第64話 『A Moment Of Peace』
ブルーのハイグレード車に並んで座った二人は まるで別れを惜しむかのように、話を弾ませていた。
「お前、今何歳だ?」
「なんだよ急に? 26だけど」
「若いなー!」
「また。だからそんな歳、変わんないだろ?」
「なぁ、今日の話だが……西園寺家の。零、お前はこれから、どうするつもりだ?」
駿は少しトーンを落として聞いた。
「なにも考えてないよ。考えられない」
「だよな……ん? もしかしてお前、わかってたのか? ああいう話になるってことを」
「まあ……じいさん用意した謎解きは、すべて俺に
「そうか……零、受け入れるつもりなのか?」
「今の段階では、なにも考えてない。全くもって」
駿は大きく息を吸い込んで、前を向いた。
「そうだよな! それなら、零! 今のうちにたっぷり恋愛しとけよ!」
「は? なんだそれ? ジジくさいセリフだな。そういう兄貴はどうなんだよ」
「また……興味ないくせに。聞き返してごまかすなよ! リップサービスか?」
「そういうわけじゃないけど」
「終わりの見える恋愛なんて、しても無意味なんだよ」
零は不可解な顔をして聞いた。
「どういう意味だ?」
「さっきも言ったろ。オレは来栖家を背負って立つ人間なんだ。自由恋愛なんて皆無」
「そうなのか?
「面と向かって言われたことは一度もないよ。だけど送られてくる見合い写真のプロフィールを見てりゃ分かる。オレが何を求められてるかがな。それこそオレのアイデンティティのかけらも、必要とされてねぇよ。相手も然り、お互い必要なのは “肩書き” だ。『personality』じゃなく『What is your position?』。どうだ?」
「どうって……」
「他人事じゃないぞ、ひょっとしたらさ、お前だって、いつかこの問題に直面する日が来るかもしれないんだぞ! といいつつも、オレはこれを不満に感じているのか、受け入れてるのか……? もはやオレだって判らない。零、教えてくれ!」
「……兄さん、そっちの議題は、俺にはさっぱりだ」
「確かにこの案件は、いつも戦ってる
「悪かったな。あいにく、俺も兄さんと同じ現象さ。もはやわからない」
「そのオトコってのは、ちゃんとお前を理解してくれるヤツなのか?」
「ああ、大学の時の先輩で、今その人の店の一角を、高倉さんとの捜査会議室として使わせてもらってる」
「そうか、高倉刑事しかり、その先輩しかり、お前の周りはなかなかいい環境みたいだな。そういえば、蒼汰のヤツさ!」
「蒼汰が、どうかした?」
「オレ『想命館』でアイツに言われたんだ、“駿さんがいつも零のそばにいてくれたらいいのに”って。アイツ、お前のことホントよく見てるよ。心配してた。お前のことをちゃんと思ってくれてんだなって、思った。大事にできる親友っていいよな、羨ましいよ。オレの周りにはさ、今はそれこそ “position” しか興味ない連中ばっかりさ」
「兄さん」
「なんだ? 弟よ」
「これからはもう少し頻繁に、酒を酌み交わそう」
「どうした? 色々話を聞いて同情でもしたか?」
「ちがうよ、単に俺が兄さんと、話したくなっただけさ」
駿はハンドルを握る弟を、まじまじと見た。
「なんだよ?」
「いや、なんでまた?」
「ただ話したいからっていう、たったそれだけの為に、飛行機に乗ったりロングドライブするのも、悪くないなって……思ってさ」
「零! かわいい弟よ!」
そう言ってにじり寄ってくる兄を、零は右手を上げて制した。
「あ……それに関してはやっぱり……ちょっとやめてほしいけどな」
「なんだよ、一晩同じベッドで過ごしたんだから、すっかり親睦も深まった筈だけど?」
「兄さん……それ、めちゃくちゃ気持ち悪いからマジでやめてくれ」
「まあ……確かにな。ブラコンもそこまでいったらもはや“事件”だな」
2人は笑った。
兄を主要駅で降ろして、一人で運転していると、ここしばらく一人になっていなかったことに気が付く。
元々一人が気楽でいいと思っていた自分が、今は隣の空席を、スカスカした心もとない気持ちで眺めていることに、驚いている。
束の間の、そのちょっとした虚無感を堪能して、心をフラットに戻す。
解決はしなかったとはいえ、親族会議が終わり、一つ自分の中での小節が区切られた。
しかし西園寺の問題は、直接自分自身に降りかかってくる大きな問題に、発展するだろう。
あまりにも膨大な事案に、これからどうしていいか想像もつかないが、とにかく今は、目の前にあることから順番に片付けていこう。
これから地元に帰れば、また捜査の続きが始まる。
ここからの捜査は、核心に近づくだろう。
そう思うと、零の気持ちにも拍車がかかる。
『想命館』に行くまでのここ数日に、確実に 捜査の足元を固めよう。
そう決めた。
サービスエリアに立ち寄った。
しかしこの短期間で、何度ここに立ち寄っていることか。
そう思いながら零は展望台に足を向け、ベンチに腰を下ろした。
目の前にあるハートのオブジェに目をやると、うつむき加減の彼女の姿がうかんでくる。
まだ少し具合の悪そうな様子だった。
あの時の、苦しみに喘ぐ彼女の姿を思い出すと、今でもグッと首を締め上げられたかのような衝撃が走る。
鳴り出す鼓動がこれ以上上昇しないように、零はシャツのボタンを無造作に外しながら、目を閉じる。
髪をさらっていく風が、ほんの少し秋の匂いを運んできた。
零は背もたれから体を起こし、携帯電話を確認する。
