第53話 『故郷の地。またいつか、ここに』

零が泰蔵や弁護士らと落ち合う為、車で出て行ってから、蒼汰と絵梨香は屋敷に戻り、それぞれ自分の時間を過ごした。

絵梨香は部屋から静代に電話をして、しばしお喋りに花を咲かせた。

蒼汰は昨夜集めた資料の整理をして、明日からの仕事に向けての準備を始めた。


この週末は彼らにとって、非現実的であり、濃厚なものとなった。

思い出に浸り、事実に打ちひしがれ、新たな発見に心揺さぶられた二日間、思いの渦の中に身を置いていた。

これを引きずって帰っては、日常生活に支障を来すだろう。

ちゃんと社会人として日常に戻るための、まるで儀式のような時間を、それぞれ無意識にとっていた。


そうしながらも、どんな局面においてもふと零の事がよぎる。

自分達より何十倍も、そのスパイラルから抜け出せそうにない彼の心情を思うと、心底辛くなる。

何ができるか分からなくても、せめて彼の傍で彼と携わり、何らかの支えになれたらと、切に思った。



静代と喋り終えた絵梨香は、ベランダに佇んでいた。

今度この景色を見られるのはいつだろう。

“蔵”に続く小路に目をやりながら、漠然と思う。

何年も経てば、あの場所を純粋に懐かしんで、それだけのために訪れることが出来るのだろうか。


ポケットの中の携帯電話が鳴った。

「蒼汰」

「零から連絡があったよ。あと10分ほどで着くそうだ。アイツも荷物があるから、部屋で待っといてくれって」

「そう。わかった」

「絵梨香、今どこ?」

「部屋にいるよ。ベランダに出てる」

「そうなんだ?」

そう言って、蒼汰もベランダに出てきた。

お互い電話を切って、少し外に身を乗り出せば顔を合わせられるそのベランダで、壁を挟みながら、2人は中庭を静かに眺めた。


「次はいつここに、来られるだろう?」

「私も同じこと考えてた」

「しかしさぁ……」

蒼汰がしみじみと言う。

「零にここに来ようって言われるまで、いや、言われてもかな……本当にここに事件の鍵があるなんて、オレは思ってもみなかったんだ。こんな話するのはどうかと思うけど……高齢のじいさんが亡くなった事が、本当に殺人事件だったのかどうかも、正直オレにはわからなくてさ、ただ辛い思いをしている零の支えになりたいからって理由で、解ったフリをしてここまで来たけど、それでもずっと半信半疑だったんだ。なのに来てみたらどうだ、やっぱりここにヒントがあったんだよ。本当にオレには絶対に分かり得なかった。アイツが天才だって、そして自分が凡才だって……思い知らされた。なんかさ、怖くなるんだ」

「怖く……なる?」

「ああ。零が動くとさ、何かが起こるっていう恐怖感が、オレの中に毎回生まれるんだ。でも本当はそうじゃない、何かが起こったから零が動いてるんだ。けどさ、オレには零が動くまで、何も見えてこない。零が何かに気付いて行動し始める頃になってようやく見えるから、零が動く事=イコール事件だと錯覚してしまう。後からしかオレには見えないから、先に動く零がまるでその原因であるかのように感じてしまって……それが、怖くて」

「何か、わかるわ。それ」

「物事は必然なんだよ。わかってる。だけど、それが見えるのは零だけなんだ。今ここにいてこの景色を見てさ、何もかも忘れて逃げたくなる自分もいる。このまま地元に帰れば、また事件を追い始めるっていう現実が待ってるだろう。ここで色んな事を拾ったけれど、それら全部に理由を付けて、それに基づいて一つ一つ解明しなきゃならないんだ。前に絵梨香がオレのことも感心するって言ってくれたけど、事件に携わるってさ、色々な辛い気持ちと向き合って、色々な人の思いを疑似体験して、そして時には正義を貫くために裁きたくない罪にも遭遇したりもするんだ。弱音を吐くみたいでこうして言うのも辛いけど、正直キツいよ。そういう意味でもオレ、高倉警部補も本当に尊敬してる。彼らがどれだけ身を粉にして人の為に動いているか、悲しい現実に直視しているか。心がすり減ると思う。現にオレは零のそばにいるけど、すり減った心を元に戻すのが精一杯で、誰かの役に立ったり、誰かを助けたり、そこまではまだ全然至らないんだ」

うつむく蒼汰の横顔からは、いつもの太陽のような光はなく、自嘲的な憂いを感じた。


「蒼汰、そんなに苦しいなら……」

「いや、絵梨香。逃げたくなるなんて吐露しておいて大いに矛盾してるけど、オレは逃げないよ。零を置き去りにはしたくないんだ。おかしいよな? だったらさ、こんな話したところでなんにもならないんだけど……多分、ちょっと、聞いてほしかったんだと思う。ごめんな、混乱させたか?」

