第34話 『A moment in a peaceful afternoon』

テラスで直射日光を浴びて火照り気味の額に手をやりながら、絵梨香は蒼汰と二人、大階段を下りていった。


あの頃とは、目線の高さが違うなと、窓の景色を見ながら思う。

あの頃は、空しか見えなかった。

ずっと上ばかり、見ていた気がする。


目的地のダイニングルームまでの足取りは、不思議なほどに迷いがなく、体が覚えているということはこういうことなのかと、改めて思った。


モダンな大理石のテーブルの上に待ち受けていたものは、意外にも“名物ばら寿司”。

そしてデザートは白桃とマスカットがふんだんに盛られた綺麗なタルトだった。


弓枝に席を促され、テーブルに付く。

絵梨香と蒼汰は向かい合って座り、ほどなくしてやって来た零が、絵梨香の隣に案内された。


先ほど上から眺めた噴水を見ながら頂く海鮮ばら寿司は、そのミスマッチも相まって絶品だった。

「うまいなぁ! しかし、ご当地感ハンパないですね!」

蒼汰が、かっくらいながら弓枝に言った。

「ほんと美味しい!」

弓枝は嬉しそうに微笑んでいる。

「夜はちゃんとコースディナーにしますからね。お昼はこんな感じが喜ばれるかと」

にこやかに言った。

ばら寿司を堪能した後は、綺麗に取り分けられたタルトが目の前に置かれた。

色目も可愛くて、食べるのがもったいないなと思いながら、そっとフォークを伸ばす。


絵梨香の視線が、そのフォーク越しの右隣にロックオンされた。

その固まった絵梨香の様子を見て、蒼汰が派手に吹き出した。

「あはは、やめろよ絵梨香! その顔!」

「え?」

「解るよ! そりゃオレだってさ、零が桃のタルトを食べるナンテ、そんなレアなシーン、見逃すかよ! でも密かに盗み見るならまだしも、そんなあからさまに……あははは」

蒼汰は笑いが止まらないと言ったように肩を震わせて下を向いている。

なんだか気まずくなって抗議する。

「もう! 蒼汰……」


「おい」

零がそう言ったので、恐る恐る彼の方を見ると、零は絵梨香の目の前で大きく口を開けると、プリプリの桃が乗ったケーキをパクリとほおばった。

再び固まった絵梨香を見て、蒼汰はひっくり返らんばかりに、身をよじって笑い転げた。

「あーもうダメだ、腹痛い腹痛い」

零は平然とそれらを平らげ、方や絵梨香は半分笑ったような顔で唖然としている。

立ち上がった零は、二人を侮蔑するように見下ろしながら、絵梨香と蒼汰に “後で部屋に来るように” と言い渡した。


「まあ、にぎやかですわね」

そう言ってお茶のおかわりをうかがいに来た弓枝に、零は聞いた。

「弓枝さん、泰蔵おじさんが来るのは何時ですか?」

「3時過ぎと聞いています。このダイニングのはす向かいの応接室をご用意しますね」

「ありがとうございます。すみませんが、スタッフの方々にもお話をうかがって回るかもしれません、構いませんか?」

「ええ、もちろんです。スタッフも同じ気持ちですから……私から皆にはなし話を通しておきますね」


「それと」

零が更に付け足す。

「俺たちは客人じゃなく、身内なので……あまり気を使わないでください」

弓枝は目を細めて零を見た。

「ありがとうございます、零様」

「いえ。ご馳走さまでした」


ダイニングを出ていこうとする零に、蒼汰が投げかける。

「今度はイチゴショートを食べて見せてくれよ!」

零はスタッと止まり、振り返って二人をグッと睨むとフッと口角を上げた。

そして、またくるりと背を向けて出ていった。

蒼汰の派手な笑い声が廊下にまで聞こえていた。



ほどなくして、零の部屋の前に到達した絵梨香と蒼汰は、彼に招き入れられた。

蒼汰が咳払いをしながら、先程の一件を払拭する。


「なに……これ!」

絵梨香が壁を見て、驚きの声を上げた。

そこには巨大な模造紙が貼ってあり、沢山の付箋が貼られている。

「これは……『RUDE BAR』の捜査会議室さながらだな」

蒼汰が感心しながら全体を見回した。

「ああ、あそこで分析したことを まとめて、掲示してある。まずはこれらを頭に入れて、この後3時から来る俺の伯父の話を聞いてくれ」

「え! 今からこれを頭に入れろと?」

「いや、簡単に流れがわかればいい」

「いや……でもこれ……」

蒼汰が頭を抱える。

「伯父は比較的穏やかな性格で、発想も柔軟なタイプだ。きっと話しやすいだろう。じゃあ、簡単に説明する」

2人は模造紙に注目した。


「じいさんは事件の前の晩から『想命館』に宿泊している。ここの “少し血圧が高めだが、当日の朝の体調も悪くなかった” とあるが、これは絹川美保子の証言だ」

零は、模造紙の時系列にしたがって、事件当日の章蔵の足取りを二人に説明し始めた。


「7時には朝食ブッフェ、そこから一旦部屋に戻り、8時には新郎控え室に降りている。これはそれぞれ別の従業員が目撃している。いずれも一人だったそうだ」

「ふうん、絹川美保子はこの時は同行していなかったわけだ」

蒼汰が模造紙を見ながら言った。


「携帯の通話記録から、長男の泰蔵氏に電話をかけている。調書によると泰蔵氏は会場に向かう車の中で、約20分ほど話していたと証言。時間帯的に、新郎控え室からかけたものとされる。そして8時半までは確実に生存していたということになるな。加えて、この時間に、絹川美保子が新郎の部屋に入っていくのが目撃されていて、絹川本人も、大体この時間に血圧を測りに行ったと証言している。おそらく、泰蔵氏との会話を終えた後だろう。その時に、“食前に飲む血糖値を抑える薬を手渡した” と言っている。生前葬から結婚式に切り替わった時に食事をとることになるだろうからと、予め渡しておいたらしい。その薬は遺体のタキシードのポケットに、そのまま入っていた」

