第37話 『Jewel beetles』

あるじを失っても尚、生気をもつその穏やかな空間を、絵梨香は見回しながら、ふとサイドボードに目をやった。

和を彩るディスプレイとして飾ってある花器や大皿等の装飾品の間に、古びた額縁を見つけた。


「あっ。この写真……」


そう言うと同時に、後ろでスーッという音がした。

絵梨香が振り返ると、タンスの前に座り込んだ蒼汰が、おもむろにその引き出しを開けている。


「蒼汰! 何してるの? 勝手にそんな……」

しかし、蒼汰は平然と言った。

「警察も充分調べつくした後だ、人の目には一度はさらされた物だよ。それに零がもしここに来てたらさ、きっと同じことすると思わない?」

抗議したい気持ちはあったが、蒼太の言う通りだと思った。

蒼汰だって、決してフワついた興味本位な気持ちでそんな事をしているわけではない。

それは、同じ気持ちで動いている自分が一番よく分かっている。

絵梨香は蒼汰の隣に行き、一緒にその引き出しを覗き込んだ。


その中にひときわ美しい表紙のノートがあった。

「これって……なにで出来てるんだ?」

螺鈿らでん細工かな? 貝でつくられてるの。でも珍しいな、螺鈿細工でこんなにカラフルなのは。まるで本物のタマムシを見てるみたい」

「ホントだ、緑が基調の玉虫色だな」

「このあたりってね、多分タマムシが多い地域なんだと思う。ここに来てたあの小学生の頃は毎日のように見つけてたし、ついさっきもね、テラスで見たの」

その言葉に蒼汰はスッと顔を上げて、螺鈿を見つめる絵梨香を盗み見た。


先ほど到着してほどなく、零と絵梨香がテラスに一緒にいるのを目撃した。

声をかけて、こっちに歩いてきた零が、絵梨香に呼び止められて、彼女の方へ引き返して行く様子を思い浮かべる。

あの時、絵梨香はテラスの真ん中の花壇の辺りで、何かを指差していた。

それがタマムシだったのか。

その後、零をその場に残して足早に戻ってくる絵梨香を、不思議な面持ちで見た。

その表情には、確かに、ほんの少しの“ぎこちなさが”あった。

そして彼女は、その理由わけを言わなかった。

2人だけに通う "何か" が、その一瞬の中にあったような気がした。


「それにね……」

「あ……うん。なに?」

「この螺鈿細工、どこかで見たような気がしてならないんだけど………」

「え? どこで? この屋敷か?」

「思い出せない……もしも昔の思い出なら、この家ってことになるけど……でも全然、自信ない」

「そうか。なんか由来があるのかもな。そのヒントが、あればいいけど」

蒼汰はそっと、そのノートを開いた。


「何が書いてる?」

「ああ、何か雑多なメモみたいな感じだな」

「おじいちゃんの字……」

蒼汰は絵梨香の方を向き、優しく頷いた。


ペラペラとページをめくっていく。

「これは……病院に行った日かな? その日にもらった薬が何錠とか、先生に言われたことを書いてるな。次のページは……取引先の取締役との会合だな。待ち合わせの時間と場所を書いてる。日時は年末か。次は……テレビ番組? まあこれは著名人が言った言葉を書き留めたりしてるみたいな……」

蒼汰はなぞるように言葉にしながら更にページをめくった。


「あ、俳優の八雲秀彦が亡くなったことが書いてある。これってさ、今年のはじめだよな?」

「うん、お正月早々だったよね? すごく大きな葬儀で、テレビ中継もしてた」

「なんか書いてるぞ。“我が友の死に目に会えずして友と言えるだろうか”……じいさん、八雲秀彦と知り合いだったんだな。

これは……」

「なに?」

「同齢の 枯れし木立は 幾ばくの

 盟友亡きに 生きるもとなし」

「俳句?」

「うん、そうかな。きっと同い年の友達だったんだな。友達が亡くなって憔悴してたって感じか……あ! ほら、そのすぐ後に生前葬の構想が書いてあるよ。友人の死に触発されたってとこか」

