第23話 『二度目の捜査会議』
午後2時が近づくと、食事と聞き込みを終えた捜査官が宴会場にパラパラと集まりだし、ある程度揃ったところで2回目の捜査会議が始まった。
それぞれの捜査官からの報告で、主要人物のアリバイが、時系列のようにホワイトボードに書き込まれていった。
鑑識服を着た男性が入ってきて、被害者の遺体の写真が上がってきたと、高倉警部補に手渡した。
それは、遺体の初期の状況から、遺体を大学の法医学教室に移して着衣を外した形の写真もあった。
高倉は一つ息をついて、写真から顔を上げた。
苦い顔をしながら零を見る。
「見せてください」
零の言葉に頷きながら、部下に写真を手渡した。
佐川はその写真をホワイトボードに貼っていく。
高倉がちらりと零の様子を伺う。
零は表情ひとつ変えず、その写真たちを見ていたが、そのうち写真に顔を近づけ、一枚一枚慎重に分類し、貼る位置を変えていった。
「気になったことは……」
視線も変えず、突然零が話し出したので、高倉は慌てて対応する。
「なんだ? 零くん」
「衣服……このタキシードですが、やたらきれいに整えられていたことが引っ掛かっていたんです」
佐川がメモを取りはじめる。
「きれい……とは?」
「普通、無造作に寝転んだ場合、上着の裾が折れたままになったり、襟の左右のバランスが違ったりしてもいいものですが、上着も袖口までピーンと引っ張られたようにシワひとつない状態でした。足に関しても、自然に寝転んだならもう少し開くのではないかと思われますが、両ひざがひっつく位に真ん中に寄せられており、棺と足の両脇との間に隙間があって……」
「たしかに不自然ではあるな」
「あともう一つ、遺体発見時に気になった点は、この写真では分かりにくいですが、膝から下が、衣服だけじゃなく棺の内側の布地も濡れていたんです。鑑識が入った時にはもう乾いていたかもしれませんが……採取できているか鑑識に確かめてもらえますか」
佐川はメモを見ながら鑑識に電話をかけた。
「あ、これは……」
「どうした零くん?」
「これを見てもらえますか」
高倉は、零の指先を元に、衣服をはずした状態の足の写真に近づいた。
「わかりにくいですが、この膝下の足の側面に、微かに創傷があります」
「ああ……ホントだな、確かに。チアノーゼとは少し違うな。創傷だ」
佐川が肩に電話を挟みながら言った。
「水分は採取していたそうです」
「そうですか、成分の分析をお願いしてください。あ、あと膝下の創傷について、それらが紅斑や浮腫、水疱であるかどうか、もう一度詳しく調べて欲しいと」
鑑識官がやって来たので、佐川から先ほどの鑑識と零とのやり取りについて捜査官たちに説明がなされ、その問いについて鑑識官が答えた。
「まだ解剖は行われていません。来栖さんからご指摘のあった、濡れていた足元の成分を分析したところ、水であることがわかりました。ただし、phの値が小さい水です」
「phの値? 小さいとは?」
そう高倉が尋ねた。
「炭酸水……ということですね?」
零が言った。
「はい」
「炭酸……やはり炭酸ガスか。両足の創傷は?」
更に零の質問が続く。
「はい、それも当初は体表損傷はないと思っておりましたが、来栖さんがおっしゃったように、両足の側面に浮腫とかすかな水疱を確認しました。あと、不自然な形の創傷がありまして」
「不自然な形? その写真はありますか?」
「はい、お持ちしました。こちらです」
捜査官全員が身を乗り出した。
「この部分は明らかに、自然の傷ではなく何か箱形の物体が押し付けられたような形が残っています。やけどの受傷に似ています。ここの部分に熱傷深度で言うと、深達性Ⅱ度の化学熱傷または……」
零が静かに言った。
「凍傷ですね」
「はい、そうです」
「凍傷だって?」
捜査員達がざわついた。
零が立ち上がった。
「この状況下で局部的に凍傷になる事と言ったら、そう、ドライアイスです。ここは葬儀場、遺体冷却用のドライアイスは大量に保管されています。そして遺体の足元に付着したの水のph値が小さいことから、その水が酸性、つまり二酸化炭素を多く含んでいるのがわかります。意識状態の有無は別として、生体反応がある中での熱傷による創傷は、そこにドライアイスが置かれていたから……ということになります。ドライアイスは昇華してしまうので最終的に形は残りませんが、早く二酸化炭素を発生させたかったか、もしくは早く痕跡を消したかったか……そのために湯をかけたのでしょう。その水分だけが蒸発出来ずに布地に残ったというわけです」
