第67話 『A Night With A Cry Out』

零の質問に、病室のベッドで半身を起こしながら話をしていた絵梨香の息づかいが、徐々に激しくなった。


零はハッとした。

彼女は被害者だ。

これは、自分のいきどおりを埋めるだけの質問に過ぎない……

彼女を追い詰める必要はないのに……

一体、俺は何を……


「すまない……もういい……休んでくれ」


そう言って目を伏せる。

ここには居られない、そう思った。


背中を向け、病室を出ようとすると、背後から呼び止められた。


「待って! 助けてくれたとき……どうして私に……?」


彼女が、何を言っているのか、解らなかった。


「何の……話だ?」


彼女は驚いた顔をする。


「私を助けてくれた時に、あなたが私に……」


彼女がそこまで言った時、零は急に息が苦しくなるような衝撃を感じ、その痛みに胸を押さえた。


「俺が……何か、したのか……」


ようやく声を絞り出してそう言ったものの、何かで耳を塞がれたように、頭の中が真っ白になった。




絵梨香は何も言えなかった。


ただただ目を見開いて、彼の顔を仰ぎ、言葉を待った。


しかし零は、そのまま視線を落とした。


「……蒼汰を呼んでくる」


スッと向こうを向いてそう言うと、病室から出て行った。




零が後ろ手でドアを閉めたとき、ちょうど蒼汰が戻ってきた。


「絵梨香の様子は?」


零は息の乱れを取り繕いながら言った。


「落ち着いているように見えるが、かなり不安定だ」


病室に入ろうとする蒼汰を、零は少し引き留めた。


「蒼汰、俺はもう病院を出る。付いててやるんだろ?」


「ああ」


「由夏さんは?」


「着替えやら化粧品やら取りに行った。直ぐ戻るよ」


「なら、由夏さんのスケジュールを聞いておいてくれ。明日にでも話をしに、どこへでも出向くと。そう伝えてくれ」


蒼汰は少し俯いて、静かに言った。

「……なんで零が?」


「それは……警察からの伝達事項もあって…」


「……わかったよ。聞いてお前に連絡する」


「ああ、頼む」


歩き出そうとして、零はまた立ち止まった。

再び、蒼汰を呼び止める。


「蒼汰、今日アイツが誰と食事に行ったか、心当たりはあるか?」


「……誰かと食事って、さっき由夏姉ちゃんと電話で話してたことか?」


「ああ」


「そうか! ……絵梨香は誰かと会ってたんだったな? それで遅くなってあんなことに!」


「落ち着け、蒼汰」


「……わかってるよ!」


「相手が誰だか、聞き出してくれるか?」


「わかった。それもお前に報告すりゃいいんだろ!」

一つ溜め息をついて、蒼汰は病室に入っていった。



零は病院の外に出て、電話をかけた。


「高倉さん……はい。マル害の……ええ、情報を」

そう言って、息を吸い込んだ。


「相澤絵梨香24歳、現在天海病室に入院中。今夜はこちらに1泊するようです。本日午後9時15分頃、桜川公園付近で犯人に後ろから口を押さえられて羽交い締めにされ、後ろ向きに引きずられ、桜川公園東側に位置する茂みに連れ込まれたようです。怪我の状況は引きずられた時の靴が脱げた左足に擦過傷、草むらで押し倒された際に両手のひらに同じく擦過傷。左頬に打撲痕、唇左側付近に裂傷。被害の程度は……先ほど女性警官が聴取を……強姦未遂……」


そこまで話して、零は階段に座り込んだ。

息を整える。


「……逃走した犯人についての特長は、身長170前後、中肉中背、年齢は30代後半から50代。黒のフードつき、黒のズボン。黒のスニーカー。ただし、着衣の色に関しては、周囲がかなり暗かったため、濃色には間違いないですが黒と断定はできません。犯人の左頬から唇にかけて打撲痕がある可能性。これは俺が殴りました。あと……妙な匂いが……石鹸のような。これは追跡した江藤も同じ証言をしています。そちらは……何か遺留品は出ましたか?……そうですか。はい。今夜はこれまでですが、引き続き調べていきます」