その “遺体” という言葉に、絵梨香は思わずうつむいた。


「棺が運び出されるまでと、生前葬が一通り終わるまでの、じいさんが一人のこれらの時間、ここをどう本人が過ごしていたか、そしてその安否が、この事件の肝になる。ちなみに、会場に棺を運び出す前に、絹川美保子と“棺越しの会話があった”とここにあるが、信憑性に欠けるため、あえて認証せずグレーゾーンとしている」

「あ、それはオレも高倉さんと会議室の片付けをしているときに聞いたよ。要するに、声を確認したのが複数じゃなかったって事だろ?」

「そうだ。容疑者にもなりうる人間の単体の証言だからな。不自然な点も幾つかある。例えば、遺体確認後に控え室を調べると、サイドテーブルに大量の睡眠薬のPTP包装シートが置かれていて、睡眠薬12錠が取り出されている状態だったが、棺を運び出す際にその存在に気付いた者はいない。気付いてもおかしくはないが、これからセレモニーという状況ならば気付かなくてもおかしくない。やはり、曖昧だ。証言出来る人間が少ないからな。続けるぞ。この睡眠薬は、血圧の薬をもらっている病院で同時期に処方されてはいるが一度の来院で10錠1シートよりも多く渡すことはないそうだ」

「使わない分を、何週間も取りためていたということか?」

「まあ、それも考えられる。睡眠薬の摂取について、その頻度を絹川美保子に聞いては見たが、本人に任せていたので把握していないと答えた。ひとまず、当日の流れはこうだ」

模造紙には “午前10時46分、死亡確認” と書いてあった。

おそらく零の手で確かめ、彼がこの時間を示したのだろう。

そう思うと、絵梨香は胸に痛みを感じた。


「これらを踏まえて、今からここに来る西園寺泰蔵氏に当日の行動を聞く。じいさんとうちの母親含め、親族間に財産のトラブルがないかどうか、伯父と絹川がどこまで関わり合いがあったかもだ」

「関わり合い? 泰蔵さんはじいさんともあまり会う機会がなかったんだろ? 結婚も知らなかったなら、その介護士まで認識してるか?」

「普通ならそうだ。だけど仮に、伯父と絹川が手を組んでじいさんを殺したとしたら……? ここにどんなメリットがあるか。そういう可能性すべてを潰していかなきゃならない」

「零! なんて事を……もはや空想じゃないか。そんなこと本当にあり得るか?」

「ああ、なんだってあり得るんだよ。犯罪の世界は」

零は力強く言い放った。

絵梨香は少し怖くなった。

彼は一体どんな所で、どんな悲しい話を聞きながら生きてきたのだろう。

自分の親族をも疑わなければならないことが、とても不憫に思えた。


「弓枝さんにも同席してもらうつもりだ」

零が絵梨香の方を向く。

「お前には主に弓枝さんから色々聞き出してもらいたい」

「え? 聞き出す? 私が?」

「そうだ。まずは絹川の仕事の密度。それから生活態度、人柄。後は結婚話がどの時期に出たか。それについて何か知らないか。まずそれが一点」

「まだあるの?」

「もう一点は、じいさんの身体的症状をどこまで把握していたか。服用している薬、生活リズム、認知症の症状の有無。このあたりを聞いてみてくれ。伯父と弓枝さんには、接触を防ぐために知らせていないが、5時から主治医を呼んでいる。その後、主治医の話と照合する」

その言葉に絵梨香は思わず顔を上げた。

「あなたまさか……弓枝おばさんも疑ってるの?」

「事件が起きればなんだって疑うさ。ある意味それってフェアだと思わないか? とにかく、今日は警察の取り調べ代行で来ているんだ。お遊びじゃない。悟られないようにしながら、しっかりやってくれ」

絵梨香が顔を背ける。

「零、そんな言い方……」

蒼汰は抗議しながら、ちらっと絵梨香を見た。

そしてため息混じりに、頭を掻きながら言う。

「あーもう! ちゃんと話しを聞けばいいんだろ? わかったよ零。なぁ絵梨香、じいさんの事件を解決するためだ、しっかりやろう!」

「……分かった」

絵梨香はそれだけ言って、1人部屋を出て、自分の部屋に戻った。


あんな言い方しなくても……

なんだか悔しくて、ベッドに突っ伏して枕を叩いた。

さっきの零はまた、感情のない表情だった。

『想命館』の階上の中庭で「ありがとう」「俺の分も泣いてくれ」と、そう言ってハンカチを手渡してくれた零。

そしてさっき、ここに到着して車を降りた時にも、彼は私に再度ハンカチを渡してくれたのだ。


表立って優しさを見せるタイプの人じゃないけれど、彼の本質を少しは理解出来てきたと思っていたのに……

なのにまた、さっきみたいなまるで別人のような冷たい顔を見てしまったら、もう解らなくなってしまう。


マンションのエントランスで隠れ見た、あの零の苦悶の表情……あれは何だったんだろう?

その時蒼汰が言っていた「素のお前」とは、どんな人物なのだろう……


絵梨香は天井を仰ぎ、大きく息を吐いた。

この事に心を占領されてはいけない。

今日は真実を解明する為の一歩を探しに、ここまでやってきたのだ。

絵梨香は立ち上がり、身支度をして階下のリビングルームに向かった。


第34話 『A moment in a peaceful afternoon』ー終ー

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