場内から唸るような声が漏れた。
「じゃあ……死因は……?」
その声に、零は後方まで見渡しながら言った。
「死因は、炭酸ガスによる窒息死です」
「他殺……断定か」
会場からざわめきが起こる。
「そうです」
その言葉に、さらに会場が騒然とした。
「零くん、いつから気付いていた?」
高倉が後ろから零に投げ掛けた。
零は振り向いて高倉に頭を下げた。
「すみません。実は、祖父に触れた時に、遺体温度が低すぎると思ったんです」
「じゃあ君は最初から……」
「はい。でも証拠に基づいてご説明したかったので……すみません」
高倉は軽く息をついた。
「わかった。続けてくれ」
佐川が静粛にするようにと、捜査員達を制する。
零は続けた。
「はい。死亡推定時刻についてですが、ドライアイスで冷やされていた分、現状の死亡推定時刻は正確さに欠くでしょう。血液の流れも遅くなり、実際は想定されるよりも、もう少し早くに亡くなっていたと思われます。いわば遺体を防腐されていたわけですから、直腸温度は当然のこと、組織の硬直、凝血、劣化状態から正確な死亡推定時刻を割り出すのは難しいでしょう。生前の行動を調べて、内臓の残留物と照らし合わせ、どの時点まで生存していたかを推測することになります。死因は二酸化炭素中毒による窒息死ですが……高倉さん、ここでドライアイスの説明をしても?」
「ああ、頼むよ」
「はい」
零は改めて正面を向いた。
「ドライアイスは無臭で空気より重く、ご存知のように低い所に溜まるという特性があります。そのため換気が十分でない場所で使用や貯蔵したりすると、二酸化炭素が増えすぎて、酸欠に陥り、二酸化炭素中毒になります。空気中の二酸化炭素濃度は通常0.04%程度ですが、二酸化炭素中毒とは、空気中の濃度が3~4%で頭痛、めまい、吐き気などが表れ呼吸が困難になり、7%を越え10%では数分以内に意識不明になります。更にその状態が続くと呼吸停止の状態になり、20%を超えると数秒で死に至るというわけです。ドライアイスは氷の1.6倍の質量がありますが、例えば350gのドライアイスを容積2000ℓの密閉した部屋に放置すると、1時間で室内の二酸化炭素の濃度は約10%となるという実験結果があるのですが、これを今回の棺内の約500Lに当てはめると単純計算で15分、仮にドライアイスがその3倍の量、牛乳パック一本分ほどの大きさの物が置かれていたと仮定すれば、ほんの5分で死に至ります」
会場の至る所で溜め息が聞こえる。
「ここで疑問が一点浮上します。被害者はなぜ、凍傷に至るまでの外傷を受けながらも、動きがなかったのか。つまりそれを解明することで、どのようにして意識を失ったのか、そして誰がどのようにしてそれを施したのか、ということがわかるはずです」
零が座る頃には、捜査員たちの彼へ対する眼差しが変わっていた。
引き続き鑑識員から 説明がなされた。
「病院の方からはこれから司法解剖に入ると報告が入りました。遺体の血液から何らかの薬物が検出されないかも調べてもらっていますが、まずは詳しい死亡推定時刻について、分かり次第連絡が入ることになっていますので、入り次第皆さんに発信させて頂きます。今は、被害者の棺内と控え室の現場検証や被害者の所持品から何らかの手掛かりがないか探しているところです。以上です」
高倉が立ち上がった。
「それでは、物的な死亡推定時刻の絞り込みと、殺害が可能な接触者を選定するため、この後も更に聞き込みや捜査をよろしくお願いします。以上」
捜査員達が次々と出て行く。
先ほど廊下でディスカッションし、佐川にたしなめられた捜査員たちは、零の前に立ち止まって整列すると、各々頭を深く下げてから退出して行った。
第23話 『二度目の捜査会議』ー終ー
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