十八

「やっと閻魔の鬼どもが来たようじゃ」

 太陰は鏡に映し出される様子を告げた。

「閻魔とは、閻魔大王の事か?」

 桔梗は質問を投げる。

「そうじゃ。冥府を司る、不死身の王。今回は、黒鬼に手酷くやられたようじゃがの。言った事は守る男よ。形勢は立て直されておる。流石は、閻魔直属の鬼。これは、敵にはまわしたくないのう」

 戦況を聞き、桔梗の隣に座る巳月は胸をなで下ろす。

「神に閻魔に鬼か――。聞き及んではいたが、実際に目の当たりにする日が来るとは、思ってもいなかったよ。僕は兄さんとは違つて、妖すら屈服させられない、ただのお飾りだから」

 桔梗は自らを卑下する言葉を吐く。

「ふむ。まぁ、無理もない。月影の家には水月という稀代の術者が居たのじゃ。朔羅もまた、それを超える逸材。力が無いと思うのは当然じゃ。だがのう――力がある者にも、あったなりの苦悩があるものじゃ。悩みを持たぬ人はおらぬ。わしとて悩みはあるぞ。わしは、あやつらみたいな勇ましい武は不得意じゃ。こういう時、力があれば加勢出来るのにのう」

 じっと鏡の中を見つめ、そう語った太陰の小さな背中から、寂しさが伝わる。

「あまり、力に固執してはならぬ。でなければ、この男の様に狂ってしまうぞ。――此奴、余程月影よりも上だと示したいようじゃ」

 太陰は鏡越しに歌柊を見る。

 そして、一つ。

 どうしても気になる事が、太陰にはあった。

 水月は、あの時。どうして黒鬼を倒せと我等に命じなかったのか。

 あの時は祟神の事もあり、そうする事に疑問を持つ事は無かった。だが、今考えると危険な鬼を冥府に送らなかったのは何故か――。

 人の世を思うならば、そうするべきであった。

 だが、現実は封じるにとどまった。

 それと、この男を見ていると、どうにも言い知れぬ不信感が太陰の中に生まれて仕方がない。

「どれ、少し覗いてみるとしよう」

 太陰は小さく呟く。

「カノ者ニ刻マレシ無ノ記憶 我ガ声ニ応エヨ」

 声に呼応し、鏡は遥か過去を映し出す。

 そこには、今と何一つ変わらぬ姿が映し出される。

「なんと――」

 それは、有り得ない事であった。

 神でも妖でも鬼でもない、ただの人間が、千年も同じ姿で存在する。

 人の寿命は長くても百年ほど。

 そして、老いるものだ。

 太陰は更にその記憶の奥を覗き込む。

 それは――禁忌の扉。

 人の心が壊れゆき、やがて人の殻を被った魔の者になる様を――。

「水月……」

 太陰は、声を絞り出して名を発した。

 あまりに白く、潔白。疑うことをせず、水月はただ彼の言葉を信じただけなのだ――。

『覗き見とは、関心しませんね』

 鏡の中から男の声が響き、過去は消え去り真黒に染まる。

『先程から視線が消えたかと思えば――貴女の力は少々目障りですね。真実を告げられては、面白くありません。少々、出来損ないと遊んで頂きます。では』

 声が消えると共に、鏡は真っ二つに割れ落ちた。

「太陰様」

「まずいのう。気づかれた様じゃ。銀よ」

「はい」

「言霊を預ける。あやつの手の者が来る前に、至急朔羅へ届けよ。ここにはわしらが居る故心配は無用じゃ」

「――かしこまりました」

「うむ。頼んだぞ」

 銀は獣の姿になり、駆けてゆく。

「さて、巳月よ。今、ここに居る戦力はわしとお主だけじゃが、護りきらねばならぬ」

「はい」

「桔梗よ。そなたは水月の側に――」

「いや、戦う。剣なら、少し自信があるんだ」

 真剣な眼差しで、太陰を見る。

「ならぬ。相手は人ではないのじゃ」

「だったら尚の事。僕が前に出て時間を稼ぐ。彼女には、最後の砦が必要だろう?」

 それは、自分では役不足だと桔梗は感じている。

 彼女に必要なのは、自分ではない。

 もっと、力のある者が側に居るべきだ――。

 そう思っていた矢先に、巳月と目が合った。

 美しい金色の瞳。

「これを」

 巳月は、太刀を桔梗へ手渡す。

「これ――」

 それは、巳月が手にする太刀と揃い対となる刀であった。

「神器故頑丈だ」

「でも、大事な物じゃ――」

「いいんだ。水月を護る為に使われるなら、本望だろう」

 巳影なら、その為なら、許してくれる。

「ありがとう」

「覚悟が出来ているなら、もう何も言うまい。巳月、部が悪い所無理を言う。――頼んだぞ」

「はい。太陰様、水月を宜しくお願いします」

 太陰は、素早く邸に強固な結界を張った。

 揃いの太刀を携えた巳月と桔梗は、陰気を感じ取り部屋から外へ急ぎ出る。

 二人の目に飛び込んできたのは、無数の異形。

 爛れた肌、欠損した部位、突き出た骨。そして、小さな角が物語る惨状。

 桔梗は口を手で覆い嘔気をのみ込んだ。

 それは、並みの人が直視出来る姿ではない。

「既に人としては生き絶えた骸だ。斬れるか?」

 巳月は顔色変えず、鬼に成りきれなかった者の末路を見据えていた。

「――斬る」

「良い返事だ」

 巳月は桔梗へ向けて、優しく微笑んだ。

