第5話 『ファビュラス』専務取締 相澤由夏
今日は珍しく、ずっと内勤だった。
本来なら、打ち合わせに飛び回っている絵梨香だが、女性誌『fabulous』に毎月掲載される、絵梨香担当のコラムが仕上がっていなかったので、由夏に缶詰めにされたのだ。
今回テーマは『街中での犯罪における、女性の意識の高さとそれに比例する防犯率の高さについて』にした。
この前の『RUDE BAR』での波瑠の話がヒントになった。
「ああ、やっと出来た! やっぱり家でやるより会社の方が集中して書けるなぁ!」
椅子にもたれてグーンと伸びをしている絵梨香の頭上に、反対向きに顔が現れた。
「そうでしょ? 私もまんざら鬼じゃないってこと!」
「わっ! ビックリした。由夏ちゃん、居たの?」
「いいね絵梨香、集中出来てるじゃない!」
「でもヘトヘト…お腹すいたし」
「じゃあ今夜は家でお寿司とって食べない? 食べに出るのもしんどいでしょ?」
「いい! それ! やった!」
「ホント、絵梨香は小学生の時とちっとも変わってないなぁ」
「それを言わないでよっ!」
由夏は微笑ましげに笑った。
手早く片付けて、由夏と絵梨香は『ファビュラスJAPAN』の扉を閉めた。
一面ガラス張りのエレベータホールから、海に沈む大きな夕陽が見える。
「今日は一段とキレイ」
「ホント!」
2人の顔を真っ赤に染め上げる太陽をうっとり眺める。
ホールの奥までのびる夕日が、本来はパステルブルーの『ファビュラスJAPAN』のプレートを赤く染めていた。
「ねぇ絵梨香、これから我が社にとって忙しいシーズンがやって来るわ。でもそれは同時に充実したシーズンが来るっていうことなのよ。一年一年達成感が積み上がっていくのってね、働く女性の私たちにとって、本当の喜びに繋がるの」
「うん、由夏ちゃんやかれんさんを見てたらわかるよ」
「そう?」
「うん! 輝いてるもん。ねぇ、ファビュラスを立ち上げた時って、由夏ちゃんは今の私より若い時なんだよね。そう思うとやっぱり、ファビュラス・スリーは凄いよね?」
「なによ、ファビュラス・スリーって?」
「知らないの? みんなそう呼んでるよ。たった3人の女の子が立ち上げた会社が、ここまで大きな規模に成長するなんて、普通はありえないよ」
「まあ、普通じゃなかったけどね。かれんはもう学生時代からリーダーの素質が見えていたし、もちろんお父様が会長である『東雲コーポレーション』という後ろ楯はあれど、私たちはそのお陰で毎日がインターンシップ研究のようにゴリゴリに鍛えられたし。私が今、絵梨香に課しているようなミッションなんて、ホント、かわいいものよ! 『ファビュラスJAPAN』を立ち上げる前なんて、毎日走り回っていたからね。葉月は今は産休ですっかり奥さんが板についてるけど、当時は一番体力も気力もあって、私とかれんは葉月にどんなに支えてもらったことか…」
「そうなんだ。うん確かに、凄く絆も感じるし、みんな仕事も楽しそうだし、その分遊びもはっちゃけてて…あ、それは余談かな?」
「いいえ、仕事もプライベートもバランスよく充実させなきゃ! 私も、かれんも、葉月も、そしてファビュラスのスタッフも、それをモットーにやって来たからね」
「そうよね。私もここで働きだしてから毎日楽しいよ! まあ……相澤専務には、時々こき使われるけどね?」
「言うわねぇ? まだまだ序の口よ!」
絵梨香をギロリと睨む。
「はい、専務! 身を粉にして働きます」
「期待してるわ!」
2人、顔を見合わせて笑った。
絵梨香はこの『ファビュラスJAPAN』に入社して本当に良かったと思っている。
こんなにも、人を幸せにして達成感があって笑顔に包まれた仕事は、そんなには転がってはいないだろう。
関わる人達の笑顔も、宝物のように感じられた。
従姉妹の由夏と同居してからもう三年になる。
『ファビュラスJAPAN』の社長の藤田かれんが、かつて住んでいたマンションを、幹部の社宅として由夏が引き継いだ。
