第63話 『Heart Is Always Beside You』

ピピピピ……

耳につく無機質な電子音が頭の中に響く。


「ん……」


思わず顔を背けるほど、明るい中で目が覚めた。

カーテンを閉めないまま、眠ってしまったのだと気付く。


思いきり腕を伸ばして、アラームを止めながら思った。


いつ、これをセットした?

というより、ここの部屋は……


少し頭を上げて床の方に目をやると、自分の荷物が持ってきたままの状態で、木製のバッゲージラックの上に置かれていた。


そうだ。

チェックインはしたが、部屋に上がらずに荷物を預けて兄と……


ん? 兄……


そうだ。

昨夜は兄と久しぶりに飲んだ。

この部屋の記憶はあまり鮮明ではないが、兄と サシでコアなトークをしたことで、心の中は随分スッキリしている。


しかし……さすがに日本酒からのスタートがもたらす、頭の奥に石が詰まったような感覚と瞼の重さは……

そこに関しては、なかなかグロッキーな朝だ。


深呼吸しながら体を伸ばした。

すると何か固いものに当たった。


「痛てっ!……ん……」


「は?」


「ん……あ零、おはよ……」


「うわっ! 何で居るんだ?  俺の部屋だろ」


駿は頭に手をやりながら、ゆっくり半身を起こした。


「あれ……何でいるんだろう?」

体を伸ばしながら、周りを見回す。


「おい、しっかりしてくれよ、警視殿!」


「あ……確か……そうだ。零、お前さ! ここまでオレを連れてきたのはいいけどさ、ベッドに着いた途端に倒れこんで、先に寝ちまってさ……オレもだいぶんキテたけど、とりあえずアラームかけたんだよ。いつもの習慣でね。仕事人間の鏡だろ?」


「いや、それはいいけど……どうしてここにいるんだよ」


「ああ多分、お前の寝顔見たまま寝落ちしたんだろうな」


零はため息をつきながら、重い頭を抱えた。


「だからって、兄弟で一緒のベッドに寝るとか……小学生か」


「母さんが見たら、微笑ましく思うかな?」


「は? そんなこと、言えるわけないだろ!」


「だな? ドン引きした顔が目に浮かぶわ」


「しかし、零は無防備だなぁ。可愛い顔して寝てたぞ。相手がオレだからいいけど、こういうこと、よくあるのか? 起きたら隣にオンナがいるとか?」  

 

「あるわけないだろ! そっちこそ、どうなんだ」


「おいおい、オレにそんなことがあったら、マジでヤバいだろうよ!」


「まあ……そうだろうな」


「お前、わかってないだろ! いや、マジで最近はマスコミがうろうろしててさ。休まる暇ないんだぞ! それこそ昨日のバーで喋ってるような内容は、都内では絶対口にできないんだから、分かるか! そういう緊迫した中にいるんだぞオレは!」


「分かったよ、兄さんが、つまんねぇこと言い出したんだろ、あ……頭に響く……」


「そうだっけ? まあいい、本当にわかってくれてるなら、オレを癒してくれよ。なぁ弟よ !」


「はいはい」


「ったく、つれないね」


うなだれる零を尻目に、駿は立ちあがった。


「シャワー先使うぞ」

「会合は何時スタートだ?」

「1時間後だ」

「……そうか」


額を抑える零に、駿が言った。


「ねぇ零、どうする?  時間差で登場でもする?  一緒のベッドで過ごしたアタシ達の関係、バレちゃまずいわよねぇ」

そう女口調を真似て話す駿に、零は辟易とした顔をする。


「やめてくれ! 頭痛がひどくなる」

「もうっ! 零ったら、真面目なんだからぁ!」


そう言って笑いながら颯爽と洗面所に消えていく兄を見つめながら、零は深く溜め息をついた。



2人揃って、整えた身なりで会場へ向かう。

常人離れじょうにんばなれしたその2人の風貌に、すれ違う者は皆振り返り、到着した会場の関係者さえも、彼らを息を呑んで見つめる。

少し早めに着いたからか、まだ全員は揃ってはいなかった。


そこには、西園寺グループの現社長で長男の『西園寺泰蔵』氏と、西園寺グループ顧問弁護士の『瀧本充』氏、 そして絵梨香の祖母の甥に当たる弁護士の『佐久間洋平』氏が緊張感を漂わせながら座っており、各々と面識がある零が、兄を弁護士の2人に紹介した。


