第35話 『聞き込みー見えてくる像』

まだ少し時間が早かった。

しかし、部屋にいてもなんとなく心がくすみそうに思えた絵梨香は、気持ちを切り替えようと、一人、ゆっくりと階下に下りて応接室に向かった。


開け放された応接室の扉から、オーク素材の重厚なテーブルが見えた。

すると西園寺泰蔵はもうそこに座っており、弓枝が泰蔵にお茶を出していた。

「あら、えりちゃん、あなたも座って。今お茶を持ってくるわね」

弓枝に会釈をし、泰蔵の前に立った。


「こんにちは。私は……」

「ああ、相澤絵梨香さんだね」

「覚えててくださったんですか?」

「あの時は分からなかったんだけど、静代さんのお孫さんだったんだね?」

「え? 祖母をご存知で?」

「ああ、私もここの出身だからね。子供の頃は静代さんがよく遊びに来てくれたものさ。うちの母とも仲が良かったからね。ひょっとしたら君のお父さんと遊んだこともあるかもしれない」

「そうだったんですか!」

「だから、当時もうっすら聞いたことがあったんだ。静代さんの孫娘がウチの親父に懐いて、その子にいつも遊んでもらってるってね。“夏になったら会長は孫と遊ぶために田舎に引っ込む” って、会社でも有名になってたよ。最初は零君のことだと思ってたんだけどね」

優しい顔で絵梨香を見た。

「不思議な縁だね。君だったのか」

泰蔵は絵梨香の顔をしみじみと眺めた。

「あの日……親父が亡くなった日、私だけ父と話せてね。父と長電話したのなんて何十年ぶりかって感じで。結婚の話を聞いて驚いたんだが、その時に君の話にもなってね。嬉しそうな声だった。だから君と話したいと思ってたんだ。礼が言いたかった。もしあんな事がなかったら、あの日のうちに言えたのにな……ありがとうね」

「いえ、そんな……私の方こそ……」

目の奥にきゅっと痛みが走り、絵梨香は涙ぐんだ。


零と蒼汰が入ってきた。

絵梨香は涙を拭いながら、彼らに席を促した。

「零君、ああ君も、すまないね。こんなとこまで来てもらって」

「いえ、僕らも久しぶりに来てみたかったんで。江藤蒼汰です」

「君も父と知り合いだったんだってね」

「ええ、中学の時に零と一緒にここに何回か来させてもらって。西園寺のじいさんには世話になったんです。それなのにあんな事になって……」

「私も未だに解せないよ」


「今日は色々お伺いしますが」

零は神妙な声で言う。

「ああ、零君、わかってるよ。君はまあ……来栖君の息子だからね。警察サイドということで来たんだよね」

「はい。それが一番、僕が会長に貢献できる事かと思って」

「そうだな。よろしく頼むよ」


弓枝がお茶を持って入ってきた。

「弓枝さん」

「はい、零様」

「すみませんが、弓枝さんも一緒に座って頂けませんか」

「ええ、わかりました」


それから1時間ほど話が続いた。


「事件の朝に、被害者……いえ、会長からかかってきた電話について教えてください」

「ああ。朝の8時過ぎだったよ。8時に家を出るつもりで準備をしていたからね。車に乗り込んでほんの少ししたら、私の携帯に父から電話がかかってきた」

「話の内容を詳しく教えてください」

「ああ。親父から電話がかかってくるのも本当に久しぶりだったからね」

「じゃあこの生前葬も、僕たちと同じように招待状で知ったんですか?」

「そうなんだよ。生前葬すらも意味が解らなかったからね。概要を聞いてやろうと思ったよ。そしたら結婚式だって言うから尚びっくりしてね。要は味方になって欲しいって感じだった。もちろん君の母親とその妹から、ってことだよ」

零は少し、息をついた。


「なるほど……相手が絹川さんだとは聞きましたか」

「いや、そんなに頻繁に介護士があの家に通っていることも知らなかったし、親父がそれが必要な段階であるとも、私は知らなかったよ。いつの間にか親父も年を取ったんだなぁなんて思っていたら、結婚なんて言い出すから。本当に、度肝を抜かれたよ」

「面識はなかったと?」

「もちろん。名前も存在も知らなかったさ」

「やはり反対したんですか?」

「まあ常識的に言うと、いびつな結婚だろ? それに親父はただの老人じゃないわけだから、当人同士だけの問題では済まされない」

「それで最終的に伯父さんは納得したんですか?」

「納得も何も。“最後の願いだ” と頼まれて……そんな風に親父が何かを懇願するのも初めてだったし、正直すごく困ったよ。その時に相澤絵梨香さんの話も聞いたんだ。“残りの人生は、自由に安らかに過ごしたいんだ” なんて言われたらもう反対できなくなってしまってね。20分ぐらい話しただけだが、電話を切ってから会場に向かうまでは、妹たちにどういう言い訳をしようかと、それで頭がいっぱいになったよ」

泰蔵は大きく息をついた。


「その時、何か気付いたことありませんでしたか? 例えば話している内容が支離滅裂だと感じたり、ろれつが回っていないとか、声に元気がないとか……何でもいいんですが」

「それもあとから考えてみたんだ。確かに言ってることは突拍子もない事ではあるが、至って普通だったな。久しぶりに話したんだが、声にも張りがあったしね。充実してるというか、親父は今幸せなんだろうなって、そう思ったな」

