第22話 『握りしめたハンカチ』
捜査会議は一旦休憩とした。
休憩とはいえ、捜査員たちは階下で食事をとる名目で、情報交換というパワーランチを行っている。
無骨な男達が出払った後のその宴会場は、だだっ広く絢爛なスペースだった。
それが逆に閑散とした空気を感じさせる。
佐川が手早く資料を束ね、その紙の音だけが響いていた。
高倉は机についたまま佐川が次々と分別して並べていく資料に目をやり、零はまるで何も見えていないかのようなビー玉のような目で、ただホワイトボードを見つめているだけだった。
まるで息もしていないかのようなその横顔を、顔を上げた高倉はしばし見つめていたが、彼のその状態が確実に真相に近付きつつあることを、感じ取っていた。
開いたままのドアから、蒼汰と絵梨香が顔を出した。
それに気付いた佐川が、高倉と零にそれを告げ、自分は昼食に出掛けると言って退室した。
二人はロビーラウンジから持ってきたであろう、あらゆる食べ物を乗せた大皿を両手に抱えている。
「どうせ高倉さんも零も、何も食べていないんだろうと思ってね」
蒼汰がそう言って皿を置き、絵梨香は何も言わず後ろのバーコーナーにカトラリーを取りに行った。
「江藤君ありがとう。気が利くね」
「いえいえ、めちゃくちゃ忙しいんだろうなと思って。オレらのことも、ほったらかしだしね」
「悪いな、蒼汰」
零は一言だけ言った。
「それで、西園寺家の親族のみなさんはどうしてる?」
高倉は大皿の上に乗った食べ物を一つつまみながら言った。
「ああ……それぞれ今日宿泊する部屋に上がって、そこで昼食を摂ってると思います。他の来賓と混じって食事するわけにもいかないしね。捜査員が入ってからは、控え室ですらロクに会話もできない状態になっていましたし」
「そうだろうね……それで、婚約者の絹川さんはどうしたの?」
「ああ、新婦さんは『想命館』の小田原さんでしたっけ?あの小柄の女性、彼女と一緒に部屋に上がって行きましたよ」
絵梨香がカトラリーを二人の前に置いて、またバーコーナーに踵を返した。
グラスをとってミネラルウォーターをいれている絵梨香の背中に向かって、高倉が視線を投げる。
「江藤君、彼女……大丈夫なの?」
蒼汰とはちょっと顔をしかめた。
「いや、かなりショックを受けてるみたいで……ほとんど口をきかないです。口を開いたら涙が出る……みたいな」
「そうか……被害者と親しかったんだって?」
「ええ、小さい時に世話になったらしくて。俺も詳しくは知らないんですけど。なんで、どう声かけやっていいか……今はただ静観してるだけなんですが」
「そうか」
絵梨香が水を運んできた。
「ありがとう」
その言葉に、絵梨香は小さく頭を下げて、息を整えるように言った。
「ごめんなさい、ちょっと、部屋に上がってきますね」
周りの返事も聞かずに一方的にそう言って、逃げるように部屋を出て行った。
「おいちょっと! 絵梨香?」
追いかけようとした蒼汰を制して、零が立ち上がった。
「俺が話してくる」
「あ……そうか? 分かった。頼むな!」
そう言って蒼汰は浮かした腰を下ろした。
宴会場を出ると、長い廊下が突き当たりの大きな窓に向かって、真っ直ぐのびている。
その窓の向こうには、夏の生気に溢れる大樹が揺れる屋外テラスになっていた。
その窓が廊下沿いにずっと右手に続き、廊下を陽の光で眩しく照らしている。
窓が途切れたエレベーターホール の片隅に、猫足のチェアが二つ並んでいた。
その一脚に溶け込むように、膝に両腕を置いて俯いている、絵梨香がいた。
「……おい。こんな所で何してるんだ」
声に驚いて、絵梨香はパッと顔を上げた。
その頬は血の気がなく、対照的に真っ赤な瞳からは、とめどなく涙が溢れていた。
「お前……立て! こっちに来るんだ」
その言葉に、絵梨香は驚いたような表情をしながらも、ふらりと立ち上がり、スタスタと歩き出す零の後ろについて歩く。
零は先ほどの陽の光が溢れる廊下を突き当たりまで戻り、そこにある非常口扉の前で立ち止まった。
ドアノブに手をかける零に、絵梨香は小さな声をかけた。
「え……外に出ちゃダメだって……」
「そうだ。でも今のお前には、外の空気が必要だ」