ほどなくして、次女『中条楓』『中条正人』夫妻と、泰蔵の妻『西園寺幸子』、そして駿と零の母親で長女の『来栖葵』が来てキャストが揃った。


零は、遺言状の開示を行う前に、それを見つけた経緯を皆に説明した。


ホワイトボードで説明するわけにもいかないので、事前に作成して綴じた書類を各々に配る。


西園寺家の、故人の部屋で見つけた螺鈿らでんノートとその仕掛け、蔵でのタマムシノートとスケッチブックから派生した“アクロスティック”と、16年前のクルージングの話題から『五常の徳』に沿った企業理念、墨書きの半紙、それらから貸金庫に辿り着いたすべての経緯を話した零に、駿も含め、驚嘆きょうたんの声があがった。

そんな中、いよいよ遺言状の開封の時となった。


新たな遺言状の内容は、元々あったものを無効とするわけではなく、追加の項目のみ書き示されており、あくまでも “残された親族の判断に委ねる” という、故人西園寺章蔵の表明だった。


ただ、その封の中に同封されていたものが2点あった。


1つは絹川美保子と一緒に記入したであろう未提出の婚姻届。

役所に出せば処理してもらえる不備の無い状態だった。


そしてもう1つは、墨書きの半紙。

西園寺家の蔵にある螺鈿らでんを施した行李こうりの中にもあった故人自らの墨書きを彷彿とさせるような、年期の入った半紙が一枚。

勢いのある章蔵の筆に、落款らっかん印も押されていた。

大きく真ん中に書かれた、一文字は『礼』という字だった。

先ほど零から西園寺家での謎解きのくだりを一通り聞いたそこにいる全員が、その文字が、西園寺グループの企業理念である、“孔子”と“孟子”の教えにまつわる『五常の徳』から取った『仁義礼智信』の一文字であると気付いた。

そしてその脇には『命名』と書かれていて、それが泰蔵が娘の葵の出産に際して贈るつもりで書いた、孫への命名書だということがわかった。


本来書かれるであろう日付が、そこにないこともあって、いわゆるお蔵入りとなったのだと予想できる。


皆が葵の方を向き、葵は座ったまま説明をした。


「主人の曾祖母の親戚に、姓名判断をする人がいて、その人から漢字を変えるように言われました。本来はお父様が、先ほど次男から説明があったように『五常の徳』から取った『礼』にするつもりで産前から決めていたものを、来栖家の要請で今の『ゼロ』という漢字に変えて出生届を出しました」


ずっと黙って聞いていた駿が、母に尋ねた。


「その意図は何だったのか、来栖家からは聞いていますか?」


葵は息子たちの方は向かず、少しうつむき加減で話した。


「神にこうべを垂れて祈る姿から、謙虚な子になるようにと……来栖家からそう言われました」


駿が続ける。

「長男のボクが生まれた時は、西園寺章蔵氏は きっと命名を買って出なかったのでしょうね?」


「ええ……それは。……来栖家の嫡男なので」


「おそらく、次男が嫡男を凌ぐようなことのないように、という思いから字をを変えさせたのでしょう。良い画数だったのでは? よくわかりました。“おいえ事情”も何かと大変だっていうこともね」


