第61話 『Conversation Flows Freely』

零は一旦自宅に戻り、赤の『Jaguarジャガー F-PACE』からメタリックブルーの『MASERATIマセラティ ghibliギブリ』に乗り換え、その優雅なシートに身を預けながら、更なるロングドライブと、その行く手にある大きな問題に向けて Switch mindをはかる。


マスコミ回避のために、前日になってからようやく決定した親族会合は、西園寺グループが所有するリゾートホテル内の高級料亭の個室で執り行われることとなった。


午前中の開催となるため、それに伴い、交通事情も考慮して、前夜のうちからそのホテルに宿泊することにした零は、数日後に出向く『想命館』への聞き込み捜査における事前会議を3人に委ねて『RUDE BAR』をあとにした。



思ったよりずっと、長い距離に感じる。

蒼汰や絵梨香のいない1人のドライブが、久しぶりだったからか。

波瑠の家で寝かせてもらったのは正解だったと、そう思った。

もし、あの睡眠不足のままでここへ向かっていたら、無事に辿り着いていないかもしれない。


ようやく着いたホテルの正面玄関に車を付け、ドアマンにキーを預けてエントランスに入った。


ここには以前、来たことがあった。

兄が警察官になって初めての正月、珍しく家族全員で。

今思えば祖父の西園寺章蔵が、自分たち家族を招待してくれたのだとわかる。


多忙の父と旅行に行くことなど、幼い頃でも皆無だった。

そんな父が、家族旅行なんていういきな計らいで、自らブッキングするはずなどない。


広いスイートルームで、テレビ番組を巨大スクリーンで観たときも、皆が他人行儀で、ぎこちなく、淡々と時が過ぎるのを待っていた。

世の中の家族団欒とは一体どんなものなのかと、漠然と思った記憶がある。

年が明けた翌日、隣接しているここのゴルフ場でプレーした際、父が上司となった兄は、妙に緊張したのか、珍しく大幅にスコアを崩したのを覚えている。

それまで何においても完璧だと思い込んでいた兄のそんな姿を見て、少し人間味を感じた瞬間だった。


あれ以来、家族全員で集まったことがあっただろうか?

いや、ないだろう。

今回も、やはり父は不在だ。

母はもう、この上階の部屋で休んでいるだろう。

多忙の兄は……



そう思いながらフロントに向かおうとした時、突然、後ろから羽交い締めにあった。

思わず投げそうになって、その手首を強く掴む。


「痛ってて……おい! 兄ちゃんに向かってナンテ事するんだよ!」

驚いて後ろを振り向く。

手首を大袈裟に振りながら、至近距離で苦笑いするその顔は、紛れもなく兄の来栖駿だった。


「久しぶりだな! 零!」

その屈託のない笑顔に、溜め息をつく。


「そうでもないよ。今回のインターバルはたった数週間だ。珍しくね」

「全く、クールな弟だなぁ。兄ちゃんに会えて嬉しくないか?」


いつもの調子の兄だが、今日はいつも以上に安堵感を覚える。

やっぱり俺は、かなり疲れているらしい。


「ほら、この荷物もフロントに預けてさ、このまま行こうぜ! メシ食った?」

「いや、ずっと運転で。疲れた」

「じゃあさ、メシ食いながら酒飲もうぜ! 前回会った時は、飲めなかったしさ」

「ホント、不謹慎な兄だな」

「何言ってるんだ! 捜査してくれてる弟をねぎらってるんだぞ」

「自分が飲みたいだけだろ?」

駿はへへっと笑った。


「まぁな。なかなかさ、リラックスした状態で酒も飲めないんだから。特に最近はマスコミに付け狙われてるだろ? ちょっとでも騒いだりして飲んでみろよ? どんな叩かれ方するかわかんねえんだぞ! その点、ここはいいな。わざわざ片田舎まで来た甲斐があるってもんだ」


