三頁「遭遇」

 昨晩狂ったように地上を照らしていた月明かりだったが、今日は雲に隠れてか細い。

 重い闇がもたれかかる三島通りを紺色の開襟かいきんシャツとベージュのキュロットを着たエリカが瞼をこすりながら歩いている。

 右側を歩く薫は、桜色のTシャツとジーンズ。左側を歩く涼葉は、水色のノースリーブのカットソーに七分丈の黒いワイドパンツだ。

 制服姿で動くのは目立つと涼葉が指摘し、全員私服に着替えてきている。


 時刻は、深夜の二時過ぎ。幸い警察や正太郎の姿は見えないが、友人関係に乏しく趣味もなかったエリカは、夜遊びや夜更かしの経験がない。

 故に睡魔は、今まで倒してきたワード以上の難敵だ。


 エリカとは対照的に、薫と涼葉は昼間と変わらぬ様子で、薫の肩では一匹のカラスが休んでいる。

 薫がよく偵察に使うカラスで、夕方からほんの三十分前まで、町中を飛び回ってくれた。

 けれど成果は得られず、今は薫の肩で疲れを取っている。


「薫君の方は、空振りか。涼葉さんは?」


 涼葉の親指姫サンベリーナは、現在薫の操る鳩の背に乗って、雄志麻町を上空から監視している。

 視界の右半分を親指姫サンベリーナの見ている景色にしているが、怪しいモノは映っておらず、涼葉は肩をすくめた。


「今の所は、何も」

「今日は現れないかな。さすがに」


 事件が起きた雄志麻町近辺で張り込めば、ワードは姿を現すのでは?

