第62話 『Have A Heart-To-Heart Conversation』

「お前は楽な道に逃げる方法を知らないんだ。変わってないな」

そう言って、優しく笑った駿は、零の頬を摘まんだまま、指に力をいれてギュッと引っ張った。


「痛ってぇ! 兄貴! 酔ってんのか?」

零は駿の手を振り払う。


「あはは。お前に初っぱなから手首を固められた仕返しだ!」


「なんだそれ! 背後から攻撃されたんだぞ。“小手返し”は基本だろ?」


「お前の大学に、護衛術の講座なんかなかった筈だけどな。ホントは警察学校に通ってたとか?」


「んなわけないだろ」


「……ナンテな。零、時には痛みを感じろよ。感じなかったら、いつの間にか、この世に痛みってもんが無いかのように思えてきちまう。そうなったら心も失うぞ。まずはお前自身が、自分を解放出来るようにならないとな。お前は、自分を見失うなよ」


駿は2杯目のロックグラスに手を伸ばした。


「まあ、そういうオレはいつも見失いかけてるけどな。零、お前はどうなんだ? 自分が解らなくなることってないのか?」


零は平然と答えた。

「当然ある。迷ってばかりだ」


「へぇ。“フィクサー”の苦悩か、聞いてみたいもんだ」


「茶化すなよ。俺の中では“迷い”は必須アイテムさ。むしろ、“迷わない”という事自体に疑問さえ抱くようになって来てる」


「は? なんだそれ?」


「立ち止まるようにしてるってことさ。もし迷わなければ、見落としてスルーしてしまう危険性がある。それなら迷って考える時間を設ける方が、より正確性の精度が増すんだ」


駿はテーブルについている肘を持ち上げて、感慨深げに両腕を組んだ。


「はぁ……やっぱり零は警察向きだな。お前をコントロール出来るバディがいたら……お前ってさ、一見冷静に見えて、暴走するタイプだと思うんだよなぁ。高倉刑事はどうなんだ?」


「ああ、すごくよくしてもらってるよ。意図的かどうかはわからないけど、やんわり接してくれる。欲しい答えは敏速にくれるし、勘のいい人だ。信頼してる」


「そうか、バディとはいかないようだが、上手くお前を操縦してくれているようだな。まぁいい。ただ、お前が単独行動するのは……少し心配だ。お前の頭には誰もついて来れないかもしれないが、その頭は2つも要らない。誰か、良き理解者でお前を上手くコントロールできるヤツなぁ……それなら本来、適任はオレなんじゃねぇか? やっぱりそうだ! ずっと思ってたよ。零がオレの右腕になってくれないかなぁってさ。何度、夢に見たことか……」


零は駿の横顔をまじまじと見た。

「兄さん、冗談だろ?」


「まさか! 本気も本気さ。密かにお前が警察入りするのを期待していたよ。まあ今は捜査の現場でお前の話を聞くようになったから、一見オレの夢が現実味を帯びてきたようにも見えるけど……お前の中では、全くそうは思っていないようだな」


駿はのけぞって、伸びをするようにソファーの背にもたれた。


「あーあ、お前がいつも、オレのそばにいてくれたらなぁ」


零はまた、兄を仰いだ。

「どうしたんだ? 兄さん。さっきから」 


「別に。酔っ払ってブラザーコンプレックスが 加速しただけさ。まさか“迷惑”とか言わないよなぁ?」


「別に、迷惑ってことはないけど」


「よかった! 思春期の中学生みたいに、もしも反抗されたりでもしたら、オレ、泣いちゃうからな!」


「は? 何言ってんだよ。いつもは堂々と人の前に立ってる、小洒落た“警視殿”が」


駿はうつむき加減で息をつくと、突然笑いだした。


「……兄さん?」


「あはは、それだよ、それ! いつもは堂々と人前に立って、仕事における采配はするが、常にパブリックを意識した発言ばかりさ。それはもはや、オレじゃない。“国が用意した言葉の代弁” ってところだな。なぁ零、もしも、オレがちょっとしたつまらない思想論でも口走ってしまおうもんなら、どうなると思う? すぐに揚げ足を取られるんだぞ。相手はマスコミか世論か、はたまた警察内部か……。そうなれば一気に足元をすくわれて、立場も、何もかも、失っちまうんだ。オレだけじゃない、警視総監の足も引っ張ることになる。冗談は言えても本音は悟られるわけにはいかないんだ。ましてや心の内なんて、誰にも打ち明けられないさ。こう見えて孤独な指揮官なんだぜ」