零は背を向けたまま扉を開け放ち、絵梨香を外に促した。
蝉の声が鈴のように鳴っていた。
一気に汗が吹き出すような熱風と、それに揺さぶられている木々は、自然の精気を感じさせる。
それは、この建物の中での出来事が、この世の全てではない事を教えた。
絵梨香はそれらを全身で感じようと、目を閉じて大きく息を吸った。
後ろから声がする。
「ありがとう」
零から突然、予想だにしない言葉が発せられて、絵梨香は驚いて目を開ける。
この言葉が、本当にそこから発せられたのかどうか、確かめるように零を見た。
「じいさん、最後まで楽しそうだったんだってな。それをお前が見届けてくれたんだろ。最後にじいさんと関わってくれたのがお前で、良かったと思ってる」
零の言葉に、絵梨香は今までずっと抱えていた思いが一気に溢れ出る。
胸が苦して息が荒くなり、よろめいた絵梨香を、零がさっと支えた。
視界の向こうの零の表情は、涙でぼやけてよくわからなかった。
零がそっとハンカチを差し出して、絵梨香の手に握らせた。
「思い切り泣いてくれ。じいさんのために。俺の分もな……」
そう言って、彼女に背を向け、扉を開けたまま席を外した。
零は、エレベーターホールに戻ると、蒼汰の携帯に連絡を入れた。
絵梨香の状況を話し、自分は館内の様子を確かめるために階下へ向かうと告げた。
会話を終え、しばらく携帯を見つめる蒼汰に高倉が声をかける。
「零くんか?」
「え……あ、はい。館内の様子を見るから下に降りるって、言ってます」
「そうか……相澤さんは?」
「ここを出たところの、テラスに……居るらしいです。ちょっと見てきますね」
蒼汰は、宴会場から首を出し、様子をうかがった。
突き当たりの窓から微かに聞こえる、絵梨香の泣き声を聞きつけて、そっと近づく。
飛び出していって抱き締めたい気持ちをおさえ、扉越しに彼女の様子を気にしながら、自分も静かに涙を流した。
ふと考える。
零はこんな絵梨香を見て、どう思ったのだろうかと。
そもそも捜査になったら、周りのことなど何も見えなくなるような、零はそんな人間だった。
そんな零が、絵梨香のことで自分にわざわざ電話をしてくることは、零の中の何らか の変化を指し示しているように思えた。
廊下を後ろ向きに3歩下がって、少しトーンを上げて声をかける。
「絵梨香、そこにいるのか?」
そしてゆっくり、その扉に近づいた。
「蒼汰……」
目が合うと、彼女は少し俯いた。
「もう……そんなところで、一人で泣いて!」
蒼汰は絵梨香の手をとった。
握りしめているハンカチが濡れている。
「いいか絵梨香、ただ悲しんでるだけじゃなんの解決にもならない。オレはこれから零や警察に協力して、じいさんのために事件を究明したいと思ってるんだ。絵梨香はどう?」
「私も」
「じゃあまずはオレたちはオレたちのできることをしっかりやろう。まず絵梨香かするべきこと、それは元気を取り戻して平常心を持つことだ。なにも、無理しろとは言ってないよ、辛ければいつでも逃げていい。ちゃんと心を守って。それだけは無理しないで、オレの事も頼って。心がつぶれちゃったら何もできないよ、分かるだろ?」
蒼汰は絵梨香の肩に手を置いた。
「わかった。蒼汰、ありがとう」
「よし! じゃあまずは食事をとろう。絵梨香、何も食べてないよ」
そう言って、蒼汰は絵梨香の手を引いて捜査会議室戻る。
その宴会場に入るところで、高倉が立ち上がって蒼汰の顔を見た。
ほんの少し視線の会話があった後、高倉は言った。
「ごちそうさま。助かったよ。まだ大分残ってるから、ここにある料理は二人で 食べてくれるか」
「高倉さんは?」
「俺は下に降りて、零くんと合流するよ。14時になったらここで会議が再開されるからね。また手がかりを見つけてるかもしれないし、ちょっと話を聞いてくる」
高倉はもう一度蒼汰に視線を合わせると、優しく頷いた。
「さ、絵梨香、これを全部平らげるぞ! まずはこれがミッションだよ」
蒼汰の言葉に、絵梨香は少し笑顔を見せた。
第22話 『握りしめたハンカチ』ー終ー
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