第15話 『波乱の幕開け』

その時、新婦控え室の扉が開いて、西園寺家三兄妹が出てきた。

ソファーから立ち上がった三人の横を、西園寺泰蔵と中条楓が通りすぎる。

頭を下げた絵梨香の前に来栖葵が立ち止まった。

すぐ横にいた蒼汰が、恐る恐る聞く。

「あの……話はついたんですか?」

「ええ、まあ今日は遠方の親族やお客様も集まってしまっていることですし、とりあえず式だけは滞りなく済ませましょう、と言うことになったわ。話はまた後でということで」

「そうですか」

ほっとした空気が流れる。

「相澤さん」

目が合うと足がすくむような感じになる。

「はい」

「美保子さんのお支度を手伝って差し上げて」

「かしこまりました」

絵梨香が一礼して、美保子の部屋に向かった。


「零、後で話しましょう」

葵が立ち去ると、蒼汰は大きな溜め息をついた。

「なんか、式の前に疲れちまったな」

「悪いな」

「いや、そんなのはいいんだけどさ、零はいつもこういう緊張感の中で育ったのかと思うと、ちょっとな……」

零は少し自嘲的に笑った。


二人は会場の方へ歩き出した。

「なあ蒼汰」

「ん?」 

「うちのじいさんと相澤絵梨香の繋がりは、昔から知ってたのか?」

「いや、初耳だな。絵梨香と由夏姉ちゃんの方のばあちゃんが、たしかに西園寺家と同郷だけど、まさか幼馴染みとは……繋がりがあるなんて凄い偶然だな。絵梨香は小学校低学年位までは、毎年長期で泊まりに行ってた筈だよ」

「小学生……夏休み……」

零がまた神妙な顔をしていた。

「今度はどうした? またさっきの彼女のことでも考えてるのか?」

「なんでもない。会場に行くぞ」

「はいよ」


「失礼します」

絵梨香が絹川美保子の部屋に入っていく。

「お疲れじゃありませんか?」

絵梨香の言葉に、美保子は顔を上げて言った。

「ええ、大丈夫。想定内ですから。それよりタイムテーブル見せていただけますか?」

意外にも美保子から、気にした様子が感じられなかったので、少し拍子抜けしたものの、余計な気遣いをせずに打ち合わせをしながら段取りを説明した。


「この後、ブライダルアテンダントが参りますので、そこでお着替えをしてくださいね。セレモニーが始まってからのお着替えでも間に合います。長時間ドレスを着られるとお疲れになるでしょう」

「確かにね。まあ、ちょっと彼の生前葬も覗いてみたい気もするけど……ドレス着てたら目立っちゃうものね。どういった流れなんですか?」

「まず最初に、新郎が棺のままで会場に入ります。章蔵さんのご希望でそうしましたが、真っ暗な棺のなかで、主役が長時間待ってるなんてことは、前代未聞だそうですよ」

絵梨香と美保子は顔を見合わせて笑った。

「新郎様には、しばし我慢していただいて、棺の中で皆様の弔いの言葉を聞いて頂きます。来賓の方のご焼香と、お坊さんの説法が終わったら、そこから第二部となるので、棺から起き上がって頂くという流れです。そこで新郎様はタキシードを着て登場! という設定ですね」

「そこから私が入るのね」

「そうです、同時に会場の背面も葬儀セットから披露宴セットにチェンジするので、皆さんがそのサプライズに驚いている中、新婦様もご入場されて、お二人揃って中央のバージンロードを歩いていただく……という流れになっています。きっと盛り上がりますね!」

「そうね。主人ったら、それはもう張り切っていてね、今朝も早くからタキシードに着替えていたわよ。控え室に運んでもらった棺も気に入ったみたいで、出たり入ったりしていて」