駿は、零の肩に腕をかけてエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。


「なぁ零、覚えてるか? ここに家族で来た時のこと」

「ああ覚えてるよ。兄貴がやたらゴルフが下手くそで……意外だなぁと思った」

「お前……つまんねーこと覚えてるな! あれからオレは『修行』して、今やシングルプレーヤーだぜ! プロ並みだ」

「は?『修行』だって? 接待が多いだけだろ? それも仕事のうちってやつか?」

「口が減らないな! カワイイ奴め」

零はガクンと肩を落とした。

この兄には……太刀打ちできない。


「この店も覚えてるだろう?」

全面のガラス貼りを背にシェフが目の前で手際良くパフォーマンスを見せながら、和牛を味わわせてくれる鉄板焼きの店だった。


鉄板を前にしたカウンターに2人で座る。

昼間にここに座れば、木々の色が移りゆく季節を教えてくれるに違いないが、今は外を眺めるも、片田舎に夜景は皆無だった。

月だけがやたら大きく見える。


それでも、肉の質は良く、合わせるワインも素晴らしく、2人は食事を堪能した。


「兄さん」

零は兄の真正面に向き直した。

「どういう心づもりで来たか、聞いていいか?」

「なんだよ、改まって。父さんの代理っていう名目だが……まぁ、実際のところ、お前に会いに来た」

零は溜め息をついた。

「……言うと思った」


「だってさ、西園寺家の事って、正直オレら、そんな関係なくねぇか? いや、もちろん見届けなきゃならない立場なのは分かるけどさ、むしろ、泰蔵伯父さんに気を遣われて招待されてるだけなんじゃないのか? まあ、西園寺家としては一応、来栖家をないがしろにはできないし、まぁどっちも大きい組織だから、タテマエもそれなりに必要なんだろうけど」


零はまた、溜め息をついた。

「日本の国を背負う警視が、そんな軽い発想でいいのか?」


駿はイヤな顔をする。

「また……お前も普通なこと言うなよ。なんでもかんでも背負ってたら、逆にこの国はうまくいかないんだぞ。忖度そんたくも程度次第ってことだよ」


「いつから政治家になったんだ?」

「オレ、政治家の方が向いてるだろ? 零は絶対、警察の人間になる方がいいと思うけどな」

「まだ言ってるのか」

「それとも他の何かで、将来考えたりしてるとか?」

「してないから、こうやってフラフラ来れるんだろう」


出された升酒ますざけをしばし堪能する。

駿が静かに言った。

「零、犯人については、まだ決定打に欠ける状況か」

「報告、行ってるだろ? 警視殿」

「お前のことだから、何の手掛かりも無いなんて事はないんだろうなと、思ってさ」

「正直、証拠も何も見当たらない」

「零がそんな弱気な発言するなんてな。やっぱりじいさんが身内だから気が高ぶってるのか?」

「いや、ストーリーが見当たらないケースだ」

「へぇ。なら、どこから切り崩してるんだ?」

「今のところ、勘だけで探っている。実行犯該当者がほんのり浮上しても、教唆犯きょうさはんとの接点や協力関係の動機も見えてこない」

駿は少し驚いた顔をした。


「おい零、上がってきている捜査報告とはかけ離れてるぞ! お前の頭の中はどうなってるんだ?」

「さあな」

零は升の角を持って、一気にあおった。


「ひょっとして……西園寺家の今後のディレクションに影響するような事案を掴んでるのか? そもそも、今回お前の推理で、貸金庫に預けた本物の遺言状の存在が明らかになったんだろ?」

