二十三
「邪魔をしておる」
朔羅は我が目を疑った。
「——人の屋敷に勝手に入って良いと思っているのか?」
「まぁ、良くはないであろうな」
「だよな」
もう関わる事はないだろうと思っていたその姿に、朔羅は驚きを隠せず棒立ちになる。それでも、その者は御構い無しに茶を啜った。
「ほれ、立ってないで座ったらどうじゃ?」
「いやいや、だから、何で居るんだよって話だ」
大股で歩き、目の前で胡座をかく。
「息抜きじゃ」
「はぁ?」
「だから、息抜きじゃ。あちらは今復興に急いておってのう。窮屈でかなわんのじゃ。いつもはわしを労わる綺酉でさえ、ここぞとばかりに扱き使うのじゃ。少々疲れてのう。さて、あちらはどうなっておるかと覗いていたのじゃが。紅葉が美しい季節で、懐かしくなってのう。こうしてお忍びで見に来たのじゃ」
太陰が無邪気な笑顔を向ける。
「お忍びって——。すぐに見つかっちまうんじゃないか?」
「療養してくると書置きをしておいたから、大丈夫じゃろ」
「ははっ大丈夫じゃないと思うぜ、それ。間違いなく帰ったら問い詰められるって」
「まぁ、それも致し方あるまい。それより、秋祭りなるものが催されると視たのじゃが、それはいつ始まるのかのう?」
浮き足立って聞いてくる太陰の瞳が輝く。
こうして見ると、本当にただの子供だ。
「秋祭りなら、今日から三日間だな。出店やら山車やらもうお祭り騒ぎよ。ま、こうゆう日は人の心に隙ができやすいから、妖なんかも出るってんで俺らは忙しんだな、これが。だから、子供のお守りは出来ないぜ」
にっと口角を上げ、着いていけないと、遠回しに言った。
「非情じゃのう」
「変な言い方するなって。こっちは仕事なんだ」
「むぅ。仕方ないのう」
いつになくあっさり引き下がったのが、少々気になった。
陽が落ち始め、徐々に人は増し、街中は人でごった返す。
祭り囃に賑わいをみせ、お祭りさ騒ぎが始まる。
そうなると、毎年の事だが、必ずといって行方不明者が出る。去年は特に酷く、祭りの準備期間を含め六名。未だ誰一人見つかっていない。
大なり小なり、夜陰に乗じて妖が湧く。
どさくさに紛れて、というやつだ。
これだけ人が多いと、見つけたところで追うのに一苦労だった。
見失う場合も多く、今年は桔梗も駆り出されている。
「兄さん」
「よう、そっちはどうだ?」
「今のところは」
濃紺色の羽織の下からは、あの日に賜った純白の太刀が覗いていた。
「こうも人が居たんじゃな。俺は町中を巡回するから、お前は町外れを見ていてくれ。何かあったら鴉を飛ばす。くれぐれも深追いだけはするな。被害者が出なければ良い」
「分かった」
緊張気味の桔梗の身を案じながら、自身も妖が潜んでいないかと人ごみの中目を凝らす。
祭り。
行き交う人の顔は笑顔だ。
少し前まで、鬼に怯えていたとは思えない程に明るい。そこに人の力強さを感じ、今一度その賑わいに目をやる。すると、その人混みの中にあって、一際眩しく人目を惹く人に目が止まった。
人か? にしては雰囲気が——
その、人となりをしている者と目が合った瞬間、手を大きく振り始めた。
「え? 俺?」
いやいや、あんな美人な知り合いは居ない。
そう心の中で叫んだ。が、その者は知り合いの様にこちらに歩み寄ってくる。
「無視とは、失礼な奴じゃ。ほれ、わしじゃわし」
その口振りで、この美人の正体に察しがついた。
「いや、嘘だろ……」
「嘘なものか。子供のお守りは出来ぬと言うたであろう」
「あれは——そういう意味じゃない」
「知っておるわ。忙しいのじゃろ。さっき桔梗とすれ違ったが、わしには気付かなんだ。少々寂しいのう」
そりゃそうだ。
子供の姿じゃないからな。
背の丈は桔梗ほどか。こじんまりとした顔に、大きな瞳。随分と別嬪な姿には、朔羅とて驚いている。あちらで、一度耳元で囁かれた艶のある声。それが、今の声音として吐きだされている。
「何でいつもこの姿じゃないんだ?」
「子供の姿の方が何かと楽でのう」
「朱雀がお婆って呼んでいたから、てっきり——」
「重ね重ね失礼じゃのう。あやつがそう呼ぶのはわしが博識故の事。こちらでは、お婆ちゃんは年の功で良い知恵を持っているじゃろ?」
そういう事か。
敬意あっての事とは露にも思っていなかった。
