第47話 『近づく核心』
章蔵がタマムシノートに書き連ねた11の文章を、ある程度解読はしたものの、行き詰まった3人は、それらの新たなヒントを探すために、再び章蔵の部屋を訪れた。
何をしたらいいのか判らない2人を置き去りに、零は片っ端から引き出しを開け、何か手がかりがないか、一つ一つその目で確認し始める。
蒼汰も絵梨香も、ただただそんな零の様子を見守るしかなかった。
絵梨香は、昨夜静代と一緒に見た写真に目をやった。
元の位置に立てられたその額縁は、きっと 弓枝の手によって戻されたのだろう。
陽の光を眩しげに受けながら、満面の笑みを浮かべている大勢の人々、そしてそこに佇む当時の自分とレイ……
何気なく振り返ると、そこには蒼太の顔があった。
「これって、もう夏の終わりなんだろうな」
「ああ……そうだっけ? え、なんで?」
「絵梨香も零も真っ黒に日焼けしてる」
「ホントだ」
笑った白い歯が輝いて見えるほど、2人ともこんがり焼けていて、充実した夏を象徴しているかのようだ。
よくよく見ると、自分とレイの重なった手は、繋いでいるかのように見えた。
蒼汰の視線が気になる。
そしてすぐに、それを打ち消した。
馬鹿ね、子供の時の話じゃない。
そう自分に言う。
絵梨香はそんな気持ちを誤魔化すかのように、蒼汰に対して饒舌に喋りだした。
「この船に乗る時にね、クルーの人におじいちゃんが、なんか話をしていて……早く出発してほしいのに、おじいちゃん、結構長くしゃべるなって思って。なんか難しいことを長々言ってるから、私がおばあちゃんにそう言ったら、“西園寺のおじいちゃんは大きな会社を守ってる人だから、そういう人はちゃんとした考えを持ってないと 駄目なの。今から一つの船で一緒に過ごす人たちも、おじいちゃんが守らなきゃいけない仲間だから、会社の人と同じように大切にするためのお話をしてるんじゃないかな” って。おばあちゃんがそう言うから、なんとなく納得したような感じでね」
そう言って蒼汰に笑いかけると、そのすぐ横に零がいた。
「わ!」
「なんだ」
「急に居るからびっくりしたわ、どうしたの?」
「今のその話、詳しく聞かせてくれ」
「どうして?」
「俺もそれに聞き覚えがある」
「ああ……でしょうね。でも、もうそれ以上は覚えていないわ。なんせ、話が長いって事くらいで。私は早く出港したかったし」
「俺もお前と同じだ、あの頃は “ただの小学生” だったからな」
「どういう意味よ!」
蒼汰は黙って、2人のやり取りを見ていた。
零はしばらく沈黙してから、ぱっと顔を上げた。
「静代さんに電話して、聞いていいか?」
「え? おばあちゃんに? まぁ……もちろん構わないけど」
「じゃあ今、電話してくれ」
「え、今? ……分かった」
絵梨香はその場で静代に電話をかけた。
的確に説明する自信がなかったので、すぐに零に代わった。
「すみません、昨日見ていただいたクルージングの写真なんですが、あの日のことでお聞きしたいことがあるのですが、覚えておられますか?」
零は手短に質問をした。
「ああ、クルージング前のお話ね。あの時章蔵さんは、西園寺グループの企業理念の話をしていましたよ、内容までは覚えていないけれど」
「ありがとうございました」
零はスマホを絵梨香に渡した。
「話すだろう?」
絵梨香は受け取って耳に当てた。
「おばあちゃん、また家に着いたらゆっくり連絡するね。うんじゃあね」
「良かったのか?」
「ええ、今は私もちゃんと、手伝いたいから」
「そうか」
そう言って、零はまた思想の縁に落ちて行った。
「企業理念」
そう一言だけ呟いて、あとはうつむき加減で黙っている。
蒼汰が腕組みをして話す。
「オレの出版社の企業理念は……何だっけな、えっと、“感動”、“夢”、“希望”、えーと、あと2つぐらいあったんだけど……やべぇ、思い出せないな」
「えっと、『ファビュラス』は“Spirits” “Passion” ……やだ、もう1個何だっけ? 私も思い出せない、由夏ちゃんに怒られる!」
そう言って2人で笑っていた。
「あ、もしもし、伯父さん。度々すみません」
その声に振り返ると、零が電話をしている。
「いつのまに?」
「泰蔵さんじゃないか?」
「じゃあ西園寺グループの企業理念を聞いてるわけね。でもこれから会いに行く約束じゃあ……?」
「どうしても、今、知りたいんだろう」
蒼汰とひそひそ話す。
「ありがとうございました」
2人が零に近寄る。
「ねえ、わかったの?」
「ああ」
「何だったんだ?」
蒼汰の質問に答えないまま、零はおもむろに章蔵のベッドのところまで歩いて行った。
首をひねりながらついていく2人に、立ち止まった零は、ベッドの遥か上を指差す。
「あれだ」
ベッドの枕元から天井にほど近い所に、 大きな横書きの額縁が掛けられてあった。
墨書きのその額装には『仁義礼智信』と書かれていた。
「これが西園寺グループの企業理念?」
「そうだ。会社を永続的に成長させていくために欠かせない指針として、いつも会長が掲げている“孔子”と“孟子”の教えにまつわる『五常の徳』を採用しているそうだ」
「この文字は……」
