第55話 『Casablanca Residence』

零の運転する『JAGUAR F-Pace』は、国道から桜川沿いの道へ北上し『カサブランカレジデンス』の前に停車した。


今度は零も一旦、車から降りた。

蒼汰も絵梨香の荷物を下ろしてやる。

由夏と絵梨香は、零の前に立った。


「ありがとう。この2日は……」

そこで絵梨香の言葉が途切れた。

隣で絵梨香の肩に手を置いていた由夏が、驚いて絵梨香の顔を覗き込む。

「ちょっと絵梨香、どうしたの?」

「ううん。……とにかく西園寺家に行けて、よかったと思ってる。連れて行ってくれて本当にありがとう」

絵梨香を見下ろしていた零が、少し視線を反らして言った。

「ああ。それより、ゆっくり休め」

 

荷物を降ろし終えた蒼汰が、キャリアカートを手渡しながら言った。

「そうだよ絵梨香、昼間あんなことがあったんだから。きっと疲れてるはずだよ」

由夏が怪訝な顔をする。

「なに、“あんなこと”って? なにがあったの?」

由夏は不安な表情で、パッと零の顔を見た。

それを不自然に眺めながら、蒼汰が言った。

「絵梨香が過呼吸を起こしてさ」

「え! どうして!」

由夏に肩を掴まれ、戸惑いながら絵梨香は答えた。

「私も……分からないんだけど、なんか……」

零が冷静な口調で言った。

「おそらく、ここ数週間あった色々なことが処理しきれないまま、彼女の中にあるんだと思います。あそこの屋敷では小さい頃の思い出やじいさんとの思い出もあるので、事件のことと相まってパニックを起こしたんじゃないかと」

「絵梨香、そんなことが……」

「すみません、僕が……」

「いいのよ零くん」

由夏は零の言葉を遮った。

「それよりこの子、またこれからもそんな症状が出たりすることはあるの?」

「もちろん、ないとは言いきれません。今の段階で危険なことはないとは思いますが、一度心療内科を受診してみてもいいかもしれません」

「そうなの……零くんがそう言うなら、絵梨香、明日でも天海病院に行きましょうよ」

絵梨香は首を振った。

「大丈夫よ由夏ちゃん。それより、西園寺家で見つかった手がかりについて、私も捜査に参加したいの」

「え? 絵梨香が捜査に参加?」

蒼汰が助言する。

「由夏姉ちゃん、想命館でも西園寺家でも、絵梨香はちゃんと役にたってるんだよ」

「確かに、彼女じゃないと出来ないこともありましたし」

「本当? まあ、蒼汰もいるし、零くんまでそう言ってくれるなら、別に私は止めたりはしないけど……」

「ホント?」

「でも、無理はしないこと! パニックなんて起こしたら逆に足手まといになっちゃうんだからね。自分のこともちゃんと管理すること! それはこの前の“黒い紙の事件”も含めて、気を付けるって事よ」

蒼汰が頭を抱えた。

「ああ、そうだった! こっちに帰って来るってことは、また絵梨香はその危険に晒されるってことだ!」

「わかってるよ。ちゃんと、気を付けるってば」


由夏は無意識に零の顔を見ていた。

零は黙って頷く。

その隣にいる蒼汰とパチッと目が合ってしまった由夏は、取り繕うように言った。

「ああ蒼汰、私達は帰るけど、波瑠くんによろしく伝えといて!」

「分かった。じゃあ絵梨香、寝不足なんだろう? よく寝ろよ!」

「うん。じゃあ」


絵梨香はもう一度、零の方を見て“ありがとう”と言った。

その“ありがとう”は、多くの意味を含んでいるような余韻を残した。


背後から車に乗り込もうとしている蒼汰の明るい声が聞こえた。

「零、早く行こうぜ! 高倉さんと波瑠さんに早くお土産渡したいし」

「ああ、そうだな」


由夏が笑いながら言った。

「なんか蒼汰ってさ、零くんの弟みたいだよね? 蒼汰が一生懸命喋ってるのを零くんがたしなめながら、ハイハイって聞いてるイメージなんだけど。違う?」

「まあ確かにそういうところもあるなぁ。でも多分、来栖零は蒼汰のことはすごく信頼しると思う……うまく説明は出来ないけど、メンタル面で頼りにしてるっていうか。とにかく蒼汰といると穏やかで……大切な親友だって思ってるんだなって、なんか伝わってくるの」