絵梨香は蒼汰にグッと近付いてノートを覗き込んだ。

「あれ?」

絵梨香は蒼汰のすぐ側で顔を上げた。

「な、なんだよ」

「見て。これさ、結婚式のこと、書いてないよ」

「え? そうなのか?」

蒼汰はノートを少し手前に寄せてよく見てみた。

「……うん、確かに。書いてないな、オープニングからエンディングまで生前葬ってことになってる」

「絹川さんの事とかは?」

「書いてないな、いつ書かれたんだろ?」

「私が由夏ちゃん経由でオファーを受けて『想命館』でおじいちゃんに会ったのは、4月の下旬だったわ。ということは……この生前葬の構想は1月中旬以降ってことになるから、その3ヶ月の間に“生前葬から結婚式”っていうプランに変更したことになるわね」

「ああ、そうだな。このこと……零は知ってんのかな?」

「警察がここに入ったって弓枝おばさん、言ってたけど。このノートも鑑識さんは見てるハズよね?」

「でも高倉さんはさ、“今一つ章蔵さんの日常がつかめてない” って言ってたろ? 鑑識官がこれを読んで、“この3ヶ月の間に何か変化があった” って、オレ達のようには気付けないんじゃないか? まして押収……この場合は“領置りょうち”か、要するに、回収せずにここに残ってるっていうのも、おかしいだろ?」

「そっか……やっぱり蒼汰も、警察の事にも詳しいのね」

絵梨香は頼もしそうに蒼汰を見た。

「まあ……」

「じゃあ次、見ていこう」

そう言って顔を近づけてノートを覗き込んだ絵梨香に、蒼汰は咳払いしながら寄り添う。


また幾つか、テレビメモと接待の日時、病院関係のメモが続く。

「あ、これ。“静代さん”って絵梨香のばあちゃんの事だろ? ここに招いたみたいだな。この時に絵梨香と『ファビュラス』の事を聞いたのかも」

「……ということは、この時点ではもう結婚式をすることが決定されているのかもしれないわね」

蒼汰がページをさかのぼる。

「何かあるはずだ」

絵梨香も目を皿のようにして、1ページずつ慎重に見た。


「あ!」

2人同時に声を発した。

「これ、病院よね?」

「そうだな」

「この“先に車に戻って体を休めた”は具合が悪かったってことね。そして、“薬をとってきてもらってから”ってところは、きっと絹川さんね。……で、その後は “麗花苑の個室で食事” か。ここって有名な高級中華じゃない? 本店は麻布十番だけど、こっちにもあるのかも?」

蒼汰がスマホで調べた。

「あった。あの海が見える高級ホテルの最上階だ、来るときに通っただろ。ここからなら車で20~30分位ってところだ」

「そこで食事しながら何らかの話を? わざわざそんな所に行かなくても、毎日のようにここに来ているのに?」

「他の従業員の目を気にしていたんじゃないか?」

「それはありうるけど」

「それより、わざわざここに書き記す事の意味が気になるわ」

ページをめくる。

「あ、これは?」

蒼汰が読み上げた。


「知らぬとて 幸を奪いし 残暦を

 我が罪のもと 捧げいるらむ」


「なんか、ぼんやりしか解らないけど、罪の意識と、残暦は……残りの人生か。それを捧げるってことじゃない?」

「とにかく、この病院に行った日を特定すれば、いつから結婚へ移行したのかがわかるかもな。まあ、それが事件解決の糸口に繋がるかどうかは解らないけど、とにかく手がかりとして、零の部屋の壁に加えよう。進めるぞ!」

