第19話 『声なき会話』
高倉刑事の指示のもと、零と章蔵を残して、全捜査官が退室したその会場からは、喧騒が消えた。
零はゆっくりと、祖父が横たわる棺の側に歩いていった。
章蔵の遺体に視線を落とす。
皮膚の色は変色しているものの、その表情は穏やかだった。
「2人きりで話すのは、何年ぶりだろうな」
棺の中にそっと手を入れて、その手を握る。
その瞬間、グッと心臓を掴まれるかのような、痛みに似た衝撃が走る。
「じいさん、ごめんな。全然会いに行けなくて」
かつては大きくて力強くて、温かい手だった。
この手で、何度も何度も、抱き締めてもらった。
今は小さく、とてつもなく弱々しくて……
そしてそのあまりの冷たさに、生がもうここにはない事を、思い知らされる。
遥か昔の……初夏の夜。
あの日の章蔵の笑顔が、思い出されたーー
「おい零、こんな所にいたのか、探したぞ。どうした? 泣いてるのか?」
屋敷から庭園と、池をぐるっと介したその先にある「離れ」の、更にその裏庭にある大きな蔵の前に、零は体を丸くして座っていた。
「おじいちゃん……ボク……」
「どうしたんだ? 姿が見えなかったから心配したじゃないか」
「ボクは……お兄ちゃんみたいに、父さんの自慢の息子にはなれないんだ」
「自慢の息子だって?」
「ボクね、警察官になりたいなんて1回も思ったことないんだ。お兄ちゃんはいつも、父さんみたいな警察官になるんだって言ってて。父さんはいつも嬉しそうにお兄ちゃんの話を聞いてる。母さんだって、お兄ちゃんの勉強の邪魔にならないようにって、ボクをここに連れてきたんだろ!」
そう言って、膝を抱えて下を向いた。
「それは違うぞ、母さんは零に、ここで素晴らしい自然を体験をさせてやりたいって言って、連れてきたんだよ」
「うそだ! だってお兄ちゃんは来てないじゃないか。お兄ちゃんは塾に行ってるよ、母さんの言うことを聞いて。ボクにはそうしろとも言わないんだ。どうして? やっぱり、警察官にならないのがいけないの?」
章蔵は零の肩にそっと手をかけた。
「そんなことないよ、零」
「ボク、科学者になりたいんだ。そんなこと言ったら、父さんに嫌われちゃうのかな? 父さん、がっかりするかな……」
章蔵は笑いながら、更に手を伸ばし、零をぎゅっと抱きしめた。
「なんだ、母さんは零が何をやりたいのか、ちゃんと気付いてるんじゃないか。母さんもな、昔ここで幸せに過ごして、自然をいっぱい感じて育ったんだよ。だから、零にもそれを味わわせてやりたいんだ。どうだ? 科学者を目指すなら、ここはうってつけの環境だろ?」
「そうなの?」
「そうだよ零! じいちゃんが何の仕事をしてるか知ってるか?」
「うん、母さんから聞いた。大きな会社の社長さんなんだって」
「そうだよ。こう見えて、じいちゃんはすごく忙しいんだよ。だったら会社の近くに住んだ方がいいと思うだろう?」
「そうだね」
「じゃあ、どうしてここに住んでると思う?」
「どうして?」
「ここがすっごく、素晴らしいからさ! もちろん、ここから会社に行くのは大変なんだよ。それでもここに居たいと思うほど、ここが魅力的だからだ。それが零には分かるだろう?」
「うん」
「零がそういう賢い子だから、お母さんは零をここに連れてきたんだよ。じいちゃんだって、夏の間はなるべくここに居るようにしてるんだ。零と一緒に過ごしたいからさ。零がここで成長していくのを見るのが本当に大好きなんだよ。だからもう、何も心配しなくていい」
「おじいちゃん!」
零はぐしゃぐしゃに濡れた顔を祖父の胸に押し当てて、また泣いた。
「零、自分らしく生きたらいいんだ、駿と比べることなんてない。駿の夢は警察官で、零の夢は科学者ってだけだ。息子だからって、父さんの為に生きるんじゃない、自分の人生を生きて、幸せになればいいんだよ。父さんだってそれを望んでるはずさ。それに零、まだ10歳の子供がそんなことで泣くな。たくさん食べて、たくさん笑って毎日を過ごせばいいんだ」
そう言って、零の背中をパンパンと豪快にたたいた。
あの言葉があったから、その日からは安心して過ごす事が出来た。
子供が子供らしく生きていいんだ、ということを知った。
受け入れてもらえる喜びも知った。
毎日まぶしい夏の光の中で、屈託なく、幸せな日々を送った。
それらの光景は、今でも宝物のように輝きながら、目の奥に鮮明に映る。
祖父の笑顔、そして、小さなあの子と共に、心の底から笑って過ごした夏の日々を……。
額から眼球にかけて、強い痛みが走った。
思わず天井を仰ぐ。
何年も流していなかった涙が、沸き上がる時の痛みなのだと、思い出す。
息が徐々に上がるのを感じながら、また大きく二度、息を吐いた。
身体が震えているのを感じる。
何もかも、ぶっ壊してしまいたいような、衝動が身体中に駆け巡る。
しかし今、悲しみの淵に溺れるわけにはいかない。
「待っててくれ。全てが終わったら、心の底から、じいちゃんを想い偲ぶよ」
もう一度手に触れて、心の中で「ありがとう」と伝えた。
心の中にボワッと広がる炎を感じて、思わず胸を掴んだ。
その炎は、いつもは冷たいはずの彼のその瞳の中に移っていく。
ネクタイを引っこ抜くように乱暴に外しながら、会場に背を向けた。
祖父の未来を絶った犯人を、絶対に許さない。
必ず見つけ出し、その罪の重さを思い知らせ、そしてその身をもって償わせるのだと、そう心に誓った。
第19話 『声なき会話』ー終ー
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