「なるほど。会場に着いた時はどういう状況だったんですか?」

「もう妹たちは到着していたよ。私はもう一度父と話そうと思って、親父の控え室の前まで行ったんだけどね、『想命館』のスタッフの人に止められて」

「スタッフ? どんな人です?」

「小柄なショートヘアの女性だった」

「小田原佳乃さんだわ」

「そうか」

零と一瞬、目が合った。


「それで彼女はなんと?」

「生前葬が終わるまでは誰も取り次がないように、と本人から言われていると」

「なるほど、それからは?」

「我々の控え室に向かったよ。そこにいたのは私の妻と中条の妹夫婦だったけど、とりあえず、大した策もなくそのまま話したから、案の定、楓は激怒でね。そこに間が悪く絹川さんがやってきたんだ。初対面だ。で、そこに君たちが入ってきただろう?」


あの日のことを思い出す。

磁器が割れるような音が聞こえた時は、何事かと本当に驚いた。

「それで絹川さんが出て行った後に、入れかわりで葵が戻ってきただろう? そこでもう一度、朝の親父との電話のことを説明したんだ。その後のことは君らも見てるだろ?」


「うちの母は納得しましたか?」

「いや、納得というわけではないが、わりと冷静に考えていたな」

「皆さんそれぞれのアリバイ……失礼、部屋の出入り等の、会場での行動を教えてください。分かる範囲で結構です」

「ああ。葵に話した後、葵は芳名帳を見に行くと言って席をはずしたよ。ほんの10分かからないうちに戻って来たがね」

「芳名帳を?」

「ああ、要は来賓客を確認しに行ったらしい。我々は知らされてなかったが、やはり中々の人物が遠方より呼び寄せられていて……これは身内で揉めてる場合じゃないなってことになったんだ。まあ、知っての通り、楓は全く納得しなかったけどね」

またもや息をつく。


「僕らが廊下のソファに居て、伯父さん達3人が絹川さんの部屋に入った時に、幸子叔母さんと中条の叔父さんはどこに居たんですか?」

「ああ、それは私も妻に聞いたよ。妻は私達3人が退出してほどなく部屋を出て、ロビーラウンジでコーヒーを飲んだそうだ。中条くんのこともコーヒーに誘ったそうだが、彼は電話をかけるからと言って一人控室に残ったそうだ。その後、あまり時間の経たないうちに、ロビーラウンジで見かけたらしい。コーヒーは飲まず、なにやら受付で話をしていたらしい」

「そうですか」


零は取っていたメモを束ねて脇に置いた。

「では今度は弓枝さんにお聞きしますが。会長は普段どんな感じの生活リズムで過ごしていましたか?」

「はい、ここしばらくは会社に行かれるのは週に1~2回ほどでした。会社には行かずに取引先に出向いてお帰りになることも多かったですね」

「そうですか。日課などありましたか?」

「だいたい6時頃に起きられて、まずは血圧計と血糖値をご自分で測っていらっしゃいました。外出される日でも、お出掛けのご予定がない日でも、朝は畑に入られます。だいたい、会長が朝食を召し上がられる頃に絹川さんがいらっしゃって」

「薬の管理は絹川さんですか?」

「はい。絹川さんは会長が出社する日はいらっしゃらないので、彼女がいない日は、私が彼女に言われた用法でお薬をご用意してお渡ししていました」

「本人に管理はさせていないのですか?」

「以前、薬を間違えて誤飲を……血圧を下げる薬をたくさん飲んでしまって、意識がなくなって救急車で搬送されたんです。お医者様がおっしゃるには、それは単なる誤飲ではなく、自ら多量摂取したことから、ごく初期のアルツハイマーではないかと……そう聞かされました」

弓枝は泰蔵の方をちらりと見た。


「それはいつのことですか?」

「半年ほど前です。それからは 服用する分だけをお出しして、なるべく見ている状態で飲んでいただくようにしていました」

「睡眠薬に関しては?」

「主治医から出してもらっている薬は睡眠薬というよりは睡眠導入剤で、会長が必要だとおっしゃる時だけ、同じように小分けにして 一錠ずつお出ししていました」

「ということは、シートで本人が持っているということは?」

「まずないかと思います」

零の目が鋭くなったように見えた。


「認知症の可能性があるということは、伯父さんはご存知だったんですか?」

「ああ。実はその搬送された時に、親族として呼び出されたのでね」

泰蔵は弓枝と視線を合わせた。

「その事は、母や楓叔母さんには?」

「話してないんだよ。なぜ話さなかったかは……零君ならなんとなくわかるんじゃないか?」

「そうですね……」


零がティーカップに手を伸ばそうとすると、弓枝がそれをさえぎった。

「すっかり冷めてしまいましたので、淹れ直しますね」

「ありがとうございます。では伯父さん、ここからは西園寺家の財務状況を教えてもらえますか?」

「ああ。つい昨日、公認会計士とも話したところだ」


蒼汰が立ち上がった。

「じゃあ僕たちは席を外すよ」

そう言った蒼汰につられて絵梨香も立ち上がると、弓枝がその肩に触れた。

「こちらのお茶をお淹れしたら、私もすぐに向かうので、江藤さんとダイニングにいらしてて」

「ええ」


第35話 『聞き込みー見えてくる像』ー終ー

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