十二
無理矢理、こちらへ連れてこられた男は、貴人の元に着くなり身なりを整えられた。
寝起きでの出来事。
着替える間もなく、天空に捕まったのだ。
こちらで、男に拒否権はなく、なされるがままとなる。
無精髭も綺麗に削がれ、寝癖のついた髪は、櫛で整えられる。用意された紺色の長着と濃い灰色の袴に着替えさせられた後、男は天空と共に貴人に会う事となった。
高座の貴人からは、天空や騰蛇達とは違った、雰囲気を感じた。
綺麗な顔に似つかわしくない覇気。
紫色の瞳にじっと見られているだけで、金縛りにかかった感覚に陥る。指一本動かすのが、こんなに難しいとは。三十年と生きてきて、今まで一度も感じたことがない。
沈黙を破る、貴人の通る声。
騰蛇と手合わせしてもらう。
声はそう告げた。
見定めるつもりなのが良く分かる。
一切、表情を変えない貴人は、それだけを伝えると、高座を降りて去っていった。
それから、数日後。銀達が帰ってきた。
一気に色がついたように賑やかになる。ここ数日の、狂いそうな静寂から、ようやく解放される。
人の世を離れて気づく。
ここは、人の居て良い場所じゃない。
これが毎日なんて、とてもじゃないが気が狂う。
驚きも楽しみも、何もない。
笑い声も怒鳴り声も、何もない。
何もない一切の静寂。
貴人の止まった表情を、何度も思い出した。
こうも何も起きないのだ。
止まってしまってもおかしくない――と。
男はまた一つ、大きな欠伸をする。
退屈。
だが、かと言って鬼退治は気がひける。
妖でさえ、鬼を嫌がる。
「……面倒だぜ」
本音が漏れる。
男の独り言に引かれる様に、天空が姿を現した。それが、意味するのは一つ。
「手合わせの時間だ」
天空は告げる。
「へいへい……」
嫌々ながら男は重い腰を上げる。
連れてこられたのは、貴人の間。
中に入ると、高座には貴人が座っている。その横には、小さな子供と白髪の青年、そして朱雀が立っている。天空は男を案内すると、その子供の横に立った。相手となる騰蛇は、既に太刀を手にしていた。
一瞬で雰囲気が、いつもと違うと気づく。
袴姿から身軽な戦の装束姿。目つきは鋭く、臨戦態勢なのが分かる。
「早速だが、そなたの力見させてもらう。結」
貴人は結界を張り、高みの見物。
見下ろされているのは、気分が良いもではない。まして、自分の意思とは反対方向に進んで行く、この状況もだ。
「気に入らない。と言いたげな顔よの。その気持ち、ぶつけてみよ」
声音さえも鋭い。
騰蛇は、鞘から太刀を抜き構える。
挑発する言葉に、男は青鷺火を刃として召し寄せた。刃は、青白く炎の如く色が揺らめく。
次いで、鎌鼬を人型で召し寄せる。
現れた栗毛色の髪をした少年は、ふわりと風に舞い宙へ胡座をかいて浮く。その手には柄の長い大きな湾曲した鎌が在る。
「ふむ。これは期待が出来よう。面白そうじゃ」
太陰は目を輝かせる。
「俺も手合わせしてみたい所だな」
朱雀は騰蛇へ羨む視線を送る。
高座での会話は、一切届かず。騰蛇は漆黒の刃へ神気を込めた。黒煙の様な黒い炎がうっすらと刃を包み込み、一気に熱量が上がる。
騰蛇の神気に、男は額に汗を流す。
刃を合わせずとも感じる灼熱。
これが、騰蛇。
それも、まだ本気ではない。
男はうっすらと口角を上げる。
先手を取り、鎌鼬と同時に動いた。風の如く鎌鼬は騰蛇の元へ素早く移動し、その大鎌を振り下ろす。
騰蛇が鎌を避けた所に、男は切り込む。
だが、男の刃は簡単に受け止められる。押し合う二つの太刀。両の炎が揺らめき合い、より暑さを増す。
「突風ト成リテ斬リ裂ケ鎌鼬」
男は言霊を口にする。すぐ様、男は騰蛇と距離をとった。すると、少年の姿をしていた鎌鼬の姿は消え、突風が騰蛇へ襲いかかる。
一度目。風は騰蛇の頬を掠めた。
二度目。騰蛇は神気を強め、鎌鼬を跳ね返した。
男は、青鷺火を刀から炎へと戻し鎌鼬と共に解き放つ。青白い炎は風に煽られ威力を増す。
騰蛇は向かってくる炎の塊を見、刃を前に手を翳し漆黒の炎を押しだす。
二つの炎の球体は、互いにぶつかり押し合う。
力の拮抗は騰蛇に軍配が上がり、青白い炎は弾かれ消える。すると、力のままに黒い炎の球体は勢いよく男へと向かった。
高座で見守る誰もが、騰蛇の炎の威力を知っている。
一瞬にして、人など灰となり跡形もない。
慌てて朱雀は止めに入ろうとしたが、それを貴人は制した。
炎を目の前に、男は瞬時に護符を取り出し炎へと投げつける。すると、護符は光を放ち結界となり炎を受け止め分散させる。
唖然とする朱雀の目に、騰蛇が男へ向かって切り込む姿が映る。
「火がついたな」
男は再び青鷺火を刃へとし、応戦する。
鈍い音が響き、二人は刃を交える。
戦闘慣れしている騰蛇の攻撃を、男は交わすのがやっとだった。時折合う冷たい目が、殺気を帯びており肝が冷える。
ぞくりとする感覚とは逆で、汗が絶えず流れ出す。
自分の汗で足元が滑り、体勢が崩れる。
騰蛇はそれでも容赦なく攻撃をしてくる。
こんなに暑い中、騰蛇は汗ひとつかいていないのは、流石と言うべきか。鎌鼬の付けた頬の傷が、もう治っている。
妖以上の化け物を相手にしている気分だ。
二人の交戦を見ていた朱雀は、男の中に水月(すいげつ)以上の秘めた力を感じ取っていた。あの騰蛇を、人がまともに相手している姿は新鮮で、つい見入ってしまう。稀に見る神通力の持ち主。これほどの力を持ちながら、世に関心が無いとは勿体無い。
「貴人よ、もう良いのでは無いか? わしには、値する。そう見えるがの」
太陰は一言そう言った。
聞こえてはいるだろうが、貴人からの返答は無い。
下では、騰蛇の刃に男の太刀が薙ぎ払われ、その喉元に切っ先が触れ、肌を焼く。
「騰蛇。もうよい」
ようやく、貴人は声をかける。
男を見据えていた切れ長の目は閉じられる。
刃は男の元を離れていくが、喉に残った焼け跡は痛々しく残る。
「くっそっ……」
男は喉元を抑え、苦痛の表情を浮かべる。
「もう少し、追い詰めても良かったのだが。まだ本気ではなかろう?」
再び開いた騰蛇の視線が、男を射抜く。
「……だったら、どうだって言うんだ。俺は、そっちの都合に付き合ってやっているだけだ。本気も何もあるか」
本音が口をついて出た。
男の言葉に、騰蛇は目を細める。
「確かに、こちらの都合。だが、そなたは、あちらが鬼の恐怖に満ちようとも良いと言うのだな?」
「あちらの事はあちらに任せるべきだろう。それで、あちらが終わるならそれまでの事。そもそも、封印を解いたのも人だ。それなら、その責任は人が取るべき事じゃないのか?」
「ただの人では黒鬼には敵わん。――そなたも分かっておろう」
「あぁ、分かるさ。いくらの術者でもな」
「鬼にくれてやる気か?」
「欲の深い人の世など、染まるならいっそ黒に染まってしまえばいい。――鬼に喰われる方が、私怨は残らない」
男が何を言わんとするか。騰蛇は、あちらに行った時の光景を思い出した。
戦。
恨みが滿ちた大地。
そこは確かに黒く澱んだ空気であった。
戦で人同士が殺し合い世が終わるなら、いっそ鬼に奪われた方がいい。そういう事であろうと解釈した。
裏を返せば、そう思うほどに憂いている。という事だ。
「素直じゃないのう」
太陰がクスリと笑う。
「捻くれ者じゃが、嫌いではないぞ。どれ、わしらが一肌脱ごうではないか。のう、貴人」
子供の戯言。
太陰はそう扱う。
「は? 何を聞いてそうなるんだ」
会話を無視するような発言に、男は声を上げる。
「そう癇癪を起こさなくてもよい。人の子は面白いのう」
「っ……なんなんだ、あの童は……」
「見た目は幼子の様だが、太陰は我らよりもずっと年上ぞ」
「な……」
心底神の世界とはわからないものだ。
男は太陰を見てそう思った。
「して、貴人。どうするのだ。早う言うてくれんかのう」
貴人の顔を覗き込み、急かす。
太陰の期待を込めた視線にも、貴人は動じず。暫し沈黙が流れた後に、その美声を響かせる。
「そなたの言う通り、そちらの事は人に任せるがよろしかろう。元よりそれが理」
「貴人!」
突き放す言葉に、太陰は声を上げる。
「だが、鬼の被害が増えれば、冥府も困ろう」
「では?」
「あくまでも、世の調和を保つ為。そなたは不本意ではあろうが、我らの力を貸そう」
貴人の放った言葉に、男はあからさまに嫌そうな顔をした。
「神様ってのは、人の言葉に耳を貸さないもんなんだな」
あんなに綺麗で神々しい出で立ちでありながら、冷たい印象。それは、人の世で感じるものと同じ。神頼みなど、あの骸の山を見れば通じていないと分かる。冷たく、あしらわれているのだと。
「人の起こした戦を我が収めて何とする。人の世を我にくれるとでも言うのか?」
心の中を見透かした問いを、貴人は投げた。
「そういう事では……」
「では、どういう事で、人の起こしたものを我らに止めよと言うのだ。願うは容易い。だが、我らには人の傲慢にしか思えぬ。自分たちの起こした殺し合いを、神に止めて欲しいと望むなど。それでは、ただの放棄ではないのか? 我らに尻拭いをせよと、言っているも同じ事」
一つ一つが深く突き刺さる。
男は、貴人に対して返す言葉を見失う。
「憂う気持ちは分かるが、矛先を見誤ってはならぬ。――鬼は人外故の事。十二天神が揃いし時、儀を行う。それまで暫し休まれよ」
貴人はそう言い残し、部屋を出て行く。
「久しぶりに揃うのう。圧巻であろうな」
重い空気に太陰は屈せず口を開く。
お婆のそういうとこと、良いよな」
「貴人ってば容赦ないから、ひやっとしたぜ」
天空、朱雀がそれぞれ口にする。
「我らの長ぞ。あれくらいで丁度良いのじゃ。お主達みたいに、武に惚けた者ばかりでは成り立たぬであろう。さて、揃うて言うても時間がかかりそうじゃ。折角じゃ、あやつにも水月を診てもらうとするかの」
太陰は高座から飛び跳ねて降りると、男の元へ向かった。
「貴人の言う事など気にせずとも良い。口が達者なのは昔からじゃ。それより、ちょいと会わせたいお子がおる」
男の腕を掴み、引っ張る。
「誰かに会う気分じゃねぇよ。放せって」
振り払おうとするが、思いのほか力が強い。
「良いではないか良いではないか」
「……どこの悪代官だよ。あーったく、分かった分かった。行きゃいんだろ! どいつもこいつも頑固すぎだぜ」
見た目が子供だからか。上目遣いで強請れると、振り払う事が出来ない。
「こっちじゃこっちじゃ」
さらに腕を引いて男を連れ出す。
前かがみで連れて行かれる男の姿を、巳月は目を細めて見つめた。
「まぁ、これであちらでも力を存分に使える」
天空は、ぐっと拳を握る。
「黒鬼。今度は、完全に消す」
魂ごと消し去る。天空の言葉には力があった。その、握られた拳のように。
高座の上に立つ、天空達を見た騰蛇は、静かに太刀を鞘へと戻す。
未だ瞳は鋭く、必死に内なる熱を抑えている様に見えた。
巳月は、騰蛇の中に残された、湧き上がるその熱を感知する。何も言わずに、主の前へと歩み出る。
「私で良ければ、お相手致します」
まだ、暴れ足りない。
気分が乗った所で、打ち切られた事により、持て余した興奮を見抜かれる。
「良いのか? 加減は出来そうにないぞ」
「構いません」
「そうか」
騰蛇の事は、良く知っているつもりだ。
目尻の上がった鋭い目をしている時は、打撃に容赦がない事を。こういう目をするのは、随分と久方ぶりである事も。
加減を知らない時の騰蛇は、恐ろしい程強い。
巳月は、鞘から太刀を抜くと神気を込める。本気を出さなければ、喰われる。
「すまんな」
「いえ」
突如始まった、主従の手合わせに朱雀と天空は、互いの顔を見合わせる。静かに一瞬視線を合わせた後は頷き、その行方を見守った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます