二十四

 秋。

 神去月。

 祭りの季節になると、あちらとこちらが通じ、死者が黄泉返るという。

 そういう噂が、いつの間にか広まっていた。

 いつ頃、どこから広まったかは分からない。

 ただの噂。

 だが、火のないところに煙は立たない。

 ただの噂。

 それでも一縷の望み。

 もう一度。一度で良いから——会いたい。

 噂は希望となり、彷徨う。

 どこに行けば会えるのか。

 どうすれば会えるのか。

 淡い期待と幻想。

 藁にもすがる思いが、掻き立てる。


 女は、許婚を亡くした。

 それは、あまりに突然に。

 あっけなく、愛する者を奪った。

 女は、愛する者の死を受け入れられずにいた。

 受け入れられずに、半年が流れた。

 未だ心の穴は埋まらない。

 その噂を耳にしたのは、そんな時だった。

 女は、微かな光を手に入れた。

 あの人に、もう一度。

 もう一度——会いたい。

 

 淡い期待と幻想に溺れる。


 死者が黄泉返る。

 その噂は、桔梗の耳にも届いていた。

 一体、どこからそんな噂がたったのか。

 悪ふざけにも程がある噂。そう思った。

 期待させるだけさせて、その実ただの噂に過ぎなかったのだと、絶望させる。人の心を弄ぶだけだ。

 それでも——信じてしまうんだろうな。

 信じずにはいられない。

 戦がある。

 凶賊が出る。

 病がある。

 妖や鬼が出る。

 天災もある。

 いつ何が起こるか分からない。

 平穏とは、予期せず簡単に壊れてしまうものだ。

 先の一件で、桔梗は体感していた。

 幸い、それで誰かが命を落とす事は無かったが、もしもと考えた。

 それに、自分はそういう人を見る機会が多い。

 妖退治が生業故ではあるが。

 けれど、桔梗は知っている。

 冥府の事情には、多少なりとも明るい。

 死者が黄泉から返ることはない。

 確かに、怨嗟が強い怨念が人の形をとることはあるが、大抵はその恨みが面に出ている。まともに言の葉を交わす事は出来ない。怨念は怨念でしかない。

 大切な人を失う。

 その心につけ入る、たちの悪い噂だ。

 

 人混みの中、そんな事を考えながら桔梗は歩いていた。

 すると、前方で咳き込む者がいた。

 喧騒に紛れ、大きくなる声に桔梗は近づき声をかける。

「おい、大丈夫か?」

 背中にそっと手を置き、その体を支える。

 だが、咳は止まらずその場にしゃがみ込む。

 桔梗は近場の飯屋から水をもらってくると、その者に飲ませた。

 徐々に咳き込みは落ち着き始め、呼吸を整え、やっと顔を上げて礼を聞く。

「——君は」

 偶然の出会い。

 桔梗は、それが水月みずきだと気づいた。

 水月も同様に、桔梗に気づいた。

 お互いに、顔を合わせ、突然の出会いにどちらともなく笑んだ。

 そして、桔梗は飯屋の外にある長椅子へ水月を座らせ、その隣に腰を下ろした。

「出歩いて、平気なのか?」

 桔梗の許しで、水月の祟は去った。

 けれど、長年床に伏していた体を気遣う。

「以前よりは、大分良くなりました。少しずつですが、外にも出れるように。最近では、母の買い物にも一緒に行ったりしてるんです」

 水月はそう言って柔らかく笑んだ。

「——良かった」

 桔梗はその笑顔を見て、胸の中が暖かくなった。

「今日は、一人で?」

「いえ、父と母と一緒です。二人共演舞に夢中で、私は少し出店を見てみたくて離れたんですが。先ほどは、ありがとうございました」

「そう。一人でないなら良い。ご両親からあまり遠くに離れては駄目だよ。祭りの日は、妖が出るから」

 それとなく、注意を促す。

「はい」

 水月は妖という言葉に驚きもせず、そうなのだと素直に聞き入れる。

 あちらに行った事があるだけに、ちょっとの事では動じないようだった。

「お祭りって、楽しいですね」

 水月は行き交う人々と、灯の連なる出店を見つめながら、そう溢した。

「私、初めてなんです。お祭り。こうして、ここに来れるようになったのも、皆のお陰です」

 そう言う彼女の横顔が、桔梗の目に眩しく映った。

 その横顔から、視線を外せなくなった桔梗の耳に、どこからかあの噂がするりと入り込んできた。

 ねぇ、かあちゃん。祭りの日には、死んだ人がかえってくるんだって。それなら、父ちゃん今日、戻ってくるかなぁ。おれ、父ちゃんに、会いたい。なぁ、母ちゃんだって、会いたいだろ?

 子供の声だった。

 子供の母親は、そんなのはただの噂話よ。と笑ってはぐらかしていた。

「——会いたい。かぁ」

 水月は呟く。

 彼女が誰を思い浮かべたかは、容易に想像がつく。

 桔梗は、腰の太刀にそっと触れた。

 どんなに想っていても、二度と会う事叶わなない。

 彼女の心中を察して、桔梗は話題を変えようと考えた。

「私——お見合いするんです」

 その言葉に、桔梗は驚き目を見開く。

「お見合い?」

「はい。こんな私でも、会いたいと言ってくれていて」

 彼女はそう言うと、俯いた。

「あの日、私の気持ちは受け取ってもらえませんでした。私、初恋だったんです。初めて、ずっと一緒に居たいって——。分かっていたんです。こうなるって。巳月さんは、神様だから。住む世界が違うから。だから——諦めなきゃって」

 言葉が途切れた。

「——だから、お見合いを?」

 桔梗の言葉に、首を横に振る。

「違うんです。今は、これで良かったんだって思います。私は人だから、寿命があります。私だけが歳をとって、いずれは……巳月さんを残して逝ってしまう。それはとても酷で悲しい事だと思います。巳月さんは、私に人としての幸せを残してくれた。互いに、離れ離れで二度と会う事がなくても——」

 これで、良かった。か……。

 一歩を踏み出した彼女に、桔梗は紡ぐ言葉を見失う。

 確かに、これで良かったのだろう。

 嫁に行って、子供を産んで、それで幸せになってくれれば、これ以上の事などない。

 ——ないのに。


「私、幸せになります。きっと。少し、遅くなってしまいましたが、人並みの人生を歩んでいきます」

 花のような眩しい笑顔が咲いた。


 

 

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