事務的に話した後、零はぎゅっと目をつぶり、立ち上がると、激しい感情に体をしならせた。


呼吸を整えて冷静さを取り戻すと、再び携帯電話を耳に当てなおした。


「零くん……君も正気ではいられないだろ……俺もだ」


「…………」


「落ち着けとは言わない。我々にも責任がある。未然に防ぐことが出来なくて、本当にすまない」


「……高倉さん、この事件は必ず、決着を着けるんで」


零は電話を切ると、力なくその手を下げた。


空を仰いで、言葉にならない声で……叫んだ。


そしてそのまま力なく、首をうなだれると階段にへたりこんだ。




手に持った携帯電話が振動していた。


それ以上に、零の荒い呼吸でその先端は揺れていた。


肩で息をしながら、零の視界の隅でその光が上下しているのがぼんやりと見える。


そうしているうちに着信が止まる……


暗闇の中に、青白い画面がぼーっと浮かんではまた消える。


何度かそれを繰り返して、零はようやくそのボタンに触れた。


「零! 零! 返事をしろよ! おい零!」


かすかに聞こえる声の方に目をやり、おもむろに耳に当てる。


「零! 波瑠だ! 今どこだ? おい零! 頼むから返事をしてくれ!」


「……波瑠さん……」


「……零。ようやく返事したな……お前、今どこだ? まだ病院か?」


「はい」


「蒼汰に聞いた。 なぁ、話そう。お前今……外、だな? 病院の前か?」


「はい」


「ならそこを動くな! すぐ行く!」


波瑠がそう言って、電話を切った。


零はその形のまま、そこにうなだれて座り込んでいた。



どれぐらい時間が経ったのか……

経っていないのか……


誰かが前に立っている。

零はその足元から視線を上げる。


「やっぱり、ここにいたのか」


「……波瑠さん」


波瑠は携帯電話を耳に当てた。


「由夏さん。波瑠です。蒼汰から聞きました。絵梨香ちゃん……心配です。無事なんですよね……よかった……実は今、病院の前に来てるんですが、零がちょっと……はい。コイツをここに一人置いとくわけにはいかないので、病室には伺わずに、このままとりあえず零を連れて帰ります。すみません。理由は……蒼汰に聞いてください。ではまた連絡します。絵梨香ちゃんお大事に」


波瑠は零の肩に手を置いた。

「こんなことだろうと思った。さあ、立てよ! 行くぞ!」


波瑠は零の腕を引っ張り上げると、そのままタクシーに押し込んだ。


「波瑠さん……店は?」


波瑠は大きく息をついた。


「お前……今ここでそれを聞くか? 閉めてきたに決まってんだろう。そんなこと、どうでもいいだろ。それよりこれからお前を強制連行する! しっかり飯も食ってもらうし、しっかり寝てもらうぞ! 覚悟しろ!」


「すみません……」


「バカ! 謝るなよ。お前は何も悪くない」


うなだれる零の肩を叩きながら、波瑠は自分もぎゅっと目を瞑った。


波瑠のセカンドハウスの駐車場には、零が夕方に停めた『MASERATIマセラティ』が佇んでいた。


その前でタクシーを降りて、車に目線をやりながらその脇を通る。

茫然自失の零の横顔を見ながら、波瑠は自分の悲痛な表情を、零から隠した。


部屋にはいると、零をソファーに座らせ、波瑠はダイニングに向かう。

しばらくすると、ミルミキサーの音と共にコーヒーの芳醇な香りが部屋中に立ち込めた。


そして、零の前にコーヒーカップが置かれる。

うっすらとした湯気とともに、さらに香りが沸き立つ。


「零、飲めよ。適温だ。お前ならわかるだろ?