 それが安易な発想であったと、エリカを後悔が襲った。


「待って」


 涼葉の焦燥した声がエリカの自責の念を断ち切った。


「涼葉さん?」

「女の人が、歩いてるのが見える。西側の通りね……ここは四島よつしま通り?」

「それなら、ここからすぐですよ」

「薫君、待って……」


 涼葉の右の視界、サンベリーナの見ている光景に割り込む影が二つ。


「何か、居る……二つ」


 二つの影の姿は、疾風のような身のこなしと夜闇が手伝って、正確に視認出来ない。

 そして、それらは女性の背後から迫り――


「このままじゃ……」

「急がないと!」


 エリカが路地に向かって最初に駆け出すと、涼葉と薫が後を追った。

 三人ともがグリムハンズにより強化された身体能力を発揮し、速力は車の法定速度を軽々と上回る。

 路地をすり抜けるように走り、四島通りに出た三人が目撃したのは、異様な光景であった。

 小さな商店が点在するだけの物寂しい四島通りの真ん中で、二匹の異形が女性を組み敷き、かじった肉を引っ張り合っている。


 一匹は三本の鋭い角が伸び、一匹は白い髪を腰まで伸ばして胸には、二つの豊満な膨らみがある。

 彼等は、尋常の生命ではありえない。

 人が空想で描き得る醜悪を超越して存在する異形の対は、紛れもなくワードだ。


「こいつら!」


 エリカの咆哮に呼応するかのように、数百に及ぶガラスの矢が異形達の頭上を薙ぎ払った。

 女性が居るから直撃は狙っていなかったが、圧倒的火力は、異形達を女性から引き剥がし、後退させるには十分であった。

 次いで放たれた矢は、異形と女性を阻む壁のようにアスファルトに突き刺さり、エリカは間合いを詰め、女性の盾となるように立った。

 涼葉が恐る恐る女性の首元に指を当てて脈を取るも、


「みゃ、脈がないわ……し、死んでいるの? そんな……」

「間に合わなかったか……」


 涼葉の困惑と薫の落胆を火種に、エリカの感情は熱を増していく。


「よくも!」


 湧き上がる怒りに任せ、尚且つ狙いは的確に、灰かぶり姫シンデレラの結晶が無数の槍となって地面から躍り出し、二体の異形を襲った。

 だが結晶は、いずれも異形を捉えられない。

 二度、三度と繰り出すガラスの刃が月光を吸い込み、周囲を七色に染め上げる。

 だが狙い澄ましても、虚を突いても、量で圧倒しようとも、敵は獣染みた外見とは裏腹の理性的な動作で、エリカの攻撃をいなしていた。


「僕が動きを止める!」


 薫が人差し指の付け根を噛み千切り、血で三体の家来を生成する。

 エリカの繰り出す結晶の隙間を抜けて異形に迫り、まずきじが爪で髪の長い女性型の個体へ襲い掛かる。

 彼女は、これを首だけをよじって避けると、返す刀できじを右の掌で打ち据えた。

 きじは、バラバラになり、続いて猿が三本角の喉笛を狙い澄まして牙を剥く。

 これを角の異形は、右腕を盾にして食い付かせると、左拳を打ち下ろし、猿の頭を砕いた。


「この!」


 エリカは、キュロットの右ポケットにしまっていたビー玉をまとめて取り出し、地面に叩きつけた。

 血を吸い込んだビー玉は、増殖と共にアスファルトをめくりながら突き進み、異形を包囲するかのように巨木のようなガラスの柱を幾重にも突き上げた。


「よし、仕留めた!」


 四島通りを埋め尽くす柱一本一本が鋼鉄すら粉砕する一撃必殺。

 討伐を確信したエリカが、ガラスの柱を一斉に霧散させると、異形は嘲笑うかのように結晶の粒が彩る虚空をふわりと舞っていた。

 まるで灰かぶり姫シンデレラの攻撃が微風そよかぜでもあるかのようだ。

着地した二体の異形は、いずれもかすり傷一つ負っていない。


「効いて……ないの?」


 折れていく。

自信も。戦意も。

音を立てて。


「沙月さん、まだだ!」


 しかし薫の一声が、エリカを繋ぎとめてくる。


「直撃したけど効いてないんじゃない! 多分隙間を縫って全部避けただけだ! 直撃させれば倒せる!」


 薫は、最後に残った犬を三本角の異形の背後から飛び掛からせる。

 並のワードであれば、不可避の奇襲。だが異形は、エリカを視界に据えたまま犬の首を掴んで地面に叩き付け、血痕と化させた。


「僕の血の家来が通用しない……」


 圧倒的な戦力は、今まで戦った中でも間違いなく最強の敵。

 仮に相手が一体だけでも、正太郎を加えた童話研究会フルメンバーでさえ勝てるかどうか。


 最大の脅威はパワーとスピードでなく、今までのワードが見せなかった戦略的な動きだ。

 本能で動くのではなく、エリカ達の行動を読み、思考し、最善手を選択してくる。


 さらに不気味なのは、この異形達が防戦に徹しており、攻撃を仕掛けてくる気配がない事だ。

 物語に沿った本能的な行動しかしてこなかった今までのワードとは違う。

不可解で、計り知れない。

 濃縮された恐怖がエリカを頭上から押し潰そうとしてくる。


 もしも、異形達が攻撃に転じたら?


 凌ぎ切れるのか?


 倒せるのか?


 いざという時、逃げられるのか?


「エリカちゃん、亀城君、分が悪いわ。一旦退きましょう!」


 涼葉の提案は、この状況における最善手だ。

 女性は、既に息絶えている。

 エリカ達が逃げ出しても、死肉が彼等の腹に納まるだけ。

 攻撃の意志を見せていない今なら逃げ切れる公算は十分にある。


 しかし、ここで逃がせば、再び相対するまでに犠牲者が増える可能性も否定出来ない。

 エリカの頭に、交互に浮かんで来るのは、どうやって逃げるかという方法の模索と、逃走の意志を殺そうとする無謀な勇気ばかりであった。


「逃がしたら、あいつはまた!」

「どの道、正体も分からないから封印出来ないわ!」

「だけど!」


 エリカの視線が異形達から外れ、薫に向いた瞬間、髪の長い異形が大きく口を開き、喉の奥から黒煙混じりの炎がおどり出た。

 咄嗟にエリカは、腕を盾に身を守るも、肌が熱で侵される感覚はない。


 ――攻撃じゃない?


 エリカが見やると、既に異形達の姿もなく、先程まで彼等が立っていた足元には開いたマンホールと鉄製の丸い蓋が転がっていた。


「あいつら!」


 炎は、攻撃のためではない。

目くらましのために放たれ、エリカ達に生じた一瞬の隙をついて、下水道に逃げ込んだのだ。

 原点となった物語に行動を縛られ、本能のまま動くワードの行動とは、とても思えない。


「追わないと……」

「沙月さん! 無茶言うなよ!」


 薫の言い分をもっともに思いながらも、エリカの直感は撤退を拒んでいた。


「あいつ。圧倒的に有利だったのに撤退した」

「だからなんだよ?」

「ただのワードじゃない。明らかに知性を持ってる」


 人間に匹敵する頭脳を持ちながら、超常的な力を持つ存在。

 物語に行動を縛られた今までのワードと比較しても明らかな規格外だ。


「ここで逃がしたら、もっとやばい事に――」

「エリカちゃん、ここまでよ」

「涼葉さん、でも!!」

「警察に捕まったらどう言い訳するのかしら?」

「警察って……!?」


 遠くからパトカーのサイレンの音が近付いてくる。

 激しい戦闘音を聞いた近隣住人が通報したのだろう。

 周囲の建物に被害こそ出ていないが、この場に留まって警察に事情を聞かれるのはまずい。

 エリカは、舌打ちをしながらも涼葉の指示に従い、三人で四島通りを離れた。

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