西園寺泰造からのメッセージには、今後の西園寺家の方針について、これからも意見を仰ぎたいと、その旨だけ書かれていた、“行く先” のことに関しては、伯父の中でもまだ迷いがあるのか、あえて触れていなかった。
珍しく母親からもメッセージが入っていた。
2人に会えてよかったと、ただそれだけが書かれてあった。
そして高倉警部補からは、手が空いた時に連絡がほしいというメッセージ。
あとは、由香からいつもの“定例報告”があった。
いつもは退社時間のみの短い報告だったが、今日の相澤絵梨香のスケジュールは珍しく、“急遽自宅の近所に住む友人と会社帰りに食事をすることになり、食事してそのまま一緒に帰ることにする、と本人から連絡が入った” と書かれていた。
そして由夏から、“今日はウォッチングは必要ないです。いつもありがとう” と、書き添えられていた。
高倉に連絡を入れた。
親族会合が終わったことと、事件に結びつくようなことは何も出なかったこと、今後も親族会議は継続して行われるであろうこと、そして兄の来栖駿警視が同席していたことを報告した。
高倉からは、司法解剖の結果や血液成分の解析から、処方された睡眠導入剤に加えて、もう少し強力な別の睡眠薬の成分が検出されたことと、消化器官内に溶けたカプセルの成分が検出されたとの報告を受けた。
加えて、高倉の部下の佐川が、絹川美保子が生前葬の数日前に中庭で電話で揉めていた件について、直接本人にヒアリングした報告も受けた。
事件前に何度もかかってきている通知のない電話ということで、関係性を期待していたが、懸念していたとおり、絹川に聞くも化粧品のセールスの電話でたまたま中庭を散歩中にかってきて、しつこくセールスをされたので断っただけだ、と言われてしまったようだった。
足のつかない携帯電話からでは、追跡のしようがない。
この点に関しては振り出しに戻ったので、高倉には、別のアプローチを考えようと話した。
今日は別件で遠方に出向いている高倉とは、明日『RUDE BAR』でおちあう約束をして、電話を切った。
零は手にしていた缶コーヒーを
しばし、静かな時間が流れた。
今日は一人だ。
何もない右側に目をやると、幻影が浮かびそうになる。
昼下がりの海の照り返しに目を移すと、あらゆる光景が浮かんでは消えた。
その度になぜか、鼓動の音が鼓膜の奥から聞こえてくるような感覚が起きた。
そして気づく。
浮かんでくる光景の中に、常に相澤絵梨香がいることを。
頬を濡らす彼女にハンカチを渡す行為が、自分にとって無意識な行動だったことに、ひどく驚いたの思い出す。
蔵で共有した思い出と秘密、抱き上げた時の不安感やその身体の儚さ、頬に伸ばす指先、伝う 涙と笑顔、そして……かつての自分のように、苦悩にゆかんだ表情を目の当たりにした時の、激情……
しかし、彼女のことを考えると、もう一つ気付かされる事があった。
その肩の向こうには、いつも必ず蒼汰がいることを。
長居しすぎたと、思った。
この場にそぐわない正装の、シャツの袖をまくり上げながら、足早に車に戻る。
そして、ラグジュアリーなシートに体を委ね、アクセルを踏み込んだ。
予定より遅くはなったが、今日は蒼汰も来ると聞いていたし、会議室ではない『RUDE BAR』で飲むことにした。
「よぉ、零! 今日は……あ、そうか。母ちゃんに会ってきたか」
「………」
「おい蒼汰、一発目にそんなこと言うから……見てみろよ零の顔。引きつってるじゃないか」
そう言う波瑠も笑っている。
「やめてくださいよ」
「はは、すまんすまん」
零はカウンターにどっかと座った。
連日のロングドライブに加え、昨夜の深酒は、さすがに零の身体に疲労をもたらしてくる。
蒼汰が零の、着くずしたドレスシャツを見て言った。
「母ちゃんに会うのに正装か、なんか大変だな」
「母親だけじゃないぞ、『想命館』でお前も会った親族オールキャストと弁護士2人だ」
「うわ……それはまた、大変そうだな……。お疲れさん、零、飲めよ!」
そう言って蒼汰は零の肩をポンポンと叩いた。
「兄貴も、一緒だったんだ」
蒼汰の顔がパッと明るくなった。
「え! 駿さんも! 会いたかったな」
「そりゃ相思相愛だな。あっちもお前のこと気にかけてたよ」
「そうなんだ! 駿さんとは? なに話したんだ?」
「そうだな……事件の事じゃなく、日頃の愚痴とか?」
「おーおー、フランクに話せたんだな!」
零は自分の寝ているベッドのとなりから駿が、起き上がってきた時の衝動を思い出して、吹き出しそうになった。
同時にオンナ口調で悪ふざけする駿の笑顔も……
「そうだな、兄貴とあそこまでコアな話をしたのは初めてだったよ」
「そうか! 良かったな」
それからしばらくは、話しても支障のない範囲で、昨日今日の駿とのやり取りを話した。
終始楽しそうに聞いていた蒼汰がトイレに立ったタイミングで、波瑠が零に目配せをして、ちらりと蒼汰の後ろ姿にアゴを向けた。
「アイツ、さっきまで仏頂面だったんだぜ」
「え? なんでまた?」
「絵梨香ちゃん、蒼汰にはここに後から来るって言ってたらしいんだけど、まだ連絡がないからさ」
2人で首をすくめる。
少し罪悪感にかられる。
相澤絵梨香は知り合いと食事に行くと由夏さんに聞いているが、自分が知っているのはどう考えても不自然なので、蒼汰には言ってやれない。
相手は家が近く、食事の後も一緒に帰るそうだが、そんな知り合いが居たのか……
一体、誰のことだろう?
第64話 『A Moment Of Peace』ー終ー
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