第29話 『The 4th Case』at Casablanca Residence
『RUDE BAR』から出た三人は、体調のすぐれない絵梨香を気遣って、早目に切り上げ、マンションまで送った。
絵梨香の提案で、蒼汰が7階の彼女の部屋に上がることになり、二人とエントランスで別れた零は、何気なくその場を見回していた。
メールボックスは各階3戸ずつあった。
7階が1戸であることは周知の事実だ。
その701号室のボックスから、あまりにも不自然に、黒い紙がはみ出しているのが見えた。
その真っ黒な紙に、零は手をのばした。
わざとらしく差し込まれているのだ、手に取ることは容易だった。
そして手元で裏返す。
零は目を見開いた。
そこには 新聞の切り抜きで作られた、大きさがバラバラの文字が並んでいた。
【次はオマエ】
細部まで注意深くその文字を辿ると、零はぎゅっと目を閉じ、荒くなりそうな呼吸を整えた。
ポケットから携帯電話を取り出す。
「高倉さん俺です……今から鑑識を連れて来ていただけますか」
零の要請で、すぐに警察がやってきて、絵梨香の住む『カサブランカレジデンス』のエントランスは物々しい雰囲気に包まれた。
零から同じタイミングで連絡を受けた蒼汰も、絵梨香と共に部屋からすぐにエントランスに下りてきた。
「零!」
蒼汰がそう声をかけると、零はこちらを振り向き、肩がすくむような鋭い眼光を放ったまま、つかつかと歩いてきた。
二人はその雰囲気に戸惑いながら、エントランスの光景を見回した。
そして蒼汰は、零が差し出したその手にある、ジッパーバッグの中の黒いカードに目をやった。
「なんだこれは……。じいさんの事があったばかりだっていうのに……【次はオマエ】だと?! くそっ!」
隣にいる絵梨香も目を見開いて息をのんだ。
「なあ零、これって絵梨香を狙ってるって……事なのか?」
蒼汰は零をぐっと捕まえて、興奮気味に言った。
「そうだ」
「なんでだ! こんなに次から次へと……今度はストーカーの事件が絵梨香を苦しめるのか? もうたくさんだ! 部屋番号もバレちまって……もう! どうしたらいいんだ!」
横から絵梨香が彼の腕をとる。
「落ち着いてよ、蒼汰」
「落ち着いてられるかよ!」
高倉刑事が、到着した。
「相澤絵梨香さん」
そういえば、零と知り合った日、もともと大通りで起きたストーカー事件の現場で見かけたのが、高倉刑事だった。
あの時は、刑事がこの二人と親しげに話していたのを、不審に思って見ていた事を思い出す。
「また会ったね。大丈夫?」
高倉は自身の複雑な表情を隠し、絵梨香をいたわるように、まっすぐ目を見て落ち着いた声で問いかけた。
「……はい」
高倉は零からジッパーバッグを受け取り、眉根をよせた。
「そう……ちょっと心配な事態になったから、これから色々話を聞いたりすると思うけど構わないかな?」
「はい」
絵梨香の様子を気遣いながら、高倉は大きく息をついた。
「相澤さん、『想命館』の事件があったばかりなのに、またこんな事件に巻き込まれるなんて、怖い思いをさせてると思ったら、僕らも辛いよ。でもね、こうなったからには、僕ら警察は全力で君を守るからね」
高倉は強い眼差しを向けた。
「ありがとうございます」
「零くんや江藤くんとも連携して、君に危険が及ばないようにする方法を、しっかり考えていくよ」
「はい、私も負けません」
高倉は何度も頷いた。
エントランスには何人もの捜査員と鑑識官が慌ただしく出入りし、その中で零は、私服のスーツ姿の捜査員たちに細かに指示している。
西園寺家の事件以来、零はこれまでの憂いをたたえた静かで冷たい印象からうって変わって、少し攻撃的な印象さえ覚える。
つかつかとこちらへやって来て絵梨香を見据えた。
「話、いいか?」
零はそう切り出すと、こちらの返事を聞くこともなく、手元のメモに視線を落とす。
「今までに不信な郵便物は?」
「……なかったわ」
「今までに、ここで人気を感じたことは?」
「あ……それは……」
「あったんだな。いつだ?」
「えっと……私があなたに『RUDE BAR』から送ってもらった日の……」
「ああ、あの日は俺も気配を感じた」
「いえ、私はその日じゃなくて、その2日後ぐらいかな……」
「そうか。時間は?」
「いずれも夕方、少し暗くなってから」
「どんな気配を感じたんだ?」
「郵便物を取ったら、誰かが見ていたかも、っていうか……明確に人影を見たわけじゃないの。何かがすっと通ったような……」
「分かった。他には? 例えば、いたずら電話とか」
「それは、ないわ」
「道を歩いていて、何か気配を感じたことは?」
「明るい時間に帰ってるけど……分からない……」
「人通りが多いところで視線を感じたことは?」
「……分からない」
