二十一
許す。
ただ、その一言を言えば良い。
突然、目の前に現れた金色の眩しい神は、そう言った。
言われて通りに、彼女にそう言った。
そう言えば、彼女の祟は消えるのだと。
それで本当に、消えたかどうかは分からない。
それでも、彼女が元気で生きていけるなら――。
「それで、伝えたのはそれだけかのう?」
太陰は、夕陽の差し込む部屋で、貴人を問う。
「それだけだ」
「通りで、初めてにしては息が合うはずじゃ」
そう言い、横に座る巳月を横目で見る。
案の定、複雑な表情を浮かべている。
「だからといって、どうこうなるものでもあるまい。あれは人である。共に戦ったのであれば、それは良く理解出来た筈であろう」
貴人の言葉は真実を言うあまり、巳月は頷く事しか出来ない。
「しかし、皮肉なものじゃのう……」
水月(すいげつ)であった水月(みずき)は巳月に心惹かれている。
巳月もまた水月(みずき)を想っているが、人と神の差を埋める事は出来ない。
そして、水月(すいげつ)を好いておった巳影は、今、桔梗として水月(みずき)の前に現れた。
あまりにも近く、あまりにも遠い。
「人は人の世に戻さねばならん。祟も消え、我等は全ての約束を果たした。こちらに長く留まる事は出来ぬ」
別れは近い。
そう言われ、胸の奥に鈍い痛みが走るのを巳月は感じた。
***
三日。
貴人は、巳月に時間を与えた。
三日の内に、別れを済ませよと。
時間の流れとは、これ程に早いものであっただろうか。
三日という時間は、ほんの瞬きの間に過ぎていった。
元より、彼女をこちらに帰す為の事。
あちらとこちら。
神と人。
どうにもならない壁が、鮮明に浮き上がる。
巳月さん。
そして、最後の晩。
月光の下、彼女の笑顔が咲いた。
桜の木の下。
花弁はとうに散り、ただ夜風が頬を掠める。
彼女の顔色も戻り、今は可憐な姿を魅せている。
巳月はあの日、彼女と交わした約束を果たす。
呪が解けたら、一緒に呑んでやらん事もない。
あの時は、こうまで時間がかかるとは思っていなかった。そして――こうまで彼女との別れが辛くなるとも。
太陰の気遣いで、美しく着飾った水月は、嬉しそうにその薔薇色の唇を、盃につける。
酒を初めて口に含んだ彼女は、二度瞬きをする。
「口に合わんか?」
首を横に振り、もう一口。
それだけで、彼女の頬は淡く染る。
愛おしい――。
口には出せない想い。
熱を冷ますように、春風が吹く。
静寂。
このまま時が止まれば良い。
そう胸の中で呟く。
願いなど、叶わないと分かっていても、抵抗せずにはいられない。
ふと、視線を感じ、彼女と目が合う。
潤み、熱のある視線。
口にせずとも、彼女の気持ちは巳月に伝わる。
ふっと視線を遮り目線を下ろす。
見つめあっていたら、この腕に彼女を抱き寄せ、離したくなくなる。
そう、しない為に。
「…………巳月さん」
か細い声が響き、胸が大きな音を立てる。
「私…………巳月さんが――」
「――言っては駄目だ」
巳月は、彼女の言葉を制止した。
「言ってはいけない――」
巳月は、今にも泣き出しそうな水月の熱を帯びた頬を撫でた。
そして、愛おしく、見つめたあと。
帰ろう――。
そう言い放つ。
巳月の言葉と共に、水月の頬を涙がつたう。
どうにもならないと、分かっていた。
けれど、涙が止まらない。
好きです。
そう伝えたかった。
優しく、その腕に抱き寄せられ、頭を撫でられる。
言ってはいけない。
そう言った巳月の姿が、苦しそうで――。
同じ想いなのだと悟る。
だから。
その想いは胸の中に。
ありがとう、ございました。
水月は一言だけ、そう告げた。
***
「水月は無事に家に帰ったのだな」
一夜明け、太陰は巳月に問う。
「はい」
こうして目の前に姿を現した事にほっとする反面、辛い別れであった事を想像し、それ以上の追求はしなかった。
「鴉によると。あの子なら親御さんと再会して、まぁ、あれだ。色々質問されたみたいだが、無事に帰ってきた事で、お祝いしようってなってるらしい。ま、たまには元気か様子見するから心配するな」
朔羅は寝起きの姿で、頭を掻きながら言う。
「そうか、それならば良い。しかし、最後まで締まらん男じゃのう」
「っるせー。もーいーから、さっさと帰んな」
しっしっと、野良犬でも追い返す仕草を見せる。
「兄さん。それは流石に酷いよ」
一歩後ろでだらしない兄の姿を見ていた桔梗が口を挟む。
「――そうだ、これ。返しそびれていた」
巳月の前に歩み出ると、すっと太刀を差し出す。
対の太刀を見つめるが、受け取ろうとはしない。
「これは、お前の物だ。好きに使うが良い」
「えっ、でも―だ」
「貰っておけ」
朔羅は桔梗の方に手を置く。
「ほら、お礼言わなきゃ駄目だろう」
兄さんには言われたくない。そう目で訴えた後。
「本当に、貰ってもいいの?」
「無論だ」
「――ありがとう」
桔梗は、太刀を胸に寄せる。
「では、帰るとしようかのう」
名残惜しそうに、太陰がふっと笑んだ後、光が巳月達を飲み込んでいった。
「なんだ、寂しいか?」
つい今し方まで巳月の立っていた場所をじっと見つめ、桔梗はただ立ちすくしていた。
「――別に」
「素直じゃないねぇ」
「うるさい」
「まぁ、神様との縁なんてそうあるもんじゃない。それ、大事にしろよ」
朔羅は、桔梗の頭をくしゃりと強く撫でる。
「……うん」
返事の後、その胸の太刀を一層強く抱いた。
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