「さて、わしは祭りを楽しむ故、そなたは仕事に励むが良い」
にっこりと微笑む。
「一人で大丈夫なのか?」
「無論じゃ。共犯者もいる故、心配せずともよい」
「共犯者? まさか、一人で来たんじゃないのか?」
それには肯定するように微笑んだ。
「はぁー。大丈夫なのか? 見つかったら、あのおっかない神様に怒られるんじゃないのか?」
朔羅は貴人の事を思い出した。
背筋が凍るような視線を受けた苦い思い出を。
「心配性じゃのう。わしらを心配する必要はないぞ。あちら側での事など、そなたが気に病む事ではない」
成長した姿で言われると、妙に説得力が増す。
「まぁ、それもそうなんだが」
心配しているのは、それだけじゃない。
目を引く美しさがある故の心配事だってある。
「さてさて、何やらあちらに人溜まりがあるのう。あれは、何かのう?」
遠目に見える紅白の垂れ幕。
太陰はそれを指差した。
「演舞の始まる時間だな」
「ほう。演舞とな」
子供のように目を輝かせる。
「見るとしよう。ではのう」
黒髪をなびかせて、太陰は人溜まりに向かって行ってしまった。
「とんだ自由な神様だぜ」
走り去った姿を見送った朔羅は、再び人混みの中へ視線を移した。
今年の秋祭り。
最初に見つけたのは、旧鼠と猫又。その名の通り、鼠の妖と猫の妖。
人の姿に変化し、薄暗い路地に怪しい気。
あいもかわらず、小競り合いをしていた。
顔を合わせればと言うやつで、特に何か理由があっての事ではない。いつもの事ではあったが止めないわけにはいかない。
朔羅は頭を掻き、言い争いをしている方へ向かった。
「はいはい、そこまでにしておけよ」
威圧感を出して、仲裁に入る。
「だ、旦那ぁ」
間に割って入られ、先に声を上げたのは旧鼠の方だった。
「こんな祭りの日にまで喧嘩する事ないだろ。ただでさえ、俺は忙しいんだ。手間をかけさせるな」
「だ、だってよぅ」
猫又は上目遣いで朔羅を見る。
「だっても何もない! これ以上続けるって言うなら、喧嘩両成敗といくが、いいいか?」
いい加減にしろ。
そう目が訴えていた。
「……旦那には敵わねぇなぁ」
「ところで、旦那。あの黒鬼を使役してるって噂は、本当ですかい?」
猫又が再び上目遣いで聞いてくる。
「ん? あぁ。そうだが」
真実を告げると、猫又は寂しそうな表情で俯いた。
「それが、どうかしたのか?」
「い、いや……どうって事はないですが……その、旦那の屋敷に遊びに行くのが……怖いんでさぁ」
もじもじと、両の手をすり合わせ、猫又はそう言った。
「俺みたいな、ただの動物が長く生きた程度の妖にゃ、とてもじゃないが、鬼なんて化け物には怖くて近づけねぇんでさぁ……」
それには、旧鼠も同意するように頷いた。
「あの屋敷の縁側は、お気に入りだったんですがねぇ」
そうしてまた、寂しそうな顔をする。
「おいおい、そんな顔するなって。確かに鬼だが、俺が言わない限り何もしない。襲うことなんてないから安心しろ」
「だ、だ、だってよぅ。怖いもんは怖いんでさぁ」
妖ゆえに、相手との力の差が分かってしまう。どんなに大丈夫だと言った所で、本能で拒絶しているのだ。
「銀だっているだろ? あいつが平気なら、なぁ?」
「銀は狐だけど鬼は鬼だもんよぅ。朔羅は人間だから、鬼も妖も同列なんだろうけど、俺達には違うんだよぅ」
そう強く言うと、猫又は泣き出す。
鬼は怖い。
そう泣きじゃくる猫又に、つられて旧鼠も泣き出した。
おいおいなんだ、仲良しか。
そう心の中で朔羅は叫ぶ。
「おい泣くなって。俺が居る間なら、まだ安心だろ? その時に来ればいい。な?」
泣きながら、それなら。と、頷く。
変化を解いて、去っていく後ろ姿を見送り、朔羅は溜息を吐いた。
鬼が怖いってのは良くわかる。
俺だって怖い。
未だに、自分でもどうして鬼を折伏できたのかと不思議に思う時がある。それと同時に、寝ても起きても鬼が居る生活に慣れずにいた。
ただ物静かに、縁側でに胡座をかいている。
それだけで、物怖じしてしまう。
折伏した。
だから、主に手をかけることは出来ない。頭では、理解しているんだが——。
そりゃ、まぁ小さな妖なら屋敷に近づく事さえ出来ない筈だ。
鬼の気配は妖とは異なる。