 そして、鞘から刀をすらりと拔き、刃をなぞり神気を込める。

 桔梗の目の前で、その刃は純白に変化を遂げた。

 美しい光景であった。

 真っ白な刀を構える巳月の姿が、眩しく映る。

 汚れなき、神の姿。

 負けじと、渡された太刀を見つめ、鞘から刀身を解き放つ。

 握ったその刀は、妙に身に馴染む。

 初めて手にした筈なのに、ずっと一緒だった錯覚を覚えた。

「来るぞ」

 巳月は言い放つと、躊躇いなく斬り伏せていく。

「やっぱり、強いなぁ」

 ふいに桔梗の口から零れた。

 思わぬ言葉が出た事に、桔梗は気付かずにいた。

 巳月の戦う姿は、無駄も隙もなく、美しいと感じる。

 異形を前に恐怖はあるけど、巳月の姿にどことなく安心感を抱く。

 桔梗は、言葉になっていない咆哮にも似た声を発し、向かって来るそれを斬る。

 刀の切れ味は素晴らしく、一振りで屠る。

 一体斬り捨てては、また一体。

 足止めを呈する戦いは続いた。

 そんな二人の様子を、太陰は心配そうに障子の隙間から覗き見する。

「初めての共闘の割りには、息がぴったりじゃのう。要らぬ心配であったか」

 不思議なものじゃ。

 呟きが吐き出される。

 二人からは、どことなく意思疎通を感じ取れる。

 ただの目配せだけで、こうも息が合うものか――。

 隙間を閉じ、水月の元へと身を寄せる。

「して、大事はないか?」

「はい。今日はとても調子が良いです」

 水月は血色の良い顔で笑む。

「それで、あの、皆さんは?」

 いつも側に居た巳月の姿が見当たらず、水月は尋ねる。

「それがのう、少々厄介な事になっておってな――」

 事の次第を、太陰は包み隠さず話した。

「見てはならぬぞ。あれは、人の業じゃ」

 水月は障子へと視線を向けた。

 その先で、巳月が命を張っていると聞かされ、締め付けられる胸を抑える。

「巳月さん……」

 水月の表情は不安を湛え、今にも泣き出しそうであった。

「信じよ。あやつは、そなたを必ず護る」

 落ち着かせる様に、太陰はその震える手を摩った。


***


 六合は、白虎と朱雀の傷を癒していた。

 朱雀に至っては、黒鬼に負わされた傷が深い。

 腹部を貫通した傷からは、血が流れ続けている。

 こんなの問題ないと強がりを見せてはいるが、その息は荒く、とても動ける様な状態ではない。

 黒鬼の強さに、六合は口を結ぶ。

「ボク達の攻撃を弾くなんて、あいつ前より強くなってない?」

 横わる朱雀へ視線を投げる。

「お二方の連携は確かに素晴らしいものです。相乗ですから」

「そうなの。それなのにだよー」

 白虎は頬を膨らます。

「あの者の所業でしょう。何らかの術を施したのなら、先程のあれから想像できます。太陰からの知らせも途絶えてしまいましたし、あちらにも何かあったのかもしれません。向こうの戦力は巳月のみ。時間が長引けば不利になるでしょう」

 状況は悪化している。

 六合の焦りは強まるばかりだった。

「休んでいられないな」

 朱雀は、まだ重い体を起こす。

「駄目です! まだ傷が癒えてません」

「大丈夫だ。塞がってりゃいい」

「そんな――今行けば、またすぐ開いてしまいます!」

「構わねぇよ」

 ふらりと、立ち上がる。

「おーい白虎、援護しろ。俺と騰蛇の焔、増し増しで食らわすぞ」

「はーい」

 目の前が炎に包まれる様子を、朔羅は眺めていた。

 朱雀の赤き炎と騰蛇の黒き炎が混ざりあい、唸る轟音を響かせ膨れ上がる。

 この世の全てを飲み込んでしまいそうな、熱量であった。

『朔羅様』

 轟音に混ざり、小さく銀の声が聞こえた。

『太陰様より言霊を渡すよう仰せ付かりました』

「言霊?」

『はい。桔梗様の元を離れてしまい、申し訳ございません』

「あっちは、大丈夫なのか?」

『分かりません。ですが――巳月様と太陰様が、桔梗様、そして水月様の側にはおります』

「そうか。では、その言霊を受け取ろう――銀、お前は戻れ。桔梗とあの子の側について御守りしろ」

『――かしこまりました。朔羅様、どうか――どうかご無事で……』

 銀は、屋敷の前で地に額を擦り付けて礼をする。

 祈りを込めて。

 分かってる。

 小さく返ってきた返事を聞き届け、銀は再び桔梗の元へと駆けた。


 銀より受け取った言霊を身の内に入れる。

 すると、太陰が覗いた過去が、そっくりそのまま脳裏を駆けた。

 真実は、余りに根深く罪深い。

 始めに歌柊の言った意味が、今やっと理解できた。

 朔羅は手で口をふさぐ。

 その様子に、六合は心配そうに声をかけた。

 びくりと肩を震わせ、声の主へ視線を向ける。

 青ざめた顔に、六合は目を見開く。

「朔羅――」

「なぁ、教えてくれ。どうしたら、止まった時間を進められる?」

 朔羅は必死に答えを求めた。

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