「そうですか。目に浮かびますね! 私も本当は早くお会いしたいですが、やっぱり事前にお訪ねするのは控えようと思って、我慢してるんですよ」

「そうなの? 会ってやったら良かったのに……だって主人は、あなたのことを孫のように可愛がっていたんだもの……会わせてあげたかったわ」

「そう言っていただけると嬉しいです! ですので尚更、ご本人のサプライズ精神に乗っかって、楽しみはとっておく方がいいかなって!  そう思いまして」

「……そう」 

美保子は少し俯いた。

「ありがとう、相澤さん。主人があなたを大切に思っていた理由がよくわかったわ」

「恐れ入ります」

「主人も感謝してると思うわ」

美保子が少し涙ぐんでいるようにも見えた。

「いえ、そんな。そんなこと言って頂けて光栄です。ではそろそろ、私も会場で準備を」


その時、ドアがノックされた。

「あ、ブライダルアテンダントさんが来たようですね。では美保子さん、しばらくくつろいでいてくださいね! では」

絵梨香が出て行こうとすると、美保子が彼女を引き留めて聞いた。

「ねぇ、今、何時かしら?」

「あ、美保子さんの右後ろに時計がありますよ。えーっと、10時15分ですね。オンタイムでスタート出来そうです」

「あら、ありがとう」

ドアを開けると、ブライダルアテンダントの女性が立っていた。

少しふっくらした感じだが、目鼻立ちのはっきりした美人だった。

もともと、ファビュラスのブライダル事業部から専属のアテンダーを連れてくるつもりだったのだが、今回は小田原佳乃が手配すると言ったので、そこは譲ったのだった。

口紅の色が赤すぎるように感じたが、ファビュラスの従業員ではないので、口出しせずに「よろしくお願いいたします」とだけ言ってその場を離れた。


ドアを閉めて会場に向かって歩き出す。

廊下にはもう誰もおらず、来賓の方々は会場の祭壇前で、今か今かと生前葬のスタートを待っているのだろう。

絵梨香も、だんだんワクワクしてきた。

絹川美保子さんとは、ゆっくりお話するまでは少し緊張したけれど、おじいちゃんの事を理解し、大事に思っているのがわかった。

私のことまで気にかけて下さって…。

最初、45才も若い臨床看護師の女性がお嫁さんだと聞いた時には、気のきつい人なんじゃないかと勝手な印象を抱いていたけれど、美保子さんは気さくで話しやすい人だ。

ずっと部屋の中にいながらにして、時計の位置がわかってなかったり、少し天然なところもあってかわいい人だなあと思った。

ただ……おじいちゃんを早々に“主人”と呼ぶことには……さすがにちょっと違和感を感じてしまったけれど。


「本日はおめでとうございます。ブライダルアテンダントの熊倉と申します」

「はい、よろしく」

美保子は彼女に目もくれず、どっかとソファに座り、ずいぶん前に淹れたコーヒーを一口に含んだ。

「やだ、もう冷めてるわ」

そう言ってあからさまに嫌な顔をしてカップを置いた。

「こちらのテーブルのコーヒーカップもお片付けしましょうか?」

そこには西園寺三兄妹が入ってきた時に、絵梨香が淹れたコーヒーが手付かずで置いてあった。

「そうね、片付けといて。あ、私には新しく淹れ直してもらえるかしら?」

「かしこまりました」

美保子は雑誌を手に、足を組んでソファに深く座っている。

部屋のなかにカチャカチャという食器の音だけが響いていた。

「淹れ直しました。コーヒーをどうぞ」

前に置かれたカップに手を伸ばす。

「どうも。いい香りね」

「あら、そうですか? 熊の臭いは嫌いなのでは?」

「えっ?」

美保子はそこで初めて顔を上げて、ブライダルアテンダントの顔を見た。

「あなた……誰?」

「そっか! 誰か分かんないか! そうよね、あなたにとっては大した思い出じゃないもんね。私が触る物はみな熊の臭いがするんでしょ?」

「もしかして……熊倉圭織……」

「よかった! ちゃんとフルネーム覚えててくれて。もし知らないナンテ言ったら、どうしてやろうかなって思ってたの。感激だわ。やだ! コーヒーこぼれてるわよ。私の仕事を増やさないでよね!」

熊倉圭織は美保子の座るソファの隣に腰を下ろした。

「……あなた……どうして?」

「あら、私はブライダルアテンダントよ。メイクだって、ほらこの通り上手いのよ。まあ顔も大分変えたから、あなたが分からなくても許してあげるわ。あなたにいじめられたコンプレックスでどん底の高校生活だったけど、この顔に変えてからはなかなかいい人生だわ。そういう意味では、あなたにお礼を言うべき?」

「圭織……あなた、私に復讐に来たとか……」

熊倉圭織は手を叩いて、大きな声を出した。

「うわぁ、その呼び方! なつかしいわ。1年生の最初はそうやって私を呼んでたはずよね? 親友だと思ってたのになあ。いつからだったかしら? 熊の臭いがするって、私をみんなから遠ざけたのは。そうね! 復讐か? それもいいかな。でも私、今日はちゃんと仕事しに来たのよ。もちろん相手があなただって知ってたけれど。何でもすごい財閥に嫁ぐんだって? しかも40才以上年上のおじいちゃんを騙して? 相変わらず凄いわね! ねぇ美保子、あなたの本性をあちらのお家の方に言ったらどうなるのかな? 私も被害者なんです……って泣いて見せちゃおうかしら?」

「一体……何が望みなのよ」

「あら! 私の望み叶えてくれるの? 嬉しいなあ。やっぱり持つべきものは親友よね! あ、元親友か?」

「……」

「そんなに怖い顔しないで。そうだな……私、ちょっとこの顎のラインをもう少しシャープにしたいんだけどな。300万円ぐらいかかっちゃうんだけど。まあ、美保子なら、玉の輿の座を手に入れるんだから、お安いものよね?」

圭織は正面に掛けてある大きな鏡で自分の頬に触れながら、顔を見ている。

「あなた……まさか脅迫しに来たの!」

美保子はソファから落ちそうになるほど、圭織から離れようとしていた。

圭織は眼力を強めて言った。

「今更どう思われても構わないわ! それより美保子、そろそろお支度しなくちゃね。大丈夫よ! あなたのこと、すごく綺麗なお嫁さんにして会場に送り出してあげるから!」


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