二頁「暴走」

 上谷駅へと続く雲上うんじょう通りは、上谷駅に近い事もあって人通りも多く、帰宅する学生達が大蛇のように列を作って駅に向かっている風景は、平日の恒例行事だった。

 エリカは、スマホを見ながら学生の列をかき分け、ずんずんと足音を鳴らして駅へと向かって進んでいく。

 学生達は、エリカの身勝手な独歩を鬱陶しく思いながらも、烈火のような表情から触れれば火傷させられると直感し、静観と黙認を決め込んでいた。


「沙月さん」

「エリカちゃん」


 早足で追い掛けてきた薫と涼葉に、エリカは、むくれ顔で振り向いた。


「これ見て」


 エリカは、スマホの画面を二人に突き付けた。

 若い世代に人気のニュースアプリ『デイリー・リサーチ・サービス』の記事が映っている。

 記事の見出しは『上谷区と同一犯? 東京都連続失踪事件』だ。


「これだよ。先生が言ってるワードの事件」


 エリカは、スマホの画面を薫と涼葉に向けたままフリックしていく。


「失踪事件って事になってるけど、これって灰かぶり猫のゼゾッラの時と同じだよ。政府の情報操作」

「なるほど。その可能性は高いかも」


 薫とは対照的に、涼葉は釈然としない態度で、


「情報操作って……それだけじゃ根拠としては薄くないかしら?」

「涼葉さん、私を疑うの!?」

「待って」


 涼葉は、エリカの両肩に手を置くと、さすりながら破顔した。


「ここだと目立つし、場所を変えましょう。近くに行きつけのカフェがあるの。そこで話の続きをしましょう」


 涼葉行きつけのカフェ。

この単語だけでエリカの苛立ちは薄れていき、期待感が胸に膨らんでいく。

 涼葉だから、きっとおしゃれな店に連れて行ってくれる――。


「何ここ!?」


 エリカの悲鳴が干物専門カフェ『乾物堂かんぶつどう』の和室に響き渡った。

 全席個室になっており、八畳の部屋の中央には、三重県から直送した干物をあぶるための囲炉裏いろりが設置されており、三人で正座をして囲炉裏を囲んでいる。

 真新しい畳の匂いは心地良いし、ワードの話をするのに個室という環境は最高だが、おしゃれカフェを想像していたエリカのテンションを満足させる事は出来なかった。

 当の涼葉は、エリカの反応が心底意外そうである。


「何って……私行きつけのカフェだけれど?」

「カフェ!? どこがカフェ!?」

「僕は好きだけど」

「ありがとう亀城君。さぁエリカちゃんも、お茶をどうぞ」


 と言って涼葉は、急須からほうじ茶を茶碗に注いでエリカの前に置いた。


「ほうじ茶!? 違う! 今のテンションは、紅茶とかコーヒーとかなの!!」

「ここの干物は、絶品なのよ」


 干物が嫌いというわけではないが、寄り道でわざわざ食べようとは思わない。

一方で薫は、ほうじ茶と囲炉裏で炙った鯖の一夜干しを楽しんでいる。


「悠木せんぱい、おいひぃです。今度家族ときまふ」

「あら、気に入ってくれてよかったわ。紹介した甲斐があるもの」

「桃子もアジの開きが好きな渋い趣味の奴だったんです。この店に連れてきたら……喜んだだろうな……」

「亀城君。私がアジの開きをプレゼントするわ。妹さんの仏前に供えてちょうだいね」

「はい! モモも喜びます……」

「さぁ、エリカちゃんもどうぞ」

「涼葉さん!! その口調で紅茶ならお嬢さまだけど、干物じゃおばあちゃんだよ!? イメージでは、SNSで映える感じだったの!! 対象年齢七十歳のお茶屋じゃないの!! 和なら和でいいから、せめて甘味処でしょ!」

