十五

 たわいもない会話。

 こちらに来た時の様な微笑みを、彼女は見せる様になった。

 依然、顔色は優れないが、部屋の外に出歩く余裕が出来た。

 貴人様のお陰というのが、少々胸の痞え(つかえ)ではあるが――。

「水月ではないか。調子が良さそうじゃのう」

「太陰様」

 木陰で体を休める水月へ、太陰は無邪気な顔で駆け寄ってくる。

「二人だけであったか。ふむ――お婆はお邪魔かのう」

 眉尻を下げ、太陰は巳月を見上げた。

「いえ」

「遠慮はせぬぞ」

 そう言って、満面の笑みで二人の間に割って入った。

 そして、水月と巳月の腕を抱く。

「太陰様……」

「良いではないか」

 ――親子のようじゃろ? 巳月にだけ、耳元で小さく囁やく。

 嫌な気はせず、巳月は太陰の腕を解く事はしなかった。

「お、貴人じゃ」

 遠目に、帯刀している貴人の姿を見つけるや否や、太陰は大声で呼んだ。

 こちらに気が付いた貴人は足を止めた後、呼ばれるがまま優美に近づいてくる。

「何か用事か? 太陰」

「特に用事は、無いのう」

 では、何故呼び止めたのか――。

 見下ろす視線が語る。

「まぁ、あれじゃ。静かすぎる気がしてのう」

 あちらからの第一報があってから、七日の時が過ぎた。だが、その後は何の音沙汰なく今日を迎えた。

 あまりにも静かで、些か不穏に感じる。

「奇妙な静けさじゃ。そうは思わぬか? 貴人」

 太陰の言葉に、貴人はそっと腰の刀に手を伸ばし、柄を握る。

 その双眸は、不穏な空気を感じたかの様に、屋敷の外へと向かったいた。

「太陰。中へ――結界を張り巳月と共にその子を守られよ。どうやら、その時が来た様だ」

 静寂は切り裂かれた。

 光の輪が突如空に浮かび、その中から殺気が一つ舞い降りる。

 燃える怨念を纏う真っ赤な髪を靡かせて。

 その者は、皇貴城の門前に立った。

「ご挨拶しなきゃ」

 呟くと、門番を容易く薙ぎ払い、重厚な扉を自ら開き中へと押し入る。

 白い玉砂利が敷き詰められた、吹き抜けのだだっ広い空間。その奥に、白亜の城が聳え立つ。

 赤き髪を持つ者の前には、こちら側の者が対峙した。

「初めまして、神様。僕は赤鬼。ここを壊しに来ました」

 変声期前の高い声音の少年の姿は、そう告げると、小さく深くお辞儀をした。

「子供ではないか」

 言い放つのは、勾陣。

 誠、目の前に立つのは、黒い狩衣を見に纏う子供。

「侮ってはならぬぞ、あの門を開けたのだ。ただの子供ではない。それに、見よあの目を。虚無である」

 青龍の言葉に、今一度その子供に目を向ける。

 大きな黒目は深い深淵を宿し、何もその目に映しはしない。

 背筋に悪寒が走る。

「――ふん。どうなったらあんな目になるんだ」

 小さな鬼を前に、様子を伺う。

「僕、神様嫌い。だって――死にたくない。助けてって、言ったのに。助けてくれなかった。僕もお姉ちゃんも、だから鬼になったんだ。神様なんて、誰も助けてくれない。神様なんて、要らない。神様なんて、みんな死んじゃえ」