「ええ」


「絵梨香、ここ、“サマーコレクション放送日” って書いてあるぞ」

「確かに、これって今年民放でサマコレが放送された日だわ。おじいちゃん、そんなこと知ってたんだ」

「絵梨香、それをばあちゃんに伝えたりした?」

「ああ、そういえば静代おばあちゃんに電話で言ったわ。たまたま由夏ちゃんも早い時間に帰ってた日があったから、一緒に電話かけたんだ。民放で放送するから見てねって、放送日時を知らせたわ」

「じゃあそのルートだな」

「そうかも」


「絵梨香さ、ばあちゃんに会ったのはいつ?」

「半年くらい前かな?」

「そういえば、ばあちゃんは『想命館』に来てなかったのか?」

「それがね、急に腰痛がひどくなったからって、急遽来れなくなって。まあ、グランドゴルフのし過ぎでなったらしいけど」

「アクティブなばあちゃんだな」

「うん、私より元気かも」

「それから話したりは?」

「うん、生前葬の前と、……あとは事件のあとに一回。私、ショックが大きくて、ろくに話せなくて……逆に静代おばあちゃんになだめられちゃってね。由夏ちゃんが何回か出張先からおばあちゃんに電話して、ケアしてくれたみたいなんだ。私もその後も色々あったし……」

蒼汰が神妙な顔で頷いた。

「絵梨香、今回こっちに来てること、ばあちゃん知ってるのか?」

「うん、一応連絡はしたよ」

「会わないのか? ここまで来てるのに?」

「まあ……私も本当は静代おばあちゃんに会いたいって思ったんだけど、今回は捜査で来る感じになったから、なんか、親戚と会うとか、そういうのって違うかなと思って……」

「なんだ? 零に気を遣って言い出せなかったんだな。せっかくなんだから、ばあちゃんに会えよ絵梨香」

「うん……そうね。会いたい」


蒼汰は少しうつむいて話し始めた。

「……こんなこと言うのはなんだけどさ、絵梨香のばあちゃんだって、西園寺のじいさんと同い年なんだろう? 考えたくはないけどさ、いつまでも、そうこの先10年も20年も変わらず元気ってわけにはいかないだろ? 今回の事件で思わなかったか? 人ってさ、いつ何があるかわかんないんだ。明日は当たり前に来るって訳でもない。オレもね、零と一緒に捜査を手伝って、あらゆる事件関わるようになってから、そんな風に考えるようになったんだ。もはや年齢すらも関係ない。前途ある若者でも、命絶たれることだってある。だからさ絵梨香、チャンスは逃さず、会える時は絶対に会った方がいい。何かに迷った時は、必ず “GO” の方を選べよ」

「蒼汰……」

絵梨香はまっすぐ蒼汰を見つめた。

幼馴染みとしてじゃれ合って、これまでお互いに子供時代を引きずりながら側にいた蒼汰に、自分の知らない顔があった。

いつの間にか蒼汰は、頼もしい大人の男性に、なっていた。


「それにさ、ばあちゃんに会って、西園寺のじいさんからどんな話を聞いて結婚式に至ったかってことは、充分捜査の参考になると思うよ。零に言ったら、話を聞きたいって言うと思うぞ」

「そうね!」

「零にまず話そう。それでばあちゃんと会う約束をしようよ、絵梨香。電話できるな? ちゃんと話せる?」

「うん、大丈夫。ちゃんと話すから」

「よし決まりだ!」

蒼汰はノートを一旦閉じた。

「続き、見ないの?」

蒼汰は一息ついて、ノートをじっと見つめながら話した。

「ここには後でもう一度来よう。零も連れてくるんだ。もちろんこのノートの続きもその時に見よう。手がかりはきっと見つけられるよ。それにヤツの目なら俺達よりも確かな手がかりを見つけられるだろう」

「そうね」

「でも、それよりさ……この空間は零にも感じさせてやらねぇとな」

「……うん」

2人はもう一度その部屋をぐるっと見回した。

「よし、じゃあ行こう!」


第37話 『Jewel beetles』ー終ー

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