「蒼汰……ううん、大丈夫。私が蒼汰を理解するから」

蒼汰が絵梨香の顔をバッと見た。

「絵梨香……じゃあ、零は……」

「なに? どういう意味?」

蒼汰は目を伏せて正面を向いた。

「いや、なんでもない」

「蒼汰」


「もう一つ、正直に言うとさ、そういう殺伐とした世界の中に、絵梨香を引きずり込みたくないって、思ってる」

「どうして」

「だって、絵梨香まで過呼吸起こすほど追い込まれてさ、今オレの中で葛藤があるんだ。ここから先、絵梨香を切り離すべきなんじゃないかって。もう辛い思いさせたくないんだよ。でも、もしそれを零に言ったら、多分アイツはそれを遂行するだろう。でもそうしたら、絵梨香はきっと納得しないんだろう?」

「納得しないわ」

「だよな、そうなんだよ。だからそれをしちまうとさ、阻害する零と絵梨香がまた おかしなことになっちまうだろう。そう思うと複雑でさ。しかし……そもそも、なんででこんなに辛い中に絵梨香を置いとかなきゃいけないんだって、思う気持ちはいつもあるよ」

「私なら平気よ」

「平気? それは嘘だ。誰も平気じゃない。でもそう言わせちまうんだな……オレの中にあるこの葛藤は、多分何が解決しても変わらないと思うけど、でも絵梨香の気持ちも分かるから……だから、尊重することにする。 だけど、頼むから妙な責任感を持たず、本当にダメな時は逃げてくれよ。目をそむけてくれ。本当は零にもそうして欲しいけど、アイツは絶対無理だから。せめて絵梨香の心は無事でいてよ」

「蒼汰……」

蒼太の部屋の中から、ノックが聞こえる。

「零が帰ってきたみたいだ。オレたちも出る準備をしよう」



弓枝との別れは辛かった。

絵梨香のために、好物の『ラ・メゾン・デュ・ショコラ』のプラリネを用意してくれた彼女は、涙ぐむ絵梨香をぎゅっと抱きしめた。

「事件が解決したら、必ずまたここに来てね」

固い約束をして、車に乗り込む。

「絵梨香、大丈夫か?」

「……うん」

「また来ような。ここはオレ達の故郷みたいなもんだ」

「うん」

「零、また連れてきてくれよ」

「ああ」

零は少し緩やかな口調でそう言うと、ハンドルをきった。


海沿いを走る車窓から、金色こんじきの空を見上げると、16年前と同じ夕日を見ているような気持ちになった。

あの時、寂しくて流した涙の原因である相手と、今こうして一緒に夕日を眺めている。

後ろから、そのオレンジ色に染まった頬を、そっと盗み見た。

どうしても不思議な縁を感じずにはいられない。

ハンドルに視線を落とすと、あの時繋いだ幼い手は、繊細で力強い腕に変わっている。

彼はどんな思いで、今ここで夕日を浴びているのだろう。



昨日と同じインターで、今度は少し早い夕食をとることになった。

あの展望台での、他愛もない会話……

昨日のことが、随分前だったような気がする。

たった一日前の事なのに、その時は知らない事実が多過ぎて、無邪気に苦手な虫で大騒ぎした自分を恥ずかしく思う。

その時すでに、彼の中ではいくつかの疑問が掲げられ、それぞれの鍵が開けられようとしていたのに……

蒼汰の苦悩が、解るような気がした。


零は、泰蔵や顧問弁護士らと開示したであろう貸金庫の中身について、その場で話をしなかった。

当然、蒼汰も絵梨香も聞き出すことも出来ず、零は食事を手短に済ませ、一人テーブルを後にした。


この二日間は、3人が頭を突き合わせての謎解きにも多くの時間を費やした。

その時の零は、蒼汰とも、そして絵梨香に対しても近い距離感で関わることが出来た。

しかし今は……

貸金庫の中に、彼をそうさせる何かがあったのだろうと、思わざるを得ない。


「絵梨香、何かお土産でも買って帰らない?」

蒼汰が遠ざかる零を目で追いながらも、明るい声で言った。

「そうね。ねぇ蒼汰」

「ん?」

「私、この後『ファビラス』に寄ろうかと思ってて」

「そうなのか? 疲れてない?」

「うん、大丈夫。今日、本当はね、朝からイベントがあって……私の分を埋めてくれてるスタッフがちょうど会社に戻るくらいの時間に、私も着けそうだし……お土産持ってお詫びに行こうかなって」

「そっか、わかった。じゃあ、お土産買いに行こうぜ。オレは、波瑠さんと高倉さんにも買っていこうかな!」


蒼汰と早々にはぐれて、混み合う人の群れから脱出した絵梨香は、土産袋を下げたまま建物を出た。

その足は自然と展望台へ向かう。

そして無意識に、ひとつの影を探していた。


第53話『故郷の地。またいつか、ここに』ー終ー

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