「へぇ。絵梨香、なんか……西園寺家でイロイロあったんじゃない?」

由夏が絵梨香の腕を突っつきながら不敵な笑みを浮かべた。

「……どうしてそう……思うのよ!」

「あら? まさかの過剰反応! 別にヘンな意味で言ったわけじゃないわよ。絵梨香、どうしてそんなにテンパってんの?」

「テンパってなんか……ないよ」


部屋の電気を着けながら、由夏が優しい顔をして言った。

「昔と今が、繋がったんでしょう? 違う? さっきのやり取り見ててね、3人に新たな絆ができたように、見えたのよ」

絵梨香は俯き加減で微笑んだ。

「うん、それはあるかもしれない。来栖玲はもちろんだけど、蒼汰のことすら、私が知らなかった所を見られたなって、思った」

「そっか。よかったね、行って」

「うん。本当にそう思う。だけど、それだけでは終われないぐらい色々あったから、これからもおじいちゃんの事件、私しっかり見て行くよ」

「そうね、それがいい。だけどさっきも言ったように、あんまり無理はしないでよ!」

絵梨香は頷いた。


「そうだ由夏ちゃん、さっきの話だけど、私が不調だったってこと、由夏ちゃんに話したとき、どうして来栖玲が謝ったんだろ? 彼には何も関係ないはずでしょ?」

「そう……そうよね? ん……なんだろうね。彼って責任感強すぎるんじゃない? 自分の親戚の家で起こったことだから、なんとなく責任を感じて謝っちゃったとか?」

「でも、そういうノリの人じゃないと思うんだけど……っていうか由夏ちゃん、どうして彼のことをそんなに信用してるの?」

「ああ……」

「やたら“零くんがいれば大丈夫”とか“零くんが言うならそうしよう”とか言ってたじゃない? そんなに親しい間柄じゃないでしょう? ヘンだなぁって、思ったよ」

「そう? 彼がすごい人物だっていうのは波瑠くんからも聞いていたし、静代おばあちゃんからも聞いたし」

「……そうなんだ」

「何よ、腑に落ちない顔して」

「別に……」

「変な顔してないで、久しぶりにゆっくり夜を過ごせるんだから、2人でビールでも飲んじゃうよ!」

「わ、いいね!」

「ノッてくるじゃない? さてはしばらくお酒飲んでないな?」

「そりゃそうよ。由夏ちゃんは違うでしょ? “接待”と称して飲みまくってるんじゃないの?」

「私はちょっとやそっとの酒量では酔わないからね、飲んでるうちに入んないわよ」

「相変わらず、外でも豪快にやってるんだろうね? 怖っ!」

「なによ絵梨香!」

「なんか、サマコレの打ち上げを思い出しちゃう。あの海のそばのお店での“狂喜乱舞”を……そそくさと帰ったもん。あの時も来栖零がいたしね」

「そうだったわね。あの時はもう……」

「なに?」

「いいえ、送ってくれる人が居て良かったわね。彼がいなきゃ朝まで付き合わせることになってたわよ」

「そうだ! ずっと聞こうと思ってたんだった! そもそもね、どうして彼は出場することになったの? 私が街で声をかけた時、いくら頼んでも無下に断られたのよ!」

「あはは、それは蒼汰に聞いた」  

「何笑ってるの! 本当に恥かいて、嫌な思いしたんだから! 由夏ちゃんのミッションに応えようって、必死で頑張ったのに」

「ハイハイ、えらいえらい!」

「ひどい! ねぇ教えてよ、どうして彼は出ることになったの?」

「それはね……」

「うん、なになに?」

「企業秘密!」

「……えー! 何それ! いいじゃない教えてくれても」

「ダメ! 今後も絵梨香にミッションを与えるんだから、敏腕スカウトウーマンとしては手の内は明かせないわね!」

「ケチ!」

「しかし、ホント、彼は律儀と言うか……」

「ん? なんて?」

「何でもないわ。これから捜査に参加するとなると彼と同行するってことでしょう?」

「まあ……蒼汰もいるし」

