第13話 『意外な関係』

早朝、川沿いの道を駅に向かって歩いていると、青々と茂った桜の木々から、蝉の声が鈴のように鳴り続けていた。


その音色は、幼かった子供の頃の、あの夏を思い出させるーー


毎日が発見の連続、太陽がまぶしく光り輝いていた8才の夏。

優しい眼差しのおじいちゃん、山や川に冒険に出かけるワクワク感。

懐かしく幸せな夏の日々だったーー



今日は『ファビュラス』主催の生前葬、会場は一流ホテルと見まごうほどの規模と豪華さを兼ね揃えた『想命館』を貸しきったものだった。

主役の西園寺章蔵氏は、日本でも名の通る名門財閥『西園寺家』の会長だが、絵梨香が知る限り、その肩書きのイメージとは反して温厚で気さくな人物。

絵梨香の祖母の幼馴染で、小学生の時の夏休みに、絵梨香が祖母宅に泊まりに行った際は、何度となくその広大なお屋敷に遊びに行っては構ってもらい、孫のように可愛がってもらった。

その優しいおじいちゃんも今や御歳79歳、大人になった絵梨香のことを、久しぶりに見てどう言うのかと思ったら、ちっちゃい時の対応と全然変わらない。

元気一杯で、笑顔が可愛くて……絵梨香はそんなおじいちゃんが大好きだ。


ただ……

生前葬ならまだしも、なんとセレモニーのさなかに突然会場セットを切り替えて、新たに新婦を紹介する結婚披露宴を企てているという。

本人たっての希望で、なんとも奇抜な演出をする事になっているが……

来賓に対してはサプライズになるかもしれないが、親族がそれを受け入れるかどうかは、正直不安で仕方がない。

その高齢で結婚するというのも、そしてお相手との45才という年の差も、親族の心情を考えるとちょっと……

雲行きを心配してしまう。

お金持ちの考えることはわからない、と思いながらも、きっとあの広い家での使用人だけとの暮らしは、章蔵にとっては寂しいものだったのかもしれないな、と思ったりもする。

まあ今、この仕事をしていたおかげでおじいちゃんの役にも立てるのだから、少し微妙なこの気持ちを押さえ、おじいちゃんの門出を純粋に祝うことにしよう。

生前葬改め、この結婚披露宴の準備は整っている。

今日は、来賓客の驚く顔を見るための、いわばサプライズパーティーだ。

準備万端、楽しんでいこう。



結婚式サイドの司会進行の人に、短いスピーチを頼まれてしまった。

章蔵と絵梨香の会話をたまたま聞いていたスタッフが、この関係がお祝いの席のエピソードに相応しいのではないかと言い出し、提案してきたのだった。

物書きのくせに、絵梨香は意外とこういう即席のスピーチが苦手だ。

昔から自己紹介も苦手だった。


ゲストは多く、そしてちょっと年齢層が高い。

それどころか、各界の重鎮も席を並べるのだろう。

そんな中で、自分なんかが一体何を話せばいいのか……頭を抱える思いで外に出た。


『SHL』とセンスのいい字体で大きく書かれたエントランスから、その裏側の駐車場へ続く道辺りで、絵梨香は独り言を唱えながら考えていた。

「うーん……急に振られてもなぁ」

行き詰まってブツブツ言いながら、空を見たり、うろうろして、通りを行ったり来たり。

方向転換しようと不意に振り替えった時、歩いて来た人にぶつかってしまった。

「やだ、私! ごめんなさい!」

頭を下げて謝る。

何の言葉も帰ってこない。

顔を上げると、目の前には黒いスーツと黒いネクタイ……その人の胸しか見えない。

そっと視線を上にあげていくと、そこに見覚えのある顔があって、絵梨香は驚いた。

その、目が合わないような色素の薄い瞳、そして彫刻のような冷たい顔……。

「来栖…零?」

「今さら人まちがいするとでも?」

彼は動揺どころか、表情一つ変えなかった。

「いえ……。だけど、どうしてここに?」

「それはこっちのセリフだ」

「私は……仕事よ。ここのイベントで」

「お前の会社は生前葬までイベントにするのか」

「生前葬って知ってて? じゃあ西園寺家の親族なの?」

「零、なにしてんだ?」

後ろから零と同じく黒いスーツの男性が来る。

「え? 蒼汰?」

「は? 絵梨香?! え……?こんな所で何やってんだ?」

「っていうか、二人は西園寺家とどういう……?」

「ああ、西園寺章蔵は、零のじいさんだ」

「ええっ! そうなの?!」

「ま、そっか。知らないよな?」

「……じゃあ蒼汰は? どうして?」

「あ、オレ? 中学の時にさ、生物の研究があって、それで零に連れられて、西園寺のじいさん宅に何日か泊めてもらってたことがあったんだ。それ以来、たまにだけど、零に引っ付いて西園寺家には行ったりしてたから、面識もあって」