でなきゃ、あんな高級なペントハウスには到底住めない。
同じ家に住んではいるものの、一緒に帰ることは皆無だった。
同じ時間に家に居ることも稀なくらい、絵梨香は大概、広い広い家に一人でいる。
ファビュラスの専務は、それほど多忙に期している。
「こうして由夏ちゃんと電車乗るのなんて、ひょっとして初めて?」
「ん……絵梨香の出社初日の歓迎会の後は一緒に電車で帰ったような……」
「ああ、あれ! 由夏ちゃん、記憶あったんだ? あの日はホントに…」
「なによ!」
「スゴかったじゃない! 歓迎会……。盛り上がったのは嬉しかったけど、由夏ちゃん、ハデに酔っぱらって、ホント大変でさ。私これからこんな日々が続くのかって、ちょっと不安になったぐらいだもん。初日からあの洗礼は……なくない?」
「あはは…そんなこともあったかな。絵梨香がウチの会社に来てくれたのが嬉しかったのかなぁ」
「それって、結婚式の日の父親みたいじゃない? 由夏ちゃん何気にオヤジくさいからなぁ」
「失礼ね! 30女をオヤジ扱いするなんて、全然シャレになんないわよ。まぁ、あながち間違ってもないけどね」
「なにそれ! 由夏ちゃんって私のパパだっけ?」
「感情的には近いかもよ!」
「やだなぁ…」
「絵梨香が子供ってことよ」
「いつまでたっても子供扱い!」
「しょうがないわよ、可愛い姪っ子なんだから!」
由夏が抱きついてくる。
「やめてよ外で!」
渚駅から大通りを渡って、川沿いの道を北上する。
マンションへ向かう道を並んで、この2人で歩くのも、なかなか新鮮だ。
絵梨香が能天気に、一人そんな思いを噛み締めていると、由夏が神妙な顔をした。
「ねぇ絵梨香知ってる? この辺最近、物騒なんだって」
「ああ、波瑠さんから聞いた」
「この道も今日は私と一緒だからいいけどさ、絵梨香一人で夜遅く通るのはちょっと嫌だな」
「うん、蒼汰にもそう言われた」
「やっぱり。蒼汰が言いそうなことだわ。でも、ホントよ。暗いし、なんか怖いじゃない。なるべく帰る時間を私に知らせてよ。時間が合えば一緒に帰れるけど、そうじゃなければ、あっちの西の大通り通って帰るのよ。そうだ! それなら、蒼汰と遊んで帰ればいいんじゃない? あの子に送らせればいいから!」
「由夏ちゃんは……すぐそうやって蒼汰をこき使うんだから! もうこの際、蒼汰も雇えばいいんじゃない? 由夏ちゃんの言いなりなんだし」
「だめだめ、あんな生真面目な子。扱いにくいわ」
「よく言うよ!」
「あの子はね、さっさと作家になった方がいいのよ。昔からの夢を未だに追いかけてる純粋な子だからね。今はその下積みっていうか……。だから私もあんまり邪魔できないんだけどね」
「めちゃめちゃ邪魔してるように見える時もあるけど?」
「うるさい! 気のせいよ!」
笑いながら由夏は公園の方に目をやる。
この公園はやっぱり、危ないわね。
蒼汰に念押ししておこう。
その時、そこに人影を見たような気がした。
「あれ?」
「どうしたの? 由夏ちゃん」
「いや、なんでもないわ」
マンションの前まで来た。
由夏が自分のジャケットのポケットを指差して、絵梨香に言った。
「あ、電話が入ったから、絵梨香は先に上がっといて。もうお寿司注文しといていいから」
「やった!」
絵梨香がエントランスの扉の中に消えたのを確認して、由夏はマンションを離れた。
公園の方に向かって足を踏み出すと、すぐ近くにターゲットは居た。
「ねえ君。ここで何してるの?」
由夏の顔を見て、ターゲットは少しバツの悪い顔をして、頭をさげた。
「だいたい察しはつくわ。ねぇ、私のお願いを聞いてくれたら、あなたの秘密は守るけど。どうかしら?」
第5話 『ファビュラス』専務取締役
相澤由夏 ー終ー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます