第50話 『Japanese Calligraphy』

蒼汰が作業台の上に並ぶ物を見渡す。

「零、これを全部ここに並べたのはこれらを懐かしむ為じゃないだろ。意図はなんだ?」

「あ、行李こうりの中に何か他にじいさんの残したヒントがないかと思って」

「ヒント? 中身は全部出したぞ」

「それが、違うんだ」

蒼汰は改めて螺鈿の蓋を開け、中を確認する。

「ほら、空っぽだぞ」

奥まで手を入れて指でなぞる。

「……ん? あ」

よく見ると底に僅かなズレがあった。

「これは? 二重底か?」

「そうだ、俺がやった」

「それって……」

「小学生の時だ。あのクルージングの写真の翌日にエ……いや、あいつが帰ることになって、俺はこの屋敷で残りの一週間を過ごすことになった。決済の9月が近付けば、さすがのじいさんも忙しくなる、今までのように俺にかまけて遊んではいられなくなって、俺は一人になった。そんな時にじいさんが夜遅く帰ってきて、俺の枕元に毎日1枚ずつ四字熟語を書いて置くようになった。まあ、何か課題でも与えて俺が退屈しないようにしようとしてくれたのかもしれないが。俺は毎日届くその墨書きの半紙に書かれた四字熟語の意味を自分で調べていくうちに、それがじいさんが俺に送るメッセージだということを、小学生になりに理解した。今思えば、帝王学の一環かもしれない。人を育てるのが好きなじいさんのやりそうなことだ。俺が帰る日に、今みたいに作業台に中の物を全部出して、二重床をつくって、その下にじいさんのそのメッセージを置いていったんだ」

「それ以来なのか?」

「ああ、中学の時にお前とこの家に来た時は、ここへは来なかったからな。だから、そこに新たなメッセージがないか、期待してる」


「そんな話、初耳だわ」

「絵梨香!」

2人同時に入口を仰いだ。

「起きて大丈夫なのか?」

「ええ」

「っていうか……ここに来ても、平気なのか?」

蒼汰が心配そうに何度も聞きながら、立ち上がって絵梨香に駆け寄った。

「本当に大丈夫よ。私もね、どんな小さな事でも、おじいちゃんの事は知りたいし、手伝わせて欲しいの」

絵梨香は零に向き直った。

「いい?」

「ああ」


蒼汰は行李こうりのそばに戻り、底板を上げて、中から束になった半紙を取り上げた。

作業台に順番通りに広げる。

「一週間って言ったよな?」

「そうだ」

「なんか……7枚の筈なのに、結構たくさんあるみたいに見えるわね」

「ああ、やっぱりそんなことだろうと思った」

2人が零の顔を見た。

「あのタマムシのノートを見てから、ずっと思ってたんだ、メッセージが足らないってね。あそこに書かれた11の文にしても、発見する可能性があるのは俺しかいない。だったらまだあるんじゃないかってな。昨夜、ここに来た時はすっかり忘れてた。さっきじいさんの寝室にかかっていた『五常の徳』の額装を見た時に思い出したんだ」


蒼汰が作業台に1枚ずつ、その半紙を並べていく。

最初の7枚には、零が書いたであろう四字熟語の意味が、半紙の左下に鉛筆書きされていた。

「お前……これ何歳の時だって言った?」

「ああ、小学4年だから10歳だな」

「はあ? 10歳でお前、この字かよ! めちゃめちゃ達筆だな。もうこの時から お前って出来上がってたのか?」

「いや、俺だって当時は意味が分からなくて、弓枝さんに辞書を借りて調べたんだ」

「そらそうだろうよ、小4なんだからな。 俺は26歳だ。なのに全然わかんねぇ。マジやべえ、勉強し直すか?」

蒼汰はそう笑って言った。


蒼汰は小学生の零が書いた解説を読み上げる。

百折不撓ひゃくせつふとう

失敗を何度も繰り返し、挫折感を味わっても、決してくじけずに立ち上がること。


不抜之志ふばつのこころざし

決してくじけず、諦めない堅い意志のこと。


有志竟成ゆうしきょうせい

強い志を持つ者は、どんな困難をも克服し、必ず成し遂げられるということ。


一騎当千いっきとうせん

一人で千人の敵をなぎ倒せるぐらいずば抜けて強い人。 転じて、人並み外れた能力や経験があること。


威風堂々いふうどうどう

態度や人格が、堂々としていて威厳があること。


快刀乱麻かいとうらんま

もつれた糸を勢いよくスパッと断ち切ることから、転じて無理難題を鮮やかに解決すること


新進気鋭しんしんきえい

いろいろな分野において新しく現れた、勢いや活気に溢れ、将来性のある人やその様子。


「確かに、おじいちゃんから10歳の孫へのメッセージを感じるわね。“くじけず諦めず、立派大人になれ” って」

零は頷きながら、それらを見澄ましている。

「あ、ここからは零の字が書かれていない。半紙も、前の7枚ほど色褪せてはないな。新しいってことか」

蒼汰は顔をしかめた。

「あー。これは読めても、意味わかんないのもあるな」


英俊豪傑

高潔無比

才華爛発


「なんかさ、具体的な意味はわかんねえけど、字面だけ見ても零のことを言ってるって、そう思わないか? わかるよな?」

絵梨香が横で頷いた。

「そうか? 褒めすぎだろ」


そこからは零が読み上げた。

英俊豪傑えいしゅんごうけつ

高潔無比こうけつむひ

才華爛発さいからんぱつ

「まあ、どれも美と才能に溢れた、優れた人物って意味だな」

「うわ! 自分で言ってやんの!」

零は嫌な顔をして蒼汰を睨んだ。

蒼汰は誤魔化すように言う。

「おお、出た! 次は『堅忍不抜けんにんふばつ』これは11の文章の中に入ってたな。確か、“どんなことがあっても耐え忍んで心を動かさない”って意味だっけ? あ……次は、『自家撞着』じか……どうちゃく?」 