「……そうなの」

零の顔をちらっと見た。

周りを気にしているようで、こっちの話は聞いていないみたいだった。

西園寺家の人間なら、きっとそうそうたる親族が集まるのだろうから、仕方がないかとも思える。

「で絵梨香は?」

「あ、ファビラスのイベント企画……というか、今日ここでおじいちゃんの生前葬を任されてるの」

「おじいちゃんって?!」

「ああ、そうだ  蒼汰なら知ってるよね? 私小さい頃、よく静代おばあちゃんの田舎に泊まったりしてたじゃない?」

「ああ、相澤方のおばあさんな? オレは会ったことないけど絵梨香は夏休み中ずっと行ったりしてた時期とかあったよなぁ」

「うん。実は静代おばあちゃんと西園寺のおじいちゃんが幼馴染みで。だから私も西園寺家にはホントによく行っていたのよ。それで今回は静代おばあちゃん経由で、ファビュラスに依頼が来たの」

「嘘だろう?! そんな偶然あるか!?」

「私も今、この人が孫だって、聞いてびっくりよ!」

「で、絵梨香はなんで外に居たんだ?」

「ああ……実はスピーチ頼まれて」

「なんでまた?」

「おじいちゃんと仲良しだからかなぁ」

「なんだよそれ? 生前葬だぞ」

「まあ……一応そうなんだけど。なに話そうか困ってて」

「絵梨香って、そういうの、実は苦手だもんな」

「そうなの」

「よし! じゃあ、小説家のタマゴのオレが相談にのってやるよ」

「本当に?  助かる!」

依然、零は上の空だった。


三人で会場に入ると、中は既に華やかな社交場と化していた。

絵梨香は二人が芳名帳に名前を書くのを待っている。

「零、これって……もう来てるんだな?」

「そうらしいな」

その会話を聞いて、絵梨香は芳名帳を覗いてみた。


西園寺 泰蔵

西園寺 幸子

来栖 葵

中条 正人

中条 楓


「これって……」

「親族だよ。西園寺のじいさんの子供とその配偶者だな。来栖葵は零の母親だ」

そう言えば、さっき入り口で絵梨香がうろうろしているときに、何かオーラが違う人達が入っていったのを思い出した。

芳名帳に再び目をやる。

そこには、西園寺章蔵にとっては義理の息子となる、零の父の名前はなかった。

ただ、そのあとに書かれた『来栖零』の文字があまりにも達筆なことに、絵梨香は密かに驚いていた。


絵梨香の案内で、ハイグレードホテルのような絨毯敷きの廊下を突き当たって、親族控え室の前まで来た。

零はあれから一言も話さない。

その時、閉まったドアの向こうから、何やら荒々しい声が聞こえた。

ヒステリックな声の後に、陶器が割れるようなガシャンという音が鳴ったので、絵梨香は慌ててドアを開けた。

「どうかされましたか?」

最初に飛び込んだ絵梨香が尋ねる。

奥の窓際のソファには、二組の夫婦らしい男女がそれぞれ座っていた。

そして入り口に背を向けて、ソファに向かって立っているのは、今日結婚式を迎える、新婦の絹川美保子だった。

その足元には湯飲みと茶托が転がっている。


美保子が思いつめたような表情で部屋を走り出るので、絵梨香は「失礼します」と頭を下げて、その後を追った。

その時、絵梨香の脇を和服の女性が通り過ぎ、入れ替わりで部屋に入ってきた。

その目鼻立ちで、零の母親であることがすぐにわかった。

絵梨香はそのまま美保子を追いかけて、新婦控え室に向かった。


「あなたたち、外まで声が聞こえてるけど、何事?」

来栖葵はそう言いながら親族控え室に入ると、手前のシングルソファに静かに座った。

立っている二人に視線をやると、表情も変えずに言った。

「あら、零じゃない。来てたのね」

その言葉に、二組の夫婦が驚いたような顔で零を見た。

「……君、零くんなんだ? みちがえたな」

伯父の西園寺泰蔵の言葉に、零は静かに頭を下げた。

零の母親がその隣に目をやる。

「あなたは確か……」

「はい、零の友人の江藤蒼汰です。ご無沙汰してます」

「わざわざいらしてくれたのね、こんなお遊びに付き合わせて。申し訳ないわ」

「……いえ」

足元に転がっている湯飲みに目をやり、兄妹に尋ねる。

「一体、なんの騒ぎかしら?」

中条楓が訴えるように言った。

「姉さん! さっき姉さんとすれ違った女がいたでしょう?」

「ああ、白い服を着た女性かしら?」

「ええ。あの人、いきなりここに入ってきて、なんて言ったと思う?! お父様と結婚するっていうのよ!」

「結婚?」

来栖葵は不可解な顔をした。

「そうなのよ! 今日は生前葬を装って、実は結婚式だって。サプライズパーティーだっていうの! ばかげてると思わない?! 親戚一同、喪服着て集まってるっていうのに」

西園寺泰蔵は、困った表情をしながら、なだめるように言った。

「いやぁ……、確かに突飛な発想だが、父さんの気持ちも考えてやってくれよ。やっぱり寂しかったんじゃないかな。相手は看護師だって言うし、父さんも年を重ねて少し不安になったんじゃないか」

その言葉に、中条楓が憤然とする。

「なにを言ってるの! 兄さんは賛成だって言うの? どうかしてるわよ!」

絵梨香から連絡をもらって、入り口付近に来ていた小田原佳乃がスッと入っていった。

「西園寺家の皆様、何かございましたでしょうか?」

「いや、なんでもないですよ。お騒がせしてすみませんね」

そう答えて、泰蔵は1人部屋を出た。


第13話 『意外な関係』ー終ー



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