第59話 『To The Next Stage』

「零! 零! 起きろ!」

身体を揺さぶられ、ハッと我に返るように目が覚めた。

視界いっぱいの顔……

波瑠が心配そうな面持ちで、こちらを覗いていた。


「……あ、おはようございます……」

「……………」

波瑠は額に手をやって、座り込んだ。

「……波瑠さん?」


「零……」

「はい」

波瑠は零の両腕を掴んで、強く揺さぶる。

「死んでるのかと思ったぞ! いや、息はしてるから昏睡状態か……今何時だと思ってるんだ!」

「え……」


時計の針を見た。

「11時20分では……ないんですね」

「そうだ、針が逆だろ!」

「16時前ですか……」

「お前は成長期の中学生か! それ以上伸びてどうする! 2m超えるぞ!」

零が少し笑って、身体を起こす。


グーンと伸びをして、顔をしかめた。

「そりゃ痛いだろ、微動だにせず寝てたんだ!」

「ご心配かけてすみません。それは謝りますんで、ちょっとクールダウンしてください、寝起きの頭なので」

「……そうだな、お前が悪いわけじゃないからな。とにかく、心配した!」

「すみません」

まだ少しぼんやりした目元で、辺りを見回す。

「16時か……あ、高倉さん……」

零はスマホを探し始めた。


「心配無用だ。俺の方にかかってきたよ。電話番号は前に聴取の時に教えてたからな。お前に何度電話しても繋がらないんでかけてきたみたいだ。爆睡してるって伝えたら、笑いながらゆっくり休ましてやってくれってさ」

「そうですか……すみません。蒼汰は?」

「そっちも連絡が来た。今日は早めに終わるから、絵梨香ちゃんと待ち合わせをして 晩飯を食ってから2人で一緒に来るってさ」

「あ……すみません」

「いいよもう。たっぷり眠られたんだ、良かった」

波瑠はそう言って背中を向けた。

「支度しろよ。何も食ってないんだから、飯食いに行こう」


スマホの履歴を見た。

高倉さんからはメッセージも着信も数回入っていた。

「心配症だな……」

蒼汰からも……

「こっちもだな」


西園寺グループ顧問弁護士の瀧本充からの着信もあった。

「ようやく決まったか……」


そしてもう一件は、由夏。

"定時に退社予定。蒼汰と待ち合わせて食事に行ってから『RUDE BAR』へ向かうとのこと"

こちらの "Daily Report"も余念がない。


「Anything you say.」

服に袖を通しながら、ひとり、そう呟いた。


2人連れ立って、川沿いの道を南下していく。

まだ明るい夕方の空には秋の気配はなかったが、ツクツクボウシの鳴き声が日差しの温度を少し下げる。


「日中にこうしてお前と一緒に歩くのなんて、ここしばらくなかったよな?」

「そうですね」

波瑠は少し離れて、まじまじと零を見た。

「しかし、お前……」

「なんですか」

「……そのシャツ……もう返さなくていいから。お前にやるよ」

「え、でも」

「ああ、高級ブランドだ。でもなぁ、確実にお前の方が似合ってる。その服もお前に着られた方が幸せだろうよ! しかし……なんだ、そのスタイルは? それでか! レイラがやたら誉めてたのは」

「……すみません」

「謝んなよ! 全く、こんな時間まですやすやと……ランチもディナーもやってないんだぞ!」


波瑠は『RUDE BAR』の隣にあるイタリアンレストランに予め連絡をして、無理を言って開けてもらった。


外に電話をしに行った零が帰ってきて席に着くと、波瑠は白ワインのグラスを高らかに掲げて言った。

「今日も車で帰るから酒も飲めないよな、散々だな、零」

零は水のグラスに口をつける。

「いえ、どちらにしても捜査会議なんで飲むつもりはありませんでしたが……実は、今夜のうちに、また遠出することになりました」

「どういうことだ?」

「実は明日、西園寺家の親族会議で、親戚と弁護士が集まるんです。マスコミに動向を探られるのを懸念してギリギリまで場所も決めないで慎重に準備を進めていたんですが、今決定したというので場所を聞いたら、郊外の西園寺グループの所有するリゾートホテルになったと」

