第38話 『These Moment Remind Us』

章蔵の部屋を出た絵梨香と蒼汰は、零を探すために一階まで下りた。

応接室を覗いてみたが、そこには零の姿も主治医の姿もなかった。

ダイニングにいた弓枝に声をかけ、後でもう一度章蔵の部屋に行きたいと告げる。

「零、どこに行ったのかな?」

「部屋?」

「じゃあ二階に上がってみよう」


階段を上りながら蒼汰が言った。

「サマコレさ、オレも絵梨香に言われてテレビで観たんだけど、零も映ってたか? 見つけられなくてさ」

「サマコレ……か」

絵梨香はあの日の事を思い出した。

打ち上げ会場に向かう電車……

助けてくれたのは彼だった。

かなりバツが悪そうな顔をしていたけれど。

そして会場でも……

帰りは、漆黒の海を見た。

橋のイルミネーションの美しさが蘇る。

彼が肩に掛けてくれたジャケットの重みが、心地よかった事も。


絵梨香は一息つく。

「そりゃもちろん映ってるわよ。出番は合計三回、一回目は仮面舞踏会っていうオープニングで『ファビュラス』のモデルたちを従えるように彼が……」

「あーっ、わかった! あの仮面着けてたやつ?」

「そうそう」

「なんだ、そう言ってくれたら判ったのに。あれか……でも本物のモデルにしか見えなかったぞ」

「親友の目も誤魔化せるんだもんね、私だって会場で全く気が付かなかったわ。そのあとは女優のレイラともツーショットでランウェイ歩いてたし、後はエンディングでも、うちファビュラスの幹部スリートップと映像クリエイターさんがステージに並んだ後に、彼が仮面をつけたままデザイナーをエスコートしてランウェイの先まで誘導してたよ。悔しいけど、私もプロのモデルだと思い込んでて。しかも外国人モデルかなって……」

「あはは、アイツ……摩訶不思議だな」

「ホントに」


これまで何度となくあった “ニアミス” を思うと、零とは何かしらの縁を感じる。

さっき、章蔵の部屋で見つけた古い額縁を思い浮かべた。

その中にあったのは写真。

それはクルージングに連れて行ってもらった時、美しい海をバックにクルーの人たちと撮った写真で、そこには章蔵も祖母の静代も、そして幼い零と絵梨香も写っていた。

あの日から16年間、その"宿縁"は息を潜めていた。

そして今、その分加速しているようにさえ感じる。

そう思った。


階段を上りきって、部屋が並ぶ左の廊下に曲がろうとした時に、蒼汰が言った。

「あ、零」

その言葉にテラスを振り返ってみると、ガラス戸越しの一番奥の手すりに、低い姿勢のまま体をもたれかけて佇んでいる零の姿があった。

その姿は、あの幼い日の夏に何度も見た光景と重なった。

あの時の私は、何の躊躇もなくこの扉を開け放って、「お兄ちゃん!」と声をあげながら彼のもとに駆け寄っていった。

そしてすぐ近くまで行くと、お互い笑顔で会話する。

しかし今は……

流れた月日が、2人の間を隔てている。

そう、今はもうあそこに咲いていた向日葵ひまわりよりも、私の方が背が高くなってしまったものね。

そんなことを思いながら、彼の背中を見つめていた。


蒼汰が進んでガラス戸を開けた。

「零!」

彼が振り向く。

西陽のオレンジ色の光線に手をかざしながら、眩しそうな顔をしてこっちを向いた彼の顔に、ほんの少しあの頃の面影が残っているように思えた。

その瞬間、胸がグッと掴まれたような感覚が走って、絵梨香は驚く。

蒼汰が歩き出したので、その後に遅れまじと自分も彼の方向に歩き出したけれど、その胸の鼓動が耳の内側まで聞こえていた。


「零、主治医の話どうだった?」

「ああ、あまり有用な話はなかったけど、まぁ薬の処方と詳しい診断状況は聞けた。一応俺は親族だからな」

「あ、そうか。そういう意味でも警察が聞くより零が聞く方が有効的なんだな」

零が何気なく絵梨香の方を見た。

しかし絵梨香は、なぜか言葉が出なかった。

「あ……実はオレら、さっきまでじいさんの部屋に入れてもらってたんだ」

「部屋に?」

零はもう一度、絵梨香と目を合わせた。

「……うん。弓枝おばさんにお願いして」

「そうか」

「じいさんの部屋でさ、まあ勝手に引き出しとか開けちゃったんだけど、じいさんが書いたノートを見つけてさ」

「ノート? それは日記か何かか?」

「まぁ、日記に近いな」

「なぜ領置りょうちされずにそこにあるんだ?」

「いや、オレもそう思ったんだけど……まぁノートの最初の方は、なんかまばらにしか書いてなかったし、メモ書き程度のノートにしか思わなかったのかも知れないな。

「で? そのノートは?」

「あ、一応そこに戻してきたんだ。後で零も一緒にじいさんの部屋に連れて行こうと思ったから」

「そうか、わかった。じゃあ早速行くか」

そう言ってテラスを出ようとした零を、蒼汰が引き留めた。

「ちょっと待った。絵梨香!」

そう言って、蒼汰は彼女に自分から話すように促す。

「うん。あのね、おばあちゃんに……会ってもいいかな? あなたも知ってるよね、この近所に静代おばあちゃんが住んでるって。さっき、そのノートを見たら、おじいちゃんが静代おばあちゃんと会ってた事がわかって。生前葬や結婚式のことについて話してるんじゃないかなって、思って……」