「そうだ、あの文章の中にあったはずだ」
「この5文字全部があるってことか」
「おそらく。早速解明してみよう。一旦部屋に戻るぞ」
零の部屋に戻り、再びメモを並べた。
「孔子だっけ? オレも文学小説の担当じゃないとはいえ、勉強不足だな」
蒼汰が頭をかきながら言った。
「孔子の教えを基礎としたのが儒教だか、それを魏の
「とにかく『仁義礼智信』を探せばいいのね?」
「そうだな。まず、①に信、⑥に智」
「⑨に仁、⑪に義。順番はバラバラみたいね。あれ……?」
「そうだ。『礼』は見つからない」
「ということは、この⑨の
「そうも考えられるが、当てはめてみたところで、文章にはさして何の意味も持たない」
『濁りなき仁愛持ちながらにして
「えっと、“迷いのない人徳を持って どんなことがあっても耐え忍んで心を動かさない『礼』”ん……確かにね」
零は溜め息をついた。
「ここで暗礁に乗り上げるのか……」
いつになく零が悔しそうにしていた。
零がそのメモ用紙を片付け始める。
「泰蔵さんのところに行くのか?」
「ああ、そろそろ出発する。お前達はこれからどうする?」
「適当にやってるよ、気にすんな」
「何かわかれば、また連絡する」
零が先に階下に下りて行った。
「じゃあオレ達は何しよっか? 絵梨香は荷造り済んでるの?」
「まぁ、大体は」
「だろうな、結構遅くまで起きてたんじゃないか?」
「え? なんで?」
「昨日はオレ、実は大変でさ。この週末にどうしてもまとめなきゃいけない資料があって……本当は遠出してる場合じゃないぐらい仕事山積みだったんだよ。で、昨夜は意を決して、集中してやってたってわけ!」
「そうなんだ。てっきり蒼汰は早く寝ちゃってるのかと思ってた」
「なんでさ? 酒も飲んでないのに?」
「そういえば……そうよね。おばあちゃんと喋って、それから2階に上がったわけだし」
「そうそう、絵梨香とテラス行ってから部屋に戻った後はさ、ホント久しぶりに根詰めてパソコンに向かったぞ。テスト前の学生かよ! って感じ」
自分が零と共に部屋を出入りしていた時、蒼汰は扉の向こうで起きていた。
そう聞いて、絵梨香の中に気まずい思いが湧いた。
「絵梨香も結構、遅くまで起きてたよな?」
「え?」
「一回さ、とてつもない睡魔に襲われて、本当に寝そうになったから気分転換にベランダに出たんだよ。そしたら絵梨香の部屋の電気がついてたから、まだ起きてんのかなって。よっぽど声かけようかと思ったけど、さすがに深夜だし、やめといた」
「……何時ぐらい?」
「多分、1時に近かったかも」
その時間、絵梨香はそこには不在で、零のベッドで眠っていたのだ。
ミネラルウォーターを取りに降りる時に、すぐ戻るつもりで電気をつけたまま部屋を出ただけで……
思いもしなかったニアミスに、鼓動が上がる。
「その時、まだ起きてた?」
蒼汰がいつもの優しい目で聞く。
「あ、電気つけたまましばらく寝ちゃってる時間があって……多分そのくらいじゃないかな?」
蒼汰はふうっと笑う。
「まあ、イレギュラー旅行あるあるだな。オレも自分家でやるより、随分はかどったよ」
「そっか。もう出来たの?」
「ああ、バッチリ!」
「よかったね」
「……なんかさ」
「なに?」
「絵梨香、疲れてるよね?」
「そうかな?」
「本当は、自分の気づかないところですごくダメージ受けたりしてないかなって、ずっと心配してる」
「蒼汰……」
「なんでもいいからさ、思ったことはオレに話してよ! 一人で悩むなよ。そりゃ、役に立つかどうかはわかんないけどさ、理解はしてあげられると思うから」
「ありがとう……」
蒼汰の優しさが痛かった。
絵梨香の中の罪悪感が、増大していく。
「なあ絵梨香、これからどうする?」
「え? どうするって?」
「零もしばらく帰ってこないだろうし、捜査は中断だろ? 実はオレ、行きたいとこあるんだよね」
「そうなの? どこ?」
「“蔵”だよ」
一瞬息が止まりそうになる。
「絵梨香、場所は覚えてるの?」
「あ……うん」
「じゃあ連れてってよ! 昨日の夜、零は行ったんだよな、そこであのノート見つけたんだろう? だったら他にも何かあるかもしれないし。オレもちょっとは役に立ちたいしな! それに……」
「……なに?」
「絵梨香と零が子供の頃に過ごした場所なんだよな? あんな思い出のノートが十数年経ってもちゃんと置いてあるぐらいだから、きっとじいさんの思いも詰まってんのかなって。そう思ったら、ちょっと見てみたくてさ。そうだ! 絵梨香はどうなんだよ? 行ってみたいと思わないのか? あのテラスよりもずっと思い出深くて、懐かしい場所なんじゃないの?」
絵梨香は逃げ出したいような気持ちに陥る。
蒼汰にこれ以上の嘘をつくのが、心苦しくて座り込みそうになる。
そして、あの場所は……
たとえそれが蒼汰であったとしても、あの場所に、彼とは違う人に足を踏み入れられるということに対して、抵抗を感じている自分がいた。
「うん……そうね」
「よし決まり! じゃあ行ってみよう」
第47話 『近づく核心』ー終ー
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