「ああ、相当な謎解きゴッコだった。おかげで童心に帰ったよ」

駿が持ち上げていた箸を止める。


「お前がそんな皮肉言うなんてな。一体、西園寺家で何があったんだ?」

置いた升をカウンターの奥にゆっくりと押して、零は言った。


「それは明日、親族会合で話す。たっぷり時間をかけてな。そのために俺は来たんだから」

「お前も……大変だな」

駿が真顔になって、そう言った。


「どうする気だ?」

「何も考えてないよ。今、何か思いついても、それが明日も同じ気持ちかどうかは、判らないしね」


「いつからオレの弟は、そんな “さすらいの旅人” になったんだ?」

「どう見ても逆に見えるけどね。実際は兄貴は “地に足の着いた警視” だもんな」


2人が同時に溜め息をつく。

「まぁ……明日また考えよう。零、隣のバーに行こうぜ!」


2人はスカイラウンジで、腰が沈み込むようなシングルソファーにそれぞれ座った。

窓に向けて配置されたそのソファーからも月を眺めながら、ガラスに映ったキャンドルが揺れるのを見ている。


うちの店『警視庁』の近くだったら、最高にロマンチックな都会の夜景が見えるのにな。残念だ」

零が呆れたように息を吐いた。

「ロマンチックな都会の夜景を見る相手でもいるのか?」

「おお! 零からオンナの話を聞くのは初めてだぞ! まさか気になるオンナでもできたのか?」

「ないよそんなの。兄貴が適齢期だから聞いてみただけだ」

駿の1杯目のショットグラスが、もう終わりかけている。


「あ? あ……結婚ね」

「うんざりした顔するなんて。何か身に覚えでも?」

「ああ、ちょくちょく圧力かけられてるんだ。見合いの話も一つや二つじゃない」

「そうなのか?」

「家の嫡男っていうのはさ、どこでもそうなのかもしれないけど、思い通りにはいかない。本当はオレじゃなくてもいいんだよ。たまたまオレが来栖家の嫡男だってだけだ。それだけで、オレには人生を選ぶ権利はないのか、ってね」


「聞いていいか? 兄貴は本当に警察官になりたかったのか?」

駿は意外な顔をする。


「どうして? 親の気を引いてなりたいって言ったように見えたか?」

「いや、見えなかった。だけどそれって、ずっと持続してたのか? 急に何か他のことをやりたいって思ったことはないのか?」


「難しい質問だな。ああ、むしろ逆か! 敷かれたレールの上を自分が歩くんじゃなくて、自分が歩いた下にたまたま同じレールがあった……そうしたかったのかもしれない」

「兄貴……」


「そうは言ってもさ、苦悩でも何でもなかったよ。元々そういう気質だったと思うし、親に何かを強いられたり曲げられたりしたわけでもない。ただそのレールに乗った時点で、その動力が、オレが自力で走っているものなのか、元々そいつにひっついた強力なエンジンなのか……正直、今でも分からない」


「それは不満には繋がらないのか?」

「それはまた難しい質問だな。お前ならどうだ? オレの立場で、不満に思うか?」

零はテーブルに組んだ腕を置いた。


「確かに難しいな。俺は今は、ある意味環境には恵まれてるんだ。やりたいようにやらしてもらっているし、思いついたら思いついた順番で捜査している。欲しい材料も言えば貰えるし、おまけに責任がないからな。その点だけは兄さんとは違うけど、兄さんもそうじゃないのか? 不自由だと感じることがあるのか?」


「あ……仕事に関しては、ある意味オレも丸くなったからさ、流されながらやる部分も出てきたな。躍起やっきになって自分が先頭に立って……っていうよりは、上司として部下を信用して、部下を上手く使うすべを手に入れたしね。自分自身が動くという意味での、自由、不自由という話になれば、確実に不自由だが、そこに重きを置いていない。ただそれよりも考えるのは、自分自身のことだな」

「自分自身のこと?」


「ああ。アイデンティティをしっかり持って、それに従い行動しているか? そう自分に問いかけるとすれば、最近は少し自信はないな。むしろ零、お前にはその活力をすごく感じる」


零は少し驚いたように駿を見つめた。

「俺が?」


「ああ。だからお前は “フィクサー” なんて言われても、腐りもせずいきどおりもせず、まして増長もせず……いつもポーカーフェイスのまま捜査に突き進めるんだろう? ある意味、うらやましいな。お前は強い。前も言ったかな?」


「ああ。誉められた気はしないけどね」


「ただ、勘違いするな、オレはお前に強くいて欲しいと思ってるわけじゃないし、みんなが思うようなイメージ通りのお前を、お前自身が演出したりするようなことはして欲しくないんだ。お前は不器用だから、自分を解放する方法知らないからな。違うか?」


零は兄の顔をじっと見た。

「どうした? そんな顔して」

駿がショットグラスと共に天を仰ぐ。


「いや。兄貴はやっぱり……兄貴なんだな。かなわない……」

駿はカンと音を立ててグラスを置くと、長い指を伸ばして零の頬をギュッと摘まんだ。


「お前は昔から、そんなヤツさ。楽な道に逃げる方法を知らないんだ。変わってないな」

そう言って、優しく笑った。


第61話 『Conversation Flows Freely』

             ー終ー

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