零がハッとしたような顔をした。

「そうか。確か……お前のおばあさんから由夏さんに生前葬の話が来た……そう言ってたよな?」

「ええ」

「さっきじいさんの部屋で見ていたそのノートにはさ、今年の初め頃は、まだ生前葬だけのことしか書いてなかったんだ」

「どういう事だ?」

「もともとは生前葬をやるだけの企画だったってことさ。それが数ヵ月後には結婚の話になってた。じいさんが絵梨香のばあさんに会ったというメモ書きの後に、その生前葬のプランが結婚式プランに変更されてたんだ」

「そうか」

「その後なの、『ファビラス』に静代おばあちゃんからオファーが来たって由夏ちゃんに聞いて……私、その翌日に『想命館』に打ち合わせに行って、おじいちゃんと絹川さんに会ってるの」

零は頷いた。

「そういう意味でも、絵梨香のばあさんの話も聞いた方がいいんじゃないかな、ってことにもなってさ」

零が絵梨香の方を向いた。

まっすぐ彼女の目を見据える。

「確かに、その通りだな。すまない……気が付かなくて」

零から意外な言葉が聞こえて、絵梨香は目を見開いた。

長く目が合った状態が続いた。

蒼汰が切り出す。

「じゃあ絵梨香、ばあさんに連絡しろよ」

「え……ええ。今からかけてみるね」

零も付け加える。

「俺たちが会いに行ってもいいし、ここに来てもらってもいい。おばあさんの都合のいい時間をあけるから。ぜひ話を聞かせて欲しいと、俺も言っていると伝えてくれ」

「わかった」

「じゃあ、一旦部屋に戻ろうか。絵梨香は自分の部屋から電話しなよ。本当はゆっくり話したいだろうけど、とりあえずはばあさんと会える手筈を取ってくれ。頼むな」


3人はテラスを後にした。

最後にもう一度、さっき零が佇んでいた場所を眺める。

「どうした絵梨香?」

「え、ううん。なんでもない」

そう言って顔を戻すと、また零と目が合った。

いつになく、憂いを帯びたような瞳がそこにあって、凝視してしまった。

「あ……じゃあ、電話が終わったら知らせるね」

そう言って、2人と別れた。


あの目は何なんだろう?

部屋に入っても、頭がそのことでいっぱいになりそうだった。

ひょっとしたら、おじいちゃんとの思い出を一人テラスでかみしめていたのかもしれない。

私たちはそれを邪魔してしまったのかな?

そんなこと思いながらも、自分を制して、おばあちゃんに電話をかけた。


緊張した声で電話をした絵梨香を、祖母は優しい声で包んでくれた。

「絵梨香、そこに行って、辛くはないの?」

「辛くないって言ったら、やっぱり嘘になるよ。でもね、沢山の思い出が詰まってるここに来て、本当に良かったと思ってる。おじいちゃんとの思い出、たくさん思い出せたし」

「そう。声が元気だからちょっとは安心したわ」

「おばあちゃんはどう? 今回の事件、辛いよね……」

「そりゃ章蔵さんとは60年以上のお付き合いだったんだもの、もう章蔵さんと会えないと思うとやっぱり胸が痛むしね。でもね絵梨香、この年にもなるとね、色々な“覚悟”が、自分の中に出来てくるの。逝く人ももちろんそうだけど、後に残された人達が幸せになれることを、私は大切にしたいと常日頃から考えてる。だからね、章蔵さんの何が可哀想って、残った人たちが悲しむ姿を、あっちの世界で見なきゃいけないことかなって思うのよ。だから、絵梨香も早く元気になって。それが章蔵さんの為なのよ。私があの世に逝く頃には、みんなが元気だよって、彼に伝えてあげたいからね」

「……おばあちゃん」

「ごめんごめん。こんなこと言うと、絵梨香はすぐ泣いちゃうのにね」

絵梨香は涙を止めることが出来なかった。

「でも嬉しいわ。今回は絵梨香に会えないと思ってたから。会えるのね」

絵梨香はたどたどしく言う。

「私も嬉しい。ずっと会いたかったから」

「じゃあ、今夜はそちらで夕食をご馳走になっちゃおうかしら。毎日一人の夕食って、つまらなくてね。絵梨香にも会えるし、それに零君にも会えるんでしょう?  ワクワクして心臓が止まりそうだわ」

鼻を詰まらせた声で絵梨香は笑った。

「あはは。やだ、おばあちゃん、心臓止めないでよ」

「あはは、ちゃんと生きてそっちに向かいますからね。弓枝さんには、私から連絡してお願いしておくわ。彼女にもしばらく会ってなかったから、お会いしたいしね。本当に、楽しみだわ。じゃあ絵梨香、後ほどね」


笑顔でおばあちゃんの電話を切ったけれど、絵梨香は顔中びしょ濡れだった。

電話を握りしめて、しばらくそのまま泣いた。

おばあちゃんの胸に抱かれて守られていた、あの子供の頃のように、声をあげて泣いた。

意識が遠退くほどに苦しくなって、絵梨香はカーテンを開け放し、ベランダに出た。

陽が沈みかけた夕方の風は柔らかく、ほんの少し、秋の匂いがした。

何度も鼻をすすりながら、とめどなく溢れ出る涙を拭きもしないで、その緑の景色から、グッと空を仰ぐ。

オレンジ色の雲がたなびいて、徐々に紫の色を差し、一等星がまたたいて見える。

何度も何度も鼻をすすり、時折り大きく息を吐いてはしゃくりあげるような息をする絵梨香の様子を、零も蒼汰も、彼女に気付かれないようにベランダ越しに、静かに聞いていた。

お互い会話もすることなく、ただただ、同じ景色を見上げる。

そしてそれぞれの思いを胸に、ここに生きる今を、噛みしめていた。


第38話 『These Moment Remind Us』

ー終ー

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