第31話 『いざ、西園寺家へ~ Highway service area』
土曜の朝、絵梨香はキャリーバッグを転がしながら、大通りのスタバの前に向かった。
そして蒼汰の指示通り、零の車の到着を待つ。
ほどなくして、赤のSUV車が停まった。
「絵梨香、おはよう!」
助手席から蒼汰が降りてきて、絵梨香の荷物を後ろに積んだ。
「おはよう。お邪魔します」
薄い色のサングラスをかけた零が、運転席からこっちを向いて軽く手を上げた。
「なんか……凄い車ね」
蒼汰がまるで自分の車のように自慢げに語り出した。
「ジャガーE-PACE。イギリス高級車なのにSUVって所がいいだろ? コイツに乗るの、久しぶりなんだよなぁ。ボディの赤もシートのツートンカラーも、いいだろ? ステアリングとホイールのジャガーエンブレムも……」
「蒼汰、騒がしいぞ。お前がコイツがいいって言うから乗って来てやったけど、俺はコイツで街を走るのには抵抗がある」
零が面倒くさそうに言った。
「アクティビティ専用なんて贅沢すぎるだろ! 一体何台所有してるんだ! お前みたいなインドア派がオーナーだったら、コイツの出番なんて一生来ないじゃないか。それに今日の遠征は、アクティビティみたいなもんだろ?」
「まあな」
零がステアリングに手をかけ、車は滑らかに走り出した。
それからも上機嫌な蒼汰は、時々後ろを向きながら、絵梨香とも零とも饒舌に話していた。
まだ夏の色香を残した山々の緑の深さと、見下ろした川の美しい表情。
その雄大さと繊細さが相まった景色を、後部座席に背中もつけないで、窓にかじりつくように見ている絵梨香を、蒼汰は微笑ましく見ていた。
「絵梨香、小学生かよ?」
その言葉が、意外にも絵梨香の胸に刺さった。
「そう、小学生の時……おばあちゃん家に 車で行ったこともあったな……その時、この道だったかもしれない。そっか、なんとなく懐かしいような気になったのは、実際にここを通ったことがあるからなのね」
絵梨香の目が遠くなるのがわかった。
その後も時々後部座席に声をかけていた蒼汰は、山道を抜けたバイパス辺りから急に静かになった。
「次のサービスエリアで停まるぞ」
零がバックミラー越しに言った。
「ええ」
今度は田園風景を見ながら目を癒す。
「わぁ、あの白い大きな鳥!」
時折見かける鷺の姿に驚嘆していると、サイドミラー越しに零が少し笑っているのが見えた。
インターチェンジに着いた。
「おい蒼汰!……起きないな」
「蒼汰って、車乗るとすぐ寝ちゃうよね? 今日はまだもった方かもね」
フッと零が笑った。
「そうかもな」
ドアを開けて降りた零が、ほんの少し身体を反らせた。
「運転、疲れたでしょ?」
「いや別に。ちょっと展望台で気分転換してくる」
蒼汰を残して絵梨香も下車し、一人で一通りお土産ショップを回りながら、美味しそうなお饅頭やクッキーの試食をつまませてもらった。
ひときわ食欲をそそるにおいを醸しているコーナーに目をやる。
不意に、零と初対面の日のあの険悪な晩餐の時に、彼がチキンを食べていたのを思い出した。
あんなに素敵なフレンチレストランで、あんなに美味しいお食事を、きっと私たちは仏頂面で頂いていたんだわ。
そう思うと、少しおかしな気持ちが沸いてきた。
「よし!」
自分でも変なことを思いつくなぁと、半ば呆れながら、絵梨香はブラックコーヒーとミルクティーを買って、そのボトルと共に、更にチキンの串刺しを一つ買って、展望台に向かった。
遠くから見ても、来栖零のシルエットはわかる。
長い脚を持て余すように伸ばし、そこに組んだ足の膝に気だるげに左手をおいて、背もたれに肘ついた右手に頭を持たせている。
決して風景とマッチしているとは言えないが、実に絵になる。
静止しているので、すぐ近くに来るまで、眠っているのかと思った。
しかし、サングラスの隙間から見える目はしっかり開いていて、展望台からの景色を見ている。
「あの……お腹すいてない?」
そう声を発した時に、耳のすぐ近くで羽音がした。
「わっ!」
そのまま振り返ると、またブーンと聞こえる。
「やだ! ちょっと! なに?」
バタバタしている絵梨香に気付いた零が、唖然としている。
「お前……何やってんだ?」
「あのね、何か虫がすごく近くで飛んでて……やだ! 音止まった! え? 私にとまったの? ねえねえ! 私に虫止まってない?」
零が面倒くさそうに立ち上がる。
近くに来るとこんなに背が高かったのかと思うほど、零の頭は遠い。
「ああ。じっとしてろ」
零がそう言った。
「え? いやだ! やっぱり止まってるんだ! 無理無理無理!」
「だから……じっとしてろって」