零は『想命館』の会議室から足早に退出する駿の姿を思い出していた。

あの時は、部下への配慮としての警視らしい行動に、単に感心しただけだったが、兄にはあらゆる抗争の中の色々な経験と思いがあったからこそ、その領域に達したのだろうなと思えた。


「側近は? いるんだろう?」

「ああ、いるにはいるが、どこまで信用していいか、わからない。もちろん業務上、信頼出来る人間はいるさ。ただ、彼等にとっての“上司”が、オレである必要があるかってことだよ。今は警視総監とその息子っていう二本柱で、“警察組織における広告塔”みたいに祭り上げられてる形だ。一見強みにも見て取れるが、諸刃の剣だ。もしもオレがなんかやらかして、撤退することにでもなったら、それは“ポストが2つ空く”ってことを意味する。業界的革命が起きるんだ。起こしたいヤツはいくらでも居るだろう。そこに形の無い“義理人情”が成立するとは、思えないだろ? 誰が相手でも慎重を期すしかないんだよ」

 

その自嘲的な笑みの奥に寂しげな眼差しがあった。

きっと裏切られた経験もあるのだろう。

孤独と戦う兄の瞳の奥に、もって行き場の無いやるせなさを感じた。


「兄さんにとってのバディは? 今は居ないって言ってたけど……かつて居たその相手は? どこに行ったんだ?」  


駿は更に遠い目をした。

「今は、あの世だよ」


「え?」


「殉職したんだ。同じ事件を追ってた。親友でもあり、いいライバルだった」


「そんなこと、聞いてない……」


「ああ、言えなかった。零が……一番大変だった“あの時期”だったからな」


「……そうだったのか。じゃあ、今なら聞かせてくれるのか」


駿はまた新しいグラスの氷を鳴らした。


「オレたちは階級こそ違ったが、同じ信念をもったバディだった。"マル暴組織犯罪対策部"にいたわけでもないのに、ひょんなことから情報を入手したんだ。若くて血の気の多かったオレたちは、手柄をあげたくて麻薬抗争の現場に潜入した。それまでは何でもうまくいってたから、オレたちには“おごり”があったんだな。撃ち合いになっても、弾なんて当たるわけないと思ってた。まだ誰も弾に当たって死んだ人間を見たことがなかったからな。でも現実は厳しかったよ。ヤツが倒れたのを見ても、冗談かと思った。まるでドラマのシリアスな場面を見てる“茶番”にすら見えた。もういいから、演じるのはその辺にしろ! って言いたくなるような、笑いがこみ上げてくるような。そんな感じでヤツを起こしたら手にべっとり血が着いたよ。なんだこれは? って思った。マジだった。今考えれば至極あたりまえのことさ。でもオレは最後までそれが分からなくて、でも死が近づいたアイツは、それが本当の終わりだって事に、気が付いたんだろうな。オレに言ったんだよ、“お前は警察のトップになって この国を守り、この国を変えろ” ってさ。何言ってんだ? って思った。それこそドラマのセリフかよ、なりきってんじゃねぇ、ふざけんな! 面白くねえよ! って。だけど奴は、虚ろな目をしながら、最後オレに笑いかけた。“お前といて楽しかった、ありがとう” だってさ。そう言って、その顔から表情をなくしたんだ。後は何を言っても、何を叫んでも、もう答えてはくれなかった」


駿は目をつぶって苦悩に顔を歪めた。

息を整えてから、また話し始める。


「勝手な行動をしたうえに、殉職者が出た。上司に当たるオレは、当然責任を取らされて、警察をクビになるはずだった。だが、今もこうして残ってる。なぜだか分かるだろう。親父の力だよ。感謝なんかしてない。オレは本当は心神喪失で、職務に戻る資格すらなかった。でも親父はそれを全て揉み消した。オレは親父に反論したよ。オレにそんな資格はないって、何度もそう言った。でも親父はオレの親友を人質に取ったんだ。もう死んじまってる親友だけどな。ヤツは親父の采配で、名誉の死を遂げたシナリオを渡された。ヤツの家族にも十分な保障と階級を与えて、盛大な警察葬を行なった。その時からさ、オレは親父の飼い犬になったんだ。やれと言われることは何でもやった。すごいよな、その通りにやれば最年少警視になれた。この調子で末は警察トップ、このままオレを使えば来栖家は安泰だ。もはやあの人に抵抗する気力もないよ。笑うだろう? エリート風情と言われて、颯爽と歩いていても、中身はこんなだ。なぁ零、幻滅したか?」