どうりで最近妙に静かだと思った。
「静かなのは良い事なんだがな」
苦笑いをし、朔羅は人混みに紛れた。
次に見つけたのは、食い逃げの常習犯。
丁度、蕎麦屋を出た所で、着物の襟を後ろから力強く掴んだ。
「おい糞爺。ちゃんと金を払って来い」
「——おっと、見つかってしまったか」
襟を掴まれたまま、ちらりと朔羅の方を見やる。
「ったく、毎度毎度良い加減にしてくれよ、爺さん」
朔羅が手を離すと、爺さんと呼ばれた者は、素早く乱れた襟元を正した。
「お主こそ、妖に毎度毎度説教とは飽きぬものよ」
爺さんと呼ぶには相応しくない青年の姿の者は、ふっと笑った。
「ま、見つかってしまったからには、仕方ない。今回は払うとしよう」
そう言い、素早く店に戻り代金を置くと、またすぐに戻ってきた。
「これで良いか?」
「良いも何もねーよ。飯屋に来て食った分払うのは当たり前の事だ」
「人にとっての当たり前と、我らにとっての当たり前とは異なるもの。共存とは難儀なものだな」
そう言って、また笑った。
「いや、普通に払えば済む問題だろ。話を大きくするな」
「そうすぐ熱くならずとも良いではないか。それに、お主の屋敷においそれと行けぬ故、こうして外で食事をせねばならぬのだ。半分は、お主の責任ぞ?」
腕を組み、自分の吐いた言葉に頷く。
猫又の言葉を思い出し、そういえば、毎日タダ飯を勝手に食いに来ていた姿を見かけなくなった事を思い返した。
「鬼が居るからか?」
「左様」
「お前でも、やっぱり怖いものか?」
「怖いというよりは、鬼と妖にある一線をどう越えるかよ。お主のようにひょいと超えられば楽なのだろうが」
「ひょいっと超えたつもりなないんだがな」
「そもそもこの一線は妖にしか見えぬ。そなたの式は、同じ枠に治まっているが故抵抗がないのだろうが。野良はそうはいかぬ。まぁ、慣れていくしかないと思っているのだがな。それに加えて、あの鬼は物静かで何を考えているかわからぬ」
「それは俺も同感だ。必要最低限な言葉しか話さないからな、あいつ。銀なんかは、それでも良く話しかけていて凄いと思うぜ」
「あの九尾の狐か——。あれもなかなかに末恐ろしい妖よ。台所を漁っていても笑顔で居間で待っていてください。今、ご飯をお持ちしますので。とまぁ、良く気が利く。あれ程の妖気を帯びていながら、背後を取られた時にはひやりとしたものよ。殺気が全く感じられないからかもしれぬが。出来た女房のようだと、何度思うた事か」
うんうんと、再び自らの言葉に頷く。
「茶を出す頃合いもまた良い。つい、長居してしまう」
「お陰様で、俺の稼ぎが食費で消えていくのはお前らの所為なんだがな」
それには目を丸くして無言だ。
「おいっ」
「すまぬ。だが、色々と情報を与えておるのだ。お互い様であろう」
それには、今度は朔羅が黙った。
「さて、今宵の祭りは一波乱ありそうだぞ、朔羅。鬼とも妖とも異なる気配が降りてきているのは知っているか?」
「あぁ。あれだろ。ちょっと息抜きなんだと。あれは心配する必要ない。祭りが終わればすぐにでも帰るさ」
そう言って、演舞に群がる人だかりへと視線を向けた。
朔羅が神を使役していた事は、近しい妖の間へは瞬く間に広まっていた。一時的ではあったが、その気配がこちらにはあった。
眩しく、暖かい。光のような気配。
鬼とも妖とは明らかに異なるそれから、朔羅は視線を戻す。
「そうか。では、もう一つ。——去年は六人だったか」
「あぁ。こうも妖に出歩かれると、妖気が至る所に満ちてどうにも鈍る。面目ない」
ふっと視線を落とす。
「頭の良い事だ。態々この数日に事を済ませるのだから、承知でやっているのだろう。お主程の術者は、我らにとって脅威に他ならん。だが、被害が増えるというのは、味をしめているからだろう。そろそろ懲らしめてもらわねば。来年から、鬼——まで駆り出されるようでは、我らの楽しみがなくなる」
困った。
漏れたため息が、そう云っていた。
「これ以上の楽しみを奪われては敵わん。何か分かったら知らせるとしよう」
「あぁ、悪いな」
青年は、ふっと笑い、人混みへ姿を消した。
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