絵梨香の顔のすぐ前に零の胸がある。
腕を伸ばして、静かにそーっと髪に触れる。
息が止まりそうになった。
「よし捕まえた」
視界いっぱいの零の胸が離れて、ほっと大きく溜め息をつく。
と、同時になんだかこの光景に見覚えがあるような気がした。
「お前さ……」
零のその声に我に返る。
「その格好……串刺し持ったまま、なに暴れてるんだ?」
零が口に手を当てて吹き出していた。
そんな顔を見たのは、初めてかもしれない。
いや……でもなんだか懐かしいような気持ちもした。
「何突っ立ってんだ? そんな格好で……」
笑いをこらえながら平然を装っている姿は、事件に直面したときの零とは、明らかに違っていて、柔らかい雰囲気さえ感じられた。
「あ……あの、お腹空いてるかなと思って買ってきたの。チキン好きだったみたいだし、ずっと運転してもらってるし。はい、食べて」
串刺しを渡すと、やっぱり零はまた笑った。
恥ずかしい気持ちと、なんだか嬉しいような気持ちにが相まって、絵梨香も下向き加減で笑った。
「あの、飲み物は?」
持っている2本のボトルを見せる。
「ブラックでいい。居眠り運転は困るだろ? じゃあいただくか」
零は座りなおして、串刺しのチキンを一瞥してから豪快にかぶりついた。
さっきよりベンチの左寄りに座っている。
隣に座っていいということか。
絵梨香は零の右側にちょこんと座って、ミルクティーをあけた。
やわらかい風がサーッと吹いて、さっきの虫の一件の汗が、スッと引いていくのを感じた。
目の前にパノラマが広がる。
手前の木々から小さな街が広がり、夏を感じさせるもくもくとした白い雲が、空の高さを表現している。
日差しが強くて右手で影を作ると、更にその向こうには海がキラキラして見えた。
「もう少し走ったら、あの海沿いに出る」
「そうなんだ。キレイだろうね」
足をブラブラさせて、太陽を感じた。
左手にあるハート形のモニュメントで子供達と写真を撮る家族連れの、幸せそうな笑顔に目を細める。
ふと何気なく、右側に置いたバッグに目をやると、そこに覗いているジッパーバッグに気がついた。
「あ、そうだ! あの……これ、返そうと思って」
絵梨香はカバンからそれを取り出して、零 に渡した。
そのジッパーバッグは、透明な袋にカラフルな幾何学模様がプリントされていた。
「なんだ? これは」
「あー、ごめんなさい。そんな袋しかなくて……」
零は自分の目の高さまで、そのジッパーバッグの端をつまんだまま持ち上げた。
中身を確認すると、納得したように頷いた。
「ああ、ハンカチか。あの時の」
『想命館』の屋外庭園で、零が手渡してくれたあのハンカチだった。
絵梨香が一番辛かったあの日、意外にも零から差し伸べられた、救いの手の元に……
「そう。ありがとう。あの時は……」
話を続けようとしたときに、後ろから大きな声がした。
「おーい! 探したぞ」
蒼汰が大きなアクションで手を振り、更に大きな声で続けた。
「オレ、ちょっと買い物してから車戻るわ」
絵梨香が笑い出す。
「……アイツこそ、まるで小学生だな」
「ホントね」
二人は立ち上がった。
「じゃあ私たちも戻りましょう」
絵梨香が車の方向に足を踏み出そうとした時、頭の上から声がした。
「あ、虫」
「えっ! やだやだ! 取って取って!」
パニックになって後ろを向いたら、零の胸にぶつかった。
息を飲んで上を見上げると、零の唇の端が上がって見えた。
笑っているようだ。
「え? 嘘なの? え! 嘘なの! もう! やめてよからかうの!」
そう言って、その胸を叩いた。
「あー悪い悪い。面白かったよ。行くぞ」
零は両手を小さくハンズアップして見せてそう言うと、絵梨香の頭をコツンと弾いて、大きなストライドで車に向かった。
「待ってよ! ホントひどいんだから!」
絵梨香はカバンを持ち直して、小走りに後をついて行く。
蒼汰は少し離れた所から、その様子を見ていた。
車に戻ると、蒼汰のギアが上がっていた。
「さっきさぁ、チキンの串刺し食べたんだけどさ……」
零も絵梨香も一緒に笑った。
「え? なになに? お前らも食べたの? めちゃウマかったよな?」
零も幾分か饒舌になっていた。
やっぱりこうして二人の男子のやり取りを見ていると、旧知の気のおけない親友なんだなぁと実感できて、実に微笑ましかった。
後部座席に身体を埋め、心地よい揺れと、楽しげな彼らの声に包まれながら、絵梨香の意識は少しずつ遠のいていった。
第31話 『いざ、西園寺家へ~
Highway service area』ー終ー
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