バスルームを後にした。




カーテンの隙間から漏れる光が明るくて、開いた目を細めた。

少し陽が高いのがわかる。

だいぶ長い時間、眠れたようだ。

体をグンと伸ばした。


「零、起きたか?」

波瑠の声がして、ようやく頭が具体的に状況を把握し出した。


「はい、おはようございます」


「今日はちゃんと朝のうちに起きれたみたいだな」

時計を見上げるともうすぐ9時だった。


「そうですね。すみません、ベッドを借りてしまって」


「いいんだよ、ここに泊まる時は八割方ソファーで寝てるからな」


「八割は多くないですか?」


不摂生ふせっせいな後輩に言われたくないね。さあ零、支度しろ。"モーニング"食いに行くぞ」




「ノスタルジックな店ですね」


零は幅の狭い木の階段をコツコツと上がりながら、周りを見回している。

コーヒーの深い焙煎の匂いが、店内に充満していた。


「いつもなら1階のカウンターで目の前でサイフォンしたコーヒー飲むんだけど、今日は2階でワッフルを食べよう」

零が、じっと波瑠を見る。


「男2人でワッフルですか……」


「そうは言ってもここのワッフルはあなどれないんだぞ、うちのお客さんも言ってたけど、この界隈でも人気なんだ」


「それ、女性客でしょ? コーヒーは確かに……いい香りですよね」

 

「ああ、ここのコーヒーは格別だよ。実は昨日のエスメラルダ農園産Geishaもそうだけど、うちのコーヒー豆はここから裏ルートで手に入れてるんだ」


「裏ルート? 穏やかじゃない言い方だな」


「なんだ? 警察は豆の売買まで取り締まるのか?」


「そんなわけないじゃないですか」

零がフッと笑った。


運ばれてきたプレートを見て、零は訝しい顔をして波瑠を見た。


「俺たちには似合いませんね」


「まあそう言わず、食ってみろって!」


「……うまい」


「だろ? だから、つべこべ言わずに食え!」


「はい、いただきます」 


零の皮肉めいたその顔を、波瑠は微笑ましく見つめていた。

こんな平穏無事な時間が、彼の中でもずっと続けばいいのにと、思いながら。



波瑠の携帯が光る。 

「由夏さんからメッセージだ。あ、絵梨香ちゃんはもう午前中のうちに退院するらしい。今……10時半か、あと30~40分ってとこだな。零、これ食い終わったら迎えに行こう」


零は持ち上げていたカップをおろした。


「いえ、俺は……」


「え……なんで? 迎えに行ってやらないのか?」


「今日は由夏さんと部屋に帰るでしょうから、俺は……。波瑠さんが行ってあげてください」


「なぜ? お前が助けたんだろう? 絵梨香ちゃんだって、退院できるまで回復したってことを、お前に言いたい筈だぞ」


「いや、俺とは会わない方がいいと思います」


「なぜ?」


「多分……俺の顔を見たら、きっと昨日のこと思い出すでしょう。精神的ダメージは身体的ダメージとは時間差で来る可能性もありますし……しばらくは会わない方がいいと思っています」


「零……本気で言ってんのか?」


「もちろんです」


「それは……」

少し詰まったのを誤魔化しながら、波瑠は慎重な面持ちで言う。


「お前の経験上……そう思うのか?」


零は少しうつむき加減のまま首を振った。


「俺は男なんで……彼女がどう感じるかわからないだけです。とにかく刺激しない方がいいかなと思ったので」


波瑠は溜め息をついた。

「零、もっともらしい意見だが、自信がないのはお前の方じゃないのか?」


零はパッと波瑠の顔を見た。


その表情を見て、ハッとした波瑠は、舌打ちをする。

「……すまん。俺がお前のこと、試しちゃ駄目だな。ごめん……」


「いえ」

零はそう言って再びカップを持ち上げた。



コーヒーのおかわりが運ばれてきた。

「零、今日はどうするんだ?」


「一旦自宅に戻ろうとは思いますが、もともと高倉さんと会う約束もしていましたし、今回の事件の捜査も……ですので、また『 RUDE BAR』で捜査会議をさせてもらいたいです。構いませんか」


「ああ、もちろん構わない。俺もなんだって協力するから、存分にやってくれ」


「ありがとうございます」


あそこRUDE BARで会議をしてくれてるうちは、零を近くで見守ることができる。

波瑠はそう思った。

“あの時”のような、あんな零は、もう二度と見たくはないから……


「波瑠さん?」


「ああ……なんだ?」


「どうかしましたか?」


「いや……で、なんだ?」


「由夏さんにはちゃんと話をしないと、と思っていて……」


「そうだな……わかった。じゃあ、これ」


波瑠はラピスラズリ天然石のチャームがついたキーホルダーを零に投げた。


「お前はRUDE BARで待ってろよ。俺が絵梨香ちゃんと由夏さんを迎えに行ってちゃんと家に送る。由夏さんには店に行ってもらうように言うから、そこで話したらどうだ?」


「助かります。波瑠さん、ありがとうございます」



大通りで波瑠と分かれ、零は一人『RUDE BAR』の鍵を開ける。

“closed”のプレートが掛かったままの扉の中に入った。


真っ暗な階段を見下ろす。

数日前、この真っ暗な階段を降りながら“スイッチ”のことを考えていた事を思い出した。


息苦しい空間も、いくつかのスイッチによって 快適な空間に切り替えることが可能だ。

それならば快適なスイッチを、自分も持ち合わせていたらなと、改めて思う。


カウンターに鍵を置いて、キッチンの中側に入り、全ての照明、エアコン、BGMのスイッチONにする。 


まるで息を吹き返したように、いつもの心地良い喧騒が、そこに蘇る。


ふと流し台に目をやると、グラスが山積みで、零のグラスに注がれていた『Makers Mark』 のボトルも、台の上に無造作に置かれていた。

いつもの波瑠なら、きちっと棚に飾り物のように並べられているはずだった。


昨夜波瑠が、それらを全部放り出すほど慌てて、自分を迎えに来てくれたのだということが、見て取れた。


零はシャツの袖をまくり上げて、流し台にある全てのグラスを綺麗に洗った。

カウンターに広げたタオルの上に並べていく。

そして、流し台に置かれた幾つものボトルを、自分の記憶を頼りに、元の位置に置き直してみる。


ドアチャイムが鳴る。

顔を上げて音の鳴った方に目をやると、眩しい光が差し込み、そのシルエットだけが見えた。

パタンという音と共に、再び暗くなったそこから声がする。


「零くん……」

そう言って相澤由夏が、階段を降りてきた。


第68話 『Feelings Of Caring For Someone』 ー終ー

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