“Geisha”の最高級の豆だ。タイミングを逃すな、さあ、今すぐ飲め!」


零はおもむろに腕を前に出し、まるで機械のようにそのカップを取り上げた。

そして口に運ぶ。


「……うまい……」


「だろ! エスメラルダ農園産Geishaだ。 よかった、味は感じるようだな。なら話せるな? 零」


波瑠の携帯電話が鳴った。

画面を見てから、波瑠が言った。


「零、コーヒーを飲んでおけ。すぐおかわりを入れてやる」


そう言って波瑠は、コーヒーカップを持ったまま奥に歩きながら話した。


「もしもし由夏さん、絵梨香ちゃんの具合は? そうですか……こっちは今……」


ほどなくして携帯電話を片手に戻ってきた波瑠は、テーブルにそれを置き、空になったコーヒーカップ2つを持って、またキッチンへ向かう。


そして また芳醇な香りをまとってソファーに戻ってきた。


「はい、お待たせ」

その言葉に、零が顔を上げた。


「お前、なんだその顔は。どれぐらい時間経ってるかとか、わかってないだろう?」


言葉もないまま、零は波瑠の顔をじっと見続ける。


「由夏さんと20分ぐらい喋ってたんだぞ。お前は今、それにも気づかないぐらい心神喪失なんだ。自覚はあるか?」


零は、黙ったまま俯いた。


「そうか……仕方ないな。零、由夏さんに聞いたよ。お前、ずっと絵梨香ちゃんのこと見守ってきたんだって? 由夏さん、今日お前が絵梨香ちゃんを助けたとことも含めて、お前には本当に感謝してるって、言ってたよ。あと“絶対自分のこと責めたりしないで”って伝えて欲しいって、頼まれた。俺もそう思うよ」


波瑠は再び、零の肩に触れた。


「零、話せるか?」


零は静かに、頷いた。

コーヒーを一口すすって、コトンとテーブルに置いた。


「彼女を……相澤絵梨香を、ウォッチングして あの『カサブランカレジデンス』に足を運ぶことになって、もう数ヶ月になります。アイツと出会った初日から、事件は起きていたんです。パトカーのサイレンで川沿いの木々が赤く染まっていた……あの日から自分のカンのまま、ただなんとなく、秘密裏に始めた“護衛”だったんです。試験的だった…… たまたま由夏さんに見つかってからは、本格的に監視はしたものの……正直、半信半疑でした。まさか本当に俺の勘の通りに相澤絵梨香がターゲットになって、そして被害に遭うことになろうとは…… 思ってもみない事が現実に起こった……ということは、まさか俺と関わったことが原因で、アイツが目をつけられたりしたのかと……」


黙って聞いていた波瑠が口を挟んだ。


「いや、それは違うと 思うぞ。警察関係者に関わるなど自殺行為だろう」


「普通ならそうですね。でも、本当に偶然というなら…… 今日たった一日、俺の監視の目がなかった日に、犯人に遭遇するなんて……ありえるんでしょうか? アイツはよっぽどの貧乏クジなのか……もしくは……俺以上にアイツの監視をしている誰かがいるのか……」


「なんだ? それ……」

波瑠は息を飲んだ。


「それか、犯人は俺の事も知っている可能性もあります。面識がある人間かもしれないとも、考えましたが…… 実際に犯人と接触して俺は相手を殴っています。しかしその際には、俺の中の知る人間の誰とも、マッチはしなかったんです……」


「手がかりが少なすぎるか。ただ単に通りすがりの女性を狙った通り魔とは、考えてないんだな?」

 

「ええ。なんなら、もしかしたら手を引いている“別の人間”がいるのかもしれないと…… 俺は今、そう考えています」


「え? 別の人間……?」


波瑠は思いもしなかったその考えに驚いた。


そして、自分自身をも落ち着かせるように、ゆっくりした所作で、零の前に置いてあるコーヒーカップを持って、彼のその手に渡した。


「頭が少し冴えてきたようだな」


「はい」

零はそう言ってコーヒーを飲み干した。


「捜査を始めるのか」


「はい」


凛としたその顔には、新たな決意のようなものが見えた。


第67話 『A Night With A Cry Out』

            ー終ー

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