「だったら絵梨香の思うようにやっていいと思うけど、一人で行動しちゃダメだからね。私、また出張が続くから、逆に彼らといてくれる方が安心なのよね」


……そう。彼と居れば、状況も随時把握できるし、何よりも安全だと、由夏は思った。




絵梨香と由夏を送って車に乗り込んだ2人は、そのまま桜川沿いに大通りを突っ切って、少し上がった所に車を停めた。


「なあ零」

「なんだ」

「さっきさ、なんでお前が謝ったんだ?」

「何のことだ」

「由夏姉ちゃんに、謝っただろう? 絵梨香が過呼吸起こしたっていう話の時に。正直、ちょっと驚いたよ。零がそんなこと言うなんて、あまりにも意外でさ」

「あ……あれは、一応、西園寺家に連れて行ったのは、俺だから」

「そうか……なんか変な理屈だけどな。それに由夏姉ちゃんと話したりすることなんて、あったんだな? サマコレ以降ってことか?」

「そんなに話してない。モデルのオファーが何回かあって、それを断ったぐらいで」

「そうなんだ? 断られてる割には、やけに零のこと信頼してるよな」

「そうか」


『RUDE BAR』に着いた。

ドアを開けた瞬間、華やかな音楽と涼しい空気が、身体を包み外気の息苦しさから解放される。

  

「お帰り! ロングドライブ、ご苦労様!」

波瑠がにこやかに迎えてくれる。

「だいぶん時間がズレてしまって、すみません」

波瑠がカウンターに2人を促す。

「そんなの構わないよ。車、上に停めてきたよな?」

「はい、藤田先生の車の隣に」

蒼汰が驚いたように言った。

「え? あそこって藤田健斗社長の家なの? どおりで、スゴいスポーツカーが停まってんなと思ったよ! でも建物的には『FMJコーポレーション』の“CEOの邸宅”には見えなかったぞ。どう見てもアパートっぽかったけど?」

波瑠は笑った。

「外観はそうだが、あそこの三階全フロアはデザイナーズハウス並みの内装でさ、健斗さんが結婚前に住んでた部屋なんだ。で、今はセカンドハウスになってる」

「そうだよな? 由夏姉ちゃんからも『ファビュラス』の女社長がこんな近所に住んでたなんて聞いてないし」

「かれんさんも、結婚した当初は住んでたかもな。それまでは、今由夏さんと絵梨香ちゃんが住んでる『カサブランカレジデンス』に居たわけだから」

「あ、そうか」

「それはそうと零、お前いつまで健斗さんのことを“先生”って呼ぶ気だ?」

「まあ、俺にとっては恩師なんで……」

「お前らしいな。しかし、俺ん家の前に高級外車が2台並ぶのも見物みものだな」

「え? 波瑠さんも、あそこに住んでるの?」

「俺は階下の小さい間取りだけど、この店RUDE BARを閉めるのが遅くなった日とか、面倒な時とか泊まれる部屋として一室借りてるんだよ」

「そうだったんだ」


蒼太がガサガサとお土産を出して波瑠に渡した。

「おっ! ありがとう、蒼汰」

波瑠はバリバリと箱を開けて、早速まんじゅうを頬張った。

「零、この後高倉刑事も来るんだろう?」

「はい、まもなく」

「じゃあ、奥の会議室、好きに使ってくれよ」

「ありがとうございます」


会議室に入ると、零と蒼汰は西園寺家の零の部屋の壁面に貼り出していた模造紙を広げた。

そして、多くの付箋を割り振りして、ホワイトボードに添付していく。

10分もしないうちに高倉警部補が入ってきた。

「零くん、江藤くん、お帰り! ご苦労様だったね」

「いえ」

「高倉さんにお土産買ってきたんですよ!」

「ほんと? ありがとうね江藤くん」

高倉は嬉しそうな笑顔を投げた。


第55話 『Casablanca Residence』ー終ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る