二十六

「怨鬼か」

 桔梗から始終を聞いた朔羅は、そう口にした。

「要は、恨みある遺体に更に人の怨念が混ざりって膨れ上がり、人を喰う鬼に変化したって事さ。人の想いってのは、それ程に強くなれる。良くも、悪くも」

「ふむ。どれだけ時が流れても、人が人を恨む事が無くなる事はないからのうその逆も然り。じゃがのう」

 いつの間にか子供の姿に戻った太陰は、りんご飴を口にしながらそう言った。

「お迎えが来てんだろ。さっさと帰れよ、がきんちょ。祭りは終わりだ、とびっきりの多目玉でもくらうんだな」

 朔羅はニヤニヤと笑いながら言った。

「嫌味な奴よ。良いのか? そう急かして。ワシを迎えに来たのはあやつぞ」

 狐の面を外し、その素顔を晒す。

 朔羅達の前に現れたのは、あの日別れた巳月であった。

 もう二度と、会う事はないと思っていた姿に、視線は集まる。

「貴人も粋なことをする。どさくさに紛れて、というやつよ。のう、朔羅。少しばかり時間を与えてもバチは当らぬ」

 全てを見透かしていたかのように、その子供は微笑んだ。

「……仕方ない。もう少し、お守りでもしてやるか。ほら、行くぞがきんちょ」

「がきんちょは余計じゃ」


 祭りの後。

 夜の帳。

 川沿いに座り、水面に浮かぶ月を眺めた。

 ふわりと風が立ち、月が揺れる。

 ふと、隣へ視線を移す。

 宵闇に輝く巳月の姿は神々しく、人ならざる者であると、改めて認識させる。

 そこには一線があり、超える事は出来ない。

 桔梗は、視線を水面の月へと戻した。

 こうして隣に居ると、不思議と落ち着く。と、同時に、寂しさを感じる。

 それに、ずっと気になっていた。あの時、貴人と名乗る者は、水月に許すと言うだけでいいと言った。あれは、どういう事だったのか。

 桔梗の中で、未だ釈然としない気持ちがあった。

「何か、悩みでも?」

 巳月の声に、桔梗は勢いよく顔を上げる。

 視線が泳ぐ。

「俺で良ければ、聞こう」

 その微笑みに、桔梗は甘えた。

 自分の中にあった違和感を、全て曝け出す。巳月は、それを黙って聞き続けた。


 ゆらり。

 月が揺れる。

 静かに、時は流れた。

 桔梗の吐露に、巳月は真実を告げた。

 言うべきではないと、思っていた。

 伝えれば、混乱するだろう。

 過去の記憶はない。

 告げた所で、桔梗の居るべき場所はここで、朔羅が正真正銘血の繋がりのある兄弟だ。

 もう、同じ時を歩む事のない片割れだった者へ、そっと視線を向ける。

「すまない」

 巳月の口から、不意に突いて出た。

「いえ……」

 声音は小さい。

「本当の事を言ってくれて……ありがとうございます」

 間を空け、桔梗は少し笑った。

「少し、胸の支えが取れました。そっか、そういう事だったんですね——。実は今日、水月さんに偶然会ったんです。それで、少しお話をしました。体も良くなってきてるって、今度お見合いをするそうです」

「……そうか」

「はい……」

 再びの静寂。

 幸せになってほしい。二人の胸に、同じ感情があった。

「ごめんなさい……僕のせいで、沢山——傷つけてしまった」

「巳か——」

 かつての名を呼びかけようとなり、巳月は慌てて口を閉じた。

「謝って、どうにかなる事じゃないですね……」

 泣きそうに、笑う。

 桔梗は、自身が人として生きて行かなければならない事情を知ってしまった。それでも、全てが有耶無耶の時より、心は晴れやかだ。

 そっと、刀をなぞる。

 かつての自分と共にあった、巳月と対の刀。

 受け取った日の事を思い出す。

 神気は使えない。だから、本当にただの刀。それでも、この手に馴染む。

「僕は、朔羅程の力はない。それでも出来る限り、人を助けて行こうと思います。それでも、自分のした事を償えるとは思わないけど……」

 祟神になり、人に堕ちた。

 片割れだった巳月を残し、主の片割れを道連れに。

 水月まで、苦しめた。

 それでも、もう一度会う機会を与えられた。

「兄さん……今までありがとう」

 桔梗は、巳月へ最後の笑みを向けた。

 

 そして

 さよなら——兄さん。


 

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