「そうだ、『自家』 は自分のことだ。『撞着』は矛盾……“自分の言動に反する” とか、“自分自身の言ってることが辻褄が合っていない” ということだな」

零は少し引っ掛かるのか、長い指をあごにあてて、しばらく静止した。

「最後は……『一子相伝いっしそうでん』か、『相伝』は、“代々受け継いでいく”……」

独り言のように呟いた。

「何を受け継ぐの?」

「もともとは、学問や芸能の師匠がその伝統を自分の子供や弟子の一人にだけ教えるって意味だが……最後の2つの意とすることがわからない」

「零、そろそろ時間じゃないか?」

「ああ、そうだな」

「ここ、片付けておくから先に屋敷へ戻れよ」

「ああ、頼む」

「この半紙だけ持っていけばいいか?」

「ああ、一応スケッチブックとノートも……」

零は絵梨香の方を向いた。

「中身を確認しておいてもらえないか?」

「……ええ、わかったわ」

「頼むな」

そう言って零は “蔵” を後にした。


「蒼汰、彼、これから何かあるの?」

「ああ、今からさ、絵梨香のばあちゃんの甥の “佐久間洋平” って人に会うことになってるんだ」

「ああ、弁護士の?」

「そう。 絵梨香のじいちゃん方の甥だろ。一応、絵梨香の親戚にもなるのか。まぁ俺ぐらい遠いかもしれないけどね」

「ホント」


「今日の話でさ、けっこう真相に近付くんじゃないかな? そんな気、しない?」

「そうね」

「じゃあオレたちは、このコオリ……」

「あはは、行李こうりね」

「ああ、これ、片付けようか?」

「うん」

絵梨香が一つ一つ物を取り上げて、蒼汰に手渡す。

「なぁ絵梨香」

「なに?」

「あいつ……零は、どんな小学生だった?」

「え? 私だって小学生だったんだよ?」

「そっか」

絵梨香は微笑んだ。

「そうだなぁ……明るくて、好奇心旺盛で行動的だったな。頼りになるお兄ちゃんって感じだった。今の彼とはリンクしないけど……」

「え? リンクしない点は “明るい” ってとこだけだろ? ある意味、零は好奇心旺盛だし、そして異様に行動的だぞ」

「そう言われてみればそうね」

2人は同時に吹き出した。

「あー、零に言ってやろ!」

「誘導尋問よ! 蒼汰だって充分、同罪なんだから!」

なんだか少し前の2人に戻れたような気がして、嬉しかった。

笑いながら一通り片付けて、作業台の上にはスケッチブックとノートが残った。

蒼汰はそれをじっと見つめる絵梨香に言った。

「じゃあこれをもって屋敷に戻ろうか?」

「うん。でも……」

「ここでは見ない方がいいよ。さっきあんな風になったんだからさ」

「わかった」


2人は屋敷に向かって肩を並べて歩いた。

中庭の向こうの深緑のなかに真っ赤な零のJAGUARが佇んでいた。

その横にはおそらく佐久間氏のものと思われる濃紺のセダンが停まっている。

話の展開が気になった。


「ここってさ」

「うん?」

「オレら都会っ子からすりゃ、絵にかいたような理想の故里ふるさとだろ? ずっと永遠に持ち続けていたいって思えるような」

「そうね」

「じいさんを介してさ、絵梨香と零が出会って、オレと零が訪れて、長い年月を越えて、そして今はオレと絵梨香がこうして同じ時間を過ごしてる。こんな場所、オレらの生涯でも、もうなかなか手に入れられないと思うんだ。だからさ、絶対また来ような。今日のこの時間すら、懐かしいと思えるように、いい状態でさ」

「……うん、本当に。そうありたいね」


屋敷の玄関に入ると弓枝が2人を出迎えた。

「お待ちしていましたよ。2人とも、お腹の時計は鳴らなかったですか?」

「え? もうそんな時間?」

「零様が、先に2人に食事をすすめておくようにって」


絵梨香のたっての希望で、弓枝も一緒に昼食をとることになった。

3人はまるで、これから間もなく訪れる別れについて、熟思じゅくしするのを避けるかのように、大いに笑い、盛り上がった。

それぞれの心の中で、何度も “あと数年これが早かったら、ここに章蔵がいてくれたら” という妄念もうねんが現れ、よぎっては打ち消すというのを繰り返していた。


食事を終えて2階に上がった絵梨香は、脇に抱えていたスケッチブックとノートに目をやった。

「ねぇ蒼汰、一緒に見ない?」

「え? いいの?」

「うん」

「……零と一緒に見なくても?」

「彼が見といてくれって」

「それは絵梨香だけで、っていう意味じゃ?……」

「いいから!」


2人はテラスに足を向けた。

日陰の風がよく通るベンチに座る。

雲がゆっくりと2人の思いを後押しするかのように流れていく。

「零は食事も取らないで話ししてるのか、長引いてるな」

「どんな話してるんでしょうね」

絵梨香はそっとスケッチブックを開いた。


第50話 『Japanese Calligraphy』ー終ー

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