「電車で同じ人間と目があったことは?」
「ないと……思うけど……」
絵梨香が戸惑いを見せた。
「おい、ちょっと零!」
蒼汰が口を挟む。
「絵梨香は被害者だ。そんなにまくし立てて、取り調べみたいなやり方はやめろよ!」
「あ……そうだな。悪かった」
「いえ……」
零はメモから視線を離し腕時計を見ると、深く呼吸してまっすぐ前を見た。
「もう遅い。部屋に戻ってかまわない。また聞く事が出てくるかもしれないが」
「ええ、わかったわ」
「絵梨香、もう帰るか?」
蒼汰が絵梨香の顔を覗き込むように言った。
「うん。明日も仕事だしね」
「一人で大丈夫か?……こんなことが起きるなんて……怖いだろ? どうしたらいい? オレ、ずっとお前についていようか?」
蒼汰は絵梨香の両腕を
「蒼汰」
絵梨香は、蒼汰の腕を握り返す。
そしてその手を、そっと下ろした。
「私は大丈夫。私、負けないわ。だからって無茶したりして、心配かけるようなことはしないから。信じて蒼汰」
「……わかったよ。今はもうあの眠気はないのか?」
「うん……不思議なことに全く。頭痛薬が効いたかな? 頭も痛くないし」
「まあ、だけど体調は良くないんだから、しっかり寝るんだぞ」
「うん、ありがとう。じゃあ、帰るね」
少し離れたところにいる零にも視線を向けた。
目が合う。
小さく頷く彼の表情が、意外にも温かく感じて、思わずじっと見てしまった。
視線を外して、絵梨香はエレベーターホールに向かった。
「おい、零」
「蒼汰、お前の言いたいことはわかってるよ」
その声が気になって、絵梨香はエレベータに乗らず、柱に隠れていた。
「おまえさ、わかってるならもう少し……」
「悪いな。確かに焦ってる。でも犯人を捕まえない限り、彼女の身の安全は保証できない。一刻も早くだ」
「そりゃそうだけど……零」
蒼汰は零を仰ぐように見た。
「今後は気を付けるよ。気を配るとか、あんまり得意じゃないけどな」
「零……お前がそんなに熱くなるのは、ひょっとして……」
零の眼光が強くなった。
「何だ? 何が言いたい?」
「いや、なんでもない……」
蒼汰は勢いに押され、零は自分自身を制するように息を吐いた。
ほんの少しの沈黙が、二人を包んだ。
「なあ零、絵梨香にはまだこれからも事情聴取する必要があるよな?」
「おそらく」
「じゃあさ、今後も『RUDE BAR』に連れて行っていいか?」
「ああ。捜査会議と言っても、基本は俺と高倉さんが協議する場所になる。俺は捜査員が集めた情報を分析し、高倉さんとディスカッションして、高倉さんが署内の捜査本部にそれを持ち帰るっていうルーティンワークさ。そこには蒼汰、お前や相澤絵梨香も関係者として協力してもらう。まあ、今日の事件は全く別問題だが、あいつ自身が警察と密に関わることで、今後、今日のような事態の抑止力にはなるだろう」
「そうだな。でも絵梨香は……混乱してるよ。色々あった上に、体調もああだろ……だいぶん参ってる。だからお前もさ、あんまりズケズケ言うなよ」
「ああ」
「お前の事、もう少し理解できればな……なあ零、素のお前を一度見せてやってくれないか」
それを聞いて、零は珍しく
「は? 素の俺だって? そんなのはとっくに失ってるさ。一体なんなんだ? 俺が一番知りたいよ!」
「零、おまえ……」
「蒼汰、すまない。今は無理だ」
蒼汰は一つため息をついた。
「そっか、そうだな……」
立ち去ろうとする零の背中に向かって問いかける。
「零、お前、本当に大丈夫……なのか? 本当はお前、ずっと……」
その言葉を
「気を遣わせて悪いな。なんとか保つよ」
零がこちらの方に向かって歩いてきたので、絵梨香はサッと身を隠した。
零の表情すべてが、絵梨香には見えていた。
蒼汰に向かって、背中越しに放ったその静かな声とは裏腹に、苦悶を浮かべた表情で
そんな姿、そんな表情も……初めて見た。
そこには、いつもの彼とは全く別人のような、
彼の苦しみが、今の私ならほんの少しは解るんじゃないかと思っていた。
しかし、その深さは、計り知れないものなのだということが、その零の表情から見てとれた。
複雑な思いを抱いたまま、一人エレベーターに乗る。
壁にもたれ掛かると、また体が浮くような感覚になった。
浅い頭痛と共に、零の表情が頭から離れなくて、胸がぎゅっと苦しくなった。
彼は一体、何を抱え、何に
それを私は、知ることも救うこともできないのか……
7階に着いた。
息を整えて降り立つ。
戦いはまだ、始まったばかりなのかもしれない。
第29話『The 4th Case』atCasablanca Residence ー終ー
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