「わざわざ遠方に?」

「ええ、特に来栖家側には、ここのところマスコミが付きまとってるようで。ひょっとしたら俺も既にサーチされてるかもしれないんですけどね」

「なんかまた……大変だな」

「そこは朝から行くには渋滞も懸念されるし、うちの母姉妹はもう入っているそうなので。夜のうちに前乗りで行こうという話になりました」

「そうか……またロングドライブか。大丈夫かよ。でも、まぁ……」

波瑠はじっと零の顔を見た。

「どうかしましたか?」

「さすがに、すっきりした顔をしてるなと思ってな。昨日はひどい顔だったからさ」

「おかげさまで」

「ずっと寝てなかったろ? まあ、元気になってくれたらそれでいい。とにかく無理すんなよ、とはいえ今夜中に行って泊まって、また明日車で帰ってくるんだろう? 充分ハードだな。全然家に帰れないじゃないか」

「今日は蒼汰から鍵が戻ってくるんで、一旦家で支度をしてから出かけます。出来れば明日は、そのまま車でここに来て、また駐車場に停めさせてもらいたいんですが……」

「ああ、もちろん構わないさ」

「久しぶりに、ちゃんと酒飲みたいなって思って」

「そう思えるって事は、少し体が健康になったってことだよ。いいよ、何ならまたうちに泊まってもいいし」

「ありがとうございます」


「波瑠さん……あと」

「ん? なんだ?」

「昨日の事ですが……」

「あ……過呼吸のことか。言わないよ。それでいいのか?」

「はい」


波瑠は残り少ないワインを飲み干した。

「零」

「はい」

「絶対に一人で抱え込むな。直接的な戦力にはなれなくても、お前のことを必ず理解するから。何でもとは言わないが、話せることは、ちゃんと話してくれよ」

「波瑠さん、ありがとうございます」

「礼はいいから、お前は元気でいろ。ほら、しっかり食え!」

「はい」


傾いたオレンジ色の眩しい夕陽を浴びながら、『RUDE BAR』の看板を立て、そこに小さなライトをかざす。

ゆっくりと扉を開けた向こうには、いつもとは違って無音の暗い空間が広がっていた。

暑く圧迫感のある闇に足を踏み入れるのは、ほんの少し恐怖感がある。

それも束の間、照明がいて階段を下り、音楽とエアコンを着ければいつもの雰囲気に変身する。


“スイッチ”がこの店を変えるように、人間にも“スイッチ”がある。

きっと自分はその切り替えが下手なんだと思った。


「どうした? また何か考え事か?」

「……いえ、今から高倉さんが来るので、頭を切り替えておこうかと」

「お前は本当に仕事熱心だな。とにかく今日もまたロングドライブなんだから、早目に切り上げろよ」


ほどなく、ドアチャイムが鳴った。

「噂をすれば影、だな。高倉刑事、いらっしゃい!」

高倉は手を上げながらにこやかに階段を下りてきた。

「よお! 零くん。復活したか」

零が苦笑いしながら頭を下げる。


「伊波さん、さっきはいきなり電話かけてすみませんでした」

「いえいえ、本当にコイツ、死んだように寝てたんで。焦りましたよ」

「ははは、やっぱり不死身に見える零くんでも、疲れるんだね?」

「まぁ……一応、“人間”なので」

2人は顔を見合わせて笑った。


「会議室は昨日のままにしてあるんで、よかったらすぐにどうぞ」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて。零くん、始めようか」


「今日、江藤くんと相澤さんは?」

「あと1時間で来ると思います」

「じゃあそれまでに、出来る話をしておこうか」

「と言いうと?」

「明日、君の親族の集まりだろ?」

「はい、午前中です」

「明日は来栖警視も?」

「ええ、兄も来ると思います。父の代理も兼ねてですが」

「警視総監……いや父上は今国内には居るのか?」

「はい。ただ、抜けられないとのことで……」

「まあ、そうだろうね。一応、警察本部からは、聴取の提示を言いわたされてるんだ。泰蔵氏は君が作成したものを提出するとして、君のお母さんとその妹の中条楓さんについては、ついでと言ってはなんだが、君の方で明日にでも作成してもらうっていうのはどうだろう? 何度も警察にご足労いただくのもなんだしね。もしくはうち警察から捜査員を出すことも出来るが……」