そう言ってガタンと投げやりに腰を下ろす。



零は、その命名書が封筒から出てきてからは、一言も口をきいていなかった。


その半紙を見た瞬間だけカッと目を見開いて、驚いたような表情を見せたが、それ以降は ずっと黙って、遺言状に沿った弁護士の話を淡々と聞いていた。


そんな零の様子を、駿も気に留めながら見ている。


今回のこの追加のような遺言状は、この2点の為に作成されたものであるが、発見されない可能性も、十分あっただろう。


“もしも発見されなければ、それはそれで運命として受け入れよう” とでもいうような、章蔵の最後の大博打であるかのようにも感じた。

同時に、複雑な経緯からこれを見つけ出した零に対する章蔵が抱いていたであろう絶対的信頼感が、各々の心に深く印象付けられた。


しかし、そこからの親族会議は一筋縄ではいかなかった。

その2点から繋がる事項は、西園寺家の親族にとって、簡単には受け入れられる内容ではなかった。

今後も会合を重ねる必要があると、両弁護士は言って、一旦お開きとなった。


颯爽と走る、メタリックブルーの『MASERATIマセラティ ghibliギブリ』で、まだ高い陽を感じながら、2人は並んでシートに体を沈めていた。


「零、お前のあの話……面白かった。いや、圧巻だ。よく辿り着いたよな」


駿は、零の手によって明らかになった西園寺家での推理に、いたく感心していた。


「ああ、偶然の要素もあるけどな。最初の螺鈿ノートを見つけたのは蒼汰なんだ」


「江藤蒼汰……?」

「ああ」

「蒼汰か、アイツもカワイイよな! そうか、アイツも推理マニアだったな。今回の件は本当にお前が言うように “謎解き” だったから、盛り上がったろ?」


「ああ。でも “推理ゲーム” じゃないからな」


「いや! 絶対お前は楽しんでやってたはずだ!」


零はハンドルを握りながら、少し笑った。



「最寄り駅まででいいのに」

駿は助手席から言う。


「いいよ。何も桜田門まで送るとは言ってないさ、せめて1本で戻れる沿線までだ」


「サンキュ、助かるよ。悪りぃな、お前もまたこれからロングドライブなのにさ」


「いや、時間もあるし、兄さんともっと話したくてさ」


「可愛いヤツめ!」

駿は零の肩に手を回す。


「おい! 運転中だぞ!」

「あはは、ごめんごめん」


「あ……」

「なに? 兄さん」


「ごめんと言えばさ……なんか昨日は煮詰まっちまったな。ちょっと飲み過ぎた」


「覚えてるのか?」


「覚えてるわ! お前なぁ……オレはまだ耄碌もうろくしてないぞ、ジジイ扱いすんなよ!」


「俺にいつも “若いな” って言うクセに」


駿は、カラカラと笑った。


「別にさ、お前とディープな話がしたかったわけじゃなかったんだけどな。ま、国家を守る警察上部の現状なんて、こんなもんさ。オレも結構、踊らされてるってわけだ。でも、なんだかお前にようやく話せて、楽になったよ。まあそう思ったら結婚だの、好きだの本気だの……そんなオレの個人的問題なんてさ、いかに小さなことかって……わかるだろ? オレの心の中にある想いなんざあ、この組織においては、どれほどちっぽけで価値がないものか……それならさ、どうせなら開き直って、仕事に支障の無い部分においては大いに自分を解放するに尽きるかなって、思ってはいるんだが、どうも"発揮できる場所"がなくてな」


「それで昨夜はそれを存分に俺に対して発揮したって訳か? 今朝もだ! この国の未来を担う警視とは思えない振る舞いの数々だったぞ!」


「お前にくらいは甘えさせてくれよ。唯一、解放できる相手なんだから」

  

零は呆れたように首を振りながら笑った。

そして時折サイドミラーを見ながら話し出す。


「確かに……俺も今は“解放する”っていう意味がわからない。じいさんの事件が起こってからずっとだ。特にここ何日かは、ろくに寝てなかったんだ。でもそれ自体は苦じゃなかったんだ。さっきの謎解きもあって、西園寺家でもいいペースで捜査が進んでいたからな。疲れてる感覚も判らなくなってた。で、昨日、人ん家で目が覚めたら夕方だったんだ。昏睡状態じゃないのかとわめかれたし、体調管理がなってないと怒られたが、心地よかった。ただそういう極限の形でないと、俺はろくに睡眠すら自分でとることもできないのかと、情けなく思ったけどね」


「そうだな、零みたいな完璧主義っていうのは、その分帳尻合わせの為に、どっかに来る “しわ寄せ” が普通のやつよりも大きくなるんだ。気をつけなきゃな。お前も飲み込まれて廃人になるぞ!……っていうか、お前にそんなどっぷり安心させて寝かせてくれるオンナがいるなんて、知らなかったな!」


「え、女じゃない。男だけど?」

「ええっ! まさか……お前って “そっち” だったのか!」

「は? 兄さん何言ってんだ? “そっち”………? 違うよ! あーもう、全然違う!」


零は大きく溜め息をついて、憤然と前を向いている。

駿はコロコロ笑った。


「やったな! 初勝利だ! いいな、お前のうなだれてるシーン見るのって!」


「……ドSだな」


「なんでだよ? 弟を溺愛してる兄を捕まえて言うことか? あ……やべぇ、零のBL想像したわ」


「なんだ? B……?」


「いや、何でもない。オレだけの楽しみにしておくわ」


「……ろくでもない予感がする」

「まあ……当たってるけどな」

「兄さん、勘弁してくれ」


第63話 『Heart Is Always Beside You』

ー終ー

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