「兄さん……」


「お前にまで嫌われたらオレ、どうやって生きて行こうかなって、思うよ」


「なに言ってんだ。兄さん、正直さ、今初めて俺達が似た者兄弟だったんだなって、思ったよ」


「どういうことだ?」


「俺の中で兄さんは、崇高で向上心が高くて、後ろ暗いことが嫌いで……そう思ってきたからさ、見てるのが眩しかった。目を背けたくなるぐらいね。闇のない太陽みたいだった」


「そんな風に思ってたのか? オレも上手に化けてたってことか? 意図的にそうしてたわけじゃなかったんだとしたら、もともと卑屈なオレが、お前の前ではいいカッコしてただけなのかもな」


「今日は太陽の裏側には影もあるんだってことを知った。知れて良かったと思ってる。全面に炎が渦巻いてちゃ、近づけないからな」


「がっかりさせたんじゃないのか? オレはいつも何が正解か分からないまま、とにかくその時々のBESTを模索して、あたかも既知であるかのように演じながら必死で取り繕ってるんだぞ。お前みたいな“先見の明”を持っていればなって、いつも羨ましく思ってるさ」


「買い被りすぎだ。俺だっていつも迷ってるって、話しただろう。兄さんに近づけて嬉しいよ」


「本当に?」

「ああ」

「よかった」


零はショットグラスをあおった。


「兄さん、俺は兄さんにあの家を押し付けてたのか?」


「ん? なんでそう思う?」


「俺にとって兄さんは完璧で、あの家で求められてるものは全て持っていて……兄さんは、まさに来栖家の申し子って感じでさ。あの家で俺が出来ることはないと思ったから、さっさと放棄して出て行って、俺は自分のやりたいことだけやってきたけど……正直、兄さんと父さんの関係性すら、今の今まで想像してみた事も無かったんだ。俺があの家に背を向けたことで、兄さんが何かを背負わされたんだとしたら……」


「零、心配には及ばない。オレ達も若かったし、その割にはその時のBESTを忠実に生きてきたはすだ。色んな事態は後から振り返れば解ることばかりで、渦中のオレ達は十分、最善を尽くしてきたはずさ。零、お前もそう思ってる筈だぞ」


「ああ、確かにそうだな」


「しかし……お前はこれから、どこに行くんだろうな」

「なんだよそれ? ここにいるじゃないか」


「そうじゃなくて。お前の“ここ”だよ」

駿は零の胸を指差した。


「今は解くべき謎があって、事案を解決するという目の前の目標があるが、じゃあそれが終わったら? 解決したら、どうする?」


「それは……わからない」


「また別の案件を探すのか? それがお前にとって一体なんになる? 職業でもないものに使命感を持つその意図は? 正義感? いや、そんなあやふやなもんじゃないだろう、じゃあなんだ……?」


駿がおもむろに視線を上げた。


「まさか、復讐か……」


駿が零の、二の腕をガッと掴んだ。


「零、誰に復讐するんだ! あの時の被疑者はもう死亡したはずだろ!……ひょっとしてお前……もしかして、自分に対しての……」


「……兄さん!」


駿はハッとした顔をして、その手を離して俯いた。


「あ……悪い、やっぱオレ、だいぶ酔ってるわ。オレも歳かな? 年々酒が弱くなってきちまった」


零は静かに切り返した。

「なに言ってんだよ、そんなに年は変わらないだろ?」


「だな……零と酒が飲めて嬉しいからかな、ついつい喋りすぎちまう」

「ほら、兄さん、立って」

零に差し出された腕を取って、駿は立ち上がった。


「部屋に帰ろう」


客室フロアの廊下を、兄弟で肩を組みながらフラフラ歩く。

こんな状況は初めてだ。


兄の方に視線を向けると、その繊細な顔はなんとも無防備で、時折開くその瞳は空を仰ぐかのように、遠くに焦点があった。

零の肩に寄りかかった頬のその口元には、うっすらと安堵の笑みが見られた。

 

第62話 『Have A Heart-To-Heart Conversation』ー終ー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る