 憎悪が噴き出す。

 少年の体から、黒い煙の様な怨念が唸り声をあげる。

「青龍、白虎、玄武、天后。あちらへ至急向かわれよ。鬼が二体では部が悪い」

「承知」

 貴人の命に従い、四つの光はあっち側へ疾く向かった。

 感情の赴くままに言葉を紡ぐ所は、まだ子供。だが、お陰であちらに鬼がいる事が分かった。しかし、問題はこの人の子。

 先の話から察するに、恐らく死した体であろう。

 だが――何故、その心が存在するのか。

 心とは魂。

 死して、魂が抜ければ心は魂の糧となりその魂の一部となる。

 人の魂は転生した後、その心が表に出る事はない。

 だが、鬼は違う。

 屍体に鬼の魂を入れたなら、その体はその鬼となる。

 死した所で、鬼は鬼。

「貴人よ、あのお子。どう見る」

 短髪を横分けにした黒髪に、切れ長の翡翠の瞳。

 貴人は、声をかけられその男を見上げる。

「人の体に鬼の魂。しかして、その心は人。理が捻じ曲げられている」

「同感だ。こちらへ来られたのも気にななる。鬼だろうが人だろうが、こちらへは来られない。万が一にも道を開くなら、余程の触媒でもなければな」

「触媒か――」

「心当たりでも?」

 その問いに、貴人は口を閉ざす。

「――いずれにせよ、あちらはやる気が満ちている。戦闘は避けられまい。天空、勾陣。我等で、あれを食い止めますよ」

「言われなくても分かってるよ。大裳こそ、体鈍ってんじゃないの?」

 天空は、言いながら抜刀する。

 赤鬼から流れ出る怨念。

 それは徐々に濃くなり大きな湾曲した大鎌へと形を成す。

 自身の身の丈以上の鎌を、赤鬼は手に取った。

 それでも尚、噴き出す怨念は、唸りながら広がる。

 白い玉砂利は徐々に闇に呑まれ、やがて闇は無数の鼓動を孕む。

 闇の中から目玉が一つ。また一つと浮かび上がった。

 浮かんだ目玉には怨念が絡まり、人型へと姿を変える。

「これは、恨みだよ。無念のうちに死んでいった人の恨み。さぁ、みんな。神様にその恨み、聞いてもらおう」

 赤鬼の声に、怨念は一斉に咆哮をあげた。


***


 同時刻。

 朔羅達の目の前に、突如鬼が現れた。

 可憐な少女の風貌。

 その結わえた長く揺れる髪は鮮やかな青藍色。

 蒼白な顔に浮かぶ表情は、柔らかな微笑み。

 そして、自分は蒼鬼だと告げた。

 確かに、気配は鬼のそれ。

 覚えた違和感は、その少女の放つ言葉の中にあった。

 この岩浜を家族で訪れた事があると。

 少女自身の記憶が、何故蒼鬼の中にあるのか――。

「……人の子の記憶が残るとは、難解な事よ」

 騰蛇は、その理由を解らないと述べた。

「私にも解りません。ですが、まだあの様に小さな子を鬼にするなど――許し難い」

 六合は眉間にしわを寄せる。

「怒る気持ちが分からんでもないが、六合よ。その怒りに身を任せてはならぬぞ」

「承知しております」

「あの紋は、天璋院――。まさかとは思うが、子供の体を鬼にする為に殺したんじゃないよな……」

 少女の黒い狩衣に、朔羅はその紋を見つける。

 五芒星を中心に、日が八つ。

「人は死すれば、その心が体に残る事はない。しかし、あの子は言うた。楽しい思い出を穢すのね。――と。人の心を持って鬼になるなど、あり得ぬ事。あの少女は、少女のまま鬼となった。その様に、見える」

 騰蛇は、自身の見解を口にした。

「そこの人間の言う通りよ。私は、殺された。弟と一緒にね。助けてって言ったのに――助けてくれなかった。そして、言われたの。身を持ってそう感じただろう。神は人を救いはしない。そんな神様なら要らないだろう? って。その通りって思ったの。だから……だから、殺すことにした。神様なんて、皆死んじゃえば良いのよ」

 少女の目つきが急激に鋭くなる。

 鬼が襲いかかろうとする、その瞬間。騰蛇達の前に光が降り落ちた。

「騰蛇よ。ここは、我等に任せてもらおう。白虎。そなたは騰蛇達と共に」

「はーい」

 手を挙げ、白虎は朱雀の隣に歩み寄る。

「宜しく」

「おう!」

「挨拶はその辺にしておきなさい。さて、案の定ではあるな。騰蛇よ。あちらには赤鬼が現れた。貴人の見立て通り、こちらは蒼鬼の様だな。鬼が二体ではと、我等をこちらに向かわせた次第。――黒鬼を頼む」

 青龍は、身幅の広い双剣を構える。

「承知した。朔羅よ、いづれは行かねばならぬのだ。それが今でも、構わぬだろう?」

「まぁ、そりゃそうだが」

「煮え切らぬ返事よな」

「いや、なんて言うか……こんな事する理由が解らないって言うか。言っただろう? 仮に天璋院の奴らが、書だ鬼だって囲い込んでるんなら、その何故かって話さ。その、余りにも普通の印象だったからよ。それが、こんな大事(おおごと)をしでかす様には見えなくてな。腑に落ちないだけだ」

「そんなの、会って直接聞こうぜ!」

 朔羅の背中を、朱雀は軽く二度叩く。

 如何せん晴れぬ顔つき。

 今になって怖気付いている。

 朔羅自身、それには気づいていた。胸の中で騒めく悪い予感が一向に離れない――。

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