「警察側が僕を信頼してくださるのでしたら、僕の方で作成します」

「助かるよ。すまないね、親族の重要な会議なのに」

「いえ、発端がこの事件だということもありますし、今まで放置してきた西園寺家自体の問題も、この際、片付ける必要がありますしね」

そう言って、零はすぐに電話をしに地上へ向かった。


パーテーションから出てきた高倉は、束の間カウンターに座って、仕込み中の波瑠に話しかける。

「零くん、今日はちょっと雰囲気が違いますね」

「ああ、アイツが着てるの、僕の服なんですよ。悔しいぐらい似合ってるから、もうお前にやるよ!って言っちゃいましたよ」

「ははは、本当にモデルみたいですもんね。スタイルといい、ルックスといい」

「知らないですか? モデルもやったんですよ!」

「え? 初耳ですね!」

「しかも、女優のレイラと一緒の舞台で」

「ええっ! そんなことが!」

ドアチャイムが鳴って、2人はドアの方をを見上げる。

外から差す眩しい光が、そこに立つ零をかたどった。

「ほぉ……なるほど……!」


階段を降りながら、零は2人の顔を交互に見る。

「……早いね」

「まぁ、業務報告だけなので。それより、どうしたんですか?」

「いや……何でもない。あ、お母さんの了承は得られたかい?」

「はい」

「そっか、じゃあ続きを始めよう」

高倉は零を奥に促しながら、波瑠と目配せをした。

「その話はまたゆっくりと……」

波瑠は零に聞こえないくらいの小さな声で高倉に囁いた。



「司法解剖の結果なんだが」

「もう上がってきたんですか?」

「ああ、ある程度はね。なかなか連携が悪くていっぺんには来ないんだが、今わかってることを説明するよ」

高倉は綴じられた資料を零に渡した。


「まず、呼吸機能障害や、何らかの無呼吸になる物的要因となるもの、例えば気道の異物等は確認できなかった」


「はい。そちらの調書にも記載しましたが、西園寺家で面談した主治医からも、呼吸停止に直接繋がるような持病はなかったと聞いています」


「そうか。血液検査の結果なんだが、やはり大量の睡眠薬が検出されたよ。睡眠薬による昏睡状態の中の殺人と言えるだろう」

「やはりそうですか」

「ああ。君が聞いた主治医の話だと……本来は1日に11/2錠から1錠と指定されているはずなんだよな? この睡眠導入剤のPTP包装シートの処方は3週間に一度のペースで一診療につき1シートまで……か。実際控え室にあったのは、机上に4シート、カバンに6シートの100錠分、そのうち取り出されているの23錠だ」


「主治医の話を聞く限りでは、そこまで大量に手に入れるのは難しいように思います」


「君の方でも、章蔵氏が以前、薬の過剰投与で救急車で運ばれた話があったようだな。確かに記録が残っていたよ。介護士でもある花嫁の絹川美保子は、その事実を踏まえてだろうが、“本人が朝から緊張を訴えていた点”と、“少し痴呆が進んでいるの点”を挙げて、薬の管理をしている自分の目を盗んで、章蔵本人が以前から取り貯めていた睡眠導入剤を、精神安定剤と間違えて大量に持ってきたのではないか、と証言してる」


「主治医の話では、確かに睡眠導入剤とは別に精神安定剤も処方されてはいますが、やはり1度に出す量は同じくらいですね」


「今、さらに詳しい成分濃度の分析と、胃の内容物の解析の結果を待っている」

「わかりました」


「すみません高倉さん、俺がこんな時間まで寝てたのが悪いんですが……」

「ん? どうした?」

「実は、明日の親族会議に向けて、今夜中に動くことになりました」

「ということは?」

「もう少ししたら、出発することになります」

「遠方なんだね」

「はい。マスコミに嗅ぎ付かれないように ギリギリまで場所も決めずにいたんですが、安全を期して郊外になりました」

「わかった。それなら、江藤くんと相澤さんには、今から『想命館』のスタッフの調書を見せて、把握してもらっておくよ」

「そうしていただけると助かります」

「いや、本当に君も忙しいね。またロングドライブなんだろうけど、大丈夫か?」

「ええ、波瑠さんの所で充電したので」

「それは良かった。気を付けてな」 

「はい。何かあれば、いつでも連絡してください」

「分かった。明日は俺はここには来られないんだが……」

「はい、承知しています。俺は明日の夜にはここに戻って来るんで、蒼汰と相澤には、『想命館』でどのような動きをするのかを、具体的に詰めておきます」

「よし! 今日明日はそれで進めていこう」


その時、パーテーションの向こう側が賑やかになった。

零と高倉は目配せをして、パーテーションを開け放った。


第59話 『To The Next Stage』

             ー終ー

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