「まぁエリカちゃんのご不満は、いいとして――」

「よくない!! こんなの高校生っぽくないもん! タピオカミルクティーとかさ!!」

「エリカちゃん。あれはカエルの卵なのよ。お腹の中でおたまじゃくしが湧いちゃうわ」

「何言ってんの!? そんなわけないから! 湧くわけない! 馬鹿じゃないの!?」

「沙月さん。いろんな考え方の人がいるんだから馬鹿にしたら悪いよ。僕もおたまじゃくしはないと思うけど」

「……二人とも、改めて話の続きをしましょうか」


 涼葉の瞳が研いだばかりの刀のようにきらめいた。

エリカは、諦めて本題に入る事にする。


「先生が私を勧誘した時、各国の政府が連携してグリムハンズとワードに関する情報を操作してるって教えてくれたの。だから今回の事件もその可能性が高いと思う」


 涼葉は、頷きながら薫に視線を移した。

 この中でも最もグリムハンズとしての経験が豊富な薫に、エリカの推測が正しいかを尋ねたいのだろう。


「僕の父さんは、グリムハンズですが、僕が覚醒した時、今の沙月さんと同じ話を僕にしています」

「ならエリカちゃんの推理は、正しいという事ね。失踪事件って事にすれば。うやむやにしやすいでしょうし……筋は通っているわ」

「でしょ!? それにね! さっき失踪とか連絡付かないとかでSNS調べたら――」


 エリカは、自分のスマホを涼葉に手渡した。

 画面には、上谷区在住の友人と数日連絡がつかないというSNSの書き込みが数件表示されている。


「まだ報道されてないけど、この上谷区の人が一番新しい被害者だよ」

「どーして?」


 干物を頬張る薫のアホ面が、エリカの理性を吹き飛ばした。


「黙れシスコン!」

「なんだよ! あんな可愛い妹が居たら誰だって――」

「だ・ま・れ!」

「……はい」

「気を取り直して……この失踪事件、発生現場がどんどん北上してるの。上谷区の方向に。そして上谷区で失踪の可能性あり。それを裏付けるのが――」

「如月先生の動きと私達を突き放した態度、かしら?」

「正解!! だから私達でワードをやっつけて先生を見返してやろうよ!」


 盛り上がるエリカとは裏腹に、薫は警戒心を露わにしている。


「沙月さん、やめといた方がいいって。あの人が関わるなって言う事に首突っ込むと、ろくでもない事になるのは、僕が経験済みだ」

「だからってこのまま引き下がるわけ!?」

「勝負じゃないんだから。あの人は、十年以上のキャリアがあるベテランだし、忠告は聞いといた方がいい」


 薫の言う理屈が分からないわけではない。

 子供を危険から遠ざけたいと思うのは、大人の道理だ。

 けれど――。


「私がムカつくのはさ!」


 理屈だけでは、どうしても割り切れなかった。


「あそこを私の居場所だって言ったくせに追い出した事。私だけじゃない。みんなの居場所なのに、先生が全部決めるの不公平だよ。大人なら何してもいいって事じゃないでしょ!?」


 優しい言葉で虜にしたくせに、今更突き放すのは残酷すぎる。

 こんな事なら最初から『居場所』なんて台詞、聞きたくなかった。

 受け入れてなんてくれなければよかった。

 エリカが抱くのは、恩師からないがしろにされた悲しみではない。

 大切な人から理不尽な仕打ちを受けた憤怒だ。


「それに……前回私なんにも出来なかった!!」


 雪の女王の鏡との対決でエリカは結果的に足を引っ張る格好になってしまった。

 名誉挽回のチャンスが欲しい。自分が出来るやつだって所を正太郎に見せ付けたい。


「だから私が出来るって所を見せ付けてやる! 絶対見返してやるんだ!!」


 勿論わがままである事も分かっている。

 ワードの戦闘は、文字通りの命懸け。

 頭の熱が引き、ようやくエリカは、自分の身勝手さを客観視出来るようになっていた。

二人を巻き込むのは、許されないエゴだ。


「無理言ってごめん」


 無茶しないよ。

ワード退治を諦める。

 二人の為を思うなら、そう言えばいい。

 けれどそれだけは、エリカにとって譲れない一線だった。


「涼葉さんも薫君も私の言った事は、気にしないで」


 エリカが立ち上がり、個室を去ろうとすると、涼葉の指先がシャツの袖口を摘まんできた。


「エリカちゃん。引き下がるんじゃなくて、一人でやる気なんでしょ? なら、巻き込まれるしかないわね」


 涼葉の発言を想定していなかったのか、薫の肩が跳ね上がった。


「え!? 悠木先輩本気ですか?」

「ほっといたら暴走しちゃうわ。かと言って先生に相談しても余計こじれそうだし、私達でエリカちゃんの手綱を取りましょう」

「私は、涼葉さんにとって暴れ馬なわけ!?」

「似たような物でしょう? 好きだけれどね」

「僕は、やめた方がいいと思うけどなぁ……」

「何より先生のあの言い方には、私も腹が立っているわ。亀城君は、仲間じゃないなんて言い方されて、はいそうですかって納得出来る?」

「その……あの人なりに考えあっての事だと思うし……」

「なら私とエリカちゃんでやるわ。あなたは帰っていいわよ。この素晴らしい干物の世界を紹介した恩義を忘れて帰ればいいわ」


 薫は、喉を低く鳴らしているが、この場を去ろうとはしない。


「……桃子の好物を紹介してもらって恩義もありますし、今回は僕も乗ります」


 どうやらエリカの傍に居る決意を固めているようだ。


「ありがと。涼葉さん、薫君。じゃあ早速、薫君が現場で張り込みね」

「なんで僕!?」

「犯人は、現場に帰ってくるっていうでしょ」

「警察とか先生が見張ってると思うけど、ていうかなんで僕!?」

「男の子なんだから。体張って」

「いやいや。体格だけなら悠木先輩の方が――」

「亀城君。お姉さんに何か言いたい事でもあるのかしら?」


 涼葉から気品と柔和さが消え、切れ長の瞳に殺意が浮かび、薫の頭上から威圧してくる。

 薫の身長は、エリカとほぼ同じ一六二センチ。対する涼葉は一七六センチだ。

 日本人女性としては、かなりの高身長であり、エリカからすれば憧れなのだが、隣の芝生は、青く見えるもの。

 からかわれた事もあるらしく、身長の話題に触れると普段の温厚さはどこかへ消え去ってしまう。


「亀城君?」

「いえ……なんでも」


 小鹿のように怯える薫を無視して、エリカの思考は、犯人探しの手段について検討を始めていたが、


「そうだ。涼葉さんと薫君なら安全かつ秘密裏に見張れるよ」


 その手段は、すぐに得られた。

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